※日々、じぶんの都合を押しつける。
3531:【2022/03/28*そのお願い、理不尽では?】
たとえばコーラを買うとする。2リットル、1,5リットル、1リットル、0,5リットル、0,35リットル、と好きに選べる。まずは2リットルを買わなければ、以下のちいさいサイズを選べません、なんてことにはならない。しかしこれが書籍だと、なぜかまずは単行本を購入してね、となるのだ(売れないと文庫本にならない本が現状すくなくないようである)。しかもそれを版元に所属する構成員たちが読者に堂々と(おずおずと?)吹聴するのである。まずは割高の本を買ってね、と。書籍と飲料水では、文化事業という側面で差異があり、書籍は自由に値段を決められない、安価に提供する努力がほかの製品よりも要請されるといった事情も無視できない。しかしその理屈で言うのなら、まずは廉価版たる文庫本でだして、売れたものをあとから割高の単行本にしたらよいのでは?(同時にだしたっていいし、紙媒体の本を購入したら電子書籍バージョンもついてくる、くらいのサービスだって展開してもよさそうに思うが、どうなのだろう) なぜそこが逆なのだろう。建前と仕組みがねじれているように思えるが、どうなのでしょう。読者にへんてこなお願いをしつづけるのではなく、まずはじぶんたちの手で仕組みを変えるように努めてみてはいかがだろう。その仕組みを変えるためになら、手を貸してくれる読者の方々もでてくるのではないでしょうか。いい加減なあてずっぽうですけれどもね。(著者への印税がすくなくなるから、というのも、別途に労働への報酬たる執筆料を払えばよいだけでは?)(印税は言ってしまえば、成果報酬でしょう。しかし現状、成果と言えるほどに売れていないのが問題なわけで、ここでもねじれ構造というか、仕組みの欠点が浮き彫りになりますね)(指摘するだけなら簡単なのですが)(ではどうすべきか、と言えば、やはりすこしずつ、色んな施策をためしためし、改善していくしかないのでしょうね)
3532:【2022/03/28*みな虚空に述べればいい】
反論とは、主となる意見がなければ述べることができない。反論とはつねに、主となる意見の二次創作であると言える。しかし二次創作でありながら、模倣成分よりも個性のほうが強くでれば、それは独立した主張としての価値を帯びる。そしてそれにもまた反論が投じられ、意見や主張は徐々に磨かれていく。したがって、反論を投じることのできる環境は望ましいのだ。反論が飛んできたから、じゃあ言うのやめます、では困ってしまうし、反論で相手を黙らせてやったぜひゃっほー、でも社会は閉塞してしまう。反論を見込んで投じる意見や表現とてむろんのことあるだろう。どんな意見とて反論されて当然、くらいの心地でいたらよいのではないでしょうか。じぶんでじぶんに反論できるくらいになれば、一人遊びで満足できて、誰かさんみたく静かに過ごすことができるかもしれませんよ(それはそれで寂しいのでは?)(寂しいのがダメって誰が決めたの?)(私です)(寂しいのヤなの?)(好きすぎて依存症になったら嫌だなって)(ああ……)。
3533:【2022/03/29*グッピー】
やあやあ、いくひしさんでござる。おひさしぶりでござるなあ。いくひしさんはさいきん、とくになんもないでござる。変わり映えのない、うたたね陽気の日々でござるよ。まいにち、うんみょろーん、と眠気と戦って、睡魔を蹴散らし、ときに負けて、スヤスヤぐっすりしているでござる。好きなときに好きなだけ寝れる自由がないなんて、そんなのは奴隷さんといっしょでござるよ。いっしょだなんてステキでござる。ペアルックでござる。ルックフォーミー。みなさんもいくひしさんを見習うでござる。奴隷さんといっしょにいくひしさんはぐーぐーぴーぴーしちゃうでござるよ。いくひしさんは好きなだけ寝て、はなちょうちんを浮かべ、ふわふわぷかぷか宙を舞って、夢中になって、いっそ起きずに、永眠してやるでござる。永久に眠るでござるよ。ぐっぴー。それは淡水魚さんでござる。永久に眠れるってことは、永久に生きれるってことでござる。眠れるってことは、起きれるってことでござる。