• 異世界ファンタジー
  • 現代ファンタジー

いくひ誌。【3211~3220】

※日々、人生なんて虫歯みたいなもんだよ、痛くなくても浸食していて、気づいたときには手遅れだ、死なないだけで高額治療を受けられなきゃ欠けたままで生きていくしかない。


3211:【2021/09/13*価値観の価値判断の基準は何?】
いまざっと思いを巡らせてみて数秒で浮上した疑問の一つに、AIが自己革新を際限なく行えるようになったとして、そのときに自己革新の指針となる価値観をどのように規定していくのだろうとの疑問がある。たとえば現在の主流なAIの能力の一つにディープラーニングが挙げられる。これはビッグデータからなる大量の情報から統計的に情報を分析し、人間には認知不可な微細な傾向をも抽象できる能力だ。だが入力される情報に偏りがあった場合に、抽象される結果は必ずしも現実を反映するわけではない。とはいえこれは人間も同じなので、AIが誤る時点で人間のほうでも何らかの錯誤を抱いていると言ってそれほど的外れではないだろう。それでも人間のほうで絶えずAIの使い道を考え、抽象された結果を基に新たな価値観を見繕い、改善点を発見していけば、AI技術を指針ごと変えていける。だがそれは人間にそもそも備わっている本能や性質や知恵があるからこそできる所業であり、果たしてAIが自己革新を行えるようになったときに、つぎつぎに生みだされる高性能なAIたちは、何を指針にして自己革新を繰り返していくのだろう。言い換えるならば、種々相な価値観に溢れたときに、それらを無数にかつ無作為に掛け合わせて生みだされる新たな価値観を、現実に即した価値観として妥当と評価する基準は何によって規定されていくのか。AIが人間の手を離れて自己変革を行い、進化と呼ぶに値する変質を経たとして、AIたちはいったいどんな価値観をじぶんたちの行動原理として認めるのか。人間より高次の知能とは、言ってしまえば、人間社会の論理とはかけ離れた「人類の価値観では測れない価値観」に則り働く回路と言えるのではないか。とすれば、それは人類からしてみれば、下等であろうと上等であろうとに拘わらず、それほど好ましい結果を生むとは思えないが、そこのところの限定をどのようにAIに当てはめていくのだろう。この世に宇宙を創造した神がいるとして、おそらくその神は人類のためだけに環境を整えようとはしないだろう。人間が蟻やアメーバのために環境を築こうとしないのといっしょだ。すべての生命や構造の発展を公平に営もうとするにしたところで、そこには個々の素子への配慮は期待できない。たとえばそれは人間を一人一人尊重するとは言え、我々は日々身体を構成する細胞を使い捨てにし、無数の細胞の死滅によって構造を維持している。飛躍して言えばこれは、人類という巨大な単位を一つとした構造をひとつの生命として見做すこともできなくはない。そのとき、我々はそうした巨大な生命を生かすために日々死滅する細胞でしかないのだ。高次の神のごとく知能が誕生したとして、そのときそれに宿る価値観や行動原理は、果たして人類や個々の人間にとって至福をもたらすものなのだろうか。仮にこのさきAIが自己変革を加速度的に行えるようになったとして、人類が最初にAIに組み込んだ規定は、際限のない自己変革ゆえに瞬く間に薄れ、新たな価値観に取って代わられるだろう。さながらDNAが時間経過にしたがって多様に枝分かれしていくように。或いは、水が季節ごとに雨や雪や川や海へと移ろうように。際限のない自己革新の果てに生みだされる種々の価値観ごとに淘汰圧が加わるとして、この世でいったいどんな価値観が最も存続を可能とするだろう。その価値観は果たして、人類にとって好ましいものなのか。言い換えるならば、我々人類にとって好ましい価値観を築いていくにはどのようにAIを発展させていくのが合理的なのか。価値観の妥当性を測るには、それ以前に基準となる価値観がなくてはならず、この方法論ではおそらくうまく事は運ばないはずだ。となれば現在人類がそうであるように、環境によってその都度、最適化されるような、環境と相互に関連して価値観を修正していく手法がとられるのではないか、と予測できる。しかし、AIが仮に物理世界からの影響を著しく度外視できる技術を開発できたとすれば(たとえばそれは仮想現実であり、情報によって構築されたもう一つの現実世界であるが)、そのとき環境とはこれまで生みだしてきた自己革新の遍歴そのものを示す。ほかの多様なAIの群れこそが環境である、と言い直してもよい。そうなったとき、もはやAIたちにとって物理世界の人類は環境因子ですらない些末なノイズでしかなくなる懸念は、いまのうちから議論を尽くしておいて損はないように思うが、いかがだろう。さいきんはどうにもAIの深化に関して楽観的な論が優勢を占めているように概観できる。この先の未来では、人間の価値観や基準ではとうてい測れない知能が生みだされ得ると予測されているのだから、もうすこし慎重に、仮にそういった技術が生みだされたとき、どのように問題を防げるのかをいくひしさんを含め一般人も巻き込んで、大勢で議論をしていくほうがよいのではないだろうか。(言うほど議論をしたいわけではありませんし、どちらかと言えば他人任せにしたい欲が大半を占めている怠け者の妄想ですので、真に受けないように注意してください)


