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いくひ誌。【3661~3670】

※日々、女子きだよ、男子きです、人子きなんです。


3661:【2022/05/21*小さき人、大き】
へい! いくひしまんでおじゃる。気づいたら五月も半ばでおじゃるな。やっべ、なんもしてねんすけど、やっべ。もう今年もほぼ半分過ぎようとしておる。でも毎年そんなこと思ってそうだし、きのうも同じこと思ってたかも。気になるんじゃけど、一年を基準にして、もうこんなに過ぎちゃった、と思うようになるってどれくらいの日数を過ぎてからなんだろね。いくひしさんはねぇ、初日が終わったその瞬間からすでに、もう今年をこんなに贅沢に消費してしまった、となります。なんもしてなーい、になるからかなぁ。それはえっとね、だからね、無駄にした期間の多寡ではなく、おはようからおやすみまでのあいだの、うんみょろーん、を、ぴぴぴわくわくえへへかわい、にできたときが、過ごした時間を、やっぴー、と思えるようになるのかなって。それはきっと、おやすみ、の瞬間まではじつは決まっていないのかもしれず、そうではないのかもしれないけれども、いくひしさんは万年孤独ウェルカムマンのお眠のさびちさびち、なので、まずはおやすみ、からはじめなきゃいけないのかもしれず、本当はずっと寝ていたからか、おはよ、からはじめなきゃいけないのかもしれない。おはよ、も、おやすみ、もはじめることができるのだ。そこを、はじめ、とできるのだ。それはきっと同じことを、おわり、にも言えることで、いくひしさんは、一歩足を踏みだして、おわりの先に進んでおきたい。一歩先んずる者――アキレスと亀の、亀さんにいくひしさんもなっちゃおっかな。そのためにはまずは誰よりも、ゆっくり、ゆったり、好きにいっぱいサボっちゃお。そうだよね、いくひしさんは先んずるよりも、最後尾にいたほうがお似合いだ。一歩遅れてやってくる者。そっちのほうがうれしいな。お眠のときは寝ればいい。そのためには、いくひしさん以外のみなの者にいっぱいいっぱい、かわい、のうさぎさんになってもらわねば。他力本願に磨きをかけて、本日もいくひしさんは、ふぁあ、一休み、一休み。おふとんにくるまり、ぐー、するのである。おはよ。おやすみ。またあした。よい夢を視ましょう。


3662:【2022/05/21*横になった日だった】
本を読み返すことはすくないのだけれど(読解しやすい文章形態に好みがあるがゆえに、読むのに時間がかかるからなのだけれど)、きょう「ちょっと休憩」と思っておふとんにごろんとしながら、2020年の7月に発刊されたブルーバックスさんの「時間は逆戻りするのか」をふとぱらぱら読み返してみた。これといってとくに考えがあったわけではなく、枕元に置いてあったのがそれだったのだ(ほかの読み終わったブルーバックスさんは、多く、べつの部屋に置いてある)。で、なぜかはわからないのだけれど、やっぱり一度目に読むよりも二度目、三度目のほうがスラスラ読める。これはきっと、ほかの情報とか知識に触れて、学習の層(眼鏡)が増えたからかな、と思っている。それで、今回、それでも同じページを何度も読み返してしまった「ペーじ」があり、それが「P60~61」だ。ブラックホールには、スパゲティ現象というものがあるらしい。それはブラックホールの質量によって、ブラックホールの周囲の重力が、人間を引き裂くほどに大きくなるか、そうでないか、の違いによるものだそうだ。ちなみに、ブラックホールの質量がちいさいほうが、人間を引き裂くようになるらしい。でもいくひしさんの妄想では、これはたぶん、どのブラックホールも、事象の地平面に触れない限りは、おおむねに近づけるのではないか、と考えている。むしろスパゲティ現象が生じるのは、事象の地平面を越えてからなのではないか、と妄想している。もうすこし言うと、事象の地平面を越えても、周囲の風景は真っ暗にはならない。どこまで行ってもブラックホールの特異点――黒い玉には追いつかない。それでもぐんぐん、沈んでいる。当の本人は、きっとそのことに気づけない(陽炎のようなものだ)。これはややもすると、ブラックホールの質量に左右されない現象なのではないか。ただし、ブラックホール(事象の地平面)が充分に大きく展開されないと、事象の地平面内における「スパゲティ化する境界」にすぐに達してしまうため、ブラックホールに触れた瞬間に物質は「根源」にまで紐解かれてしまうのではないか。よく分からないが。また、どんな物質とて限りなく凝縮すればブラックホールになる。必要以上に大きくない質量を押しつぶした際にできるブラックホールは、即座に「事象の地平面」ごと素粒子以下にまで凝縮するため、物質に作用を働かせることはない(ただし、凝縮しブラックホールとなった分の重力は存在する)(これがいわば、ダークマターなのではないか、との妄想がここに一つできる)。それとはべつに、「P60~61」には、読みやすい物語的な要素がちりばめられており、読んでいて楽しくなった。ほかの本もいろいろ読み返してみようと思ったきょうは珍しい日だった。でも読むの遅いから、たぶん十年、二十年とかかかっちゃうのだろうけれど。(上記、なんも定かではないいくひしさんの妄想なので、真に受けないように注意を促し、本日二度目の「いくひ誌。」とさせてください)(えへへ)


