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『朝倉慶長始末記 第11話 朝倉家滅亡』あとがき

 いつも『朝倉慶長始末記』をお読み下さり、ありがとうございます!
  「第11話 朝倉家滅亡」のあとがきです。

https://kakuyomu.jp/works/16816700429410406879/episodes/16816700429482834104

 これにて朝倉色葉の死後、朝倉家が滅亡に至るまでの物語は終了となります。
 次編より関ヶ原之編として本格的に本編開始となりますが、朝倉家の滅亡から関ヶ原の戦いまでには16年ほどの時間があり、その間の主だった朝倉家臣や周辺諸大名がどうなったのか、簡単なその後についてを次話にて列挙させていただきます。

 また今回は、不定期の武将列伝の第三回目です。
 紹介する登場人物は、朝倉乙葉。

 完全に架空のキャラクターではありますが、それだけに背景が分かりづらいところもあるので、簡潔に書き留めておきます。


~朝倉慶長武将列伝3・朝倉乙葉~
基本情報
生誕:保元元年7月2日(1156年7月20日)
死没:-
種:妖狐
別名:妲己、華陽、褒姒、藻女、玉藻前


・朝倉天正色葉鏡より以前
 乙葉はこれまで幾度も転生を繰り返してきた大妖怪であり、その正体は九尾(きゅうび)の狐です。

 元々は大陸の妖だったのですが、のちに日ノ本にて転生を果たし、鳥羽法皇の御代にこれに近づき、寵愛を一身に受けるも見破られ、久寿2年(1155年)頃に下野国那須にて討伐されてしまいます。

 しかし一度寵愛を受けた鳥羽法皇の魂をもって、保元元年7月2日にその崩御と引き換えに復活し、再び転生を果たしました。
 ちなみに鳥羽法皇の崩御により、のちの保元の乱に繋がっていくことになります。

 ともあれ復活した乙葉は、ほとんど妖気も何もないただの狐の子として生まれ変わり、自らを討伐した三浦義明に拾われた上に「乙葉」の名前を名付けられて、その後を生きていくことになりました。

 その義明が治承4年8月26日(1180年9月17日)に勃発した衣笠合戦にて討死すると、乙葉は一人立ちし、全国を巡ります。

 それから数百年が経過して、失った妖気を取り戻しつつあった乙葉は、甲斐国の戦国大名・武田信玄に仕える信濃巫の長、望月千代女に囚われて、信濃巫の一員として使役されることになるという、憂き目に遭うことになりました。

 そうこうしているうちに信玄は死に、天正3年(1575年)の長篠の戦いの前夜、色葉が朝倉家と武田家の同盟締結のために甲斐国を訪れる際にこれに出会い、以降、信濃巫から離れて色葉に仕えることを良しとして、今に至ることになります。

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