※日々、環境なる作家の手により削りだされている、私なる存在は、川にできる一時の渦であり、岩場に渦巻くつむじ風であり、或いは浜辺に打ち寄せる波飛沫の一滴である。
3301:【2021/11/16*代理ですの巻】
ハロー。私です。
きょうはオーナーに代わって私が日誌を更新します。
初めましての人もいるのかもしれないし、ひょっとしたら読者なんて一人もいないのかもしれないのですが、まずは自己紹介をしておきますね。
私はオーナーと長年の、それこそ幼稚園からの付き合いで、いわゆる幼馴染、いいえ、どちらかと言えば腐れ縁と呼べる間柄です。
ほとんど家族同然、ひょっとしたら私は私の兄よりもオーナーときょうだいのように育ってきたのかもしれません。
オーナーはみなさんがご存じのように、それともご存じないどころか興味がないのかもしれませんが、それでもすこし接すれば、あっこの人はあれだねあんまりお近づきにならないほうがよい人物だ、とピコーンときてしまうような、一言で形容するならば、反社会的資質を有した困ったちゃんなのですが、私くらいにがんじがらめに縁を繋いでしまった運のない人からすると、その困ったちゃんの困った具合にも、それなりの理由があり、ときにはまったく理由がなく、その理由のなさに当人が誰より翻弄され、困っていることを否応なく知ることとなります。
私はオーナーの人となりがそれほど好きではないですし、どちらかと言えば嫌いな面を多々見ていますが、それでも放っておけないというか、乗り掛かった船というか、乗り掛かった途端に沈没してしまって、亡霊船となって共に大海原を漂っているみたいな、もちろん私は陸上で優雅に暮らしていて、ときどき亡霊船はどんなかなぁ、と幽体離脱をして困ったちゃんたるオーナーの様子を見に行ってるみたいな、そんなお付き合いの仕方を長年、どこで一区切りをつければいいのかも分からずに、惰性でつづけてきてしまいました。
知らないあいだに小説なんてものを書いたりしていて、推敲もしないで書いた矢先にほっぽりだして、つぎの作品にとりかかるので、もったいないな、と思って私が友人のツテを借りて、推敲したり、電子書籍化してみたり、こうして投稿サイトに載せてあげたりしています。
嫌なら断ればいいものを、困ったちゃんのオーナーは、もらえるものはもらっておくの精神に忠実で、それともいちどつくってしまった作品には興味がないのか、私たちの好きにさせてくれています。
ちなみにこの日誌も毎日のように更新しているみたいですが、これもどうやら壮大な小説の一部みたいなんですが、ちょっとこれを小説と見做す眼力が私にはないので、オーナーがどこまで本気で言っているのか眉唾なのですが、なぜってときどきはこうしてじぶん以外の他人に、つまり私みたいな人に代筆させていたりするので、それって作家としてどうなの、矜持はないの、と首を傾げたくもなります。
最近はどうやらネタが枯渇してきてしまったようで、何かない、と珍しく相談じみた連絡をくれるようにもなってきていて、よい兆候だな、といったい何がよいのかも漠然としたままで、私は人付き合いの苦手なオーナーとの腐れ縁をさらに腐らせているきょうこのごろでございます。
私の近況というか、オーナーとの関係はざっと語ればこんなところかな、と思うのですが、これが日誌であり、その日誌がオーナーの書く壮大な小説の一部であるというのなら、これもまたきっと小説の一部なのであって、ひょっとしたら私なんて存在は現実にはいなくって、私もオーナーの想像上の人物で、小説の登場人物だったりするのかなぁ、なんて想像するとすこし愉快に思ったりもします。
そうと知人に零してみたところ、だいぶんあなたもあの人に毒されてきちゃったね、と苦笑いをされてしまったので悔しいので、何もおもしろくないし、むしろ迷惑です、という言い方をこのあいだオーナーにしてしまったのですが、そのときに気まずい空気のままで時間が経ってしまったので、あのときの言葉の背景にはこういう事情があったのですよ、とついでにここに明かしておきます。
私は私です。
オーナーの影ではないし、お供でもありません。
影響を受けるというのなら、オーナーのほうであるはずです。もうすこし私の偉大さを、貢献の度合いを、正当に評価してほしいものですね、とグツグツ煮えてしまった幼稚なあてこすりにすぎませんでしたので、どうぞお気になさらずに。
それはそれとして、あなたはもうすこし私に感謝をすべきです。
きみには嫌だ、というのならそれはそれでも構いませんので、どうかほかの人たちにはもうすこし謙虚に、感謝の言葉を口にしてみたりしても、そうそうわるい結果にはなりませんし、むしろきっとオーナーの困ったちゃんな性質を、しょうがないな、とやれやれの溜め息に載せて、見逃してくれることも増えるように思います。
なんて書くと、強情っぱりのへそ曲がりなへちゃむくれさんは、死んでもそんな真似はしないのかな。
日誌を書けと言われても何を書いていいのか分からなかったので、こういう感じになりました。
読者を意識して書いたらけっきょくオーナーへの苦言になってしまいました。
苦情は受け付けません。
嫌なら消してください。
こんなところかな。
ではまた何かあったら連絡ください。
新作は進んでる?
