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いくひ誌。【3191~3200】

※日々、見せたくないこと、知られたくないこと、気づきたくないことばかり内に溜まる。


3191:【2021/09/03*ステキ】
じぶんで何かを表現したり、生みだしたりするよりも、世界に溢れるステキなものに気づき、触れて、味わうほうが楽しいに決まっている。それでもときどき、じぶんでも何かを生みだした気になりたくなってしまって、でも何も生みだせないもどかしさが、めりめりっとひねくりだされているのかもしれないし、ころんと呆気なく零れ落ちているだけかもしれない。ともかくとして、できるだけたくさんの世界に溢れるステキなものに触れたいし、味わいたいし、気づきたいのだ。えぇー、そんなところにこんなステキなものがあったんですかー、みたいな驚きを、本来ならばいつでもそこここに抱けるはずなのだが、我が身が拙いばかりに、底が浅いばかりに、無知に蒙昧に、微妙にそこはかとなくかわいすぎてしまうばかりに、ほかのそこここに散在するステキなものが霞んでしまって、見えなくなってしまっていて、取りこぼしてしまっているのだよね。もっといろいろと感動できるはずなのに、その能力がまだまだ開拓されていないので、麻痺してしまっているので、根っこが届かずに、ステキ養分を吸えないままなので、あーん、と悶えたくなってしまうな。でもいま触れて味わって気づけているステキなものたちに出会えているだけでもたいへんに幸運で、うれしくて、満足してしまっているので、もうすこし貪欲になりたいな、ということなのかもしれないし、まだ欲を張るつもりなんですか、の呆れをしれっと受け流しているだけかもしれないし、どちらにしたところで、ほとほと贅沢な環境にいるのだよね、という感謝とも自慢ともつかぬ自堕落を吐露して、できればもっとステキな表現に創作に構造に情報に触れたいのだよなぁ、味わいたいのだよなぁ、気づきたいのだよなぁ、と欲の底を突き破って、ただただ世界を余すところなく、感受したい。できれば手間をかけずに、同時に、重ねて、まるっと全部を映画や漫画を楽しむように(なんて贅沢な望みなんざましょ)。


3192:【2021/09/03*逃した魚は惜しい】
(未推敲)
 学校に遅刻しそうになって慌てて駅に飛びこんだ。いつもと違う時間帯だからプラットホームは混んでいた。
 長蛇の列に並んでいると、友人からテキストメッセージが届く。どうやら同じ駅にいるらしく、いっしょにいこう、とお誘いだ。
 どの道、遅刻は決定的だ。教師のお叱りを受ける道連れは多いほうがよい。
 場所を訊ねると、いちど上までこい、という。いつになく偉そうだな、と不満をぷりぷりお尻に垂らして、階段をのぼり、渡り廊下に立つと、友人が小走りで掛けてきた。抱きつかれて驚く。
「なになに、そんなに寂しかったん」
 友人は無言で顔を離すと、メディア端末の画面を見せた。なぜか友人は涙目で、画面には線路から距離を置いて、一人だけぽつねんと佇んでいる私の姿があるばかりだ。
 渡り廊下からプラットホールを見下ろす。
 混雑していたはずが、そこには人っ子一人いない。
 アナウンスが響いた。
 特急電車がまいります。線路の内側までお下がりください。
 私は目を疑う。
 先刻までいなかったはずの真っ黒い影が、プラットホームにずらりと浮きあがって視えた。
 影は列をなし、心なし、こちらを仰ぎ見ている。
 特急電車が駅構内に高速で突入したところで、影たちは順々に線路のうえに消えていく。さも、そこに電車の入り口があるかのように滑らかな動きだった。
 もしじぶんがそこに立っていたら。
 特急電車が秒で駅を通過する。
 同じように影を追って線路に突っこんでいたかもしれない。
「ありがとう」私は友人に礼を述べた。
「ダメだよ」友人は鋭く言い放つと、私の身体をぎゅうと抱きしめる。「これはあげない」
 振り返ると、私の背後に、例の影がぼんやりと、しかし明瞭に人型の輪郭を伴なって立っていた。
 友人がもういちど叱り飛ばすと、影はいちど大きく揺らぎ、姿を霞ませた。
「なに、いまの」
「いいの。気にしないで」
「電車、乗る?」これからまたあのプラットホームに下りる勇気はなかった。
「バスでいこ」友人は私の手を握る。
「くるの一時間後だよ?」
「じゃあもう午前はサボっちゃお。パフェとか食べてこうよ。ね」
 私はしばし考え、そうすっか、と諦めの笑みを浮かべる。教師には、なんと言い訳をしようか、と考えながら。きっと本当のことを言っても信じてはもらえないのだろう、と友人とのあいだにできた秘密に、すこしばかりのくすぐったさと怯えを覚えつつも、なぜか湧きたつ陽気を噛みしめて。
 プラットホームを見る。
 影たちがまた、ぼんやりと浮かび、消えた。