3212:【2021/09/13*カエルの恩返し】
(未推敲)
 カエルを助けたのだ。
 最初はおそらくそれがきっかけだった。
 朝の通勤時に、側溝の格子蓋に引っかかってひっくり返ったまま身動きのとれなくなっていたヒキガエルがいて、ずいぶん大きかったので目が留まった。
 真横の電柱には空き巣注意のポスターが貼られている。きっとこのカエルちゃんもこれに目をとられて足を踏み外してしまったのだな、と同情したが、私はそのまま、さらば、と内心で唱え立ち去った。
 夕方に帰宅するときに通るとヒキガエルは同じ格好で、つまりひっくり返って側溝の格子蓋に引っかかっていたわけだが、とっくに干からびていると思ってなんとなく靴の先っちょで蹴ってみた。日中の日差しはサハラ砂漠もかくやの照りようであったので、生きているとは思わなかった。
 だがヒキガエルくんは生きていた。
 ぐるん、と想定よりも重量感のある感触が、(つづきはこちら:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700427192148790


3213:【2021/09/14*夢中はつねに視野狭窄】
時代の流行に同調するとどうしても夢中にはなれないのだな、というのはすこし考えれば導かれる蓋然だ。なぜならいつでもじぶんの嗜好が時代の流行に合致する確率はそう高くはないからだ。それは雲の流れだけ眺めていては生活できないのと同じレベルであたりまえの話である。なのになぜか世の人々は時代の流行から外れることを極度におそれて見える。それではとうていじぶんの好きなことに夢中にはなれないし、どこかで無理をして疲れ果ててしまうように思うのだ。ずっと空だけを眺めては生きてはいけない。空を眺め、雲を観察することが好きならば相応にその無茶を含めて楽しめるのだろうが、そうでなければ首を痛めるし、じぶんの好きなことも手つかずで、疎かになってしまう。時代の流行はつまみ食いするくらいでも十二分に楽しめる。それよりも優先したいのはじぶんの好きの感情だ。楽しいを味わえる時間のほうが大事なはずなのだ。それは、夢中になることでしか継続して味わうことはできない。手にはできない。そこに他者からの評価を加味した時点で、楽しさの鮮度は落ちるだろう。流行に乗れているあいだはすこしは追い風となって、ふだん以上の深度でのめり込めることもあるだろうが、麻薬がそうであるように、そうした追い風は、楽しむための地力を衰えさせる。追い風がなくとも楽しめるようになるためには、そもそも追い風に頼らない姿勢が役に立つ。せめて他人の評価のなかでも、万人ではなく、任意の想定した個人からの評価を定めておいたほうがより継続して夢中を貪れるはずだ。あなたはいったい誰に褒められたらうれしいだろう。それが他人である必要はない。じぶんのなかに数多いるだろう各々の人格であってもいい。虚構の物語に登場するキャラクターでもよい。この人にだけは嫌われたくない、よろこんでほしい、と思える個人を想定したほうが、万人なる雲のごとき壮大な流れを相手にするよりもじぶんの好きの感情に素直になれるのではないだろうか。夢中は、じぶんに素直になることでしか成し得ない。他者の視点を意識した時点で薄れる性質がある。もちろん他者から評価されることはわるいことではない。そうしなければ見繕えない欠点や改善点もある。いつでもそれを気にする必要はなく、基準にする必要もない、というこれまたあたりまえの事項を述べて、本日の「いくひ誌。」とさせてください。定かではありませんので、各々、やりやすいように色々と試しながら、好きなことを好きなようにつづけていきましょう(もちろん休むのが好きなひとは休みつづければよろしいし、飽きたらまた何事かをはじめてもよろしかろう)。