起きれないならそれはもう、死にちかづいているでござる。眠ることもできなければそれはもう死でござるな。永眠はだから、永久に生きることなんでござるよ。やっぴー。いくひしさんはいつの間にか、不老不死になっていたでござる。でもでも、いくひしさんは中身が3歳の実年齢は180歳でござるから、いまさら不老不死になったって、精神年齢は3歳のままなんでござるな。長生きしたって、寝てばかりいたら中身は3歳のままなんでござるよ。もっとかってに、精神年齢、神!みたいになって欲しいでござる。せちがらいでござるな。るんるん。3歳なので、せちがらくても楽しくなっちゃうでござるな。箸が転げるだけで笑っちゃうでござる。年頃なんでござるよ。何歳でござるか? さんしゃい! 本当は? 180歳でござるよ。ぐっぴー。
3534:【2022/03/29*普遍・埋没・風化】
「普遍性なんてないんだ、という普遍的な枠組み」の内側で、かろうじて見繕える〈針の穴に糸を通すような普遍性〉を文学は扱い、そうでない、「普遍性なんてないんだ、という普遍的な枠組み」の外側を扱うのは主として科学の役割になってしまったのかな、といった感覚がある。しかも、内側にはもう、掘るべき場所はなく、再生産的な化石を掘り当てることが目的化してしまっているように感じなくもない。その点、外側にはこれからどんどん人類は視点を広げていけるようになるし、物理世界における社会というものも拡張されていく。そうすると、かつてはSFでしか扱ってこなかった外側の視点が、日常に浸透してくるため、必然、文学の扱う内側にも染みこんでくる。ゆえにこれからは、否応なく、これまで文学が忌避してきた要素を扱わざるを得なくなるし、あべこべに、そうした忌避感は増幅され、従来通りの内側の化石への哀愁が、反動として高まると予測できる。ただしそれは、故郷や田舎への束の間の懐古や憧憬と類似であり、おおむねは外側へと広がりを帯びる現実への抵抗であるから、〈内側を掘り返す普遍性〉は、これから徐々に文学の主流から遠ざかっていくと妄想できる。とはいえ、それゆえに文学的価値として、或いは骨董として、それとも古典として、いまより大きな枠組みで再定義され、位置づけられていくと想像するしだいである。要約すれば、時代は否応なく進み、新しきは古きへと変わりますよ、という当たり前の話である。時間が経てば老いる。しかしそれもまた、生きているモノに限った話なのかもしれず、或いはこれからは、忘れ去られる余地なく忘れ去られた存在にも、ふたたびの息吹がそそがれ、老いることのできる時代に突入していくのかもしれない。定かではない。(何かで括ることの意味が薄れていくだろう、とも言い換えることが可能だ)(個々の世界観――何を好いて何を面白いと思うのか、がより尊重され、重視されるようになっていく)(世界観と個性は重複する部分もあるが、点と線の違いにちかい。個性は点だ。しかし世界観はもっと流動的で、変質の経過そのものだ。流れであり、軌跡であり、旋律や律動であり、揺らぎである。予測不能な跳躍であり、行間に浮かぶ閃きそのものと言える)(閃きを、違和感、と言い換えてもよい)
3535:【2022/03/30*いまさらの疑問】
聞いて、聞いて。なんかね、ここ数日目が痒くってさ。なんだろな、なんだろな、って擦ってたらどんどん痒いゲージが増してきて、目頭がもうね、つねに虫刺され状態なのね。で、鏡で覗いてみてもとくにこれといって腫れてないし、赤くもなっていないから、なんだろな、なんだろな、ってやっぱり気になってたんだけど、きょうお外を歩いてたときに、クシュン、クシュンってくしゃみを連発してた女の人がいて、その相方の人が、「花粉症?」って心配そうに投げかけてたのを見て、はっとしちゃった。あ、わたし花粉症かも!? これまでなったことなかったから気づかなかったけど、この目の痒みさん、花粉症かも。あーもうどうしよう。いちど花粉症なったらもう治んないのかな。悪化しちゃうんだっけか。やだなぁ。鼻水じゅるじゅるでないだけよかったと思っとこ。まんちゃん風に言うなら、やっぴーってやつ。全然やっぴーじゃないけど。てかさ、今さらだけど、やっぴーって何?
