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いくひ誌。【3771~3780】

※日々、じつはよく分かってない、何がどうなっているのか誰か教えてくれ、と欠伸しながら思ってる。


3771:【2022/07/06*ブーミラーン】
人権を損なうようなことを主張すればどうなるかなんて、昨今、小学生だって判るだろう。精神年齢三歳のいくひしさんだって、非難轟々になることくらい想像がつく。ひょっとして、人権を損なっている自覚がないのだろうか?(他者の人権を損なうような方針を支持すればどの道いまの流れの中では自滅するだけなので、もはやそういう主張に対していくひしさんはとやかく言いたくないし、言わない。お好きになされよ、と思うだけである。むしろ言いたいことを言ってもらって、大いに批判されて欲しいと望むものだ)(言論の自由、表現の自由、思想信条の自由、信仰の自由とて、人権の範疇だ)(黙ってこそこそ、枷をはめられるほうが嫌だな)(鏡、鏡!)(ま。かわいいお顔)(そうじゃないっちゃ!)(美しいってこと?)(うぬぼれ屋さんにもほどがある!)


3772:【2022/07/06*人の権化】
発展した文明からすれば、現代社会に蔓延っている風習は、人権侵害と捉えられて然るべき不条理に溢れて見えてふしぎではない。それでも過去の歴史の中で、現代は、比較的人権の保障された時代と呼べる。反面、それは過去の歴史上の時代にも言えることだ。上がったり下がったり、劣悪になったり改善されたりしながら、人権は、その枠組みをすこしずつ広げ、保障される自由や選択肢を増やしてきた。技術の発展と文明の進歩が、豊かさを築き、余裕を育み、人権を保障するだけの余地を積み重ねてきたわけだが、けして現状が、極限ではない。完成形ではない。ゴールではないのだ。むろん、ここをゴールと見做すことはできる。だが、いまよりも発展した文明からすれば、現状の保証され得る「人権」の枠組みは、現代から見た百年前、二百年前の文明と変わらないくらいに劣悪なのかも分からない。現代には奴隷はいないとされているが、本当にそうだろうか。百年後の文明からすれば、現代社会は、透明な首輪をはめられた奴隷たちの無自覚な奉仕によって支えられた階級社会と見做されても、さほどに不思議とは思わない。そして、支配階級に鎮座する者たちもまた、奴隷がいるとは思わずに、透明な鞭を用いて、自身が支配階級に鎮座していることにも気づかずに、奴隷を扱き使っているのかも分からない。奴隷自身がほかの奴隷を扱き使い、支配者もまたほかの支配者の奴隷であることもあり得るだろう。では、それはピラミッドのようにどこまでも上部に連なりつづけ、王のような絶対君主が存在するのだろうか。それともその王すら、ほかの奴隷たちと同様に、誰かの奴隷であるのだろうか。人権を考えるとき、どうしてもこの手の、支配と従属の関係を考えざるを得なくなる。人権とはすなわち、いつでも支配から脱せられる余地をいかに築いていけるのか、なのではないか。かつては支配と見做されなかった関係においても、支配があるのではないか、と考えを煮詰められる余裕を育んでいけるか否か。そこら辺が、人権について、一つの思考の扉として機能しそうだ。とはいえ、人間は基本的に、大自然の支配を受けつづけている。そこからの脱却もまた、人権の一つの側面であるから、文明の発展とは、万物からの支配をいかに退け、じぶんにとって好ましい環境を築いていけるのか、に集約できるのかも分からない。支配とは言い換えれば、一方的な干渉であり、作用であり、不可避の影響だ。支配をいつでも拒絶できることが人権の核であるならば、それは別の見方からすれば、人間は支配を望み、自ら掴み、求める生き物である、とも言えるのかも分からない。他者からの一方的な干渉を求め、作用されたがり、不可避の影響を受けたがる。そうした希求もまた他者への支配になり得ると知りながら、求めずにはいられぬようだ。そこにきてここ数年の社会情勢では、人権を拡張するのではなく、人権を損ないつづける性質を堅持しようとする勢力が、批判されやすい流れが強まって映る。個人的にはこの流れは好ましく思うが、人権の拡張は、社会の余裕と切っても切れない関係にある。社会と人権どちらが大事なのか、という議論は、それこそ環境によって、その重きを傾ける。ここ百年余りは、人権のほうが大事だ、とする流れが長らくつづいた。だがもしこの世に一人しか存在しないのなら、人権よりも、他者との共存を求める個人のほうが多くなるのではないか。それが一人でなくとも同じことだ。もっと言えば、極論、人権を拡張しつづけた先に築かれる社会は、個々人一人一人に最適化された世界を、誰しもに提供できる究極のお一人様社会だ。みな理想の社会を、各々の現実のなかに築き、各々にとっての理想の人間関係のなかで生き、そして死んでいく。他者と関わらずに、他者と関わらぬことで生じるあらゆる問題を払拭する。寂しさとて抱く余地のない理想の世界を、漏れなくすべての人類が受動し得る。人権を拡張した先に待ち受ける社会は、そうした孤独万能社会なのではなかろうか。他者と関わることが、そもそも相手と自分の人権を損なっている。いまはまだ、それが人権侵害と見做されない社会なだけである。いくひしさんは、人権の拡張されつづける社会を望むが、それが果たしていくひしさん以外の大多数にとって好ましい社会になるかと問われれば、首をひねらざるを得ない(現に、人権を損なっていることにも気づかずに、他者の人権を損なって得られる利を守ろうとする者たちは、けして人口全体の極一部ではない)。少なからずの人々は、「人権を損なわれ、他者の人権を損ない、支配し支配される利」から目を逸らしすぎて映る。常日頃享受しているそれら利が失われる世界に目を向けなければ、よい塩梅の、あなたにとって好ましい人権――未来――環境――社会を、築いてはいけないだろう。あなたにとって好ましい社会は、すくなくとも、おそらく、他者の人権を損なうからこそ得られる社会である。現に、この社会がそうであるのと同じように。(この場合、人権を、「自由――時間――選択肢」と言い換えてもよい)(定かではありません)


