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溢れんばかりの美しさと醜さとあいまみえる欲望と

欲しい。行きたい。したい。食べたい。

新しいスマホが欲しい。美味しいご飯が食べたい。楽したい。恋人が欲しい。友達が欲しい。お金が欲しい。知りたい。書きたい。才能が欲しい。生きる意味が欲しい。知性が欲しい。自分にふさわしい仕事が欲しい。認められたい。ほめられたい。名誉が欲しい。憎い人間に不幸が訪れて欲しい。傷つけばいい。苦しめばいい。死んで欲しい。支配したい。辱めたい。殴りたい。殺したい。犯したい……。

……人の欲望に際限はなく、有限の世界ですべての欲望が満たされる可能性はありません。

それでも人は欲する。

欲望はあらゆる形を持ち、時や場所によって、美しくも醜くも解釈され得るものです。

たまたま【醜い】と判断される欲望を持ち合わせてしまった人は、それを隠して生きます。内的悪です。
欲望そのものが悪と分類されるような、そんな欲望がこの世界には無数に存在するわけです。
かつて同性愛は悪でした。それを内的欲求として秘密にし、多くの人が隠して生きてきました。

現代は多様性の時代。
欲望を白日のもとにさらせばすべての人が完全な公平や平等を享受できると信じてやまない人々がいます。

それが、私はとても怖い。

美しさや醜さは人の価値判断で、歴史によって作られてきたものです。
【常識】をナイーブに信じて、普通の拡張によってあらゆる差異を受容できるようになるなどと、容易には信じられません。
寛容さを人に強要してなにもかもを常識の範囲内におさめてしまい、不寛容に対してだけは同様に不寛容なあり方では、議論が生まれない。ただ対立だけがそこにある。
現代の知性はとても静かに、「理性に欠けた人」や「寛容に欠けた人」に失格の烙印を押して、それ以外の「理性や知性に満ちた寛容な人たち」だけで社会を構成しようとしているように見えることがあります。果たしてそれは、本当に寛容なのでしょうか。

ぶれてます。中心がよく見えません。
これが今、私が整理したいと思っている概要です。

私は、世界が美しい、という類の言葉を言いたいわけでもなく、また、その反対を言いたいわけでもありません。

ただ、あるようにある、としか言えん。それだけです。

今日ももがいてあがいて書いているのはそれゆえです。私もただ、こうごちゃごちゃした混沌とした状態であるという、ほんと、それだけです。
(いやもうなんの話や


読んでね。

『それが君への誠実のつもりだなんてやはり僕は今日も愚かで』
https://kakuyomu.jp/works/16816452219308237394/episodes/16817330647995837114

『夜の光にあつまる』
https://kakuyomu.jp/works/16816700426633383705/episodes/16817330647826582966

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