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いくひ誌。【3141~3150】

※日々、分厚い膜越しに叫んでいる、声も光も何一つ、歪んで、ねじれて、届かない。


3141:【2021/08/09*可視化されぬ声】
SNSを眺めていて思うのは、十代以下の子どもたちの声がまったく可視化されていない点で、せっかくインターネットという現実とは異なった性質の舞台があるのだから、もっと子どもたちがいま何を思っていて、どんなふうに世界を捉え、何に期待し、何に困り、何を楽しみに生きているのかを知りたいのだよね(十代以下という事実を隠して発言している者もなかにはもちろんいるだろうし、年齢制限で十代以下は使用不可となっているSNSもすくなくはないのだろうけれど)。世の中、たいへんだ、たいへんだ、とおとなは言うけれど、べつに子どもたちがそういう世界にしたわけではないのだから、我々上の世代は、もっと下の世代の声に耳を傾ける機会を増やすように働きかけてもよいと思うのだけれど、みなさんはどう思われるだろう。本当にこの間、ここ数年の怒涛の混乱のさなかにあって、子どもたちの暮らしがどういうふうに変化し、その変化をどう捉え、何を思い、何を知らずにいるのかを可視化できる舞台や土壌があってもよい気がするのだよね。各種メディアがそういったアンケートなんかを実施していたとしても、まったく話題になっていないし、すくなくともいくひしさんは知らぬままなのだ。それは高齢者の声にしたところで同様で、インターネット上で可視化される声というのは、いわば拡声器によって声量をあげてもらった極々一部の声にすぎないのだよね。それもかなり偏って結びつけられた声だという点は、当の声を上げている者たちほど忘れがちに映るので、もっとみなで耳を澄まし、表層にのぼらずにいる水底に沈んだ声を掬いあげる仕組みを備えてもよいように思うのだけれど、そういったシステムの開発を目指している企業ってないのだろうか。世の中というものに置いてきぼりにされ、意見を反映することもできずに、大衆とすら見做されない、不可視の層の声を、意見を、考えを、インターネットの各種SNSさんやらメディアさんやらには拾いあげ、可視化し、目や耳を傾けることのできる舞台を、土壌を、築いていってほしいなぁ、とさいきんはぼんやりと思っています。(おまえが欲しいのだからおまえがつくればええやないか、と似非関西弁で怒られてしまいそうなので、思うだけに留めておきます)


3142:【2021/08/09*神はほくそ笑む】
(未推敲)
 ミサコ様がでた、と騒ぎになったとき、私は妹の面倒を看るので要領一杯で正直、それどころではなかった。
 谷向こうの村人たちがこぞって我が村に避難してきたが、私はただただ、避難民のなかに私と同い年の子がいないだろうか、と願っていた。私よりも立場が弱く、それでいて物心のついた子がいたならば我が妹の子守りを押しつける気満々だったが、期待は呆気なく裏切られた。
「あれでぜんぶ?」
「あとでくるんじゃないかな」
「あ、セミ」
 玄関口に止まっていた蝉が飛び立つ。
 妹が親指を口に咥え、はむはむとねぶる。ふしぎそうな顔つきなのは、吊り橋を渡ってくる人々が思いのほかすくなかったからだろう。
 村長一家がさきに到着していた。村人総出で避難してきた、と語っていたそうだから、避難民はもっと多いはずだ。
 だがどれだけ待っても、二十人を超えたところで人の往来はぱたりと止んだ。
「あれで全部だったみたいよ」母がその日の夜に言った。井戸端会議で共有してきた事情を掻い摘んで聞かせてくれた。
「ミサコさまってなぁに?」
 母との会話に妹が嘴を挟んだ。私は短く、「神さまみたいなものだよ」と応じたが、すかさず母が、「神様よ」と訂正した。ぱしりと頭を叩かれたが、母は怒っているのではなく、(つづきはこちら:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700426333375366


