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いくひ誌。【3401~3410】

※日々、寂しさよりも煩わしさが上回る、栄誉よりも静寂を欲する。


3401:【2022/01/22*極意】
極めると一口に言っても色々ある。刀を鍛えるような極め方もあるし、針の先端のように鋭くする極め方もある。球体を磨くような極め方もあるだろうし、絵具を揃えるような極め方もある。モザイクを配置するような極め方や、現実をそのままなぞるような極め方もあるだろう。ここまでくるともうなんでもありなような気がしてくる。中途半端ですら極めれば、それはそれで一つの突出した能力となり得る。平凡であってもそうだし、未熟であってもそうだ。すなわち極めるとは、どのような状態かを問わず、限定された条件内であらん限りの利点を探り、体得することと言えるのではないか。どのような環境であれ、目的を達成すること。活殺自在に肉体を操り、自由自在を体現すること。或いは、それを他者へと継承可能な技術に昇華すること。つまりが再現性の獲得であり、言うなれば何度でも同じことをしてみせられるように確率を操れるようになること。それこそが極めるの意ではなかろうか。(ということは、極めた状態がずっとつづくというのは原理的にあり得ず、もしそのように錯覚するようなことがあればそれはすなわち、新しいことに挑戦していない状態だと言えるのではなかろうか)(定かではありません)(新作掌編:「浮島のごとく静かに」https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927859622996010


3402:【2022/01/23*お金の消費期限】
2022年の現時点で全世界の資産総額は250兆ドルらしいので、単純に一ドル百円として、これを現在のおおよその人口、八十億で割ると、三百十二万五千になる。つまり全世界の資産を均等に分け与えると、一人当たり三百万円くらいの資産を持つことになる。これが年間であればうれしいが、生涯を通しての資産の総額となると困ってしまう。そういう意味では、全世界の資産総額というのは、現時点での累積総額のことなのか、それとも毎年毎年それだけの資産が生まれているのか、どちらなのだろうね、と気になる。たとえばの話、一年間誰もお金を使わない年があったとしたら、そのときの資産とは何を示すことになるのだろう。みなが物々交換のような生活を、いっせいのせいで、で始めたら、そのとき、お金の価値はなくなるはずだ。極論、お金というのは使うからこそ価値が担保される、と言える。では使われずに貯えられていく一方のお金に、いったいどんな価値があるのだろう。資産とはお金とイコールではない。市場に流れないお金にはそも、資産としての価値はないのではないか? お金にも消費期限があるように思えるが、真実のところはどうなのだろうか。疑問である。(新作掌編:【寸借詐欺に遭った話】https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927859649300766


3403:【2022/01/23*傷つきたくはないので】
もしいくひしさんが身体を鍛えたり、権力を得ようと行動しはじめるとしたら、それは誰かを虐げたり、傷つけたり、誰より強いと示したいからではなく、じぶんが他者の分まで傷ついても無事でいられるようにするためかもしれない。誰かを傷つけなければ場を切り抜けられない局面であっても、敢えて無防備に立ち尽くして、誰かの盾になったり、壁になったり、じぶんの守りたいものが傷つかない代わりにじぶんが傷ついてもだいじょうぶなように身体を鍛えたり、権力を得たりすると思います。たとえば誰かに騙されそうなとき。ひょっとしたら相手は、そうしなければあすの食べ物すら食べられないような進退窮まった状態かもしれない。追い詰められているのかもしれない。だったら騙されていると知りながらもいくひしさんは、騙されてあげたいと考えてしまう。そのためには、騙されても、損をしても、いくひしさん自身の生活が崩れないようにしておかなければならない。そのためにならまあ、身体を鍛えるのも、権力を得るのも、そうわるくはないかもな、とは思うものの、いまのいくひしさんにはそこまでして守りたいモノもコトもないので、ふつうにこのまま弱いままでいたいと思います。(とはいえスーパーマンみたいに強くて、アイアンマンみたいにお金持ちだったらふつうに誰も困窮しないシステムを築くほうに尽力しますけれどね。そのほうがいくひしさんを含めてより長く誰も傷つけず、傷つけあわない社会になる確率が高くなるように思います)(それとてけっきょくは、築いたシステムに参加してくれる大勢がいてはじめて成り立つ社会なので、けっきょくはいかにみなの協力を得られるのか、が要になるかと思います)(本日のとらぬ狸のぽんぽこりんでした)


3404:【2022/01/24*黄色信号】
さいきん急激に治安がわるくなってきたなと、ニュースを見ていても思いますし、身の回りの変化を見ていても思います。生活が立ち行かなくなれば誰であれ心は荒みます。安らかに穏やかに、ときどきはワクワクうきうきしながら、それでも心静かに生きていきたいものですね。