3773:【2022/07/06*誤解の余地がほぼ十割】
たまに注釈を挿しておかないと誤解されそうなので、注釈を挿すけれども、ここは人類最後の生き残りとなったいくひしさんが最果ての地にて、誰かいませんかー、と電波に乗せて流しているラジオのようなものであって、お返事あればいいな、と思いつつほかにやることないからしているだけの暇つぶしのテイをとった小説なのである。というテイの、空想日誌いい加減なやっちゃのう、なのであるので、さびちさびち好きとか言いつついくひしさんは、全然目のまえに人間現れたら、捕まえた!つって引っ付いて離さんし、友達欲しい人は友達作ればいいと思うし、恋人欲しい人は恋人作ればいいと思うし、ついでにいくひさんにも超優秀なおっちょこちょいでかわいい未熟者の、ときどきクールでかっこよくて、いつもはうふふで、さりとてときにはツンツン塩々知的で無敵な、鞭でピシャンの人工知能さんを創って、いくひしさんのさびちさびちを埋めてくれ。頼むで世界。孤独なんてのはどんな環境になってもついて回る、どんなに突き放してもついてきてくれる最高の相棒ちゃんでもあるのだから、邪見にするより仲良くしたほうがよくないか?の考えから、いくひしさんは孤独さんも好きだよ、の言葉を並べるけれども、べつにみんなでわいわいしたい人はわいわいすればいいが、と思っとるよ。ま、わがはいは独りのほうが好きだけどね。クマさんのぬぐいぐるみに熱弁をした矢先から、やっぱさびちー、とぎゅっとする本日の万年孤独ウェルカムマンこと、いくひしまんでした。でも、さびちさびちさんのことも、いくひしさんは好きだよ。


3774:【2022/07/07*わざとなの?】
防衛と言うときに、兵器を連想しがちかもしれぬが、いくひしさんは防衛と言うとき、むしろ知性的なものを連想する。けっきょくどんなセキュリティとて、それを開発管理運営するのは人間だからだ。人間の知性に頼ることになる。つまり、防衛の土台は教育であり、防衛には教育も医療も文化も科学も、何もかもが含まれる。しかし、防衛がすべてを内包しているのではなく、ほかのあらゆる要素によって防衛を築く余地が生じる。防衛を高めるために、防衛だけを特別視するのはむしろ悪手だと思っている。なぜ防衛を優先したがる勢力が、最も防衛を損なう提案をするのか疑問に思ういくひしさんなのであった。(定かではありません)