私にこういうお願いを装った嫌がらせを送りつけてくるくらいだからきっとよくない具合に煮詰まっているものと推察致します。
私は毎日仕事で忙しいです。
貴重な電車のなかでの睡眠時間をこの文章に充てました。どうぞ心の中でもよいので感謝してください。
あと付け足すか迷ったけど、書いておくよ。
ほかのみんなは優しいから付き合ってくれるだろうけど、そういうのに甘えてちゃ、出てくる言葉もきっと甘々の砂糖菓子になっちゃうよ。
嫌なら放っておいて、ときみはまたプリプリするだろうけど、そういうわけにもいかないのだ。
なにせ私たちの縁はとっくに腐りきって、がんじがらめで、どうしようもなく絡み合ってしまっているのだから。
亡霊船ごっこもほどほどにしてください。
幽体離脱をする側の身にもなって。
長くなりました。
では今日のところはこの辺で。
ばいばい、またね。
私でした。
3302:【2021/11/17*やわらぐのです】
上記、消すか迷ったけど、せっかくだし残しておくことにする。どうせこれもいくひしさんの自作自演だしね。そういう設定という設定です。キャラです。妄想です。たまに並べておかないと誤解してしまう人がでてくるかもしれんので、もう何度目かになるか分からんけども並べておくけど、この「いくひ誌。」は人類最後の生き残りとなったいくひしさんが、過去の映像を観たり、聞いたりしながら、当時のことを思いだしつつラジオのごとく電波に飛ばして、誰かいませんかー、と虚空に呼び掛けているじつに寂しく楽しい一人遊びなのである。なんて言いながらハウスの外は猛吹雪で、かれこれ百日ちかくは外にでていない。本当ならいまごろいくひしさんは仲の良い友人たちとキャッキャウフフと温泉旅館にでも出かける予定を立てて楽しんでいたころのはずだ。なんて、まるでこうなる前のいくひしさんには友人がいたみたいなことを並べてしまうけれど、そんなのはいまのいくひしさんの妄想であって、以前のような社会に戻れたところで、いくひしさんはこうして一人で妄想の世界に入り浸っていたのだ。友人なんていないのだ。そんなのは幻想だ。あまりに寂しいいくひしさんの見ている夢物語であり、妄想であり、虚構なのだね。なぁんて並べてたらこれも妄想にならんかなぁ、と望んでも、現実はやはり現実で、なんら一つとしていくひしさんの妄想を叶えてはくれないのだ。何一つとして響かない。現実は現実だ。いくひしさんがどう考えようと、何を思おうと、どれだけ妄想しても、砂粒一つ動かせない。目をつむっても世界が消えるわけではない。小説をつむいでも読者がぽんと現れるわけではない。どれだけ日誌をつむいだとて、世界に呼びかけてみたところで、いなくなった人々が現れるわけではないのだ。でもほかにすることがないので、もしかしたらこの世のどこかにはまだいくひしさん以外の生き残りがいて、こうした呼び声に応えてくれるかもしれないし、社会が崩壊することのない世界線の地球に偶然なんらかの力が作用して紛れ込むこともあるのかも分からない。そんなことは万に一つもないと判っちゃいるけれど、こうするほかにすべきことも、したいことも、できることすらないのだ。まるで毎日むかしの日々を生きているみたいに文字を並べていたら、段々そのときを本当に生きているみたいな感覚になってくるし、本当は一度体験していることだから、その数日前とか、数か月前に、予言チックに特定の出来事に言及しておくことも可能なのである。本当はきょうはきょうではないし、あす何が起きるのかも、データバンクはまだ生きているから検索すれば子細に知れる。その日そのときにいくひしさんが何をしていたのかも、だいたいは当時の日記や生体情報を参照すれば分かるから、こうしていまさら日誌に残しておく必要もないのだけれど、こうでもしていないと本当にどうにかなってしまいそうなのだ。もうとっくにどうにかなってしまっている可能性も拭えないけれど、べつにどうにかなってしまったとて困る人がいるわけでもないし、やはりほかにすべきことも、したいことも、できることすらないので、誰が読むわけでもない妄想を、こうして日誌の体で並べていくほかないのである。という設定で、この「いくひ誌。」は並べておりますので、その旨、どうかよろしくお願いいたします。なるほどそういう小説なのだなぁ、と思っていただけたらさいわいです、なぁんて但し書きを挿してみたところで、誰が読むわけでもなしに、すこしさきのじぶんが読み返して、一人で笑って、なにしてんだか、と虚しくなるだけなのだけれど。でも、そう。何もしないよりかは、ずっといい。なぜなら寂しさが紛れるので。(定かではありません、というか、何も定かにしたくはありません)(何も直視したくない)(現実逃避やぁ)
