-大村藩情報・開発経過-安政三年七月十七日(1856/8/17)
■次郎
・総括
・蝦夷地(樺太・択捉含む)防衛計画並びに樺入植計画。
・幕府対一橋派(島津他)の調停、島津の出兵防止他
■精|煉《れん》方(総括:信之介)佐久間象山は全部回る。
・電力系全般……廉之助・東馬・村田蔵六・ブルーク・興斎・大野規周
・ベッセマー転炉完成、トーマス転炉開発研究(以下5人)※こちらを優先
高島秋帆 -全体管理、大砲の施条技術と小銃の金属薬莢の調整。
武田斐三郎-大砲の施条技術の研究と開発。……北海道赴任のため欠員となる。
大野規周- 榴弾の改良と信管のさらなる研究。
賀来惟熊-後装砲の開発、特に装填機構の精度と耐久性の向上。
村田蔵六-ピンファイアからセンターファイアへの移行、研究開発、無色火薬の研究開発
・1,700級1隻スクリュー推進艦オランダからの図面を下に建造
・魚油のけん化(水素添加)の研究。……ブルークと適塾の5人+杉亨二
・冷蔵庫の動力化(蒸気から電化へ)……高野長英+廉之助
・アーク切断、ガス切断、ガス溶接、鉛電池……信之介+隼人(炭素アーク溶接は完成)
■五教館大学(賀来|惟準《これのり》・三綱。|惟舒《これのぶ》)。+ブルーク。
・石油掘削技術の研究開発(機械掘り)……適塾5人(綱掘りから更なる研究開発)
・焼き玉エンジンの研究開発……+佐久間象山+杉亨二
・プレス機、圧延機の改良(抜き打ち蓋底完成)オランダ人技術者+佐久間象山+杉亨二
■医学方(一之進、宗謙、敬作、俊之助、イネ)+適塾メンバー
・伝染病対策
・新薬の研究開発、臨床。
・|殺鼠《さっそ》剤。
※京都病院……洪庵&適塾メンバー
■火術方
陸軍奉行
高島秋帆
立石昭三郎・・・蝦夷地部隊責任者(ミニエー部隊、ジャスポー部隊)
(武田斐三郎)・・・五稜郭、弁天台場造成
新式銃と大砲を用いた戦術運用
・武家連隊(1,200名)ならびに平民師団(18,000)の運用
■海防掛
海軍奉行
江頭官太夫(+次郎左衛門)田口俊平
・沿岸警備と艦隊運用(設立)
・飛龍(73.5t)・昇龍(360t)・蒼龍(360t)・徳行(400トン)・至善(S400t)・瑞雲(S800t)・祥雲(S800t)
・瑞鳳・祥鳳・天鳳・烈鳳(S1,000t)
・1,700トン級1隻オランダに発注済み
・造船型で1,700トン級建造中
・北海道、小笠原、千島列島、樺太、琉球周辺諸島の測量
■産物方(お里、賀来惟熊)
・製茶自動化(高林謙三)、増産、仕入れ拡大。輸送に機帆船
・桑畑の増加と生糸の生産。