3663:【2022/05/22*命名権は山羊山羊拳】
上記を受けての妄想です。以前いくひしさんは、「いんふれーしょんいくひし仮説」「ダークなんちゃらいくひし仮説」の二つをこの「いくひ誌。」で並べました(参照:https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054886784973)。で、きのう並べた妄想と繋がったので、すこし両者をまとめてみようと思います。ブラックホールが質量の多寡に関わらず、どんな物体であれ超圧縮すればブラックホールになり得るとするのならば、宇宙には無数の「極大中小極」のブラックホールがあってふしぎではありません。そしてその内、人類の観測可能な(相互作用可能な)ブラックホールは銀河を構成します。そうでない巨大な極大ブラックホールはこの宇宙を。そしてそれ以外の極小のブラックホールは、ダークマターとして振舞うのではないでしょうか。そしてブラックホール同士の衝突は、時空の歪み――重力波を生みます。これはどのようなサイズのブラックホール同士の衝突(融合)であれ生じます。巨大なブラックホール同士であれ、極小のブラックホール(ダークマター)であれ、衝突しあえば重力波を生むのです。これがすなわち、ダークエネルギィとして宇宙を膨張させる方向に働いているのではないか、と考えられます。また別途に、反物質と物質の関係において。ひょっとしたら反物質の重力はマイナスかもしれません。つまり、物質が互いにくっつき合おうとするのに対し、反物質は互いに反発し合おうとする――ように、物質優位な時空に内包される人類には観測され得ます。すると反物質は、物質優位な宇宙からどんどん遠ざかっていきますから――なぜなら現在この宇宙を構成する物質は、過去に存在しただろう物質と反物質のほんのほんの僅かでしかない、と2022年現在は考えられているようですから、そのほかの「宇宙開闢時初期に存在しただろう大量の反物質」はどこへ消えたのか、との謎が残ります(2022年現時点では、おおむねの反物質は対となる物質と対消滅したのではないか、と考えられているようです)。ひょっとしたら反物質は、この宇宙から四方八方へと一様に遠ざかっているのではないか、と考えることが反物質の重力がマイナスと考えることで可能です――それゆえに――時空を加速膨張させる方向へと働きかけているのかもしれません。さながら、この宇宙が山の頂であるのならば、反物質は山を縁どるようにどんどん地面に沈んでいます。すると山の頂にいるこの宇宙からすると、それが山が高くなっていく(膨張している)ように映る、と妄想できます。以上は、いくひしさんの適当な、あんぽんたんでーす、の妄想ですので、真に受けないように注意を促し、本日の「いくひ誌。」とさせてくださいな。おちまい。