3536:【2022/03/30*知能と知性】
これまでできていたことができなくなったとき、能力が退化したな、と思うが、そのときに知能が落ちたな、とは感じない。とくに体力的な能力の退化を実感した場合にはその傾向が顕著だ。フラフープを上手に回せなくなったからといって、知能が下がったとは思わない。いっぽうでは、数学の計算ができなくなれば知能が下がったと思うだろう。だが能力が退化した点では同じである。肉体の動作とて、知能によって可能としている。認知症患者の運動能力が低下するのはその影響もあるはずだ。そこは相互に関連しているだろう。運動能力が低下するので認知機能も低下し、認知機能が低下するので運動能力が低下する。どちらもあるし、相乗効果で悪循環を生むこともあるだろう。人間は知能と言ったとき、ついついどれくらい複雑でむつかしいことを考えられるのか、と捉えがちだ。そういう側面もあるだろうが、どちらかと言えば知能とは、目的を達成するための手段をいかにとれるのか、で測れるのではないか。そこには、運動能力も計算能力も認知機能とて含まれる。知能とは、人間の出力可能な能力をいかに目的達成のために用いられるのか、で決まる。何をどのように考えたのか、も一つの知能の指標となるが、それは飽くまで知能全体の一成分だ。何も考えずに、直観で、或いは無我の境地で、気づいたら目的を達成していた、という場合にも知能があると言えるだろう。だが、単なる偶然が重なっただけの幸運ゆえの結果であることもある。そういうときであっても、それは知能ゆえの結果なのだ。しかし、知性ではないだろう。知性は、もっと再現性が高い。というよりも、何度でも目的を達成可能になるように自己を制御すること。自在に操ること。そのためにどうすればよいのか、どの方向に舵を取ればよいのか、と模索する営みそのものが知性だ。知能は出力される能力の総体であり、知性はそのための指針と言える。知能をいかに活かせるかを考えることが、知性の役割と言えそうだ。(本当か?)(いい加減なことを言いました。すみません)(定かではありませんので、真に受けないように注意してください)
3537:【2022/03/31*ね、ね、ねむい】
小説つくってないのにこんな日誌並べちゃってどうしよ……、と思うこともなきにしもあらずだが、しかしこの日誌も広義の小説でおじゃるので、ひとまずこれを並べておれば、きょうもわがはい小説つくっちゃった、となるので、心が潤う。ダイエットしたいのにでもきょうもいっぱいお菓子食べちゃった……、という方は、顎いっぱい動かしたし、唾液もいっぱい分泌した、胃や腸だって活発に動いただろうし、めっちゃダイエットしたな、と思えば心が潤う。しかしこれは麻酔とか痛み止めみたいなものなので、常用するのはお勧めしない。だっていくら「いくひ誌。」を並べたって、そのほかの小説ができるわけじゃないし、やっぱり摂取したカロリー以上を消費しなければ脂肪は増えていく一方だ。ただ、ときどきは誤魔化しの理屈で乾いた心を潤わさないとひび割れて、そのうち砕けてしまいそうだ。そうならぬように、ひとまずこれは時間を圧縮して思考の限界を突破する極限の修行なのだ、と思って、おふとんにくるまり、寝てしまうのがよろしい。寝る子は育つ。たぶん、きっと、だといいな。
3538:【2022/03/31*むずくない?】
常識知らずなので、他者と何をしゃべっていいのか分からないし、しゃべってみたところで、話が通じないことが多い。こちらがしゃべっても相手には通じないが、こちらでは相手の話をまあまあ咀嚼できるので、たいがいは聞き役になるが、気心知れている相手にはあべこべにバババーと捲し立ててしまうので、よくないな、と反省する。同じ言語を用いていても、周波数のようなものが違っていると、コミュニケーションは取れないのだ。コミュニケーションとは、周波数を合わせる作業そのものだと言えるだろう。その点、その周波数を合わせる作業にも、どうやら二種類あって、出力と入力で大別できる。出力だけ合わせても足りないし、入力だけでも足りないのだ。コミュニケーションってむつかしいなぁ、と思うのだけれど、みなそんなことを思わずにつつがなく関係しあって見えるので、すごいなぁ、と思います。それとも内心ではみなさんも、「コミュニケーションむずい……」と目を回しているのでしょうか。その割に、表面上だけでもつつがなく行って見えるので、やはりすごいなぁ、と思います。
