なぜか、一人称で小説を書く人が多い。
いわゆる日本の純文学によくある私小説風作品が
その原因の一端だと思います。
ですが、言いたい。
とても言いたい。
一人称小説というのは、
書くのも読むのも激ムズなのです。
かくいう私も、いくつか一人称で書いてはいますが、
成功したなとか上手くかけたなと思うものはほとんどないです。
あったとしても、主人公としての一人称というより、
むしろ脇役としての一人称を書いている気がします。
難しさの理由として、
視点の操作ができないこと、
読者の主人公に対する共感を軸にストーリーを進めがちなこと
(あるいはそうせざるを得ないこと)、
主人公が作者の自己投影に見えてしまうこと
(たとえそうでなくても、そう見えてしまうことがある)。
などがあると思います。
三人称が自然に乗り越えられる点を、
一人称はどうしても初めから問題として抱え込んでしまう。
しかも、物語を左右してしまうようなレベルで。
それを上手に乗りこなせない限り、
一人称小説は成功しません。
それでも一人称で書いてしまうのは、
小説には自己表現という側面があるからなのでしょう。
自己表現。奇妙な言葉です。
嫌だ。一人称嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だー
っとなりながら、今日も一人称で書いています。
そんななかで、
表現される自己、すなわち私とは、
いったい誰のことなのですか?
クッソ厄介だあああ