※日々、安全圏から茶々を淹れる、本当は紅茶や珈琲のほうが好きなのに。
3061:【2021/07/05*ぐーちゃん】
やあやあ、いくひしさんでござる。お久しぶりでござるなあ。いくひしさんは思うんでござるけれども、さいきんなんか時間が経つのがはやすぎではござらん? いっしゅうかんのうちで、まいにちたのしみなマンガさんの連載があるでござって、きょうはこれ読んじゃお、ってWEBでタダで読めちゃうとってもおもちろーいマンガさんを読んでるんでござるけれども、はぁたのちかったって読んだと思ったそれのつづきをもうきょう読めちゃうでござる。いっしゅうかんすぎるのが一瞬でござる。あびゃびゃ、これってきのう読んだんじゃないでござるか、あいだの月火水木金土さんはいったいどこに消えたでござるか? まいにちエビバディサンデーさんでござる。そのあいだにいくひしさんはいったい何をしていたでござるか? 寝てすごしていたでござる。ぐっすりぐーぐー、ぴーすかぐーちゃんでござる。きょうからいくひしさんは、ぴーすかぐーちゃんなんでござるよ。いつもでござる。それはいまにはじまったことではないでござるよ。ちゃんとしてくださいでござる。はいでござる。ちゃんとするでござるよ。ぐー。言ったそばからいねむりコクコクしちゃういくひしさんでござるからこれはもうもうあきらめるでござる。むりなんでござるよ。いくひしさんにずっと起きてろなんてそんなのは神さまにずっと阿波踊りをしてて、と命じるようなものなんでござるよ。阿波踊りはつかれるでござる。いくら神さまでもずっとは踊れないでござるよ。いくひしさんといっしょでござる。ずっとは起きていられないんでござるよ。三時間が限界でござる。ばったんきゅーでござる。仮眠にお昼寝、小休止にひとやすみでござるよ。ちょっとのつもりが寝て起きたらおひさまがいないいないバーでござる。いっしゅうかんなんてあっという間なんでござるよ。仕方ないでござる。きょう読んだおもちろーいマンガさんのつづきがすぐに読めちゃうと思えば、それもまたよしでござる。やったーでござる。はやくちゅちゅきが読みたいので、いくひしさんはおかしをおつばみしてからまた、たぷーっり寝るでござる。きょうもきょうとて万年居眠りぐっすりぐーぐー、ぴーすかぐーちゃんのいくひしまんでした、でござるー。
3062:【2021/07/05*インコの一声】
妙な声を聞いて目覚めた。声は何事かを叫んでいるが、人間の声には思えない。言葉を言葉として認識している素振りがない。その響きは、インコやオウムを彷彿とした。しばらくうつらうつらしながら、声の正体とどこから響いているのかを探っていると、やがて鳴き声は途絶えた。ベランダの外から聞こえていたようなので、やはり鳥だろう。近年、野生のインコが問題になっている、と以前に何かの記事で読んだ憶えがある。顔を洗い、居間に入ると、千葉が一足早くトーストを齧っていた。千葉は同居人だ。彼とは最初、友人の友人という関係で出会った。とくに気が合ったわけではないが、互いに他人に興味がないところなどほかの友人たちとは共有できない共通点があり、色々あってこうして一つ屋根の下で暮らすようになった。趣味嗜好が合う相手よりも、何にイラっとするのかを暗黙の了解で共有できる相手とのほうが人間関係は長続きするものだ。家賃はこちら持ちだが、気まぐれな猫を飼っているようなものと見做せば、それなりに元は取れている。かわいげのない性格だが、逆らわないという意味では従順だ。じぶんのことはじぶんでする、が同居するときに交わしたルールだったので、朝食はじぶんで用意した。ウィンナーを茹で、トーストに挟んで簡易サンドウィッチにする。千葉は在宅勤務だが、こちらは出勤せねばならない。いつもは無言でそのまま家をでるのだが、例のなぞの声のことが気になって、水を向けた。「インコだと思うだけど、今朝方に妙な声が聞こえなかったか」返事はない。見遣ると千葉はワイヤレスイヤホンを耳にしていた。かろうじて声が届いていたようで、何、とイヤホンを外したので、(つづきはこちら:
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354055327912873)
3063:【2021/07/06*リモートワークはできない】
