-大村藩情報・開発経過-文久元年四月二十一日(1861/5/30)
■次郎
・総括
・蝦夷地(樺太・択捉含む)防衛計画並びに樺太入植計画。
・対ロシア外交交渉
■精|煉《れん》方改め理化学研究所(総括:信之介)佐久間象山は全部回る。
・電力系全般……松林廉之助・稲田東馬・村田蔵六・宇田川興斎
(水力発電・火力発電・風力発電・蓄電池・蓄音機他)
・トーマス転炉開発研究
・魚油のけん化(水素添加)の研究。……適塾の5人+杉亨二
・アーク切断、ガス切断、ガス溶接、鉛電池……信之介+隼人(炭素アーク溶接は完成)
■火術方(高島秋帆)
・クルップ砲開発研究
・後装式(アームストロング砲/仮称)研究開発
・連発銃研究開発、無色火薬の研究開発
武田斐三郎(北海道赴任のため欠員となる)・大野規周・賀来惟熊・田中久重-
■五教館大学(賀来|惟準《これのり》・三綱・|惟舒《これのぶ》)。
・石油掘削技術の研究開発(機械掘り)……適塾5人(綱掘りから更なる研究開発)
・(内燃エンジン開発につき)焼き玉エンジンの研究継続……+佐久間象山+杉亨二
・プレス機、圧延機の改良(抜き打ち蓋底完成)……佐久間象山+杉亨二
・一斗缶、ペール缶、ドラム缶の研究開発
■医学方(一之進、宗謙、敬作、俊之助、イネ)+適塾メンバー
・伝染病対策
・新薬の研究開発、臨床。
・輸血、献血、保存方法確立と改良
※京都病院……洪庵&適塾メンバー
※江戸病院……長与俊之助(専斎)
■陸軍奉行
高島秋帆+村田蔵六
立石昭三郎……蝦夷地部隊責任者(ミニエー部隊、ジャスポー部隊・平民一個連隊樺太へ)
(武田斐三郎)……五稜郭、弁天台場造成
新式銃と大砲を用いた戦術運用
・武家連隊(1,200名)ならびに平民師団(18,000)の運用
■海軍奉行
江頭官太夫(+次郎左衛門)+田口俊平(艦隊司令)
・沿岸警備と艦隊運用(設立)
・第一艦隊 清鷹(1,700t)・瑞鳳(1,000t)・祥鳳・瑞雲(800t)・徳行(400t)・蒼龍(360t)
・第二艦隊 輝鷹(1,700t)・天鳳(1,000t)・烈鳳・祥雲(800t)・至善(400t)・昇龍(360t)
・飛龍警備艦
・北海道、小笠原、千島列島、樺太、琉球周辺諸島の測量
・領内島嶼部ガス灯による灯台建設他
・鋼鉄製軍艦の研究開発
・2,500トン級鋼鉄艦オランダに発注、図面が出来次第オランダより送ってもらう。(2隻計画)
■産物方(お里、賀来惟熊)
・茶・灯油(ガソリン)・石炭・石けん・生糸・干鰯・鯨油(鯨全般)・椎茸他・運輸業
・精煉方による製品の販売(ガラス・紡績等)
・電信の全国敷設と海底ケーブル
・静岡での茶園拡大(幕府と協力)
・パラフィン原料のロウソク増産と販売