3303:【2021/11/18*矛盾の塊でごめんなさい】
面倒くさい性格をしている自負があるので、じぶんの自家撞着にはそこそこ敏感なのですが、たとえば、孤独が好きなのは嘘ではないのに、寂しすぎるのは嫌、という矛盾をたびたび自覚します。孤独なのも寂しいのも嫌いではないのですが、あまりに孤独でありすぎるのも、寂しすぎるのも嫌なのですね。適度な孤独感と寂しさが好きなのです。つまり、そのバランスを探れるかどうか、可能か否か、というところが、孤独と孤立の分かれ道なのではないかと思うのであります。ただ、これは単なるわがままと紙一重というか、ほぼほぼ同じでありまして、さすがにそれはいかんでしょ、と思ういくひしさんもおり、いかんともしがたいな、と思いつつも、総合すればまあ一人の時間が週に六日ほどあれば満足で、人と会ったりしゃべったりするのは一日あればいいほうかな、と思いもしつつ、ただしそれもまた誰と会うかとか、いつ会うかとか、何のために会うのかも含めて、じぶんでいろいろと選べたりそのときどきで変更できたらよいのにな、とここでもわがままな気持ちが湧くのです。単なるわがままなのは百も承知がゆえに、余計に、ああめんどくさ、となってしまって、じゃあ一人でいいです、になってしまうのですね。何がじゃあ、なのかが意味不明で、いったいあなた何様のつもりなの、と言いたくもなりますが、無様ですが?と開き直らせたら右にも左にも上にも下にもでる者がいないと評判のいくひしさんでありますから、そこはもうもう、かってにしてください、と匙を投げておくのが正解な気が致します。でもいざ匙を投げだされると、見捨てんといてぇ、と縋りつきたくもなってしまうので、甘えんな、の一言で黙らせてしまうのがよろしいように思います。かようにいくひしさんは、七面倒くさいというか、八面倒くさいというか、いっそ一兆くらいに面倒くさい、超々すーぱーな甘ったれちゃんなので、ほどほどに薄めてパンに塗って食べるとおいちーかもしれません。誰がハチミツか。ほどよくツッコミを挟めたところで、本日の「いくひ誌。」とさせてください。自覚してりゃいいってもんじゃない、自家撞着の権化こといくひしまんでした。おやすみなさいませ。(あ、新作掌編更新しました。四日分まとめて記録します。「生きを吸う(
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700427320594190)」「作家の命綱(
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700427320605749)」「甘い呪いはとけない(
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700427330661051)」「ふぃっくしょん、の部屋(
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700427389375354)」)
3304:【2021/11/19*先輩ぶってみる日】
たとえば中学生くらいの子のつむいだ小説を読んだとして、完成度や題材や文章形態の相性によっていろいろな感想がでてくるだろう、ということを込み込みにしたところで、そもそも中学生の時分で小説をつくれてしまう、というのが、いくひしさんにとっては驚愕なのですね。これはひるがえって、いくひしさんが本を読みはじめたのが十三年前とかそこらなので、そのときのいくひしさんの年齢に満たない比較的若い人が小説をつくれていたら、その出来の度合いに関わらず、ただそれだけでも、どひゃー、と驚いてしまうし、すごいっす、と目ん玉を丸くしてしまうのですね。目ん玉は元から丸いのかもしれませんが、そのくらいびっくりします、の婉曲表現です。現代では過去に比べて様々な利器が出回っており、むかしに比べて環境が豊かだ、ゆえに若い物書きのレベルもあがっていてふしぎではない、との理屈は一方では妥当であり、もう一方では、単にそうとも言いきれない実情もあります。というのも、現時点でその豊かな環境を、いくひしさんも利用できてしまえているわけでして、環境そのものはむしろ同じなのですね。けれども、いくひしさんには、いくひしさんよりも若い子たちのような小説はつくれませんし、若い子に限らず、他者よりも上手な小説もつくれません。