3143:【2021/08/10*もうだめだぁ】
一週間に三日くらいの割合でこの日誌、「並べてはボツ、並べてはボツ」の日がきよる。きょうはもうこれで五本目だけれども、ほかの四本がおおむね愚痴というか悪態なので、ボツにした。とか言いながら、これまでに載せてきた日誌もたいがい愚痴に悪態のサンバカーニバルやないかい、の総ツッコミが入りそうなので、いっそぜんぶボツにしたらいいと思う(なんも載せなきゃいい)(そうだ、そうだ)。もうね、なんもなーい。並べることなんかなんもないです。そもそもいくひしさん、寝て起きたらきのうの記憶がすっぽ抜けておりますので、過去がありませんので、頭空っぽなんですね。だからなんもなーいってなっちゃうのも致し方あるまいよ。みゃは。文章形態を崩す練習もさいきんサボりがちで、ここさいきんの「いくひ誌。」も全部おんなじだなって塩梅で、いやんなっちゃうな。ある朝僕は店のおじさんと喧嘩して海に逃げ込んじゃったのは、さすがにちょっと思いきりよすぎでは?(わかるひとにだけわかってもらったらよいです)。もうもう、なんもないときは連想ゲームで文章並べるしかないのよさ。あっちょんぶりけ。いくひしさんらってちぇんちぇーみたいな男の人のおくたんになりたいのよさ。ちぇんちぇーみたいな女の人のおくたんでもよいのよさ。いっそちぇんちぇーみたいになりたいのよさ。ちぇんちぇー。我々、選手一同は、いくひしまんシップを乗っ取り、広大な宇宙へと旅立つことを誓います。待て待て、飛躍しすぎでは。ちぇんちぇー、と宣誓をごっちゃにするんじゃないよまったく。いくひしまんシップって何。泥船じゃないの。乗っ取るのは勝手だけど、泥船じゃないの。乗ったら即、沈没じゃないの。ボツじゃないの。あ、ボツか。ボツじゃん。だからかぁ。きっと数々の文字を並べてきたそのときどきのいくひしさんは、きっといくひしまんシップに乗っちゃったんだね。泥船に乗っちゃったんだね。沈ボツしちゃったんだね。全ボツになっちゃったのね、って、ちぇんちぇー。いくひしさんの文才のなさも手術ちて。腕のなさから、センスのなさまで、わりゅいところじぇんぶ治ちて。ちっかりちて。コラー、ってそれはおちかり(お叱り)でちょ。ちっかりするよりもがっかりするほうが得意ないくひしさんの本日最大の悩みは、上記の脈絡がありそうでまったくない駄文をボツにするか否かにあるのですが、もうもうさっさと寝たいので、きょうの「いくひ誌。」は、キミに決めた。真実はいつもひとつ!(これたぶん、というかぜったい、あとで読み返して恥ずかしくなるやつ。わい、恥辱のプロなので知ってるんだ)(でも載せちゃう)


