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いくひ誌。【2971~2980】

※日々、偶然いいことありすぎる、道端にたんぽぽが咲いているとか、小鳥がチチチと鳴いているとか。



2971:【2021/04/26*分析なんてしたことないくせに】
他人からの評価分析よりも、じぶんの下した評価分析のほうが、経験上、精度が上であることが多いと感じる(うぬぼれやさんめ)。表層的なものよりも構造に目がいきやすい点が、他者との違いだと思う機会が多い(まだうぬぼれを重ねる気か、欲張りさんめ)。というよりも、専門家ならばいざ知らず、おおむねの人間は、評価分析するという経験が、私よりもすくない(もうその辺にしておいたほうがよくないですか?)。精度に差があって当然だ(あくまでじぶんが上と言い張りたいようですね)。むろん、専門ではない分野ばかりだから、評価分析の精度は相応に落ちる(それはそう)。お門違いな評価分析をしていることも多々あるが、それはそれで、素人らしく荒唐無稽ながらも、専門家ではないからこその意見となる傾向にあるのではないか、とやはりうぬぼれてしまうが、そのように感じている(認めればいいってもんじゃない)。だからかもしれないが、じぶんの成果物においては、わかりきったことを指摘されても、知っていますが?としか思わない(傲慢ちゃんめ)。有意義な意見とは、じぶんでは思いつかない着眼点のことを言うはずだ。評価分析の真価とは、基本的に、その精度ではなく、じぶんでは閃くことのできない着想にあると言える(それはそうかもしれない)。ゆえに、評価の高低や、分析の正当性は、表現の世界では、さほどに神経質にならずともよいとも考えている(そうなの?)。それはそれとして、有意義な評価分析であるほど、分析の精度は高い傾向にあり、それゆえに低評価であることもあるので、そも、評価分析におかれては、どのような視点での分析であるか、がすべてと言ってもいい気がしてきた(気がしてきただけかーい)。このように評価分析の評価分析をしたところで、しかし、お門違いな発想しかできない(うんうん)。その程度の分析と言える(そうだ、そうだ)。分析というか、所感というか、勘違いに、錯覚であるが(まさに、まさに)。他人の評価分析を見聞きするのは嫌いではないが、じぶんの成果物への評価分析に関しては、あまり重宝していない(なんで、なんで?)。その程度のことは織り込み済みですが、と思ってしまうからだ(何様なのこのひと)。低い評価をつけられたときには、妥当な評価ですね、と思うだけである(なんかこのひと偉そう!)。


2972:【2021/04/27*間違ってもすぐには死なない環境に生きていられる偶然】
じぶんにとってくだらない、価値がない、そういうものにも誰かにとっては価値があり、かけがえのない性質を浮き彫りにしている一面がある可能性については、つねに意識の片隅に、忘却してはいけない前提条件として、貼りつけておくことは、情報の取捨選択および集積にあたって、見逃しがたい偏向を抑える意味でも、好ましいように感じるしだいである。言ってしまえば、何が真実に有意義な情報であるのかは、集めてみて、そのときどきで判断しなくては分からないことであり、そのときどき、というものがつねに変化し、有用とされる情報が変化していく性質を帯びている以上は、何が無駄なのかは、つねに真の意味では判断できないと呼べる。言い換えるならば、任意の期間内において、または任意の局所的な環境においてのみ有効な素材として、有意義で価値のある情報が定義されると言ってもよい。いつなんどきであろうとこれさえ分かっていればいい、なんてものはないのである。人間はつねに欠けている。その欠落を忘れていても困らない環境に、いまはいる、というだけのことであり、見落としている欠落はいずれ必ず崩壊(死)を招く。繰り返しになるが、認識能力に限界のある人間にとって、この欠落は、つねについて回る。例外はないと言っていい。(人によって欠落の度合いに差があるにしろ。何を認識するのか、というその指標そのものが欠落を否応なく有している。眼球に死角があるようなものであり、前を向いていたら後ろは見えない、というレベルの話でもある)(認識できる範囲しか認識できないし、その認識というものですら、おおざっぱな、極めて荒い解像度という意味である)