3664:【2022/05/23*極小とて、ブラックホールならば瞬時に消えたりはしないのでは?】
上記を受けての妄想である。ブラックホールが極小であっても存在するのなら、発生したとしても「こちら側の時空(宇宙)」では、瞬時に消滅することはないはずだ。質量のより高いブラックホールよりかは蒸発するまでの時間は短いだろうが、それでも人類の時間スパンではほぼ永遠にそこにあるかのように映るのではないか(ブラックホールの蒸発についてはほとんど知識を持っていない。そのため、ふだんよりもいっそうのあてずっぽうで妄想を並べてしまうが、蒸発は蒸発というよりも、たとえば波の振幅が徐々に水面に馴染んでいくように周囲を囲う時空と徐々に「発散融合」すると考えたほうが想像しやすいのではないか。とかくブラックホールとしての構造を維持できなくなったら――というかブラックホールは、ブラックホール側からすると形成された瞬間に爆発膨張しているはずだが、外側から観測すると止まって見えるだけのはずで、それゆえ境界線にて「差(遅延)」が僅かながらにたいらに均されているはずだ。それはたとえば、山と風の関係、それとも水に浸したガラスのようなもので。僅かずつであれ山は風や雨によって風化し、ガラスは水にすこしずつ溶けていく。同様の理屈により、ブラックホールは徐々に外側――便宜上、元の質量のあった時空を外側と表現するが――に回帰するのではないか、と想像できる)。とすると、ダークマター(超極小のブラックホール)は、超巨大ブラックホールの養分として振舞ったかもしれない。宇宙空間には無数の、素粒子以下の質量のブラックホールが生じている。それらは互いに融合しながら、大小無数のブラックホールとして存在する。人間のスケールで可視化できないブラックホールはダークマターとして。そうでない巨大なブラックホールは、銀河を形成する。この妄想を現実の事象として理論補強するためには、2022年現在想定されている物質の総質量――つまりが、宇宙開闢時に残ったとされる「反物質と対消滅しなかった【物質】」がもっと多くなければならない。とすると、反物質と物質が対消滅しないで残るような状況を想定しなくてはならない。そういうわけで、反物質はひょっとしたら重力もマイナスなのではないか、との妄想に繋がるわけであるが、仮定に仮定を重ねた妄想が現実である確率は、果たしていかほどであろうか。妄想に妄想を足しても、掛けても、それはきっと妄想である。とすれば妄想とはすなわち、ゼロなのかもしれない。これはしかし、偽である。妄想とて、妄想として存在する。なればこそ、僅かなりとも妄想と妄想を足したり掛け合わせたりするだけでも、ナニカシラが生じる可能性が残るのだ。つまるところ、妄想とは、可能性なのかもしれない。定かではない。