えぇ仕事辞めちゃったの、と友人に会うたびに驚かれるので返答に窮する。たしかに給料はよかったし職場の評判も上々で、じっさいそこで働いている人たちはみんな気のよい人たちだった。できればずっと働いていたかったけれど、リモート勤務がつづくかぎりそれはできない相談だった。リモート勤務さえなければ私が職場を辞することもなかった。あれは、リモート勤務が定着して半年くらいが経ったころだ。新しいプロジェクトが佳境に入り、先輩と二人だけで残業をする日がつづいていた。二人だけのリモートであると、聞き手と語り手が五分五分で配分されるので、いつもそのときだけは会話が弾んだ。先輩はマンション住まいで、洒落た居間の内装を背景に仕事をしていた。私は新人社員ということもあり、安いアパートの一人暮らしで、常時部屋は散らかっていた。隅っこのほうにリモート空間をつくり、かろうじて片付いた部屋を演出していた。ある日、いつものように先輩と残業をしていると、ふと動画のなかに何かが映りこんだ。先輩の映っているフレーム画面だ。最初は猫か何かかと思った。ずっと飼っていたのか、それとも新しく飼いはじめたのか。先輩は何かしらを計算中らしく、頭を掻きながらデータとにらめっこをしている。邪魔をする場面ではなかった。私はしばらく先輩の映るフレーム画面を観察した。その日はもう、どれだけ注意して見ていてもそれらしい影は見当たらなかった。見間違いかもしれない。いちどはそう思ったものの、その日以降、何かと先輩の映るフレーム画面には、何かしらの陰が、(つづきはこちら:
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816452218310801455)
3064:【2021/07/06*波のような粒子】
ここ数年、ほとんど確信にちかい直感として思うのは、WEB上の創作物につく評価は、低評価であればあるほどよろこんだほうがいいということだ。無料で発表している成果物において、低評価がつくことの価値を創作者はもっと理解したほうがいい。とくに、虚構の物語におかれては、真実に価値がなければ黙殺されるだけだ。評価そのものがされることはない。以前から述べているが、高評価だろうと低評価だろうと、評価されることの効能に大きな差はない。誰かしらにとってどのように見えたか、の価値判断でしかないからだ。世の中の大部分の者にとって当初、相対性理論にしろ量子力学にしろ、価値のないものだった。時代がそれを価値あるものと選んだにすぎない。理解できる者がいなければ未だに数多の発想に埋もれていただろう。他者に理解できないものをつくった、という意味で、低評価のほうが、高評価よりもどちらかと言えば表現者としてはよろこぶに値する。さきにも述べたが、真実に受動者にとって価値がなければ――まったくとんちんかんで理解できなければ――評価しようとすら思われない。そもそも読了されることもないだろう。反応せずにいられない、低評価をつけずにいられない、そういったものを生みだした、という時点で、創作者――とりわけ表現者にとっては高評価よりも低評価のほうが得難いと言える。もっとも、評価の数値そのものには、やはりというべきか、大した意味合いはないのだが。高評価だろうと低評価だろうと、その効能に差はない。なぜ受動者はそのように感じたのか、なぜその評価を下したのか。そうした他者への眼差しが増えるのみである。どちらにしてもプラスしかない。そのプラスですら、創作者にとっては些事である(小説に限定して述べれば、読解されることがすべてだ、と言える。読んでもらえたらそのあとの評価はどうでもよろしい。評価というものは、同じ評価者であれ、時と場合で大きく変動する)。評価そのものは、あったらまあいいですね、程度の代物だ。見る者によって大きくぶれる、揺るぎないがゆえに振幅する波のような粒子をつむいでいきましょう。
3065:【2021/07/07*潜る】
基本的に人間という生き物は、じぶんより下だと思った相手にこそ、本性を露わにする。ゆえに、人間の本性を知りたければ舐められておく必要がある。森を上から眺めても地面を這う生き物を目にすることはできない。空から海を眺めても海底の生き物を目にすることはできない。日々、無下にされ、舐められ、ぞんざいに扱われなければ見えないものがある。他者を無下にし、舐め、ぞんざいに扱っている者には見えない風景がある。感じられない機微がある。人間の本性の吹き溜まりであり、そこにはもちろん、あたたかい日差しのようなものがそそぐこともある。闇にいるからこそ光はいっそうの輝きを放って見える。単なる昼の明るさでさえ、そう見えるというだけにすぎないのかもしれないが。闇には、闇を生みだす者の姿はない。いつだって闇を生む者は、光の側にいる。無下にされ、舐められ、ぞんざいに扱われている者の上にいる。