3193:【2021/09/04*あんまり並べたくはないけれど】
ワクチンは打ったほうが好ましいが、そもそもを言えば、ワクチンを打たない者がいたとしても問題ない都市設計を築いていくほうが、正攻法と言えるのではないか。身内のことはなるべく並べたくないが、祖母は高齢者で、過去にインフルエンザワクチンやその他の薬剤投与で体調を長期間崩したことがあるために、接種会場の医師にてこたびのワクチン接種にストップがかかった(現在常飲している薬との兼ね合いもあるのだろう)。そういう個人が一定数社会にはいる。そうでなくとも、ワクチン接種の同調圧力をつよめたり、強制したりするのは公共の福祉のうえでも好ましくはないと考える。とはいえ、ワクチンが害悪だ、という風潮も、このところ若い世代(二十代~三十代)の一部界隈で顕著に目立ってきた。ワンピースの空島編を読んだことがある者は、カルガラとノーランドの交流を思いだしてほしい。疫病に対抗するのにワクチン(抗体をより安全に身に着ける手法)は効果が絶大なのだ(※1)。ワクチンは万能薬ではない、との意見はその通りだが、この世に万能薬は(いまのところ)一つもないこともまた事実である(どんな薬も万能薬ではない)。メリットとデメリットを比べて、メリットのほうが大きければ、その術を選ぶのが合理的判断の意味だ(よりメリットの大きいほうの術を選ぶ、という意味です。或いは、デメリットのより少ないほうを選ぶ、と言い換えてもよいでしょう)。デメリットだけを強調したり、或いはメリットだけを強調する言説には、どういう意見であろうと気をつけておいたほうがよいだろう。個人的には、ワクチン接種を推進したいがあまりに、そうでない異論に対して、聞き耳を持たずに、小馬鹿にしたり、デマの一言で一蹴したりする者たちの悪影響で、却ってワクチン接種忌避の流れが強化されて映る。誰に対しても、どんな言説に対しても、誠実に対応してこそ、より合理的な判断への合意を得られるものではないだろうか。ワクチンにもメリットとデメリットがある。何にでもそれはある。打たないリスクと、打ったときのリスクを比べてみて、打ったほうがリスクが高くなる(じぶんにとって好ましくない未来が訪れる)、と判断できたならば、打たない道もあってよい。ただし、現状では、多くの医療従事者や保健所職員の高い負担があってこそ保たれている身の安全であることを知っておいても損はないだろう(疫病による社会のしわ寄せを、一身に引き受けてくれている者たちがあるからこそ、その他の大勢は、のほほんと、三密回避やマスク装着程度の対策で安全に生活できているのだ)。ワクチンを接種して身体に変調をきたすリスクよりも、飲酒や喫煙を何年も継続して嗜好することで身体に変調をきたすリスクのほうが高いのだ。まずはそこのところから認識を改めてみてはいかがだろう(ワクチンを打たない判断をしてもよいが、だとしたら酒や煙草もやめてみてはどうだろう)(ちなみにこれは皮肉です)(誠実でない対応の例とも言えます)。繰り返すが、各国は、ワクチン接種だけに打開策を預けるのではなく、ワクチンを打たない者たちの安全も確保できるような都市設計をいまからでも築いていくほうが好ましいのではないか、と意見を述べて、本日の「いくひ誌。」とさせてください(言い換えるならば、そもそも疫病が広範囲に急速に広がらないような都市設計を国際的に築いていくことが求められているのではないか、との懸念です)(ワクチンがあるから、特効薬ができたから、といって社会構造をそのままにしていれば、また別のウィルスによって同じことの繰り返しが起こる確率のほうが、起きない確率よりも高いのではないでしょうか)。(※1:ノーランドが患者たちに投与していたのはワクチンではなく特効薬でした。注射による投与の描写があったため、ワクチンだと勘違いしておりました。比喩に使うには不適切だったようです。いつも以上に適当なことを並べてしまいました。申し訳ありません。2021/09/08追記)