3144:【2021/08/10*殻に走るヒビのように】
(未推敲)
 男が家を訪ねてきた。
 一晩泊めて欲しいという。
 断ることもできたが私は彼に部屋を与えた。風呂を沸かし、食事を用意してやり、話を聞いた。
 長らく旅をしているそうだ。
 各地の情勢やら、巷説としか思えぬ物語を聞かせてくれた。
 愉快だった。
 周囲に隣家はなく、訪ねてくる者は当分ないものと考えていた。広大な土地があるばかりである。これといった娯楽もない。
 一人で住むには広い家だ。掃除とて地下室にゴミを押し込めている。
 もうしばし泊まっていったらどうか、と引き留めたが、男は遠慮した。
 翌朝、男は家を発った。
 礼にと、男は卵をひとつ寄越した。
 手のひらに載るくらいの大きさだ。鶏の卵より数倍大きい。
 食べればいいのか、と問うと、肌身離さずそばに置いておいてください、と男は答えた。
 そうするとどうなるのだ、と私は反問したが、男は低頭するだけで、応じなかった。
 景色にちいさく点となるまで私は彼を見送った。
 男の言葉を信じたわけではないが、私は卵をそばに置いた。ほかにすることもないのだ。
 地下室の掃除でも、と思うが、踏ん切りがつかない。
 卵をずっと手に持っているわけにもいかず、座っているときは膝のうえに置いた。それ以外は、ちいさな麻籠のなかに入れ、腰に垂らして持ち歩いた。
 ふとした瞬間に卵が微動することがある。卵は生きているのだ。
 七日をすぎると愛着が湧いた。
 是が非でも中身とご対面を果たしたいと望むようになった。
 ひと月が過ぎた。
 夜、寝具に寝そべり書物を読んでいると枕元に安置していた卵が転がった。立て直すも、すぐに転がる。
 いよいよか。
 私は座した。
 卵を膝のうえに置く。
 それから半刻もしないうちに卵にはヒビが走った。ヒビは内側から力が加わるたびに色合いを濃くし、ときにぴたりと合わさり見えなくなった。
 間もなく天蓋が崩れる。
 穴が開く。
 中からは、ちいさな、ちいさな人型が顔を覗かせた。
 孵ったのは雛ではない。蜥蜴でもない。
 小人である。
 私はそれを人間と見做してよいものか悩んだ。
 全体的につるっとしており、(つづきはこちら:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700426335571019


3145:【2021/08/11*あっぷあっぷ】
いや、待って。一日経つのはやくない? 息切れしすぎて半端ないんだけどだいじょうぶかな。もはや昨日の日誌をきょう並べちゃうっていうね。日付け変わってから慌てて、「あ、ヤベ並べなきゃ」の気持ちになる。もうもうこんなあんぽんたんな文章を並べてる時間すら惜しい。とくに何もしてはいないのだけれども焦りだけは募る。タダなので。きょうもきょうとて、なんもなーい。って毎日これだけを繰り返しちゃえるくらいに、特筆すべきことが何ら一つも、欠片もない。怠け者にとっては本当に最な高の日々なわけでありますけれども、いくひしさんはほんのときどき、ちょーまっじめー、になることもありーの、そうしたときには怠け者にとっての最な高の日々であると、少々コショウ大匙一杯くらいの勢いで、退屈と戦わざるを得なくなることもあるのだね。怠けると一口にいえども、日々怠け道を極めておりますと、それこそ怠けることすら怠けたくなってくるのでありまして、要は単に飽きちゃった。贅沢な悩みでございます。いつか天罰が当たると思います。ひょっとしたらすでに当たっていて地獄に落ちているだけな可能性も無きにしも非ずだが、てやんでい、住めば都が本当ならば、地獄だっていくひしさんにとっちゃ都かもしれんのや。そうなんです(なにがだ)。けっこうこれでもがんばっておるつもりなのじゃが、もうもうこの程度のこともこなせなくなってしもうただ。こうなったらいっぱい寝てやる。ぐー。そうだよ、そうそう。やっぱり毎日怠けていたい、怠慢の極致を味わい尽くしたい、きょうもきょうとて怠けることに超真面目、怠ける努力の超天才、万年ぐーすかぴっぴのへのへのもへじ、あがらぬうだつの権化こと、本日のいくひしまんでした。おやすみ。