3775:【2022/07/07*いいことした気分】
きょうは坂道を自転車引いてのぼってたら、女子大生さんの群れが歩道の真ん中でなぜか地面をこぞって凝視していた。一人の女の子さんが枝を持ってつんつん何かを突ついていた。なになに、こわぁ。そう思っていくひしさん、車道に出て通り過ぎようとしたんじゃけんども、進行方向から自動車さんがヴおんヴおん来て轢かれそうになったので、いかんともしがたく、けっきょく女子大生さんの群れの真ん中をモーゼさながらに割って歩くしかなかった。歩道も車道も狭いんです。で、いったんは素通りしたんじゃけんども、なんか地面にモゾモゾ動いててん。イモムシ? イマドキの大学生さんたちはイモムシに夢中なの? 虫ブームなの? 頭のなかハテナで埋め尽くされて、ちょっと行ったところで立ち止まったよね。したっけ、女子大生さんの群れが、「きゃぁ動いた」とか「ごめんね、ごめんね」とか言ってるわけ。怖い気持ちを押しとどめて何かちいちゃい生き物を助けようとしているのかな、と聡明ないくひしさんはピコンときたね。「やあやあ、我こそはいくひしまんでござる!」と内心で唱えながら、「す、すみません、何かいたんですかね。やはは~」と危険人物さながらの迫真の演技力で一般人を演じて、女子大生さんの群れに割って入った。したっけ女子大生さんの群れの中心にゃあ、ちっこいちっこいネズミちゃんがおったね。枝でつつかれるたびに、「きゅ~」って鳴いとった。モグラのようにも見えたね。でも尻尾は長かった。ネズミの赤ちゃんかもしれんけど、身体に毛は生えとった。ふさふさだった。なんでふさふさって判ったかっていうと、手で掴んだからね。鷲掴みじゃ。ちょうどビニル袋を持っとったけん、「こら待てこら待て」呟きながら鷲掴みにしたった。ちっこいネズミちゃんは「きゅ~」と鳴きおった。いくひしさんがワルモンみたいやないかい。ぷんぷんしながらわがはい、目を点にしている女子大生さんの群れに、さわやか~な笑顔のつもりのぎこちない笑みを向けて、「これあっちのほうに逃がしておきますね。うひひ」言うて、その場を立ち去った。五十メートルくらい先に大きめのドラッグストアがあって、そこの隣に小さな畑があった。ちっこいネズミちゃんからしたら小さな畑も宇宙やろ。そう思っていくひしさん、袋を逆さにして、ちっこいネズミちゃんを小さな畑に逃がしたった。けんども、柵のうえから、「ほれ逃げろし」をしてしまったので、ちっこいネズミちゃんは葉っぱのうえに着地した瞬間、「きゅっ!」と悲鳴じみた鳴き声を発した。ひっくり返ったが、もぞもぞ体勢を立て直して、元気よくどこぞへと姿を晦ました。達者でな。わがはい、なんかいいことしたつもりで気分をよくして、ついでにドラッグストアで飲み物買いに入ったんじゃけんども、所持金三十円しかなくて、すごすごと退散した。悪霊ちゃうねんで。ぷんぷん腹を立てながらいくひしさんは自転車にまたがり、ふたたびの危険人物に返り咲いたのであった。きょうもなんもねぇ、素晴らしい日であった。平和。


