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『朝倉慶長始末記 第3話 朝倉家の家督』あとがき

 いつも『朝倉慶長始末記』をお読み下さり、ありがとうございます!
  「第3話 朝倉家の家督」のあとがきです。

https://kakuyomu.jp/works/16816700429410406879/episodes/16816700429411202161

 今回は作中の朝倉一門の系図など。
 史実と空想を織り交ぜているせいもあって、書いている自分が時々分からなくなるという体たらくだったこともあり、軽くまとめてみました。

 この時代、戦国大名が周辺の大名と婚姻関係を結ぶことはよくあることで、朝倉家10代当主である朝倉孝景の時に、お隣若狭の武田家の血が入っています。

 ちなみのその一代前、朝倉貞景の代には、隣国美濃の守護代を務めた家系である美濃斎藤氏の斎藤妙純の娘を正室に迎えるなど、関係強化を図っていたりするわけですね。

 そして義景の代になると、室町幕府34代管領であり、山城国・摂津国・丹波国守護であった細川京兆家17代当主・細川晴元の娘を正室に迎え、さらに関白、太政大臣で近衛家16代当主である近衛稙家の娘が継室になるなど、朝倉家の中央との結びつきが強まり、同時に家格が上昇していることがよく分かります。

 ただ義景には兄弟がおらず、そのため一門衆の中で筆頭の地位にあったのが、従兄弟の景鏡でした。

 この時代、兄弟とは諸刃の剣。
 助けとなることもあれば、害悪となることもある存在です。

 義景の父・孝景とその弟である景高は仲が悪く、景高はついには謀反を起こして越前から追放されてしまいます。

 残されたその子、景鏡の心境はどのようなものであったのか。
 察するに余りあるものがあるでしょう。

 そういった背景を抑えた上で、この景鏡という人物を改めて見てみると、またその評価が変わってくるかもしれませんね。


 ところで武田氏庶流の武藤氏の家紋が何なのか、ちょっと調べたのですが分かりませんでした。
 真田家としてならば、真田六文銭あたりでもまあいいのかなとは思うのですが、今は武藤氏名乗ってますからねえ……ううむ。

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