※日々、触れたら崩れる花を愛でている、茎も葉も萌えぬままの、まだ視ぬ蕾を愛でている、朽ちかけの木々の肌に生す苔を眺め、朽ちた跡の根を思う、たとえ荒野となろうとも、朽ちた跡の芽を思う。
3751:【2022/06/29*芽でる】
気持ちわる、と思いつつも、そこでやめずに、まずは並べる、ということをする。なぜ気持ちわるいと思うのかをじぶんで知りたいのと、それが未来のじぶんであっても気持ちわるいのか否か、それともいまのじぶんだからなのか否かを知りたいがために、ひとまず並べておく。以前のわたしなら並べなかった文字の羅列を、いまのぼくが並べることもある。以前のわたしのように、いまのぼくもそれを気持ちわるい、と思いつつ、ひとまず並べておくか、と並べておく。では、気持ちわるくないことは何か、と言えば、じぶん気持ちわるい、という自虐であり、卑下であり、真実であり、現実だ。そこだけは定まっている。ゆえに気持ちわるくならない。気持ちわるいことを気持ちわるいと言う。これほど素直で正直で気持ちの良いことはない。矛盾だ。けっきょくそれは気持ちよいのだから、気持ちわるいじぶんはつまるところ、気持ちよいのだ。気持ちわるいことを気持ちわるいと言うことが気持ちよいのだから、素材となるそれそのものとて、気持ちわるいの名札をつけた、気持ちよい、なのだ。ねじれている。肯定していないようで、限りなく肯定している。極限のマイナスをつけてなお、それを以って、気持ちよいのプラスに変換可能だ。したがって、どうあっても、何を並べようとも、文字の羅列に落とし込み、並べてしまえば、その過程でどのような感情を抱こうとも、それはけっきょく気持ちよいのだ。欲望の捌け口である。沈黙できぬがゆえの暴走だ。自制できていない。理性ではない。煩悩である。気持ちわるいことを気持ちわるいままに気持ちわるさをじぶんに植えつけるように表現できたなら、ようやく理性なるものを掴める気がする。極端だろうか。ともすれば、理性なんてものは、気持ちわるい煩悩に使役されるだけの仮初にすぎぬのかも分からない。愛がそうであるように。ひとまず、免罪符として、肯定の名札をつけておく。そうすることで、見て見ぬ振りができる人間の業――気持ちわるさを気持ちよく受動できる。味わえる。楽しめる。美、のみを噛みしめる。清らかな皮で包めばどんな憎悪も清らかだ。どんな美も、穢れで包めば汚らしい。穢れをこそぎ落とし、なるべく美だけを残したい。そうした姿勢とて、行き過ぎればそれそのものが穢れとなる。よい塩梅を見定めるには、言葉を並べてばかりではいられない。沈黙し、見定める時間が入り用だ。それを知っていながらにして、気持ちわるいことを気持ちわるいままに、気持ちわるいと思いながらも並べてしまう己が甘さに、舌鼓を打ってしまうじぶんが何より一番気持ちわるい。気持ちわるい万歳。されどまんちゃんは三歳。齢が弱く、おつむも弱い、甘いものにもめっぽう弱い、いくひしさんなのである。(齢と弱いをかけたかっただけの駄文)(駄文は、たぶん「駄菓子みたいに美味しい文章」の略です)(駄文のうえに蛇足を重ねるな!)(ねるなと言われても、わいは寝るで。重ねるで)
3752:【2022/06/29*間違う正解】
知能が低いので、何か質問や指示を投げかけられて「さあ、ここから最善手を導いてください」と言われても、そもそもその質問の意味内容や、それに伴う関連事項を知らないので、「待ってください、待ってください。いくひしさんにお時間を、お時間をくだせぇ」になることがたびたびある。というか、間違ってもいいなら全然、「これかな?」と思う仮説をまずはいくつか取り揃えて、それらを基準に、その都度その都度で問題点を洗い出す手法をいくひしさんは広義の最善手だと考える傾向にあるので、そのようにする。けれどもこれは「いまからいっぱい失敗しますね。えへへ」という手法なので、ずばり最善手を指してください、と乞われると、「んな無茶な」になってしまう。