仕事の帰り道に思考が当て所もなくひょろひょろ流れ、変な隘路に陥りました。
アリストテレスのいうように、
悲劇性にはカタルシスの効果があるよな、
人の不幸に涙するのはある種の快感が伴う、
映画を見て悲しくって泣くのだって、
一種の排泄行為(カタルシス)なわけで、
となれば涙というのは排泄物なわけで、
なるほど、だから目の端を目尻というのか、
だから目くそとか鼻くそというのか、
つまり涙は心のうんこということか!
私、疲れているのですかね。
別にふざけているつもりはないんです、
帰りの電車で『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を読んでいて、
なんだか悲劇やなあとか思っていて、
そのせいで思考が「カタルシス」という言葉に流れ着いて、
涙は心のうんこだ、という結論に至ってしまったわけです。
しかもなんだか、「涙は心のうんこ」という語が気に入ってしまって……。
本当にふざけてはいないのです。至って真面目なのです。
いや、わからないです。
私の心があらゆるストレスに耐えきれず、
緊張状態をなんとか弛緩させようと、
自己防衛本能が働いているのかもしれません。
私の無意識が、
「ふざけろ、ふざけろ、ちょっと休憩しろ、気分転換しろ!」
と、私を守ってくれているのかもしれません。
ならば、その無意識に思考を委ねてみるのもありだと思うんですよね。
……で、きっと、朝起きたらこれを書いたことを後悔しているんだろうな。
そう、今日も4000字書きました。が、アップできる場所がない。
短編で書いたけど、まだ『砂漠の鷹匠』が終わってないから。
明日もがんばろ。