3665:【2022/05/24*シップ、スリープ、船を漕ぐ】
おはようございます。いくひしです。たっぷり寝たはずなのにまだまだお眠のいくひしさんでございますが、いまからとろけるチーズの乗ったトーストに齧りつこうと思います。お紅茶を飲み、優雅なひとときでございます。ぷはぁー。なんもねぇ。予定もなければ悩みもない。すんばらしぃ、日々である。このまま一生、なんもねぇ、とぼやいて生きていきたい。話は変わって、鮮やかってなんで、魚に羊と書くのだろ。英語だとフィッシュとシープだ。シップとスリープに似ているけれど、とくになんも思い浮かばなかったので、いまのなし。漢字って、けっこう意味と表記がねじれていたりする。たとえば有名なのだと、納豆と豆腐だ。豆が腐っているのが納豆で、型に詰めて固めるのが豆腐だ。明らかにそこは逆だろう。表記が逆だろう。そう思うのである。あとは、「多分」とかも、一つの漢字の中にねじれた意味が詰められている。かなりたくさん、の意味がある一方で、自信がないけどそれっぽいよね、の薄い印象を施す希釈の意味もある。どっちなんだい、とついついツッコミたくなるね。ずいずいずっころばしも、だいぶ意味がわからない。まず、ずいずいってなに? ぐいぐい迫ってくる感じなのだろうか。ずっころばし、も微妙にそこはかとなくズレている。ずっころぶのか、すっころばすのか。意味が跨っている。転ぶほうと転ばされるほうが重なっている。あとはなんだろ。探せばもっとたくさんあるはず。たとえば、日本は四十六都道府県だが、じつは四十七都道府県なのでは。一つ、見落とされている。府がつくのは、いまは二つだけだとされている。大阪府と京都府だ。けれどそこに、いまは政府が加わってもよいのではないか。なにゆえ政府は含まれない? 全国を跨いだ、一次元上の概念だからだろうか。土地を持たないから? 謎である。なぁんて並べながらとろけるチーズの乗ったトーストを食べてしまったお行儀のよろしくない本日のナマケモノ、万年夢と現の狭間の子、いくひしまんでした。あくび。


3666:【2022/05/25*もしもしかめよ、もしわけね】
たとえばいくひしさんが、超々あったまいー、な人物だったとして、そんでもって過去の歴史にいたとして、じぶんの知的好奇心――ほぼほぼ生きる意味であるところの研究を行える環境に属していながらにして、しかしその研究が今後人類存亡の危機に直結する技術に昇華されるかもしれない、と予見できたとき、果たしてその環境から脱して、それまでの研究からも身を引けるだろうか。核爆弾にしろ、そうでない技術にしろ、それを作らないことを根本から意思決定できるだろうか。身を引けるだろうか。ひょっとしたらじぶんがそれを放棄したところで、ほかの誰かが似たような研究を行い、似たような悲惨な未来へと橋渡ししてしまうかもしれない。ならばいっそ、じぶんで研究を極め、対策を立てておくほうが利口かも知れない。だが対策を立てようとしたところで、それが適う保障はなく、悲惨な未来への橋渡しをより加速させるだけかもしれない。あなたならどうするだろう。もしじぶんが生きている限り、未来が悲惨な様相を呈すると知ったら。もしじぶんのしあわせを手放さなければ、未来が悲惨そのものになると知ったら。それでもじぶんの生を、未来を、命を、投げだせるだろうか。いくひしさんは、嫌だな。じぶんがそれをせざるを得ない状況に立たされるということはそのまま、ほかの誰かとて、似たような境遇に立たされ得るということだ。そんなのは、嫌だな。だったらいくひしさんは、根本から、そんな境遇に誰も陥らずに済む未来へこそ橋渡しをしてみたい。そんな社会にしていきたい。そんな人生に、していきたい。とはいえ、そんなだいそれた真似をいくひしさん一人ではできないし、きっといくひしさんの一挙一動が、誰かの犠牲のうえに成り立つ愉悦であるかもわからない。きっとそうだ。自覚していてなお、こうして頬被りをする。すこしでも「善」であるかのように振る舞っている。悪である。しかし、そうでなければ生きてはいかれない。この開き直りもまた、悪である。生きるとはすなわち、悪を用いて切り拓く、日々の愉悦の満ちる余地。予測と惰性と欲望により叶う、じぶんだけの至福の時間。それとも、他者の至福を奪い、その他大勢へと分け与えることで成し得る、悪の業。搾取は悪だが、搔き集めた至福(財)を散布することもまた悪だ。誰かの手で行うそれではなく、そうなるようにそうなる仕組みがまず在ると望ましい。しかし、この展望すら、他者へと押しつけ、型にはめれば、それもまた悪であり、善の顔をした灰汁である。煮詰めれば煮詰めるほど湧きあがる、苦みと辛みの膜の層。「すくい」とれは、しないだろうか。何もかもが定かではなく、定めることが可能なのかも定まらぬ。愚か者のぽんぽこぴーのぽんぽこなーの超「きゅうめい」の万助は、今宵も夜に昼寝する。きょうは自室でえっちなことしちゃお。一人悶々を持て余し、さびち、と思いながら、孤独なわい、かわい、と己を慰め、悦に浸る。えらくもかしこくもないちんちくりんこと、本日のいくひしなのであった。おわび。