3405:【2022/01/24*みんな辞めていく】
行きつけの遊び場がある。人のすくない時間帯を狙って足を運ぶのだが、それでも常連の姿は憶えるものだ。そこにきてここ二年の変化であるが、かつての常連たちがこぞって顔を見せなくなった。もうほとんど見ない。いや、相変わらずのメンバーもいるにはいるが、それはほとんど生活が安定している者たちだろう。そうでない者たちは趣味すら満足に遊べない生活に陥っているのだ。さいきんは学生たちにもその影響が波及してきているように概観できる。あくまでいくひしさんに観察可能な、ごくごく狭い範囲の地域の話でしかないが、この地域ではこのままいけば十年後には、いまある文化が「根づいている」とは言えないくらいに、個々の趣味人が数人いるだけ、といった環境になるのではないか、と危惧している。とはいえこれは、いまにはじまったことではない。数年前からつづく疫病だけが要因ではなく、人間関係というか、誰がその分野を引っ張っていっているのか、分野の旗振りの役割を誰が担っているのか、が大きい(むろん人そのものがわるいのではなく、やり方がまずかったという意味です)。十数年以上前からいくひしさんには、こうなるだろうな、と予感できていたし、陰に回ってではあるが、細々と対策を講じてはきたが、もう限界かもしれない(なるべく他者の自由に干渉せぬように考慮したので、ほとんど効果はなかったかもしれないが)。手遅れ一歩前といった状態だ。かろうじていまは外部からの援助が入っているようだが、それもけっきょく、パイプ役の人物がそれをじぶんの利益に結び付けることに躍起になるので、よい影響が波及しない(これはその人物がわるいというよりも、誰も意見できないような環境が築かれてしまったことが要因だ。周囲の者たちの阿諛追従具合が問題を野放しにし、増幅させてしまった。どこにでもある話ではあるが)。繰り返しになるがこれは、いくひしさんの住まう地域の極々狭い範囲、それも極々小規模な文化圏を見渡してみた印象にすぎない。妄想である。しかし、一つの文化の終焉が感じられるほどに、競技人口ではないが、いまはどんどん人が辞めていく。分野から離れていく。ほかの地域でもこれほど趣味人が減っているのだろうか。歯止めをかけるためにできることはなんだろうか。すくなくともそれは、いくひしさん一人が頑張ってどうにかできるような問題ではないことはたしかだ。何が問題なのかを未だ誰も認識できていない。或いは、問題を認識した者から順に去っていく。それが最も懸念すべき宿痾なのだが。(とか言いつつ、元凶がいくひしさんだったら笑えるな)(そこまで影響力があったらそもそもこんなにおちぶれてはいないんじゃ)(うひひ)


3406:【2022/01/25*ふざけすぎてごめんなさい】
意外に思われるかもしれないが、キャラをつくった文章を書くよりも真面目ぶった文章のほうが簡単なのである。いくひしさんはだっておちゃめさんじゃからぽんぽこぽーんって文字を並べても、えーそれ何が言いたいの、ちゃんと人間語しゃべって、みたいになってしまうでごじゃるから、かろうじてギリギリ意味の通じそうな弾道を狙って文字を並べないと文章として成立しないのである。やってみれば判るだろうが、知能指数を極限まで下げたキャラの日誌を毎日千文字も二千文字も並べてみればいい。そういうキャラはふつう、文章がふにゃらんぺっぺとなってしまうはずなんじゃ。意味の通じる文章を何行も書き連ねることができる時点で、相応の知能を有していると言える。それでいてあんぽんたんであるキャラを矛盾せずに成立させて文字を取捨選択し配置するのは、じつは見掛けよりもずっとむつかしい作業なのだよ諸君。それはたとえばですが、原理的に、大人の作家が幼稚園児の主人公の小説を一人称で書くのがむつかしいことと似ていると言えるでしょう。これが言語を体得してすらいない赤子となればほとんど不可能だ。三人称や神視点でなければ困難と言える。もしくは誰かの視点での二人称ならば表現可能かなっていくひしさんは思うよ。たとえば「きみはまだこのころは赤子だったが」といった具合に叙述するよりありません。赤子の一人称は、ばぶー、あうあうあー、うんぎゃあああああ、でしかない。掌編ならば可能かもしれないが、ソレガシが存じるに、短編や長編となるといたく書きがたしそうらう。偶然赤子の鳴き声がモールス信号になってました、くらいのオチにすればいけるかもしれんが、それが読者に読解可能かは分からんし、おもしろいのかどうかも微妙なところなんよ。でもね、いくひしさんはそういう物語もつくってみたいなって思ったの。したがって、いくひしさんが毎日キャラを変えつつ日誌を、ぺったんこぺったんこ、積んだり並べたりしているのは、何の捻りもない理由で恐縮でごじゃるが、じつはありていに言って小説の腕を磨くためだったんでござるよ。うへ。でも考えてみてくださいよ。だってそうじゃなきゃこんなアホウなこと、誰もしないと思いませんか。そうだよ、そうだよ。いくひしさんだって理由がなきゃこんなアホウな真似せんもん。はぁ? 誰がアホだって? 私です。僕だよ。あたしじゃねぇなあ。おまえじゃね? わがはいでござった。理由がなくともまあ、飽きてくるとしぜんとこうなるものなのかもしれませんけれど。そうだろ? でもまあ、ときどきは振り返って読むとただそれだけでも、うひひ、と思うときもなきにしもあらずですし、そうした不安定な日誌も否定はしません。うっせー、なぁにが否定はしませんだ。何様目線だっつうの。みたいな感じで、文章から聞こえてくる声音を自在に操れるくらいに、手癖で書き分けられるようにするための工夫の一つだったんですね。そういう側面からすると、真面目ぶった文章は楽なんですね。内容があるかどうかはさておいて。(嘘です。とくに理由はありません)(こんなんで小説つくる腕があがるわきゃないっしょ)(けけけ)(新作掌編:「我が隣人にして敬愛なる」https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927859678406773