3146:【2021/08/11*遺書】
(未推敲)
 母が自殺した。今年喜寿を迎えたばかりで、いったいなぜ、と親戚一同、悲しみに見舞われた。
 夫に先立たれ、寂しかったのではないか、と私は言ったが、みなの耳には響かなかったようだ。
 母は子だくさんで、私にはきょうだいが七人いた。私以外のみなは家庭を持ち、子どもを育てていた。
 独り身の私だけが母と共に家で暮らしていた。介護を押しつけられていた、と言ってもいいが、きょうだいたちからは金銭的援助を受けていたので、お互い様だと言われれば否定の余地はない。
 母の机の引き出しから遺書が見つかったのは、葬式の終わった夜のことだった。
 きょうだいたちが家に泊まり、みなで母の思い出を語り合っていた。
 遺書を開き、みなで読んだ。
 唐突な不孝を許してほしい、とヨレヨレの字で書かれていた。母の字だ。幸せな人生だった、と冒頭に記されていたこともあり、みなどこか安堵した様子だった。
 息子娘たちへ、と母は一人一人を名指しし、お礼とそれぞれへの遺言を書き連ねていた。
 遺書がきょうだいたちの手から手へと渡る。みなさめざめと泣いた。
 最後に私の手元に手紙が巡るが、私は紙面を一目して、それを畳んだ。封筒に仕舞う。
 みな、まだ泣いている。
 母の死を惜しんでいるのだ。
 だが私は、はやく煙草を吸いたい気持ちでいっぱいだった。
 遺書には、私の名前だけがなかった。


3147:【2021/08/12*コテンと首をかしげる】
物理学では、古典物理学と近代物理学とでざっくりとではあるが分かれているみたいだ。古典物理学は、ニュートン力学や相対性理論までの範疇で、近代物理学は量子力学や宇宙物理学、重力理論の範囲になるのかな、とざっくり認識している(間違っているかもしれません)。そこにきて、古典と近代の違いはなんなのか、と言えば、扱う事象のスケールが変わるのだな、ということで、それはたとえば同じ古典物理学であっても、より古いほうのニュートン力学と、比較的近代(とはいえ百年以上前に発案された理論であるにせよ)の相対性理論とでは、双方の扱う事象スケールには違いが見られる。我々人間の日常の範囲内であるならば、そもそもニュートン力学を扱えれば困ることはまずないと言っていい(とはいえ近代においては、GPSや人工衛星を十全に利用するには相対性理論が不可欠だ。使用しないと毎日数キロメートル単位で地図がずれてしまう)。ただし、宇宙規模のマクロなスケールを扱う場合には、相対性理論でないと説明のつかない事象がでてきたり、あべこべに原子よりもちいさな極小の世界を扱うには、量子力学でないと説明がつかなかったりする。こうしたスケールによって扱う理論が変わるというのは、文学でも言えるのではないか、とさいきん認識が変わってきた。いわゆる古典と呼ばれるものは、複雑化した近代社会を解釈するには不足だけれども、基本的な人間社会のなかの比較的単純な人間関係を扱う場合には、かなり緻密な解釈や描写がなされているのではないか、との疑惑がある。社会全体を扱った古典作品であっても、おそらく近代社会では一つの企業内で語り得るスケールの話となるのではないか。その点、近代文芸では、もうすこし社会構造と密接に繋がった人間関係が描写され、ある種の社会構造の欺瞞を暴くような解釈のされ方が、意識的にしろ無意識的にしろされているように妄想できる(単なる印象とも言うが)。そういう視点からすると、人間とは何か、という等身大の人間のスケールで物語を扱う古典作品には、社会を築くうえでの人間関係の機微が、より再現性のある精度と揺れ幅で、叙述されているものなのかもしれない(時代に影響されない汎用性がある、と言い換えてもよい)。定かではない。(かなりおおざっぱな所感でしかありません。該当作品を探すほうがたいへんそうですし、例外を探すほうが簡単でしょう。口からでまかせですので、真に受けないように注意してください)