3194:【2021/09/04*騒音の主】
(未推敲)
 マンションに住んでいると、イチャモン紛いの苦情を入れられることがある。たとえば異臭だとか騒音なんかはよくある苦情だ。
 真実にじぶんに瑕疵があるならば呑み込めるものの、そうではない他人の問題を、濡れ衣よろしく被せられることもある。
 じぶんでも気づかないうちに、問題の事象とは無関係の住人に不満を募らせてしまっていることもあるだろう。そうした失敗をしないようにと、注意深く暮らしている。
 そのお陰で回避できた苦情もある。
 一つに、上の階の住人の立てる物音がある。
 夜な夜な、子どもの足音がバタバタとうるさいのだ。しかし真上の部屋は空室である。子どもの足音はおろか、住人の生活音とて聞こえるはずもない。断るまでもなく、心霊現象の類ではない。
 部屋と部屋のあいだに開いた空間のせいで、音が曲がって聞こえるのだ。
 もしも真上に住人が入っていたら、そのことに気づかずに、理不尽なクレームを入れてしまっていたかもしれない。気づけてよかった。
 だが真下の部屋の住人はそこまでの頭を働かせられなかったようだ。管理人に、足音をどうにかしてくれ、と苦情を入れたらしい。
 じかに管理人から注意を受けたが、これこれこういう事情で、きっと要因は別ですよ、と教えてあげた。我ながら親切だ。
 いちどはそれで引き下がった管理人だが、数日後にふたたび訪れた。
 やはり我が部屋から足音がするそうだ。この階にほかに子どもを育てている家庭はないという。
 だが私とて独り身だ。
 子どもはいない。
 かように言い張ったが、(つづきはこちら:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700426917163403


3195:【2021/09/05*浅い妄想】
たとえば南国の孤島に一人で暮らしていたとして、そのときに日誌をつけていたらどんなことを並べただろう、と想像してみると、案外、日々の生活の工夫や閃きのメモばかりになりそうだ。どこどこの入り江では魚が獲れやすい、数か月前はそうでもなかったので、時期によって魚たちの生息域が変わるのかもしれない。みたいな感じだ。植物日誌になりそうだし、生物日誌になりそうだ。それ以外にも、天候についての考察を並べるだろうし、食べて美味しかった食材や、食後の体調の変化など、事細かくメモしたい欲求に駆られそうだ。目下の懸案事項として、ノートには限りがあるので、紙とペン代わりとなる道具の開発にも明け暮れそうだ。火の扱いはどうなるだろう。病気になったときの対処法が不明瞭なので、つねに不安と闘っていそうだ。ということは、日誌にもそういった内心の吐露が増えるかもしれない。おそらくは、こうした「いくひ誌。」で並べているようなことはほとんど並べないだろうし、小説もつくろうとは思わなくなってしまうのかもしれない。いや、どうだろう。却っていまよりも虚構世界の創作にかかりっきになるだろうか。いくひしさんの創作の中核にあるのは、さびしさなのだろうなぁ、となんとなくぼんやりと自己分析しているので、寂しさが増えれば、創作に向き合う時間も増えそうだ。そういう意味では、いまはあまり寂しくないのかもしれない。舞台が南国の孤島ではなく、誰もいなくなった無人の都市だったらどうだろう。これは孤島よりも寂しさが募りそうだ。どこかには人がいるかもしれない、との希望が、焚き火の熱のごとく胸の奥底にじんわりと寂しさを広げそうだ。南国の孤島のほうがそういう意味では、孤独を感じにくいのかもしれない。諦めが早々につく、と言い換えてもよい。とはいえ、どちらがより死の恐怖に怯えつづけなければならないか、と言えば、これは明らかに南国の孤島だろう。文明の恩恵をいっさい受けられない、というのは、なかなかの恐怖だ。そこかしこを虫が這いまわる不安がないだけでも、安心の意味合いで都市に一人きり取り残されて生きるほうが雲泥の差で安心できると言えそうだが、住めば都ではないが、慣れてしまえば、いま思うほどには南国の孤島生活もそれほど差はないのかもしれない。きょうもきょうとて並べることがなかったので、いまとは違う環境で日誌を並べたらどうなるだろう、と浅い妄想を並べた。本当に浅くてびっくりしたけれども、南国の孤島で暮らすならば、浅瀬で魚や貝を獲れれば充分だし、沖合いにでるのは危険だろうから、これでよいのである(何がだ)。おしまい。