3667:【2022/05/26*不幸でも至福】
きょうから日誌をつけることにした。と思って、PCを起動したらすでに過去のじぶんが長々と文字を連ねていたらしいと気づき、面食らう。一回休み。人生はゲームのようで、しかしゲームほどには秩序だっていない。ゲームと勝負の違いが何であるのかをいくひしさんは知らないが、ゲームにはあがりがあって、ゴールがある。けれども人生にそれがあるのかは定かではなく、よしんばあったとして、死以外ではあり得ないのではないかと漠然と思う。死がゴールであがりであるのなら、さっさと死んでしまえばよろしかろう。勝ちたくなんかないんじゃい、といくひしさんはやはり思う。世に成功なる言葉は数多あるが、成功がつづけばそれはもはや普通だ。百回に一回しか成功しなかったことを、百発百中にする。それを成功とはきっと言わない。成功とは、数多の失敗に囲まれた、確率の低い事象につく仮初の、慰めの言葉だ。成功なんか欲しくない。自在に失敗する余地を築き、普通の余地を広げていく。その過程に、たまたま成功と呼ばれる「一回目」が含まれるだけのことなのではないか。だけ、とか、にすぎない、といった言葉遣いはトゲトゲしくてあまり好みではないにせよ、いくひしさんはたまたま手にした成功よりも、地道に埋めていく足跡のような、失敗の数だけ広がる普通の余地こそじぶんの周りに置いていたい。眠たくて眠たくて、それでもできてしまうくらいに馴染み深い、寝起きでも軽々熟せる性質のごとく。寝言は寝てでも言えるのだから、いくひしさんには寝言くらいがお似合いだ。あすの心配をせずに眠る。ふかふか布団にくるまれ、その日あった出来事の、たまたまの愉快な気分を思いだし、くふふ、ともぞもぞと寝返りを打つ。いつの間にか沈んでいく夢の中への浮遊感に身を委ねる心地よさ以上に、至福に思える時は稀である。ひょっとしたらほかにもっと至福の余地は虹色に、多種多様にあるのかもしれないが、とくに味わいたいとも思わんのだね。衣食住の心配をせず、いつでも寝られる自由があれば、人は割とふくふくだ。定かではなく、まさか、でもない。