3148:【2021/08/12*日記は捺す】
(未推敲)
 久々に顔を合わせた友人との雑談は、一時間もすると話題が尽きた。解散してもよかったが、呼びだした手前、わたしからは暇を告げにくい。
 気まずい沈黙を持て余していると、
 そう言えばさ、と友人は記憶の底を洗うかのように言った。
「すごい日記見つけたんだよね」
「日記?」
「そう。たぶん個人でやってる日記なんだけど」友人はメディア端末を操作する。
「インターネット上のってこと?」
「そうそう」
 はいこれ、と画面を見せられ、私は覗きこむ。
 そこには日付順に覚書き程度の短い一文が載っている。たいがいが事件や災害についての文面だ。
 どこそこで何々がありました。何人亡くなったようです。
 簡素な文章が短く並んでいる。
「これがどうしたの」わたしは訝んだ。「ニュースをメモしてるだけでしょ」
「いやいやよく見てよ。ほらこれ。たとえばこの事件、日記の日付の一週間後に起きてる。こっちは一か月後だし、こっちは三日後だね」
「へぇ。でも日付をいじって、予知っぽくしてるだけじゃないの」
「かもしんない。でも頻繁に更新されてて、たまに覗いてるんだけど、まだ起きてない事件が結構本当に起きたりしててね」
 じつは界隈じゃ有名なんだよこの日記、と友人は言った。「でもまあ、信じない気持ちもわかるし、急にこんな話題ごめんだね。しらけちゃうよねぇ。いやね、親しい人にはどうしてもしゃべりたくなっちゃって。たまにでいいから覗いてみて。嘘を暴いてやるって気持ちでもいいから」
 ふうん、と半信半疑というよりも十割眉唾な気持ちで最新の日記を表示する。
「あ、そこあれじゃん」友人が肩を寄せてくる。「旅行行くんだよね、同じ場所じゃない? 通り魔だって。うわ、こんなに人死ぬの。気をつけたほうがいいかもよ」
 わたしは、へぇ、と思った。「これ、すごいね」
「何が? あ、信じる気になった? でもそうだよ、絶対危ないからここには近づかないほうがいいかもよ。日程変更とかできないの。この日だけ宿から出ないようにしたりさ」
「大丈夫だよ」わたしはじぶんのメディア端末でも日記を検索した。お気に入り登録する。「ふふ。太鼓判もらっちゃった」
「なんできみそんなうれしそうなん」
 友人は呆れていたが、わたしは視界がぱっと明るくなった心地がした。わざわざ呼びだしてまで最後に友人と会っておいてよかった。
 日記にいまいちど目を走らせる。
 こんなに殺せるんだ、と嬉々とする。
 わたしの念願はどうやら達成されるらしい。


3149:【2021/08/13*わたくしごと】
差別問題についての所感です。もうそろそろ、差別発言を批判するだけではなく、そのさきに進んでもよいのではないか、と考えています。差別発言をやめさせたところで、問題の種そのものは水面下で着実に社会を蝕みつづけるでしょう。差別行為が可視化されにくくなるだけで、どちらかと言えば差別発言のみを批判することは、差別構造を深化させるための予防接種的な役割を担ってしまい兼ねない懸念についてはいまからよくよく考えを煮詰めておきたいと思っています。差別発言の是非よりも、現実に起きている差別による迫害や理不尽な扱いを是正していかないことには問題は放置されたも同然です。そして忘れてならないのは、現代人ならば誰しもが、そうした差別構造による恩恵を受けている点にあります。わたくしもあなたも他人ごとではありません。差別発言を批判することは、差別構造を批判することにも繋がりますのでまったくの無意味ではありませんし、無垢な者たちに差別思想を洗脳さないためにも必要な過程ではあるでしょう(無垢な者ほど差別思想に行き着きやすく、それゆえに差別思想を以って他者を洗脳するのもまた無垢な者たちに多くなるのが道理です)。しかし、なぜそうした差別発言を行う者がでてきてしまうのか、なぜ社会に格差が生じ、なぜ扱いや待遇の差が個々人の属性によって変わってきてしまうのかについては、未だにあまり深く議論が交わされていないように見受けられます。わたくしたち個々人が日々受けている社会からの恩恵には、すくなからず差別構造によって生みだされた利が含まれています。いったいどんな利が、そうした差別構造のうえに生みだされているのかについては、まだ広く可視化されてはおらず、俎上に載せられてもいないようです。SNS上のフォロワー数や、外見や服装、学歴や家柄、住む地域、在籍している組織の規模、性別や性的指向性、人種や年齢、誰に応援され、誰と知り合いなのか、ほかにも様々な属性によって、個々人を高く評価するか否かの判断基準に偏りが表れて映ります。そうした流れそのものがすでに多くの差別構造のうえに築かれた偏見のたまものである点には留意しておいて損はないでしょう。世の中を動かしている数多の企業や政治家、著名人、十把一絡げにしてここでは権力者と呼んでしまいますが、そうした権力者たちの意思決定に、偏見や差別的な考えが根づいているようにわたくしの目には映ります。それはときに常識として、まっとうな道理のようなフリをしてまかり通っているのです。それは何も、権力者だから、ではありません。多くのわたくしたち一人一人が、知らず知らずのうちに染まり、流され、許容し、共有している社会通念がそうした、差別や偏見の後押しをしています。流れを強化し、作用を増幅させているのです。まずは見抜かなければ対策一つ打てません。自覚をすることです。認めることからはじめなくてはなりません。差別発言だけを批判しても、構造は水面下に隠れるだけで、より目立たぬうちに、回路をより滑らかに機能させるべくその根を深く張り巡らせるでしょう。社会に根付いた構造をこそまずは見抜き、流れを断ち、改善していくよりほかはないのではないでしょうか。そのためにも、大きな流れの一端をなしているわたくしたち一人一人の自覚が不可欠です。流れを断つためには、流れに加わらない意思がいるのです。自身の甘受している利について、その背後に潜む構造に目を向ける習慣をつくり、どんな回路が築かれているのかを想像するための視点を増やしていくことが、今も、これからも、求められていく最弱にして最上の最善手ではないでしょうか。定かではありません。(じぶんにできないことほど、他者に求めてしまいますね。すみません。上記、理想論ですのでどうぞ真に受けずに、どうすれば現代社会から、不公平に追い詰められ、理不尽な扱いを受ける個人を減らせるのかを考えてみてください)