3407:【2022/01/26*いつでも素人に戻れるとよい】
素人はすぐに楽をしようとするので、玄人が発想できないような工夫をしぜんと無意識にしていることがある。これは転職してきた別業界の人間が、新しい職場で思いもよらぬシステムの改善や貢献をする現象とも繋がっている。なんでこうしないの、と疑問するまでもなくしぜんと身体のほうで無意識に、こうすれば楽でしょ、とサボるのだ。そのサボる姿を見て玄人はついつい、けしからん、となりがちだが、まずはどんなことであれ見慣れない手法であったならば試してみたらよい。試してみるためには、失敗しても問題ない環境を築いておく必要があり、そうなるとけっきょくは日ごろから試行錯誤する習慣をつくっておくと自動的にそういった試作を行える環境が築かれていくだろう。素人はときに天才だ。玄人からはでない発想を無自覚に、しぜんと行っている。それの良し悪しを見抜けるのは、しかし玄人だけなのだ。或いは、著しい結果の向上が表れてはじめて、素人のとった方法論の有効性が知られることもある。いずれにせよ、玄人は、自身が玄人であることに驕らずに、いつでも素人のつもりで物事を観察する癖をつけたほうが、総合して得を見逃さずに済む確率をあげられるように思うが、いかだろう。とはいえ、いかにも玄人っぽさをださなければ得られない利もあり、あっちを選べばこっちを失うような矛盾に苛まれそうに思えるが、しかし、見た目の雰囲気に寄りつくような輩の運んでくる利は、ある時期を境に、奇禍に転じることもすくなくない。その点、じぶんで見極め、見出した得であれば、すでに自身の血肉になっている。基本、自力で見つけられる得は少量だ。たとえそれが毒であったとしても、却って免疫がつく。いいこと尽くしだ。他者から習うばかりだとこの、見つける能力、が育まれない。まずはなんであれ、いつでもはじめましての境地で物事と向き合えると好ましい。型を覚えたら、いちど手放せるとよさそうだ。手放すために、つくっておくものが型とも言える。忘れても大丈夫なようにとっておくメモやレシピのようなものだ。単なる玄人と達人の差とはともすれば、身に着けた型を自在に脱着可能か否かにあると言えるのかもしれない。定かではない。(新作掌編:「彷徨う者はなぜ」https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927859709488983


3408:【2022/01/27*お好きにどうぞ】
小説のキャラクターの容姿くらいじぶんで好きに想像させて欲しい、と思うタイプの読者なので、そのためか自作のキャラクターの外見描写はすくない傾向にある。外見の特徴よりも魂の造形のほうが物語のおもしろさにつよく影響すると感じているので、正味、折り紙でつくった人形、くらいの外見描写加減かもしれない。髪の毛の色とか、背の高さとか、年齢とか、服装とか、そんなに具体的に書き込まなきゃおもしろくならないのかなぁ、むしろ日常でそんなことで相手の良し悪しを推し量ったりしますー?とどうしても感じてしまうのだ。絵で言うならラフで充分だ。マンガで言うならネームくらいの雑さ加減でいい。とか述べてしまうと、案外に絵描きさんはラフでもしっかり描き込んでいたり、漫画家さんでもネームですでに凄まじい情報量だったりするので、譬えとしては不適切かもしれない。外見描写は散りばめるほうが好みだ。背の高さなんて、登場人物たちが見上げたり、見下ろされたりするだけで描写可能だし、年齢だって、会話における敬語の使い方で匂わせることができる。そのほかの側面像とて、必要なら物語の進行上、かってに浮きあがってくるものではないのだろうか。浮きあがってこないのならそれは必要ない情報ということにはならないか? ならないか。すみません。いくひしさんのは単なる手抜きなんですかね。はあはあ、そうですか。うひひ。誰に批判されたわけでもないですけれど、言い訳がましく、その旨、記しておきます。これといって自作の小説の登場人物が全員外国人であっても、よしんば猫耳かわいい異形の者たちであっても、或いは全員バケモノであっても差し障りのない物書き、本日のいくひしまんでした。(新作掌編:「瞬久間弐徳の焦燥」https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927859741130525