3196:【2021/09/05*眉の娘】
(未推敲)
 きょうこそミカさんに告白しようと思って、学校帰りにあとを尾行(つ)けていたら、ミカさんの背中から、ころん、と何かが転がり落ちた。
 なんだ、と目を凝らす。
 髪の毛が千切れたようにも、あるはずのない尻尾が剥がれ落ちたようにも見えた。ともかくソレはミカさんが落としたもので、私は素早くソレを拾いに走った。
 面をあげると、沈む夕陽に染み入るようにミカさんが遠ざかっていく。
 私は逡巡した挙句、せっかく固めた告白の覚悟をふにゅりと歪めて、きょうは家に引き返すことにした。
 手の中には、黄土色の卵のようなものがある。ミカさんの落し物だ。
 私はふわふわと夢心地のように、地面から三十センチは宙に浮きながら帰宅した。どうしよう、と顔がほころびて仕方がない。
 宝物を拾ってしまった。
 着替えもせずにじぶんの部屋のベッドに寝転び、子猫を顔のまえに抱き上げるようにして、拾ってきた宝物を、ミカさんの落し物を、掲げる。
「なんだろう、これ」
 掌に包みこめる大きさだ。光沢がある。一見すれば金の卵のようだが、表面には無数の皺が寄っており、アボカドに似ていなくもない。
 ひどく硬い。
 握りつぶすことはできないが、たとえできたとしても、せっかくの宝物を潰したくはない。
 私はそれを後生大事に胸に抱きながら、ベッドのなかで刺激的な妄想をして、すこしだけ体力を消耗した。
 そのまま寝てしまったらしく、夢心地に、(つづきはこちら:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700426920626771


3197:【2021/09/06*並べることがなかったもので】
新人賞の下読みで、いちど落選した原稿をほかの新人賞に使い回すことについて、それはいかがなものか、と物申している下読みの方がいた。この手の問題は、いくつかの瑕疵が別々の層にかかっていることを度外視して議論されるので、まとまるものもまとまらなくなるように思っている。レイヤーが違う、という言い方をするといまふうになるだろうか。たとえば新人賞の規約にそのような禁止が書かれているのか、をまずは確認しておいたほうがよいのではないか。とくに記載されていないのならば、使い回しを理由に評価を下げるのは不当だと言えよう。最終候補に上がってきた原稿を、いちどほかの新人賞で最終候補に上がって受賞しなかったことを理由に排除するのならば、それは理に合わない判断と言える。ほかの賞でも最終候補にのぼるくらいなのだから、もはやその作品の実力は示されたも同然ではないか。拾いあげてさっさと世に問えばいい。それから、使い回しが忌避される理由が、新人の生産力に疑問が生じるから、という趣旨の主張がみられるが、そもそも新人賞は、原稿の良し悪しを測っているのであり、新人の力量を見ているわけではないはずだ。いやいや新人の力量を見ているのだよ、と反論が飛んできそうだが、そうした反論を呈する者の言う力量とは何なのか。おもしろい物語を編めることを言うのであれば、そのときどきに送られてくる原稿をただ評価すればいい。そうでない場合、それは学歴で判断するとか、作者の性別で判断するとか、顔のよさで、年齢で、職業で、人種で、特技で、SNS上のフォロワー数で、と作品以外の要素で評価することと何が違うのか、といまいちどよくよく考えを煮詰めてみてはどうだろう。生産力とは言うが、たくさんつくれるか否かなど、長生きできるかどうかや、お金に困らない生活を送れているかどうか、といった環境の要素のほうがはるかに生みだせる作品の数に関与する。たかだか数年のあいだに何個作品をつくれたか、など、そんなものは作家の力量とはなんの関係もない。あったとしても極々微量な相関関係にすぎない(だいたいにおいてたくさん作品がつくれたからといって何だというのか。個々の作品の出来と関係ないではないか)。他方、使い回しの問題には、コストの面での隘路がある。小説は一作を読むのに時間がかかる。下読みにかかる負担がほかの表現物に比べて高い傾向にある。もしこれが絵画や漫画の新人賞ならば、使い回しは、小説ほどには口うるさく言われないはずだ(憶測です)。要するに、小説の場合は、ビジネスとして儲からないので、できるだけ下読みの数を減らし、それでいて一人当たりに読んでもらう作品数を多くする傾向にある。使い回しが増えると、投稿数が増えるので、下読みの負担もまた増える道理だ。しかし本来ならば、下読みの数を作品数に比して増やせばいいだけの話だ。それができないのは、やはりというべきか、資金に限りがあるからだ。下読みの数を増やして新人を発掘するのは、コストに見合わない。割に合わない。かけた分の資本を回収できない。端的に損なのだ。むろん現状とてさほどに利益はでていないだろう。下読みにしたところで、労力に見合った報酬は支払われていないのではないか。ゆえに、負担が増えることをことほどに忌避する。やってられるか、というやつだ。だがそれは主催者側の都合だろう。規約に書かれておらず、原稿の出来だけで評価せず、さらには主催者側の都合で言いがかりをつけられ、それをさも常識知らずのように非難されたら、もうそのような価値判断を採用する者たちに作品を読んでもらわんでもいいです、と思う作家が増えても致し方ないのではないか。作家にはそれぞれに想定している読者がいるはずだ。下読み含め、あまたある新人賞の審査員たちのなかに、想定している読者が一人もいないと感じられたら、もはや文芸と呼ばれる界隈に近づこうとは思わなくなるのではないか。悪意のある新人賞関係者がいるなんて本気で考えている物書きはそう多くはないはずだ。だが、悪意のあるなしに関係なく、どこを目指し、何を見据えているのかを共有できなければ、新人賞に受賞する意味も、プロになる意味も、色合いを薄めてしまうものではないだろうか。新人を発掘したい側も、新人側も、大金を稼げればいい、と考えているのならば、べつにそれで構わないのかもしれないが、いやはや、そもそも小説をつくるだけで食べていける時代ではない事実から目を逸らしてしまうような者には、大金を稼ぐ真似などできないのではないか、と老婆心ながらご心配さしあげて、本日のいじわるな日誌、「いくひ誌。」とさせてください。(上記、憶測まじりの野次ですので、真に受けないように注意してください。反論があるならば、べつにしてもらってもそれはそれで構いませんが、されたところで、はぁ、そういうものですか、貴重なご意見ありがとうございます、と納得して終わりになるかと思います)


