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『朝倉慶長始末記 第7話 賤ケ岳の戦い(前編)』あとがき

 いつも『朝倉慶長始末記』をお読み下さり、ありがとうございます!
  「第7話 賤ケ岳の戦い(前編)」のあとがきです。

https://kakuyomu.jp/works/16816700429410406879/episodes/16816700429482622547

 今回は作中における、天正11年2月の羽柴勢の北近江及び美濃侵攻について解説です。
 本能寺の変以降、朝倉家は南近江を失陥しており、南近江や美濃に通じる交通の要衝に位置する佐和山城が、最重要拠点となっていました。

 ちなみに周辺の拠点である長浜城や安土城ですが、長浜城は色葉と信長が戦った北近江の戦いで炎上し、放置されている状況で、また信長の安土城も色葉の奇襲により、城下ごと灰燼に帰してしまっています。

 そのため佐和山城の重要性が増しているわけですね。

 秀吉はまず佐和山城を攻めますが、ここを守るのは江口正吉であり、佐和山城の堅城も相まって、城攻めの得意な秀吉ですら容易に落とせません。
 そこで抑えの兵を残してこれを素通りし、美濃攻略を優先させました。

 というのも、大垣城の池田恒興はすでに内応済み。
 岐阜城で勝家の留守を預かる堀秀政も同様。

 あっという間に美濃は陥落し、尾張の清州にいた織田信孝は、伊勢から進攻する織田信雄勢と羽柴勢に挟撃される格好となり、和睦に持ち込まざるを得なくなったという次第です。

 史実の賤ケ岳の戦い前夜も、織田家はあっという間に秀吉に切り崩されてしまいます。
 このような状況下、翌天正12年に、堀江景実や柴田勝家率いる朝倉勢3万は北ノ庄を出陣。
 近江国へと進軍します。

 これに対し、羽柴秀吉率いる5万の大軍は、近江木ノ本へと着陣し、賤ケ岳を挟んでの睨み合いとなったわけですね。

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