-大村藩情報・開発経過-文久二年九月五日(1862年10月8日)
■次郎
・総括
・蝦夷地(樺太・択捉含む)防衛計画並びに樺太入植計画。
・対英交渉
■理化学研究所(総括:信之介)佐久間象山は全部回る。
・電力系全般……松林廉之助・稲田東馬・村田蔵六・宇田川興斎
(水力発電・火力発電・風力発電・蓄電池・蓄音機の盤面化他)
・魚油のけん化(水素添加)の研究。……適塾の5人+杉亨二
・アーク切断、ガス切断、ガス溶接、鉛電池……信之介+隼人(炭素アーク溶接は完成)
■火術方改め陸海軍工廠(高島秋帆)
無煙火薬の研究開発
武田斐三郎(北海道赴任のため欠員となる)・大野規周・賀来惟熊・田中久重-
気球の改良、飛行船構想
■製造部
種々の鋼材(真鍮やその他の金属含む)の製造ならびにその他
■五教館大学(賀来|惟準《これのり》・三綱・|惟舒《これのぶ》)。
・石油掘削技術の研究開発(機械掘り)……適塾5人(綱掘りから更なる研究開発)
・(内燃エンジン開発につき)焼き玉エンジンの研究継続……+佐久間象山+杉亨二
2ストローク、4ストロークエンジン他。
・プレス機、圧延機の改良(缶胴部分圧接技術完成)……佐久間象山+杉亨二
・一斗缶、ドラム缶の研究開発
■医学方(一之進、宗謙、敬作、俊之助、イネ)+適塾メンバー
・伝染病対策(ジフテリア抗毒素他の開発)
・レントゲン、アドレナリン(昇圧剤)、酸素吸入器等開発、実用化。
・新薬の研究開発、臨床。(モルヒネは開発済・ヘロイン・アスピリン等)
・輸血、献血、保存方法が確立しさらなる改良へ
※京都病院……洪庵&適塾メンバー
※江戸病院……長与俊之助(専斎)+横浜診療所
※病院船『済生丸』
■陸軍奉行
高島秋帆+村田蔵六
立石昭三郎……樺太部隊責任者
ミニエー部隊
ジャスポー部隊・平民一個連隊樺太へ→連発が可能なミューゼル(二十一式連発銃)→一個旅団規模へ
(武田斐三郎)……五稜郭(1864~1865完成予定)、弁天台場(1863年完成予定)造成
・連発銃と機銃、アームストロング砲・クルップ砲を用いた戦術運用
・武家連隊(1,200名)ならびに平民師団(18,000)の運用
・浪人他町民も含め各国より募集。兵力増強を図る(二個師団計画)
・気球を用いた着弾観測や偵察の研究。飛行船構想
■海軍奉行
江頭官太夫(+次郎左衛門)+田口俊平(艦隊司令)
・沿岸警備と艦隊運用(設立)
・第一艦隊 清鷹(1,700t)・瑞鳳(1,000t)・祥鳳・瑞雲(800t)・徳行(400t)・蒼龍(360t)
・第二艦隊 輝鷹(1,700t)・天鳳(1,000t)・烈鳳・祥雲(800t)・至善(400t)・昇龍(360t)
・飛龍警備艦
・随時クルップ砲ならびにアームストロング砲へ換装。
・北海道、小笠原、千島列島、樺太、琉球周辺諸島の測量終了。
・領内島嶼部ガス灯による灯台建設完了。佐賀藩領の伊王島、五島藩の津和崎、平戸藩の大バエ等、各所に灯台設置開始。肥前が終了すれば順次拡大。各藩に費用負担をお願いするが、無理でも大村藩に必要なため、建造許可のみもらう。
・設計図による鋼鉄製軍艦建造中(知行)
・2,500トン級鋼鉄艦到着済(大成)
・気球を用いた着弾観測や偵察の研究。飛行船構想
■産物方(お里、賀来惟熊)
・茶・灯油(ガソリン)・石炭・石けん・生糸・干鰯・鯨油(鯨全般)・椎茸他・運輸業
・精煉方による製品の販売(ガラス・紡績等)
・静岡での茶園拡大(幕府と協力)
・パラフィン原料のロウソク増産と販売
・川棚丸(1,000t)と玖島丸(400t)他運用中