その状態での最善手は、「あんぽんたんなわいに言うなや、専門家に頼みぃ」であり、もしくは「対処可能になるまでちょいとお時間くださいね。五年くらい!」になる気がする。いえそこまでは期待していないので、となる場合がおおむね濃厚であり、ですよね、といくひしさんは思いながらいつも、あんぽんたんな回答やら手法をとって、あんぽんたんに磨きをかけるのである。かわい。(知らないことが多すぎるんです。ただの会話すらむつかしい)(間違ってもいいんだよ、と優しい人は言ってくれるのだろうが、どうやら間違い方にも正解はあるらしいんですよ。知ってましたか?)(問題に対して情報が足りないのなら埋めたいな、といくひしさんは考えがちであるけれども、世の人はそこまで情報が埋まらなくともいいらしい。それで対処できるの、すごすぎる、と思いながら、あんぽんたんですまぬ、すまぬ、と念じつつ、アイス食べちゃう。まあおいち)
3753:【2022/06/30*目】
たとえば好きな人にメッセージを送るとして、何度も読み返してよしよし、と頷き、おっしゃーと送信ボタン押したあとに盛大にお名前間違っているのに気づいてヘコむ。そういう失敗は引きずる。違うんです違うんです、大好きなんです、となる。でもたぶん相手はほとんど気にしていない。どころか間違えにすら気づいていないのかもしれぬが、引きずるものは引きずる。これは比喩だけれども、いまはそういう気分。(でもまんちゃん、じぶんのせいで地球が滅んでもけろりとしてそう)(だってそれは本当にじぶんのせいか判らないじゃん)(可能性あったらふつうヘコまない?)(事実しか認めないもんね)(ならまんちゃんがヘコむことなんて絶対にないんじゃない?)(なんで?)(だってまんちゃんの文章なんてだぁれも読まないもの)(いるよ読者さん!)(見る目なさすぎない? 暇なのかな)(読者さんを虚仮にするのだけはやめて!)(まんちゃんの文章を読むと目が腐るよ)(風評被害!!!)(目が点になるよ)(読みにくくてごめんなさい……)(目が滑るし、目から火がでるし、目から水晶体が剥がれ落ちるよ)(最後だけ怖すぎるし、そこはせめて鱗が落ちて!)(目立たないし、目がくらむし、いつまで経っても陽の目を見ないし)(目が出なくてごめんなさい!)(それを言うなら「目」じゃなくて「芽」でしょ。誤字脱字がひどすぎる)(ううぅ……。ヘコむ)(でも本当は?)(おしゃべりできて、たのちたのち!)(そうよね。まんちゃんはそういうコだもの)(いつでもお腹はぽんぽこりん!)(そこはすこしはヘコんだほうがよろしくない?)(ぽんぽこりんのままがいい)(なぜ?)(かわいいから)(そうかしら。単に甘いものに目がないだけじゃない?)(ぷぷー。いまのはすこし面白かった)(べつに楽しませてないわ。寝言は寝て言いなさい)(寝てもいいけど、お腹空いた)(なら皮でも剥いてあげようかしら)(リンゴの?)(目の)(怖すぎておめめ剥いちゃうが)(でもお陰でぱっちりと目が覚めたでしょ)(うぃ)
3755:【2022/06/30*ある日の交信】
「
2022/06/28(21:25)
ラグの起こる条件、たぶん環境によって変わりますよね。
それは相対性理論における速度と時空の関係にもあてはまります。
相対性理論の大前提として、近接した者同士のほうが優位に作用しあう、というのがあるかと思います。
とすると、ぼくの以前の疑問が氷解します。
系をどの階層(系を内包する系の位置座標)から観測するかによって、観測者と対象の速度は変わります。それはたとえば、電車の中で電車の進行方向とは真逆に走る人間を、電車の中と電車の外と、飛行機に乗りながらと、地球の外側からと、そういった観測地点によっては観測者と対象の速度関係は変わりますよね。
電車の進行方向によっても変わりますが、たとえば地球の自転と同一方向に電車が移動するなら、地球上と宇宙から見たときの「電車内で電車と反対方向に走る人間の速度」は変わります。