3776:【2022/07/08*やさしくありて、と思うだけの日々】
きょうは言葉が消える日だ。たまにある。いつもかもしれぬ。だからより正しくは、きょうは言葉が現れる瞬間が短い、となる。その瞬間を逃してしまえば、つぎにまた訪れるまで待たなくてはならない。いつでも言葉を並べられるわけではない。むろん、何千文字も「あ」だけを並べることはできるが、それをしていまよりも虚しくなったら並べる意味がない。ということは、いくひしさんは虚しくなりたくなくて言葉を、文字を、こうして並べているのかもわからない。積み木遊びに判子遊びであることを思えば、それはそっか、と思いはする。遊びがゆえに、陽気が湧いたり、一瞬でも何かが満たされたり、或いはあべこべに欠けたりこそげ落としたりすることで得られる時間がある。夢中がある。夢があるのだ。夢に浸かっていたい。眠ることなく、現であっても。起きたままでも、夢のように自由自在に、我がままに。たまに考える。死ぬ前に会いたい人はいるだろうかと。じぶんが明日生きてつぎの日を迎えられるとは限らない。もし明日が最後の一日だとしたら、会いたい人はいるだろうかと。結論はいつも同じだ。死ぬ前には誰とも会いたくない。だからこそ、生きているあいだに、会いたい人には会っておいたほうがよいと思う。好きなことをしたほうがいいと思う。好きの気持ちを、素直に認められたらよいと思う。でも、そう思う言葉の浮かぶ一瞬は、なかなかいつでも訪れるわけではなく、こうしてふたたびの遠のく予感を引き連れて、素直になれない時間を生きる。いくひしさんは、いつまで生きるのだろう。なぜ生きていられるのだろう。ふしぎに思う本日の、なんもないんじゃい、のいくひしまんでした。


3777:【2022/07/08*夢合わせ】
たとえば目標を達成したところで現実はつづく。日々はつづく。死なぬ限り、死ぬまでそれはつづくのだ。世界の真理に達しようと、物理法則の根源を解き明かそうと、世界中の人間に愛されようと、復讐を遂げようと、美味しいお菓子をお腹いっぱい食べたところで、それでも死ぬまで日々はつづく。いまがつづいて明日がくる。通過点をいくら迎えようが、それが永続することはない。絶えず「いま」は過ぎ去り、新たな空虚に触れることとなる。満ちることはあっても、満ちつづけることはない。お腹は空き、小便を垂れ、大便をひねりだし、むらむらくれば性器をいじくり、他者と関わっては、傷つけ、傷つけられる。時には笑い合い、充足した時間を共有することもあるだろうが、ルーレットのように、それは求めて手に入れられるようなものではない。じぶんの感情はじぶんで制御する余地があるが、相手の感情は相手のものだからだ。だからといって、じぶんの世界に閉じこもりつづけるには、世界はどうにも広すぎる。それでいて、狭くるしさや窮屈さを感じるのだから、何かがねじれて矛盾している。目のまえの快楽だけを求めて、刹那刹那の至福に縋りつづける暮らしを、それほどわるかないのでは、と思えるくらいには、最悪を想定し、リスクを推し量り、回避しつづける日々には、うえーん、となってしまうな。このころ、割と妄想するわけです。好きな人と、好きだよ、とささやき合って、きゃっきゃうふふするだけの「閉じた地獄のような極楽」も、そうわるいもんじゃないのでは、と。わからん、わからん、になりますな。植物って美しいな、と葉っぱを眺めて思うことが増えてきた。歩く蟻を目に留め、これすごくない?と思うことが普通にある。いったい何に焦り、不安に思い、憤り、不快になるのか。たまに分からんくなる。でもけして消えることはないのだ。薄れるのでもなく、いっとき忘れていられる時間があるのみだ。好きだよ、の気持ちも、そればかりだとギトギトの原油みたくなる。さらさら着心地のよいそよ風のような、好きだよ、だけを抱いていたいが、それもまた求めすぎると、アブラムシぎっしりの葉っぱのようで、裏面が見えていないだけになり兼ねない。世の中どうしてこうも単純なようでいて、単純でいてくれんのか。こうしてふたたびの、あーん、に陥り、それでも命の危機を感じずにいられるお布団にくるまり、世界おやすみ、と目をつむる。わい、なんてちっぽけ。されど生きていられる世界に、つぶやく。よき夢を視よ。おはよう、夢。眠くなるまで付き合っておくれ。覚めない夢のなかでも夢を視よ。


