秋の空が天高くと表現されるのは、中国の漢の詩人がそう詩を読んだことに由来するモノだ。
しかし、その根拠を科学的に説明すると、①秋の大気は空中に不純物や水蒸気が少ない②夏の積乱雲などと違い高層雲が主役、などという事になってはいる。
確かに、天高く晴れ渡った快晴の日の秋晴れは、清々しいものがある。
そして、かの薄田泣菫(すすきだきゅうきん)が言ったように、モミジなどの秋の紅葉している木々を楽しむには、その背景に秋の晴れた空が一番似合う。
しかーし、ただそれだけを彼は流石に言わない。
彼は、そういうことを言うのに、その紅葉している木々を陶器に描かれる絵に置き換えるのだ。
例えば、こうだ。
赤絵を焼いたという柿右衛門の陶器には、器の一方に花鳥を描き、それに対する一方には陶器の素地をそのままに残すという、あるいはそこに千切れ雲や小さな鳥を配したという、そんな技法が取られていたと言う。
つまりは、背景を大空に見立てたのだ。
そして、その大空は、静徹で、清明な秋の晴れ渡った空をイメージしているのだった、と言う。
私は、花を花瓶に入れて室内で楽しむより、自然の中で花を愛で、鳥を愛で、木々の紅葉を愛でるというのは、ホントに今の時期が一番ではあるよね、とは思う。
なぜなら、今ならあまりくしゃみや鼻水が垂れないから・・。
春は言わずもがな、夏の熱い時には空調の利いた室内が良い。
冬は寒くて、そもそも外で花が咲き誇ってはいないし、庭の木々も一部を除いて枯れ木のような姿になっている。
だから寒椿は貴重ではある。
さて、表題の馬肥ゆるだが、この言葉が使われたホントの意味は、匈奴の騎馬隊が元気に攻めてくるので気を付けろって意味らしい。
言葉の由来も、なかなかに面白く、アキないものではある(#^.^#)
※前回の近況の写真の双葉は、『三池大葉縮緬高菜』というもので、葉脈等が紫色をしており、写真でも既にその片鱗が伺われます。