3409:【2022/01/27*よちよちされている自覚はあるか?】
ひょっとしたら上手く伝わっていないのかもしれないな、とたびたびの疑念を抱くので、野暮だし蛇足だしかっこうわるいのですが、敢えて明かしておきますね――いくひしさんがいくひしさんを弱い弱いと連呼しているのは、「わしが弱いのだからあなた方も弱いでしょ、それともわたしよりも強いおつもりなんですか?」と問うているのですね。もちろん多くの方々はいくひしさんよりもあらゆる面で秀でているでしょうが、それでもいくひしさんのほうが秀でている部分もそれは当然、あるでしょう。そんなのは当たり前のことですね。誰であれ弱さを内包し、ある一面では強いのです。しかもその強い弱いは、環境や相手によって変化します。いちいち極々一部の能力や特性を以って、じぶんは他者より上だ、とか、おまえは敗者だ、なんてことを誇示しなくてもよいのではありませんか(誇示してもらっても、もちろん構いませんが)。弱くてもよいじゃありませんか。人間は弱いからこそここまで進化し、知識を集積し、技術を発展させ、生き残ってこられたと見做すこともできるのですから。弱さと強さは表裏一体です。どちらか一方だけが独立して存在することなどできはしないのです。偉さが、偉人一人だけこの世に存在したところで生じ得ない概念であることと理屈は似ています。偉い、と他者から思われなければ、偉人などこの世に存在しないのです。偉人とはすなわち、赤ちゃんのようなものと言えます。みなから、偉いね偉いね、とよちよちされなくては概念の枠組みすら保てない、脆弱な存在です。地位とはあまねくそういうものです。栄誉にしろ身分にしろ同じです。自ら切り拓き手に入れたものではなく、おしなべて他者から与えられているものなんですね。勝者とて敗者がいなければ生まれません。そういう意味合いでも、強さも弱さも表裏一体なのですね。持ちつ持たれつ、接することで、枠組みが築かれ、存在としての輪郭を得られるのです。じぶん以外の存在なくして我が身はあり得ません。当たり前の話すぎて欠伸がでてしまいそうですね。しかしこれもまた、定かではありません。真に受けないように思考を促し、本日の「いくひ誌。」とさせてください。おんぎゃー。(新作掌編:「塞ぐ者たち」https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927859768517211


3410:【2022/01/28*かわいくないのがかわいいくらいにかわいい】
デジャビュに思われるかもしれないが敢えて明かしておきますね――いくひしさんがいくひしさんを、かわいいかわいい、と連呼するのは、「わしがかわいいのじゃからあなただってかわいいに決まっておるじゃろう、あなたがかわいくないのならいくひしさんだってかわいくなくなってしまうじゃろ、それはもんすごくイヤじゃイヤじゃなので、あなたもかわいいってことにしとくんじゃ。よろしくね!」の文脈が省略されているんですね。この旨どうぞお忘れなく。いくひしさんはとってもかわいいんじゃから、あなただっていくひしさんのつぎくらいにはかわいいんじゃ。あなたが世界一ならわがはいは宇宙一じゃ。でも宇宙さんはひょっとしたらたくさんあるかもしれないの仮説がいまはぴょんぴょこ唱えられておるそうじゃから、じゃあまあ、もう、いくひしさん並みにかわいいかわいいなコたちがぎょうさんおるってことでいいんじゃね? あなたもひょっとしたらそのうちの一つの宇宙一かわいいかわいいかもしれないんじゃね? まあ、そんなかでいちばんかわいいのはモチモチノリ餅、いくひしさんなんでごじゃるが。異論はあってもよろしいが、耳は塞がせてもらうんじゃ。聞こえなーい。あばばばー。うひひ。


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参照:いくひ誌。【541~550】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054883279947

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