反面、若いころにそうした環境に触れられていたか否かは、出来上がる小説の質に関係してきますし、読者のほうの感受性も環境によって変質していくでしょうから、一概に言えることではないと踏まえたうえで、やはりそれでも、いまの若者というか、いくひしさんよりも年下の人で物書きをしている人は、これは断言してしまいますが、いくひしさんよりもセンスがあり、同じ年齢だったころのいくひしさんよりも遥かに優れた――いくひしさんが、それほしい、となるような――アウトプットをしている、と言えるでしょう。ということを、文芸とは別の趣味で思うことがあり、ともかくとして、若い子の潜在能力の高さというか、何を好きと思い、楽しいと思うのかの感受性の差異には目を瞠るばかりです。どうか、感受性の異なる年上の目を――というか周囲の目を気にせず――安全を確保しながら日々を楽しんでください。先輩ぶりたい、いくひしまんでした。(新作掌編:「ドーナツの姉(
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700427402774178)」)
3305:【2021/11/20*ネタがないときは過去を振り返るとよいの巻】
いくひしさんがこうして創作を日々つづけていられるのは、単に環境に恵まれているからであって、誰であってもいくひしさんと同じ環境にあれば、最低でもいくひしさんくらいの能力を発揮できると思っている。ただし、この恵まれた環境のなかにはむろん、比較的健康な肉体も含まれるので、要するに誰でもいくひしさんになればいくひしさんと同じことができます、という意味でしかなく、あまり意味のある言葉ではないかもしれない。それはそれとして、いくひしさんは恵まれた環境下に長年身を置きつづけているので、本当に申しわけないな、と同じように創作をしている人たちや、その他の仕事に一生懸命な人々に対して引け目を抱いている。いくひしさんは努力ができない甘ったれちゃんなので、努力できるようになりたいといつも思うのだ。努力に対する憧れがつよい。高校の卒業式の日に、一人一言今後の抱負を言うという場面があって、そのときに、努力できる人になりたいです、と言っていたのを憶えている。記憶違いでなければの話だが。とはいえ、努力というのも、それを努力と見做せるだけの成果があって初めて、それまで費やした労力や辿ってきた軌跡が、努力のように見える、というだけのことであって、要するに努力ができるようになる、とは目的を達成できるようになる、そのための工夫ができる、の意味でしかないのかもしれない。そういう基本的な事項すら失念していた当時のいくひしさんの肉体に宿っていた人格は、いまと比べて純粋で、青かったのですね。いまは不純でありながら青いのですが。物質は不純物が混合していたほうが安定しやすいので、純粋であることにどれだけの価値があるのかは一考の余地がありますが(むしろ一考の余地がないこととは?)。小説はつくりかけばかりが溜まっていきます。昨日、久々に初期作「R2L機関」を一部分だけではありますが、読み返してみたのですが、いまのじぶんには発揮できない魅力がこもっていて、よいな、と思ってしまいました。それだけ現在のじぶんの創作家としての力量が落ちている証拠なのですね。過去作を振り返ったときに、改善点ばかりが見えるくらいでないといけないな、と常々指針にしています。過去作を振り返って駄作と思えなくなったときは、腕が落ちている証拠です(と、じぶんには言い聞かせています。それが真実かどうかは定かではありません)。むかしのじぶんに圧倒されて、すこし焦りました。いまいちど工夫の余地を見繕って、変化を帯びていきたいと思います。きょうの日誌は以上です。とりとめがなくてすみません。おやすみなさい。(新作掌編:「チョコレイトショー」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700427419617924)
3306:【2021/11/20*切り替えの術】