3539:【2022/04/01*孤独と没頭は相性がよい】
なんも並べることないよー、って思って、つらつらと自己分析していたら、おや、と引っかかってしまったな。わがはい、ひょっとしたら、人を喜ばせたい、と思ったことがないのかもしれぬ。誰かに笑ってほしいとか、喜んでほしいとか、思ったことないかも。ただ、人が楽しんでいる姿を見るのは嫌いではないし、誰かが喜んでいる姿を見るのも嫌いではない。でも好きなのは、何かに夢中になっている姿なので、やっぱり笑ったり喜んだりすることにさほどの重きを置いていないのかもな、と閃いた。人は何かに夢中になっているとき、笑ったり喜んだりはしない。ただ無心に、無表情に、淡々と作業に没頭している。そういう姿を見ると、心の奥底がほっこりするし、いいなぁ、と思う。そういう誰もが夢中に何かに没頭できる環境が築かれるとよいな、とは思うのだ。ただそれはべつに、誰かを笑わせたりだとか、喜んでほしいからではなく、もっと静かで、何でもないような時間を誰もが持てば、それだけいくひしさんも夢中になれる環境を持てるだろうな、と直観しているからなのですね。いくひしさんは笑ったり喜んだりは正直、したくない。静かで穏やかで、なんでもない時間が好きなのだ。ときどきは騒がしい場所に出かけるのも嫌いではないけれど、それがずっとつづくのはやはり嫌だ。一人で何かに没頭している人を見ると、その作業の内容がどのようなものであれ、反射的にいいなぁ、と思ってしまう。それがたとえ暴力的でいやらしい内容でも、いいなぁ、とまず思ってしまうので、いくひしさんの性根は腐っているのですね。よろしくない性質だと思います。(あ、嘘吐いた。赤ちゃん見るといつも、ニコっ、てして、おまえも笑えや、と威圧してしまうな。よろしくない性質だと思います)
3540:【2022/04/02*ぱっくんちょ】
わーい。いいことあった。うれしい。めっちゃ元気でた。でも元気でてもとくにやることないから、うんみょろーん、ってしちゃう。寒かったり、暑かったり、せわしない挙動不審さんなお天気だけれども、いくひしさんも同じく挙動不審さんのいくひしさんなので、凸凹みたいにしっくりぴったり、仲良しさんになれるんでごじゃるね。やったぜ。とか言ってたら、きょうはもう春の陽気でおじゃるな。ぽっかぽっかの、いっくひっしまん。語呂がわるいでおじゃる。いっちねんっせ、くらいリズムよくいきたかったでおじゃる。なんでおじゃるなんでおじゃるか? ござるではないでおじゃるか? そうなんでおじゃる。いくひしさんは、おじゃる菱形でごじゃる。おじゃる三角でもよいでおじゃる。それはひょっとして、おじゃる丸のパクリでごじゃるか? ちがうでおじゃる、ちがうでおじゃる。ほんとでおじゃるかぁ~? うっ、そんな目で見ないでほしいでおじゃる。上手にウソがつけなくなるでおじゃる。あー、やっぱり嘘だったんじゃないでおじゃるか、ぱくりでおじゃる、ぱくぱくパックンチョでおじゃるよ。はぁー、なんかお腹が減ってきちゃったでおじゃるな。チョコレートの入ったまん丸くてちいちゃなお菓子が食べたいでおじゃるな。それはぱっくんちょでおじゃるよ。やや、ここでもまたぱくぱくパックンチョなんでおじゃるな。おいちー。
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参照:いくひ誌。【661~670】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054883818775