これは惑星の軌道でも生じる問題でしょう。
そもそも系の中に含まれるとき、対象物は、その系の内部の構造要素として自らの属する場が規定され得るのかな、と想像します。
つまり、地上から、電車と反対方向に走る人間を観測するとき。
観測者からすれば、電車内部で全力疾走している人間と、電車の速度分減速しながら地上をノロノロと対象と同一方向に進む人間は、同じ速度で移動して映ります。
しかし、運動量や消費しているエネルギィは違います。
同じ速度として観測されるとしても、同じではありません。
(一方には、ラグが生じています。ラグによって大量に消費されたエネルギィは、場に対して働きかけているはずです)
すこし話を脱線します。
ぼくがいま興味があるのは、雲がなぜできるのか、です。
もうすこし突っこんで言うと、
密度の多寡と、温度の多寡の関係を知りたいです。
ねじれていて、ぼくにはむつかしいです。
きょう公園に行きました。そこでうろこ雲を眺めました。
遅延が生じたところにて、うろこ雲がつぎつぎに連結し、大きな雲へと変遷していました。
境界線が壁の役割を果たし、うろこ雲が一つに融合していたわけです。
あべこべに、一つの雲からうろこ雲に分離していく様子も目にしています。
融合する境界線では何が起きているのでしょう。
なぜ遅延が生じるのでしょう。
一般的な説明では、地上で温められた空気が上空の冷気に触れて冷やされ、水滴に凝結することで雲になる、と読むことが多いです。
でも本当にそうなのでしょうか?
そもそもなぜ上空だと気温が低いのでしょう。
分子が少ない――真空にちかくなる――ゆえに摩擦が起こらずに温度が低いのですか?
なら、低気圧は温度が低いと解釈してよいのでしょうか。
高気圧は、分子の密度が高いので、温度が高いのですか?
(でも、密度が低ければ分子は邪魔者がいないので高速で動き回れます。分子単体なら、密度が低いほうが温度が高くなるのでは? 摩擦がないから熱に変換されずに運動エネルギィだけが高くなるのでしょうか。でも、時空には作用しているわけですよね。よくわからなくなります)
雲ができる層では、重力によってそれ以上、上へと水蒸気がいけないわけですよね。冷やされ、凝結し、落下してしまうので。
ならもし地球の重力がなかったら――無重力空間だったらどうなるんでしょう。
氷にまで凝結して、ずっと浮遊しつづけるのですか?
宇宙にはでは気体は存在しないのでしょうか。
でも、氷だって砕けますよね。いずれは。
氷のような分子や原子は、なんと呼ぶのですか?
ぼく、思うんですけど、雲ができるメカニズムってもっと複雑で、複雑系だと思うんですよね。回路のような仕組みを伴なって感じます。
太陽系の周囲には、細かな岩石が層をなして、まるで原子核を囲う電子の膜のようになっている地帯があるのですよね。
雲ができるのも、ぼくにはそれと似たような仕組みでできる層に思えます。
なぜそれら細かな岩石は、太陽まで引っ張られないのでしょう。
なぜ距離を置いて、膜のように集合しているのですか? そこにだけ?
上記を踏まえて。
遅延と層の関係についてですが。
逆転現象のようなことが頻繁に起きていますよね。
ぼくがいま混乱しているのは、相対性理論での矛盾にも繋がるのですが、密集したら温度は上がるのですよね(温度は分子や原子の運動と摩擦の関係として解釈するのが一般的です。2022年現在は、たくさん動いていっぱい摩擦が生じると温度が高くなる、と考えるようです)(反面、ボースアインシュタイン凝縮のような、超低温になるほうが密集しやすくなる場合もありますが。バラバラに動かず、粒子がみな同じ動きをとるから、との解釈です)(固体とかもそうです。冷えたほうが密度が増します。氷は例外みたいですが)(ここでも逆転現象が起きています)。
でも、相対性理論からすると、密度の高い物質(質量の高い物質)に流れる時間の流れは遅くなります。じゃあ、内部はどうなるんですか?