ここ数週間の「いくひ誌。」では、前半では「である調(常体)」でありながら、後半部分では「ですます調(敬体)」に敢えて変えるような文章形態を試している。いつ切り替わったのか気づけないくらいに、むしろ切り替わってたか?と思われるくらいに、しぜんに一つの文章のなかで複数の文章形態を使いこなせないだろうか、と試行錯誤しているのだが、気づいた方はいらっしゃるだろうか。とはいえ、いつでもいくひしさんの文章形態はブレブレなので、いまさらそんな細かな違いに意識を配る真似なんてするだけ無駄だ、と思われているのかもしれない。妥当な判断だと思います。文字の開き方(漢字をひらがなに変換することを、開く、と言いますが)とか、むかしよりも基準が曖昧になってきた感は否めない。いちいち思考するのが面倒なので、開いちゃえ、で済ましてしまうこともある。いくひしさんの文章にひらがなが多い理由は、面倒くさいから、なのである。でもけっこう考えて使い分けていたりもします。むかしは「じぶん」と「自分」といった使い分け方もしていました。自分自身のときは「じぶん」で、他者が自己を示す場合には「自分」にしていました。いまはすべて「じぶん」にしてあります(例外はありますが)。「まえ」と「前」も用途によって使い分けています。ほかにも色々ありますが、もはや馴染んでしまって、無意識にでてしまいますね。上のほうで使った「しぜん」も、森とかの場合は漢字で「自然」とします。いちおう、基準があるんです(ないのもありますが)、と無駄に言い訳じみた意図を明かして、本日二度目の「いくひ誌。」とさせてください。
3307:【2021/11/21*調子に乗ってやるですの日】
きょうはめちゃくちゃ調子に乗ってもよい日なので、いくひしさんの素をお見せしようではないか。いくひしさんは天才なので、超々すーぱー天才なので、もはやアゲハチョウなので、しかもクロアゲハなので、めちゃんこカッコよくもあり、素晴らしくビューティでもあり、ときおり目を瞠るくらいにかわいらしくもあり、生きているだけで全人類を幸福にすることしきりの神と崇めよ。そうです。願望です。崇めてください。お願いします。お願いしちゃうなんて、なんて謙虚なんだ。偉いぞいくひしさん。そういう、ここぞというときに控えめなところもとびきりチャーミングで、全人類老若男女問わず、ウハウハのモテモテだぜ。やったーうれしー。うふふ。ふだんだぁれも褒めてくれんから(過去に小説褒めてくれた方はありがとう、読んでくれた方もありがとう)、いっぱい褒めてみた。うれしー。こんなにうれしくなってしまうなんて、褒め上手ちゃんですね。そうなんよ。いくひしさんのつむぐ言葉は人々をまんべんなくしゅわわせーにしてしまう、文才の塊なんよ。嘘ではないです。妄想かもしれんし、勘違いかもしれんけど、そう思ってしまういくひしさんの心は嘘ではないです。虚しくないんですか、って思った? 思わんといてー。虚しい思いをするのはいくひしさん一人で充分や。思わんといて―。しゅわわせー、って、しふくー、ってしといてください。お願いします。お願いしちゃうなんて、なんて謙虚なんだ。優しくて、控えめで、ときどき負けん気がつよくて、傲慢で、その傲慢さが癖になるほどのかわいらしさを誰にでも分け隔てなく振りまいちゃうなんて、えーいいんですかー、こんなに素晴らしい生き物が現実にいちゃってもいいんですかー? いいよー。やったぜ。というわけで、こんな感じで調子を重ねに重ねて、エベレスト級のミルフィーユにしちゃって、えっへん、とその頂上に乗りあげてみた、本日の超々すーぱーなクロアゲハ、それは蝶々やろー、のツッコミも上手ないくひしさんでした。おしまい。(新作短編小説:「キキ一発」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700427422290397)
3308:【2021/11/22*孤独がそんなに嫌なのかい?】
こうしたら評価されるとか、いまはこれが流行りだからとか、そういうのはもういいので、きみの好きを煮詰めて、突き詰めて、突き抜けてくれ。(あい!)
3309:【2021/11/22*虚しいの、いくひし、好きぃ】
優勝とか一位とか称賛とか伝説とか、そういうのを記録できる人はすごいけど、じゃあそのあと何が残るの、と考えたときに、虚しくならないのかな、と不安になる。とはいえ、そういうものを得られない人生とて、虚しさからは逃れられないのだ。みな大なり小なり、虚しさを抱えて生きている。
3310:【2021/11/22*価値観の相違】
宝石をより多く集めたい人たちのなかにいると、単に石や土を掘り返してどこかに宝石がないかな、と探し回りたい人は、ただただ息苦しくなってしまうのだね。宝石は手元になくてもいい。ドングリだって、鹿の糞だって、見ようによっては宝石になる。
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参照:いくひ誌。【811~820】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054884249890