いつも『朝倉慶長始末記』をお読み下さり、ありがとうございます!
「第4話 朱葉の懇願」のあとがきです。
https://kakuyomu.jp/works/16816700429410406879/episodes/16816700429437508013 さて今回は作中の戦国武将列伝などをしてみたり。
栄えある第一回目は……大久保忠隣!
朝倉と銘打っている作品なのに、いきなりまったく縁の無い人物が第一回を飾るとは、ですが、ここで紹介しないと次の出番がいつになるか分からない人物ですからね。
~朝倉慶長武将列伝1・大久保忠隣~
基本情報
生誕:天文22年(1553年)
死没:寛永5年6月27日(1628年7月28日)
父:大久保忠世
子:忠常、石川忠総、教隆、等
・史実では
三河国額田郡上和田出身。
忠隣は徳川家(松平家)の譜代の家臣の家系であり、その重臣であった大久保忠世の長男として生まれました。
徳川家康に仕え、三河一向一揆や姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、小牧・長久手の戦い等、主要な戦に参加し、活躍しています。
のちに家康の嫡男である秀忠の家老となり、相模小田原城主に。
順調に出生していくものの、関ヶ原の戦いでは失点も。
秀忠の側近ということもあり、関ヶ原の戦いではいわゆる第二次上田合戦に臨むことになりますが、真田昌幸に翻弄されて戦果をあげることはできませんでした。
またこの時に、本多正信とも対立しています。
ともあれその後、江戸幕府において老中にまで上り詰め、権勢を極めています。
ところが将来を嘱望されていた嫡男・忠常が慶長16年に死去。
これに忠隣は意気消沈し、これが元で徐々に権勢を失い、その後のいくつかの事件を経て慶長19年には改易となってしまいます。
色々と歴史に名を残している人物ではあるのですが、最期はその功績にそぐわないものになっていますね。
・朝倉天正色葉鏡では
甲州征伐編にて初登場。
天正政変編では家康や井伊直政らと共に、北条家の風魔に襲われていたところを雪葉に救われ、最初の縁となります。
その後、本能寺の変が勃発し、同行していた雪葉を説得して伊賀越えを成功させ、その後は共に越前に向かいました。
これらの縁により、雪葉はのちに忠隣を通じて徳川家を頼ることになるのが、朝倉慶長始末記でのお話となります。