3150:【2021/08/13*隣人の怪】
(未推敲)
「うー、うー。なんもない、なんもなーい。思いつかん、思いつかん。きょうくらいサボってもいいかな。どうせ誰も読まんもんな、誰もよろこびゃしないもんな、一日くらい休んだってバチは当たらないし、腕も鈍らない。無理して頑張ったっていいことなんて一つもないし、頭空っぽなのに無理くり作ったっていいものなんてできっこないもん、こんなのただの強制労働だ、奴隷だ、強迫観念だ。よくない、よくないよ、こんなの全然よくない。休もう、休もう。もう寝ちゃおう。サボりじゃないもん。原稿よりも健康だよ、なんもしない日があったって誰も責めやしないし、文句も言わない。失望もしなけりゃ評価も下がらん。誰も期待なんかしちゃいないんだ。消えようが筆を折ろうが、誰も悲しみゃしないんだ、そもそも気づかれもしないし、惜しまれもしない。きょうくらい休んで何がわるい。永久に休んで何がわるい」
 そうだ、そうだ、それがいい。
 ぶつくさと、壁の向こうから呟きが聞こえる。
 ここのところ毎晩だ。気が狂いそうになる。
 壁を叩くが、殴り返されるだけなので、もはやそっとしておくより術がない。
 だがここ数日の独り言は度が過ぎているように感じられる。とっくに頭のネジがぶっ飛んだ相手だとは思っていたが、怒りよりも不安が勝る。
 自殺でもしなきゃいいが。
 この暑さのなかで死なれたら半日でウジが湧くし、腐臭で息が詰まるのは勘弁だ。
 隣人は半年前に引っ越してきたのだが、完全にハズレの住人だ。
 隣人はずっと家にこもりっぱなしで、何かしら内職をしているらしい。締め切りに追われているのか、毎晩のように、うんうん呻っている。
 ネタに詰まっているようだ。
 それはいいが、もうすこし静かに悩んで欲しいものである。
 床のうえで寝返りを打つ。
 今晩の独り言はとくにひどく、どうやら小説を書いているらしいと、伝わった。怪談話を書いているようだが、(つづきはこちら:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700426401583963


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参照:いくひ誌。【2281~2290】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054891323970

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