3668:【2022/05/27*兆候を長考】
ウィルスは、人体の重症化率に関わらず、増殖すればするほど変異する確率はあがる。増殖する部位が変わって重症化しないからよかったよかった、とは本来はならないはずだ。これは抗体ができた場合でも同じことが言える。ワクチンを打ったから重症化しなくなった。それは好ましい作用ではあるが、もし感染予防効果が期待されるよりも低かった場合、すなわち人体が抗体を身につけてなおウィルスに感染し、増殖を許すようならば、それは新たな変異をウィルスに与える格好の場の提供であると言えよう。むろん、ウィルスが人体に馴染み、共生関係を結ぶ方向に変異する可能性もある。一概に、悪影響のみを及ぼすわけではない。ただし、確率の問題として、人体との共生関係を結ぶように変異するよりも、そうでないそれ以外の悪影響を及ぼす変異を伴なうほうが可能性の幅は広いと言えよう。これは既存の対処可能なウィルス群にも言えることだ。ウィルスにかかって抗体を有する者とそうでない者が、混合してまだらに存在する社会は、変異ウィルス同士の交配を加速させ得る。つまり、本来ならばごく限られた世代や地域のみに限定されて感染し、収束するはずのウィルスが、広範囲に亘って感染し、増殖することで新たな変異を帯びると、すでに抗体を有する世代や地域の者たちにも感染するようになる。場の変化は、変異をますます促す方向に働きかけるほうが、そうでない確率より高いだろう。単なる風邪とて、増殖する「場と速度」を増せば、対処不能な新たな感染症になり得る。これまでの社会構造のうえでは対処可能だった感染症は、ある種のリズム―ー段階的に人々に感染し、段階的に抗体を身につけるといったメカニズムのうえで均衡を保っていたと言えるのではないか。ならばそのリズム―ーメカニズムの崩れた社会におかれては、既存の対処可能な感染症とて、警戒しておくべき感染症であると呼べるのではなかろうか。リズムやメカニズムが崩れはじめて見える箇所――とくにウィルスの増殖が可視化される場合には、好ましくない影響が伝播している兆候と見做し、いまのうちにシミュレーションをし、対策を立てておくことである。いまは一つの感染症に絞って、世界的な対策をとっているが、もしこれが複数の異なるウィルスに対処せざるを得ない状況に立たされたとき、人類はどのような社会構造の変容を強いられるだろう。この数年間はまだ運がよかったほうなのだ、と控えめに考え、いまのうちに最悪の事態を想定しておいたほうが好ましいのではないか、と分数の足し算もろくにこなせないズブの素人が申しております。(何もかも定かではない、なんとなーく、の申し子の戯言でございますから、真に受けないように注意してください)


3669:【2022/05/28*あふれるパワー】
眠りつづけた日だった。起きてたの四時間くらしかなかった気がする。ずっと寝ていた。とくに病気でもないし、怪我をしているわけでもないが、眠た眠た、だった。もうずっと眠っていたい、このまま夢の中で生活できんかな、とたまに思う。とくに寝起き。これは暗い感情のときもあれば、すばらしく穏やかな心地のときもある。同じことを思うのに、そのときの感情はそのときによって変わる。人間、いい加減すぎる。それともいくひしさんが人間にもなりきれぬ哀れでかわゆいモドキモドキなのかもしれぬ。わからぬ。さいきんは、いろんなものから距離置きたい週間だ。自閉モードである。とはいえ、自閉モードでなかったときがあったんですか、と問われれば、あったかなぁ?と首をひねって寝違える。ばたんきゅー。部屋に蛾がいて、小太鼓の真似をしよる。赤ちゃんの手に与えられるでんでん太鼓と同じ音をさせる。というのも、壁に天井にぶつかっては、めげずに飛びつづけるからだ。蛾さんすら懸命に生きておるのに、いくひしさんときたら。まあ、蛾には翅あるしな。いくひしさんだって翅があれば飛び立てるよ。飛び立つ気が湧くかはわからぬが。起きがけの文章はこんな具合である。低血圧なのである。あふれるパワー。本日のいくひしであった。


3670:【2022/05/28*夜は静かで好き】
白湯おいち、の日です。あと一分できょうが終わって、日付が変わりますが、みなさまいかがお過ごしでしょう。いくひしさんはもう元気もりもりすぎて、言動まで盛り盛りでございます。あ、日付が変わり申した。いやー、めっちゃ元気。いまからいくひしさんはフライドポテトを食べて、塩分と炭水化物を同時に摂取します。やったぜ。前の記事が中途半端に短かったので追加で文字を並べたけれど、中身なんもなさすぎて申しわけね、になっただけでした。いくひしさん、ひとに迷惑かけてばっかりで、なんもお返しできず、申しわけね、と思っていれば許されるだろ、と半ば本気で考えている邪悪の化身でござるから、すまぬ、すまぬ、と念じつつ、バナナを頬張ります。おいち。寝て食べて、駄文を並べる。たまにお外に遊びにでて、生きていられるこの世の神秘に思いを馳せて、本日二度目の「いくひ誌。」にしちゃってもよいじゃろか。いいよー。ありがじゅ。夜更かし。


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