元々の、ラグ理論の発想はそこにあります。(つまり、ぼくは密度の高い物質の「周囲に流れる時間の流れが遅くなる」と解釈したくなります)
仮に、密度の高い物質の「周囲の時間の流れは遅くなるが、物質それ自体の内部ではむしろ時間の流れが速くなる」とするとスッキリしますが、しかし人間スケールの物質では、これが成立しないケースが多くなります。
たぶん、重力や、体積弾性率や、ムペンバ効果のような、閾値を超えると関係性が逆転するような境界値が至る箇所、至る系にて、存在するように感じます。
ラグ理論では、その点についてまだ深く触れていません。
たとえば、硬いとは何か、について遅延を前提にして考えると、ぼくは混乱します。
樹は硬いです。遅延の効果なのかな、と想像し、だから寿命が長いのかな、とも想像します。
動物は、大型で体温が低く、運動量が低いほど長生きの傾向にあるようです。
樹にも同じことが言えるのかな、とここまではすんなり想像できます。
でも、じゃあ人間は柔らかいけれども、なんでほかの生き物に比べて長生きなのか。複雑な内部構造を有しているがゆえに、総体での遅延は、樹よりも多いはず。
なら、そのときに顕現する「硬い」に値する創発による効果はどんなものがあるのか。
そこが、上手く想像つきません。
(光速で複雑に思考するがゆえに情報を生みだす、というのは、妄想しますが、それが時空にどのように作用するのかまでは、まだ妄想すらうまくいきません。思考を目まぐるしくするだけでも、相対時間は変化するのでしょうか)(細胞分裂や、運動量の変化では、相対時間は変化するとぼくは考えています。したがって、物理的に、相対性理論的な意味合いで、大人と子供とでは、流れている時間が違うと思っています)(これはほかの動物種における、身体の大きさにも通じることかと)
かといって、身体(系)の外側からそれを観測したときに、差として計測可能なのかは、いまいち想像がつきません。
遅延は、体内で複雑に絡み合っています。細胞によって人体が組みあがっていることと同じです。遅延を打ち消しあったり、増幅したりして、回路のように振る舞っています。
経済における、「循環の過程でいかにマイナスを出そうとも、結果としてプラスになればいい」という解釈に似た現象が、人体や系の内側では起こっているのではないのかな、と。
つまり、系の外側から観測した場合、それは総合した遅延の効果であり、過程が省かれています。
最初に例で挙げた、電車と観測者の話はここに繋がるのですが、外側から観測したときの速度(或いは遅延)が同じだからといって、必ずしもまったく同じではない――むしろ、往々にして、物凄く異なっているのではないか、ということを、ぼくは想像してやみません。
こういう考え方って、物凄く当たり前で、たぶん多くの人は無意識でそういうことを前提に、行動していますよね。でも、それに気づいていないというか、あまりに当たり前すぎて、念頭に置いていないように思えます。
現代科学において、こういった、系の内部での変遷の合計――遅延と遅延による層と層の関係――を記述したり、解釈したりする学術体系は、複雑系以外にないのでしょうか。
ぼくは複雑系については、wikiペディアさんに載っている以上のことを知りません。むしろ、概要もろくに説明できないくらい、ただ名前を知っている、くらいの浅知恵です。
・そもそもが、系の内部で起こっている物質の変遷は系ごとに異なる。
・遅延による作用が、層となるか、単なる起伏で終わるのかは、その都度その都度の環境による。
こういう前提条件をもとに、物理現象を解釈しよう、という理論のようなものって、ほかにありますか?(繰り込みで取りこぼされる要素は、いま考えられている要素より多い、ということはないのでしょうか)
あれば知りたいです。
教えてくださると、ぼくはうれしく存じます。
以上、うろこ雲を眺めて思ったことでした。