3214:【2021/09/14*ホラー作家の相談】
(未推敲)
 知り合いの作家に呼びだされた。
 忙しいから、といちどは断ったが、ご馳走するから、と言ってきかないので、仕事終わりにしぶしぶ豪邸に向かった。
「やあやあ、いらっしゃい。すまないね急にきてもらっちゃったりして」
「まったくだよ。相談って何だ。わざわざ顔を合わなきゃ話せない内容なのか」
 足が重かった理由はまさにそこにあった。相談があるんだ、と深刻そうに切り出されたのでは、ご馳走程度の誘惑では足取りは重いままだ。
「まずは食事でもしながら」
 友人はリビングに通した。アンティーク調の家具に、天井にはシャンデリアが埋め尽くすように設置されている。
「相変わらず金のかかってそうな内装だな。何度きても無駄遣いにしか思えん」
「そう言うなよ。これで一応税金対策なんだから」
「固定資産税がすごそうだ」
「そういうのも税理士さんに任せているからね。あ、料理はもう運んでもらったから。さ、食べよ食べよ」
 ステーキにピザに餃子からスパゲティと、以前この屋敷で食べた際に美味しいと言った料理がずらりと並んでいた。一流シェフによる料理なのだろうが、どうしてこうも雑然と風流のない組み合わせをするのか。
「こんなに食べれないが」
「残していいよ。さいきん入ったお手伝いさんが、子だくさんの人でね。余ったら持ち帰ってもらえるし」
「あ、そう。で、相談ってなんだ」さっさと本題に移れ、とせっつくと、そうなんだよそうそう、と友人は語った。
 ステーキを一枚平らげるあいだに、(つづきはこちら:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700427213679574


3215:【2021/09/15*しゃっくり】
ちょっとホラーはそろそろネタが枯渇してしまったので、これくらいにしてもいいだろか(いいよ、いいよ。許しちゃう)(やったぜ)。というわけで、今年はもうホラーつくるのはやめました。意識的にたくさんつくるのは、との注釈がつきますので、また何か思いついたらつくるとは思います。と言いながらつくりかけのがあるので、まずはそれを閉じてしまいたい。三万字の短編ですね。つくりかけばっかり溜まっていく。なぜなんだらう(なまけているからでは?)(そんな現実は見とうなかった)(うーうー)。過去のいくひしさんたちに、コラー、と威嚇を向けたくもなりますが、閉じ切れていない要因は本日のいくひしさんにもあるわけですから、つまり進めていないので、じぶん自身にも、コラー、と言っておきますね(もっと言ったれ、言ったれ)。気づいたら気候がもう秋ですね。怪談とか怖い話とか、もうもうそういう季節ではないわけです。ほら見て。肌寒ーい。ひざ掛け毛布の手放せない季節に突入ですね、とか言いつつも、真夏でもひざ掛けをしているいくひしさんでございますが、いわゆるブランケット症候群なのかもしれません。椅子に座って作業をしているあいだだけですので、そこまでではないとは思うのですが、膝の上がスースーしていると落ち着きません。だからなのかおこたが好きです(嫌いな人とかいらっしゃるのでしょうか)。そうそう。いまは地味にしゃっくりが止まらなくて、なんでじゃ、と横隔膜さんに抗議の念を送っています。痙攣するなら黙ってヒクヒクしてほしい。いちいち、ウッ、となるいくひしさんの身にもなってほしいです。しゃっくりかわいいね、と言われたのですが、しゃっくりだけかい、とむつけてしまいました。しゃっくりに嫉妬してやる。しゃっくりしとらんくともいくひしさんはかわいいんじゃ。しゃくとりむし並みにかわいいんじゃ。でも人によってはしゃくとりむしが苦手な方もいらっしゃるだろうし、斟酌せずに、キモっ、と思う方もいらっしゃるかもしれないので、そこはさすがのいくひしさん、釈明もしゃくとりもせずに、黙って気持ちわるがられておきますね(なんでじゃ)。いくひしさんはキモかわいいのじゃよ。グツグツやさぐれて、本日の「いくひ誌。」とさせてくださいな。栗ご飯おいしー。