3066:【2021/07/07*お願いシます】
駅前の笹飾りが目に入り、きょうが七夕だと気づく。七夕によい思いではない。元恋人が死んだのがちょうど七夕の日だった。十二年の付き合いを経て婚約したが、ほかに好きなひとができて婚約を破棄した。元恋人はその三日後に自室で首を吊って死んでいた。同居していた部屋から引っ越す前の出来事で、それが原因でけっきょく好きな人とも別れる羽目になった。三年前のことになる。散々な記憶だ。なんとなく冷やかしに笹飾りのまえを通ると、一つだけやけに黒い短冊が目に留まった。引き寄せられるようにそれを掴み、紙面を拝む。一生ずっといられますように。見覚えのある達筆で凛と書かれたそれの裏には、元恋人の名前が記されている。
3067:【2021/07/08*レコードのように】
たとえば闘病生活を送っていて毎日しんどいな、と思っているひとに、じぶんの小説を読んでもらう機会があったとして、どの物語なら差しだせるかと考えてみるのだけれど、毎日しんどい思いをしているひとには自作の小説なんかとてもではないけれど読ませられないし、読んでほしくもない。基本的にいくひしさんのつむぐ物語は、比較的心身に余裕のある人たち向けで、もっと言うと、読後にすこしだけ自我の輪郭にヒビを走らせるような、そういった物語が多い気がする。読者の世界観にむりくり異空間をねじ込むみたいな感じで、やっぱり毎日しんどい思いをしているひとを救うような物語ではないのだね。寄り添うような物語ではない。ざんねんなことに、いくひしさんの物語にひとを救ったり、力を与えたり、そういった魔法みたいなちからはない。以前から述べているけれども、いくひしさんのつむぐ物語が必要でない人生のほうが豊潤で、すこやかで、安らかなはずだ。いくひしさんのつむぐ物語が高く評価されない世の中のほうが大多数の日々にとって好ましいし、いくひしさんのつむぐ物語がたくさん読まれる世の中でないほうが、大多数の未来にとって望ましい。わざわざ確固たる人格にヒビの入ってしまうような物語を受動せずともよい。或いは、そう思っているのはいくひしさんだけで、空気みたいに手ごたえがなく、ゆえにあってもなくてもどっちだって同じなのかもしれない。それはそれで理想ではある。あってもなくてもどっちでも同じだけれども、だからこそいくらでも好きなときに好きなものを好きなだけ好きなようにつくりつづける。つむぎつづける。並べて、よじって、消して、編み、結んで開いて手を打てば、ぱつんと鳴って、また鳴って、連なる律動を追いかけたならばそれが間もなく旋律となり、曲となり、やがてそこから萌えた芽が、この世のどこかにはあるはずの、しかしここにしかない物語に育つだろう。この予感がつづくまで、ただ目のまえの音を、気泡を、目で追いかけ、耳で掴み、ゆびでこねて刻むのだ。身体に、世界に、刻むのだ。
3068:【2021/07/08*借り物でしかない】
光を重ねると無色になるし、色を混ぜると黒くなる。同じように、無色の光をスペクトルに分解して、色の成分を一つずつ抜き出していけば、任意の色をした光をつくれるし、黒から色の成分を一つずつ抜き出していけばやっぱりこれも任意の色をつくれるはずだ。いくひしさんの創作法にも似たところがある。この文章もそうだけれど、いくひしさんの中のひとは、ほとんどしゃべらないし、しゃべりたくないとつねに思っている。どんな簡単な質問に対しても、返事をするのが疲れてしまう。腕立て伏せ五十回したほうがマシだと思うくらいには面倒に感じる。つねに無色でありたいし、つねに真っ黒でありたい。でもそうであることを周りの環境や、社会は許さないので、仕方なく、そのつどそのつどで光を抜き、色を抜いて、その場に馴染みやすい光や色をつくる。創作のキャラクターたちも同様だし、この「いくひ誌。」の文章も同じだ。いくひしさんの中のひとにちかくすればするほど、文字数は減って、最終的には何も並べることがなくなる。或いは、いつまでも文字を並べつづけて画面が真っ黒になるくらいに文字で埋もれてしまうかもしれない。無か全か。空か虚か。どうあってもじぶんを表現できないし、じぶんなんてものがないがゆえに、いつまでもこうして中身のないグダグダを並べていられるのだろう。じぶんの言葉でなんか語れない。じぶんの言葉なんかないのだ。言葉はつねに、《私》の中の『私たち』から零れ落ちた〈私〉がつむぐものであり、どうあっても仮初でしかない。《私》はここにいない。表現しようとすればするほど霞み、消えいく、存在しない存在だ。
