近況ノートを使わないでおくのももったいない気がするので、公開中の作品についてぼちぼち反省文というか、思い出話でもしようと思います。
「紫陽花」について
作品ページにも記載していますが、これは「雨」、「落ちて朽ちる、花」と連作になっておりまして、個人的には「紫陽花三部作」と呼んでいます。
この作品を思いついたのは、紫陽花の花は枯れても散らないことに気付いたから。葉が枯れて散っても、花だけが残っているんですね。それもそのはずで、花だと思って見ているあれは、がくだから。花は中心の小さい粒のようなものです。くしゃくしゃに縮こまり、雨に濡れそぼった枯れた紫陽花を目にすると、今でもぞっとするような思いがします。
紫陽花は惨めな花だ。
その一文を思いついたとき、私の中に不機嫌な小説家と、空虚な妻が現れました。
これら一連の作品は大学三回生の頃に書いたものです。
完全に個人的な感触なのですが、大学時代に書いたものの中では、一番の出来栄えだったと思います。
当時は不要な文章を極限までそぎ落とし、いかに美しく、いかに調和した文章表現ができるかが私の主題でした。
そして「紫陽花」は、私の技量で実現しうる限界の、美しい小説だったと思います。
おそらく、今後あのような小説を書くことはできないでしょう。
それでも、しがみつくように何かを書こうとしている今の私は、まるで枯れた紫陽花のようです。