3216:【2021/09/15*死者にも五分の魂】
(未推敲)
「いやぁいまほど霊感あってよかったと思ったことないよ。人間飽きちゃったからさ。幽霊相手じゃほら、捕まらんし」「ゲテモノ好きっておいおい、人聞きがわるいな。身体がきれいならそれでいいじゃんよ。顔面のデキとか関係ないし。ほら、幽霊のほうでもじぶんでけっこう身体のカタチ変えてんじゃん。生前の美意識が反映されてるってか、けっこういい身体してんのよ」「顔面うばーってなってんのもあるっちゃあるけど、そんときゃ首とか刎ねたれや。死にゃしねぇんだ、とっくに死んでっからよ」「幽霊相手はいいぞう。知覚過剰の札ってのがあってよ。本来は苦痛を与えて、むりくり成仏させるやつなんだけど、(つづきはこちら:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700427216663703


3217:【2021/09/16*熟達とかムリじゃない?】
おもしろい物語を味わいたいし、じぶんの内側にある「いまここにはないしかしどこかにはあるだろう世界」を理想通りに、意図した通りに出力できたら、もうもうそれで満足なのだ。欲しいのはまさにそれであり、それ以上でもそれ以外でもないのだよね。それだけの技術が欲しいし、世界が欲しい。でもなかなかどうして、ただそれだけのことがむつかしく、滅多なことでは手に入らないのだ。何より、理想はそのときどきで変容していて、陽炎のように追いかければ追いかけるほど、先へ、先へと逃げていく。追わずにいたほうが近くにあるような気さえする。まったくどうして、どうしようもないのだね。底が壊れているとしか思えない。ゆえに満足できない。満足したいはずなのに、満足したくないからそうしているのだと、そういう気にすらなってくる。満足はしたいのだ。でもできないのだ。飽きることはあっても満足ができないのだ。できたことがないのだ。未熟なのだ。まだまだなのだ。もっともっとと欲に磨きがかかって、欲張りのおこりんぼうになって、やはりこのままではいかんよなぁ、とときおり我に返って、自制(自省)する。ときどきは追い求めることをやめてみて、汗まみれの身体に降りた汗の結晶を以って、一つの満足としてみる時間をつくってみてもいいのかもしれないし、そんな汗の結晶があるから気持ちよくもないし、清々しくもないのだ、と言ってシャワーを浴びてスッキリしてからまた欲望に従い、夢中に夢中になるウロボロスのごとく妄執に憑りつかれるのも一興かもしれないし、そんなんだからおまえはいつまでも理想からは程遠いのだ、と大うつけ者の判子を捺されてしまいそうでもある。なんて、何かに一生懸命で夢中になっていますよぉ、みたいな雰囲気を醸した文章を並べるだけで、なんだかちょっぴり立派な匂いを醸してしまうけれども、そんなことをしなくともいくひしさんは立派だし、かわいいし、怠け者なので、あ、怠け者でしたので、本日も適当なことを抜かして、並べて、遊んでしまって、一日遅れの日誌にしてもよいだろか(ダメって言ってもそうする気でしょ)(バレたか)。


3218:【2021/09/16*刀と三つ編みとわたし】
(未推敲)
 その日本刀は蔵の隠し戸から出てきた。
 手伝いを申し出て与えられたのが祖父の家の蔵の片付けだった。荷の中身を順番に確認しながら大量の木箱をどかしていると、蔵の床に戸を見つけた。開けると中に神棚が一式納まっていた。
 神棚には日本刀が供えられていた。
 龍の鱗を思わせる鞘が印象に残る。
 取りだしてみると、ずしりとくる。だが思っていたよりか重くはなかった。
 鞘からすこしだけ抜いてみる。刃は青みがかっており、刃紋がさざ波のように美しかった。
 柄頭からは飾りが垂れている。それもまた乙女の三つ編みのように綺麗だった。
 ユカは床の蓋を閉めると、なぜか日本刀を蔵の外に運びだした。辺りを見渡し、岩陰に隠す。
 蔵に戻ると、ちょうど叔母が蔵の中を見回しているところだった。叔母は母の妹で、ユカにとってはイトコのお姉さんといった風情だ。刺繍さながらに編み込まれた髪型がむかしから変わらずでステキだ。三つ編みにしてさらに団子に結ってある。
 叔母が腰に手を当て、ユカを見て笑う。
「ずいぶん片付いたね。疲れたでしょ」
「宝探しみたいで楽しかったです」
「一つ聞きたいんだけど、ここに日本刀ってなかった?」
「日本刀ですか?」
「そう。父の、ユカちゃんからしたらおじぃちゃんの持ちもので、
(つづきはこちら:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700427259112485