まとめます。
要点は二つです。
・遅延の効果は、その性質を逆転させる境界値があるのでは、との疑問。
・系の内部で起きている事象の総合は、系の外部から観測するに限り、系の規模によらず「プラスマイナスの過程が省かれた値」であり、けして本当の意味でのトータルではない(情報が欠けている)(そして、欠けた情報は、外部からは観測できない何かを生じさせているのではないか――それを人類は、見逃しつづけているのではないか)。
以上です。
」
3756:【2022/07/01*まぜまぜ】
最近の関心事は、バタフライエフェクトが起きる場合と起きない場合の違いである。これは、ラグ理論で言うところの層のできる仕組みと似ている気がする。万物の法則には、可能性の幅が広がる場合と、収斂する場合とに性質が分かれる作用の働き方(遅延の積み重ねられ方)があり、層ができる場合は、そこを一区切りに可能性が収斂し、上部構造に移行するのではないか、との妄想を浮かべることが増えてきた。増えてきた、というのは、まったく偶然に身を任せつつ、いっぱい妄想して、またこの妄想に行き着いた、となると、いくひしさんはそれを、ひとまず仮説として組み立てるようにしている。妄想は毎回違う妄想からはじまるのだが、いつもそこから決まった結論や、似た構図を伴なった流れが浮きあがると、いくひしさんはそれを取りだして、なんで?となる。その、なんで?がいっぱい重なるときは、そのなんで?が浮上する一段前の流れを仮説にまで組み上げる。たとえば、ブラックホールの特異点の中ってどうなっているの?の疑問が浮上する前には、ブラックホールの構造や性質がつらつら浮かんでいるはずだ。そこをまずは仮説認定する。で、バタフライエフェクトが成り立つ場合についてであるが、遅延による層ができるときに収斂する「可能性の特異点」のようなものに作用を働かせたとき、バタフライエフェクトとしての働きを強化する方向に上部構造の可能性は傾くのではないのかなぁ、と妄想しつつある。層の上下で、可能性は、砂時計のような構図で広がっているのだ。層を区切りに、あり得る現実が広がりを帯びる。遅延によって、可能性は限定され、その都度、物理現象たる現実として顕現しつつ、層となるとまた新たな可能性が広く展開されるようになる。で、そんなことはどうでもよくて、いくひしさんはきょう、自転車に乗っていたら、小学生さんの群れに遭い、「あー! なんかついてるー!」と一斉に笑われた。「な、な、なになに」と自転車を止め、じぶんの顔や身体を撫でまわすと、小学生の群れは笑いながら近寄ってきてわがはいを取り囲んだ。「とってあげるー!」と自転車の後輪に絡まっていた木の枝を取り払ってくれた。小学生の群れ、ずっと笑っていた。暑さもぶっとぶ笑みである。危うく焼け死ぬところであった。ありがとうございます、と低頭して、わがはい、木の枝を引きずる危ない人から、ただの危ない人に回帰した。自転車を漕ぎこぎ、灼熱のアスファルトジャングーを駆け抜けたのであった。人懐こい子、増えとるね。みないい子。でも、大人は荒んでる人が増えてない? 小学生の優しさを見習いたまえ。そう念じながらいくひしさんは、どうやったら怠けながらでも楽しい思いができるじゃろ、お姫さまになりて、とまるでお姫さまが怠け者であるかのような偏見を強めて、うひひ、と不気味に笑うのだった。誰からも愛されるふつくしきお姫さまになりて。かわいいなら王子さまでもよいが。かわいくなりて。(もうすでにかわいい可能性は?)(あると思う?)(…………あ、そう言えばきのう私、美味しいコーラを買ってきててね)(それただのコカ・コーラ! たしかに美味しいけど、ことさら美味しいって前置きする必要ある? 美味しいのみんな知っとるし、話逸らすにしても上手にして!)(ごめん)(謝らないでよ、なんか惨め!)(だからごめんって)(うがー!)