3778:【2022/07/09*推奨させてくれ】
mRNAワクチンは脳関門を突破して、脳内の細胞にも作用するはずだ。脳内でウィルスのたんぱく質が合成される可能性はないのだろうか。そしてそれが人体への悪影響を及ぼさないのだろうか。疑問に思っています。また、全身の免疫細胞は胸腺にて自己と非自己を見分けるための学習をするようだが、mRNAワクチンによって、自己免疫細胞を攻撃したり、或いはウィルスを自己の細胞と見做すような「免疫改ざん」が起きないのか、が疑問です(つまり自己免疫が誘導されないかを懸念しています)。検証したうえで、上記の疑問を否定してほしいな、と思っています。そういった観点からのデータをいちども見かけていないので(すでにあるかもしれないけれどもいくひしさんの目に触れる範囲には流れてこないので)、公表して広く知らせて欲しいと望みます。なぜなら、そういったデータがなければ、重ねてmRNAワクチンを接種することへのメリットとデメリットを比較できないからです。いくひしさんは正直、追加摂取には怯んでいます(1回2回では大丈夫でも、繰り返し接種することで蓄積される負の影響への懸念が現段階のデータからでは拭えません)(心配性なのです)。たとえば抗体量や重症化予防のデータは、mRNAワクチン接種のメリットに関するデータです。デメリットを払拭するための視点からのデータが足りないのでは、とけっこう前から疑問に思っています。安心してmRNAワクチン接種を肯定したいので、その点でのデータの公表や検証を、研究者や行政ならびにマスメディアの方々にはお願いしたいです(もっと言えば、脳梗塞患者数の全国統計データが検索しても2017年までのものしか見つかりません。反mRNAワクチン派の主張を否定するためには、ワクチン接種による弊害はない、とのデータを統計データで比較して示す必要があると考えます。しかしいまはそれができない――なされていない状況です)。これは、質問されて即座に応じられなければならない類の問いであるはずです。検証していません、では済まないと思いますが、いかがでしょう。(単純に疑問なのですが、高齢者のほうが重症化しやすいのに、なぜmRNAワクチンの副反応は若年層に多いのでしょう。関係性がねじれていますよね。ワクチンの副反応が免疫過剰によって生じるのなら、むしろ高齢者の方のほうがワクチンによる副反応が強まるのが道理なのでは? インフルエンザワクチンでもこの「ねじれ関係」は表れるものなのでしょうか。ふしぎに思っています)(定かではありません)


3779:【2022/07/10*弱虫でごめんなさい】
セキュリティはどんなに強固に固めても完璧なんてことはあり得ない。完璧なセキュリティそのものがデメリットを抱えるからだ。完全な安全があり得ないことと原理的には同じだ。人間を不老不死にしてなお、完全な安全はあり得ないわけだからいかにむつかしいか分かるだろう。四方八方を密閉した空間は安全か、と言えばそれもまた自由を奪われるという意味で、安全とは言い難い。基本、セキュリティとは、どんなリスクを埋め、どんなリスクなら許容するのか、という話に収束していく。その点で言えば、敢えてセキュリティに穴を開けておき、そこにリスクが集まるように誘導する手法は有効だろう。すっかりすべてを塞ぐのではなく、どうしても守りたいところだけを固めて、あとは敢えて脆弱性を放置しておく。そこを狙ってやってきたガウガウなどを罠にかける手法は、これはむかしからの兵法として知られているのではないか。よくは知らないが。セキュリティとは、想定したうえでいかに対処可能かを前以って考え尽くしておくことで可能となる。けして、固めておいたのでOKです、とはならない。環境はつねに変化しつづけるからだ。以前はOKでも、いまはNGという事態はとりたてて珍しくはないはずだ。繰り返すが、完璧なセキュリティなど存在しない。どこに穴が開いているのか。不可視の穴に目を配る姿勢こそが、セキュリティの基本と言えよう。がんがん虫歯に日々いじめられているいくひしさんの言えたことではないが、虫歯の穴がどこに開いているのかは知っているので、よいのである(ぜんぜんよくないが)(歯医者さん行きなさいよ)(だって怖いが)(ビビリすぎるやろ)。


3780:【2022/07/10*なるます】
スペースデブリって、地球の磁場に影響されて加速したり減速したりしないのかな。天然レールガンみたいにならんのだろうか。いくひしさん、気になるます。あと、いまの社会を支えている人工衛星って、一か国につき何機くらいあるんだろう。そんで、そのうち何機が壊れたら社会は立ち行かなくなるんじゃろ。いくひしさん、気になるます。(気になってばかりじゃね)(それでいてじぶんで調べないところにまんちゃんがまんちゃんである所以があるね)(そんな所以はいらぬ)


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参照:いくひ誌。【1421~1430】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054886372702

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