3198:【2021/09/06*宝剣のとどめ】
(未推敲)
 魔王のせいで世界がこうまでも荒廃しているのだ。
 私は伝説の宝剣を手に、魔王討伐の旅に出た。
 三か月の激闘の末、魔王を討ち取ったが、その後、魔王の城を漁って判ったことだが、魔王はひそかにこの世に溢れた邪心を集め、一身にそれを背負いこんでいた。それでもとめどなく溢れる邪心を、せっせと子分の魔物たちに肩代わりさせ、それでも集まりつづける邪心を凝縮して、魔王ですら劇物に値する結晶にしてなお、それを呑み込み、世のため、人のために、人知れず苦しみ、人類社会を救っていた。
 私は伝説の宝剣を魔王の胸から抜く。
 代わりに邪心の集まる宝玉の口にそれを突き刺した。
 滾々と湧いた邪心はシンと鎮まり返り、都という都からは日に日に、怒号に悲鳴が巻き起こる。


3199:【2021/09/07*上澄みの賢さ】
城の柱のヒビを見つけて、これは危険だなんとかしたほうがいい、と忠告できる者は相応に賢こかろうが、土台を穿り返してもみれば、まずは城がなくてはそうした忠告を挟む余地も生まれない。世の中のたいがいの忠告や指摘や批判というものは、それ以前に柱となる基盤を築いてきた者たちの膨大な労力と蓄積と足跡があってこそ成り立つ、上澄みの薄皮のようなものでしかなく、どのような批判とて根元を穿り返せば、それらヒビの走る余地のある仕組みをつくりだした先人たちの多大な来歴なくしては、砂上の楼閣ほどの価値も生じない。妄想ですらない。虚空に向かって、ここには何もないではないか、とつぶやくよりも無意義な寝言と言えよう。そういう意味では、基盤の仕組みを理解もせずに、上澄みの批判だけするよりかはまだ、いまここにはないがいずれあったほうが好ましい理想を唱えるほうが、いくぶんマシと言えそうだ(定かではありません)。


3200:【2021/09/07*虐殺スイッチ】
(未推敲)
 道端にリモコンが落ちていた。薄い金属の板にボタンが一つだけついている。日の丸弁当じみている。
 僕はそれを拾い、通学中だったこともあり、学校に持っていった。
 しばらく逡巡していたが欲求に抗えずに授業中に押してしまうと、クラスのいじめっこが勃然と消えた。
 教室は騒然となったが、僕は目のまえがぱっと光に包まれた。黒板や机や窓の外の街並みに色が宿って感じられた。
 家に帰ると、母がまたあの男に殴られていた。僕とはなんの関係もない男だが、母はなぜかそいつを家に入れ、布団にいっしょに潜り込み、ときに二人だけで出かけた。
 僕は拾ったリモコンのボタンを押した。
 例の男が目の前から消えた。
 母が泡を食って取り乱したが、僕はいよいよ昂揚した。
 それからというもの僕は、(つづきはこちら:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700426931825790


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参照:いくひ誌。【2631~2640】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054894959475

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