3069:【2021/07/09*万年枯渇ちゃん】
世の中にはこれだけ多くの物語が新たに生みだされつづけているのにどうして一人の作者には限界というか、閃きの限度数みたいなのがあるのかがふしぎだ。一つ一つの物語に、そのつど新たな心持ちで向き合い、完結させていけば、毎回初心者のように、別の作者のように、つぎつぎに新しい物語をつくりつづけられるはずだ。それができないというのは要するに、過去のじぶんに囚われているからで、執着しているからなのではないか、との疑念が湧く。いつもいつもつぎの閃きを掴むまでに時間がかかるし、なんもなーい、なんもなーい、の虚無の時間を彷徨うので、ほとほと我執に囚われていると言える。何度でも初心に戻り、自我を離れてまっさらな心地で、或いは宇宙のごとくまっくらな境地で、そのときその場だからこそ浮かぶ発想に焦点を合わせられればしぜんと物語はつむがれるものではないだろうか。それがおもしろくなるか否かは別問題であるにせよ、雪の結晶や窓に伝う雨シズクの軌跡のように、一瞬たりとも同じではなく、それでいてある枠組みで限定されるような、再現性のない再現性といった矛盾からなる回路を写し取っていきたい。つまり何が言いたかったかと言えば、なんもなーい、の虚無を彷徨っております、との告白なのでした。
3070:【2021/07/09*悪魔の所業】
(未推敲)
人類を恐怖のどん底に落とし入れた悪魔がようやく捕まった。
悪魔は人間ではなかった。
いずこより現れ、人間という人間を襲い、ときに操って大勢に殺し合いをさせた。殺し合った人間たちはその後正気に戻り、じぶんたちの仕出かしたことを思いだして精神を病み、のきなみは自殺した。
この世に魔界があるのかは定かではないが、悪魔は悪魔としか形容のしえない姿かたちをし、近代兵器の軒並みも通用しなかった。殺傷できないとなればあとは拘束するよりない。
悪魔の捕獲には科学技術の粋を極めた人工知能が用いられた。一人の天才科学者による手柄だった。
人工知能には現実と瓜二つの仮想現実を構築するだけの演算能力があった。悪魔の認識を歪めるだけの仮想現実を編むことができた。
広範囲に渡って投影される仮想現実に、悪魔は落ちた。落とし穴にはまった小鹿のようなものだった。或いは、井戸の底の蛙のような、と言い換えてもよい。
目のまえの現実を失った悪魔は、間もなく、映画に夢中になる子どものようにじっとその場から動かなくなった。人類はその地点を終局の地と名付け、堅牢な監獄を築き、悪魔を閉じ込めた。
悪魔はつねに仮想現実のなかにいた。おとなしくなった悪魔には頭からすっぽりマスクがされた。仮想現実はマスクの内側に投影されるようになった。これにより人類は悪魔に近寄れるようになった。
当初、悪魔の五感は正常に働いていたようだが、人工知能の改良が進むと、やがて悪魔の頭脳に直接に働きかけ、仮想現実の没入感を極限まで高めることが可能となった。悪魔は真実、仮想現実の牢獄に囚われた。
外部刺激の総じては、悪魔に知覚されず、どのような実験も悪魔に悟られることはなくなった。しかし、悪魔はやはり悪魔だった。どのような外部刺激も、悪魔を死に至らしめることはできなかった。
人類は圧倒的な優位に立ちながらも、悪魔に苦悶の声一つあげさせられないことに苦渋を嘗めていた。
報復したい。
復讐をしたい。
犠牲になった人々の苦痛を、声を、恨みを、無念を晴らしたい。
悪魔には罰を与えねばならない。
無闇に刺激して悪魔を目覚めさせるな、といった反対の声も聞かれたが、国家としての威信のためにも、悪魔には否応なく苦しんでもらわねばならなかった。
人類は人工知能に命じ、悪魔にあらゆる地獄を見せつけた。
だが悪魔はやはり悪魔だった。
どのような地獄に囲まれようと平然としていた。恍惚とすらしていた。
自身の身体が八つ裂きにされようと、焼かれようと、神経が剥きだしになり、神経の一本一本を丹念に引きちぎられるような痛みのなかにあっても平然としていた。
人類はしかし諦めなかった。
身体的苦痛が通用しないのならば、精神的な苦痛を与えるよりない。
初めにとられたのは、悪魔の同族を無数に用意し、それらを悪魔の目のまえで惨殺することだった。むろん仮想現実のなかでの話であるが、それを目にしている悪魔にとっては現実も同然であった。
