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柚子に想う(まじめ)

『柚の木の梢高く柚子の実のかかっているのを見るときほど、秋のわびしさをしみじみと身に感ずるものはない。』
こう言ってのけた彼は大正時代を代表する詩人後に随筆家、その後、彼以上の筆上手を、寡聞にして私は読んだことが無い。

『豊熟した胸のふくらみを林檎に、軽い憂鬱を柿に、清明を梨に、素朴を栗に授けた秋は、最後に残されたわびしさと苦笑とを柚子に与えている。』
他の秋の果実との比較を比喩で表した名文!

そして、なぜ柚子は侘しさと苦笑なのか、その理由が鋭い。

秋になり、梨、林檎、柿、蜜柑と収穫されていく果実たち。
しかし、唯一、柚子だけは枝に残っている(これは大正時代の話、今では柿も、蜜柑でさえ取り残されている景色を見る)。

そして、そのような自分に柚子は、淋しく苦笑するだけ。
自分の持ち味は、少しだけあれば良いという侘びの味なのだと自覚しているのだ。

そして、話は茶の湯のワビから柚子味噌に及ぶ。
そこで、ワビというモノをホントに分かっている人間の少なさを愁う。

柚子の苦笑や侘しさは、ホントに見捨てられ放置されても良いモノなのだろうか?

『苦笑はつよい酸味となり、わびしさは高い香気となり、この二つのほかには何物をももっていない柚子の実は、まったく貧しい秋の私生児ながら、一風変った秋の気質は、外のものよりもたっぷりと持ち伝えている。』

このように柚子を解している彼は、その苦笑やら侘しさが実はただならぬモノであり、時に気高く、貴重なモノとして暗に述べているのだ。

それは、実は彼が欲した生き様であり、その精神が彼の書く文章の根底にあるモノなので、それを読む人々に何かしらの共感や感慨を誘うのだろう。
しかし、彼の話は、彼の博識が故に、それらの精神を諧謔で覆い、表面しか読まぬ人にはタダのオモシロ話に終わってしまうかもしれない。

彼の名前は薄田泣菫、明治後期から大正、昭和初期に活躍した博覧強記のイケメン。
与謝野晶子が愛読し影響を受け、芥川龍之介が『希臘(ギリシャ)の神々のよう』と言ったほどのイケメン。
でも、運動は苦手で、中学校中退。

大好きです!きゅうきん様!(#^.^#)

ところで私の菜園の柚子の木の苗。
未だに苗のまま成長していない。
なぜか?
その理由は若葉の新芽などや新しい葉っぱが食べられていたからだ!
何に?
それがやっとわかった!
シカなのだ!

柚子もリンゴもレモンも、みんな葉っぱが無くなると言う奇病が毎年起こり、私の所では育たないものと思っていたのだ。
そういうモノを食べる虫がいるのだと思っていた。
毛虫とか。

しかし、シカという事がわかり、遂に策を立てて、もとい、柵を立てて今は事なきを得ている。

そんな今の柚子の苗は、やっと下の方に辛うじて葉っぱが生えている。
この柚子は果たして大きくなり、実をつけるまでに成長できるのだろうか?
私に柚子酒を提供してくれるのだろうか?
今は期待して、その時を待っている、今年の秋でした٩( ''ω'' )و

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