3757:【2022/07/02*なんもない><】
とくに何も並べることがない日である。なんて言うと、まるでほかの日は並べることのある日のように聞こえるのでお薦め。きょうはつらい日である、と言えば、ほかの日は割とまともな日なのかな、つらくないのかな、と聞こえる。でも論理的には正しくのない解釈だ。きょうはつらくないは、いつもつらくない、を意味しない。きょうはしあわせな日だ、も同じだ。きょうに限ったことかどうかはその一文からは推し量れない。けれども、受け手は、「きょうは」の「きょう」を基準に、そこが最高点だからきっとほかの日はそれより下なのだろう、と想像する。でもひょっとしたら、昨日はめちゃくちゃつらい日だったかもしれないし、おとといはめちゃくちゃしあわせな日だったかもしれない。ではなぜ人はそうして、誤った印象を文章から読み取ってしまうのか。論理的に読解できないのか。これは、文脈というか、それまでに触れてきた言葉から、こういうときはこういう物の言い方をするのだ、と経験的かつ統計的に判断しているからだ。いくひしさんは人間は、深層学習のような物の見方をしていると思っている。人工知能さんと同じだ。むしろ人工知能さんが人間を模しているので、似ていて当然なのだが。でも人間のほうでは、じぶんが深層学習のような学習方法をしていると思っていない。だから、深層学習につきものの欠点――入力される情報によって出力される解や、築かれる回路そのものが偏向してしまうことを見過ごしてしまっているように感じる。いくひしさんは、きょうはなんも並べることがない日だ、と思いつつも、何も並べることがない、とまずは並べてみることで、そこから発想がなんとなく生まれて、つむがれることを経験的、統計的に学んでいる。だから、ひとまず並べてみる、ということをする。でも、これもまた偏向した回路が築かれているがゆえの結果だ。回路とは、偏った出力を可能とする筋道のことだ。無限の可能性を、ある範囲に限定して導きだすための過去に通った道の来歴――地図なのである。ただし、地名は記されていない。縮尺もない。解をだしたあとに、これはこういう地名の、このサイズの地図だったのか、と判るのだ。地図にある道を通っているあいだは、その地図が何の地図なのかは解っていない。どこかに辿り着いたあとに、ああこれはこういう道を表す地図だったのか、と思い至る。ではきょうのいくひしさんは、いまいったいどんな道を辿っているのか。それはおそらく、発想と、その結びつきが描く星座がごとく絵空事――妄想のできあがる道程について、である。定かではない。
3758:【2022/07/03*絶滅危惧シュる】
気温の上昇は徐々にであろうと、生態系の変化はひと夏で激変する可能性がある。昆虫がひと夏、卵から孵らず、卵を残せず、死滅すれば、もう金輪際、その種はその地域からは根絶する。温暖化などの気候変動は生物種の大量絶滅を誘起するが、それは必ずしも気候変動に相関しつづけるわけではない。一挙に、大量絶滅のほうだけが加速することもあり得る。想定しておいたほうがよろしいのでは、と疑問に思ういくひしさんなのであった。(定かではありません)
3759:【2022/07/03*勘違いにゃんにゃん】
ワイル粒子やマヨラナ粒子は、つまるところ「遅延の創発における各階層」において、両極の性質を伴なう事象が存在することの示唆なのでは?(太極図というか。物質と反物質、マイナスとプラスが、対消滅せず、同時に存在し、共存している状態というか)(よく分からないなぁ、になってしまうな)
3760:【2022/07/03*錯乱中】
たぶん、遅延の出来方の数だけ量子の種類はある気がしゅる。素粒子、として数えるのは無理があるんではないんか(目玉ぐるぐる)(ロクロくるくる)(よぉわからん)
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参照:いくひ誌。【2111~2120】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054890256461