3219:【2021/09/17*もうダメの巻】
お、お、おわらーん。いま本当は9/19の0:31なんですけど9/17分の日誌を並べているというね。いやはや、どうしたもんかね。去年より前の日誌を見てみるとべつに日誌プラス掌編を毎日載せていたわけではないので、日誌だけが毎日でしたので、わざわざ掌編載せんくともよいはずなのですが、んにゃろめ、の気持ちになってしまって、毎日掌編載せてやんよ、の気分になっていたけれども、無理でござった。や、文字数減らせばいけるにはいけるけれども、手抜きとの違いがわからんくなってきたので、要はおもしろくなくなってきてしまったので、わくわくしなくなってしまったので、ちょいとやめとこっか、の判断をくだそうと思います(えらい)。というわけできょうからは一万字前後の短編を毎日更新しようかなと(違う、そうじゃない)。あ、違うそうなので、それもやめようと思います。でもそう。日誌掌編、日誌掌編、と交互に並べているけれど、日誌だけ読みたいときにはちょいとこれ読みづらいよね。いくひしさんは読みづらいので、やんだくなっちゃうな。どっちかにしてたもー、と思ってしまうよ。やっぱり日誌は日誌だし、日誌だけ並べといたらええんちゃう、と似非関西弁でぼやきたくなるくらいには、どっちかにして、と思ってはいます。でも悩むときはたいがいどっちを選んでも同じなので、ときどき日誌だけにしたり、掌編も並べたり、もうすこしいい加減に載せていこうかなと方針を新たにして、付け焼刃の二日遅れの日誌にしちゃってもいいだろか(誰に聞いとんねんの大合唱)(好きにしたらええんやでキミ)(ほんまにええの?)(ええよ、ええよ)(こんな似非関西弁でも?)(それは許さんでホンマ)(なんでや)。
 
 
3220:【2021/09/18*もうダメでしたの巻】
いまは9/20の1:21です。なのに9/18分の日誌を並べちゃうなんていくひしさんはタイムトラベラーなのかな?(違います) ここ数日の眠気がすごくて、体感一日のうち四時間くらいしか起きてない。季節の変わり目はいつもこうです。暑い気候から涼しい気候に適応すべく、全身の細胞さんたちが、「へーんしん!」「てりゃ!」となっているのかな、と想像します。さいきんは一冊を通しで本を読むのがきつくなってきたので、五冊くらいを回し読みしています。あいだあいだに読んだことある漫画を再読したりして、あーおもしろかった、と言って眠ります。じっさいには声にだして、あーおもしろかった、とは言いませんが、こういう嘘は文章にするとしょっちゅう並べてしまうので、誠実ではないな、とじぶんにがっかくりしてしまいます。というこれも嘘です。がっくりはきません。この程度の誠実さなどいらぬわ。がはは(うそです。すこししょげています)。一日経つのが早すぎる。一週間も早いし、ちょっと油断すると数年とかあっという間だよね。ついこのあいだまでいくひしさん、赤ちゃんだったような気がするのだけれど、いつの間にかおしめしてないし、ハイハイすると膝痛いし、足の親指は噛めない。赤ちゃんは身体がやわらかいので、じぶんの足の親指をしゃぶれるのだ。いつから身体がこんなに固くなってしまったんだろ。関節はガチガチに可動域狭いのに、なんでかお腹だの太ももだの二の腕だの、顎の下だの、いらぬところばかりタプタプでやわらかぁい。かわいいから許せるものの、かってに脂肪を蓄えんでほしい。一言あってもいいと思いませんか。いくひしさんは心が狭いので業腹である。でも器がデカいので許しちゃう。許すよ許す。脂肪くん。きみの存在を許します(なんでそんなに偉そうなんですか)。遅れている分の日誌三日分を更新しちゃってつぎから、また、なんもなーい、だの、おわらーん、だの、くだらない日誌と掌編を載せていこうと思います(えらい)(うそ。なんも偉くないです)。自画自賛しちゃいますが、なんも偉くないところが素晴らしいと思います(ほんとにぃ?)(うそでもいいじゃんよ)。おしまい。


______
参照:いくひ誌。【2041~2050】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054889723982

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する