しかし悪魔は極上の映画を目にする辛口の批評家のようによだれが垂れていることにも気づかずに、その光景を目に留めていた。
効果がない。
そうと判ると、つぎは敢えて悪魔を至福の世界に閉じ込めた。あらゆる人民が悪魔を慕い、崇めた。しかし悪魔はそれすら愉悦として感受した。かつて人類にしたような残虐非道な行動をとろうともせず、飽くまでお花畑に立つ案山子のごとく恬淡とした様子で立ち尽くしていた。
実際には悪魔の身体は薄暗い監獄のなかにある。人工知能を通して人類は、敢えて悪魔に仮想現実のなかで自由に振る舞える権限を与えた。悪魔はこれにより、これまで以上に仮想現実のなかの住人たちと触れ合うことができるようになった。
悪魔と住人たちの交流はじつに平和的であった。
なぜあの悪魔がこのように仮想現実のなかではある種、神のごとく穏やかさでいられるのか。あの残虐性はどこに消えたのか、と人類は疑問したが、けっきょくのところ悪魔に見せている世界が現実ではなく、理想的な環境を再現した虚構だからだろう、という結論がなされるのみだった。
仮想現実はしょせん仮想にすぎない。
みなから慕われ、崇められれば誰だって暴力を働こうとはしない。環境を破壊しようとはしない。悪魔とて例外ではなかっただけのことだ。
人類は悪魔に罰を与えようと、さらなる至福の環境を悪魔に与える。
悪魔と住人たちの縁をより強固にし、絆と呼ぶに値するまで育んだ。
理想と呼べるほどの平和を築き、究極と呼べるほどの愛を与えた。
悪魔は住人たちを慈しむようになり、目のまえで転んだ子どもに手を伸ばし、抱き起こすまでになっていた。
悪魔に慈愛が芽生えはじめていた。
悪魔に罰をくだす準備は整った。
いよいよ人類は悪魔から奪うことができる。
かつてその手でされたように。
あらゆる苦痛と懊悩と後悔と無慈悲で不条理な暴虐の限りを与え返す。その手で仕出かしたことを客観的に、自分事として認めさせるのだ。
人類は仮想現実の世界に、一匹の悪魔を投入した。
悪魔はまさしくもう一匹の悪魔であり、かつての悪魔自身であり、悪魔のなかの悪魔であった。
仮想現実のなかにて悪魔二号とも呼べる悪魔は、すっかり平和に馴染んだおとなしい悪魔の目のまえで、老若男女問わずに殺して回った。オモチャで遊ぶ子どものように、住人たちの身体を玩具のように扱い、壊し、はしゃいだ。
おとなしい悪魔は茫然とその様子を眺めていた。
人類は思った。
またしても失敗だ。徒労だった。悪魔はしょせん悪魔でしかない。人の心などはないのだ。
人類が諦観の溜め息を吐きかけたとき、おとなしい悪魔の目から一滴の涙が流れ落ちた。
人類は色めき立つ。
おぉ、という歓声に呼応したかのごとく、おとなしい悪魔はその場に膝を折り、慟哭した。
あたかも目のまえで最愛の子供を失くした母親のように、じぶんにはどうしようもできない理不尽そのものに抗議するかのごとく激しさで。
おとなしい悪魔は身を引き裂かれるような声をあげ、泣いた。
おとなしい悪魔はなぜかそこで、もう一匹の悪魔のなかの悪魔に立ち向かおうとはしなかった。目のまえで繰り広げられる地獄絵図、それはのきなみ自分自身がかつて行った殺戮そのものであるはずなのだが、おとなしい悪魔はただその光景を目にし、悶え、苦しんだ。
人類はよろこんだ。
罰はくだった。
あの悪魔が心を痛めている。
仮想現実のなかであらかたの人類が、もう一匹の悪魔のなかの悪魔の手により殲滅されたころ、おとなしい悪魔はしずかに立ちあがると、一人の人間の男に姿を変えた。
その男は科学者を名乗り、人類の生き残りたちと接触すると、とある箱を差しだした。
「これを用いればあの悪魔を止めることができるでしょう」
人類の生き残りたちは、その箱を用いて、もう一匹の悪魔のなかの悪魔に、ここではないどこかべつの世界を見せ、身動きを封じた。
「悪魔には罰を与えねば」
復讐を。復讐を。
報復を。報復を。
人類の生き残りたちは万歳三唱のごとく連呼した。
間もなく、もう一匹の悪魔のなかの悪魔は、箱の見せるそこではないどこかの世界にて、悲痛な声を響かせる。
箱のそとの、さらにもう一段うえの世界にて、人類ははっとする。
人工知能の納まった箱をみながいっせいに振り返る。
そばには表情の読めない男が一人、立っている。
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参照:いくひ誌。【671~680】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054883882985