2973:【2021/04/28*極論では?】
人類社会に限定して話をするが、この社会に真実無駄なもの、なくていいもの、という事象はない。殺人一つとっても、そういった事象があったからこそ人は規律を儲け、秩序をより生存に有利なものにしようとしてきたのではないか。もうすこし言うなれば、殺人という行為がこの世にあることを知ることは、知らないことよりもプラスに働く。こっそり殺人を楽しみ、その存在をひた隠しにする者がでてこないとも言い切れない。無駄だからなくていい、好ましくないから認識の壇上からも抹消してしまえ、というのは、長期的に見て、秩序を崩壊させる方向に働くように思われてならない。むろん、放置はできないので、対策をとるほうがよい。というよりも、対策をとれる、という一点のみで、そうした好ましくないものを完全排除するのではなく、僅かなりとも生じてしまうことを許容する姿勢が、長期的に見て、我が身を助ける一石となるのではないか(殺人を肯定しているわけではなく、そうした悪行があることを前提に、仕組みや秩序は築いていくほうが、より安全側ではないか、という意味です。別の言い方をするのならば、つねに、ないほうが好ましいものから受ける悪影響をなくそうとする工夫はしていかねばならないし、そのためには、ないほうが好ましいものを完全に抹消してしまえ、という考えは、合理的ではない気がしてしまう)。またべつの方向から論じるにしても、たとえばいまは無駄だけれども、新しい技術が別途にあれば、素晴らしい成果をあげる事象もある。人類の発展とはそういうことの繰り返しだったと言ってもいい。排せつ物にしたところで、人類はそれらを無駄にしてこなかったからこそ、ここまで発展したと言っても言い過ぎではない。いまは無駄かもしれないが、それはけっきょくのところ、生かす知恵をまだ編みだしていないだけにすぎない。これはどんなものにでもあてはまる。真実に無駄なものは存在しない。無駄なものとして扱うしかない人類の未熟さがあるだけであり、見方を変えれば、この世にあるすべてのものは元は無駄なもの、役に立たないものなのだ。それをせっせと役に立つようにしてきた過去の者たちがいただけのことであり、無駄なものや役に立たないことにこそ目を向け、それらを活かそうとする意思こそ、現代を生きる我々に求められる姿勢なのではないだろうか。こんな無駄な文章とて、いつか誰かの知恵により、なにかの役に立つかもしれない。定かではない。(かといって、巨大な隕石が地球に降ってくるような事象は、ないほうがいい。ここで言ったのはあくまで、人類社会のなかでの無駄なもの、という意味であり、人類が滅亡するような類の事象は総じて、ないほうがいいものではある。また、時代の変化に際して、減少したり、変質していくものはある。石炭はいまではほとんど使われていないし、電話交換手もいまでは途絶え、或いはコールセンターに派生した。だがそれら過去の来歴があるからこそ、いまがある。そしてそれは、過去から現在だけでなく、現在から未来にも同じことが言える。いま無駄なものであっても、それがあったからこそ築かれる未来がある。できるだけその芽を、可能性を、潰さずにいたいものである。或いはこうも言い換えられる。できるだけ無駄なもの、ないほうがよいものを、好ましい未来に向けて活かしていきたいですね、と)


2974:【2021/04/29*私は愚かです、という言い換えです】
一面的にしか物事が見えていない者に対して、多面的に物事を見ろ、と言っても、解釈の合意の形成や説得という意味合いではあまり効果がない。なぜなら、一面的にしか物事が見えていない者であっても、当人の感覚では多面的に物事を見ている、と勘違いしてしまっているためだ。これは大なり小なり誰であってもあてはまる。そもそも人間は世界を正しくありのままの姿で捉えてはいない。誰もが多面的になど世界を見られてはいないのだ。たとえばどれほど立体的な絵を描こうが、それはけっきょくのところ二次元である。厳密には多面的には見ていない。だが、たとえ三次元の立体を目にしていようが、ではその人物が、二次元の写真を見ている者よりも多くの側面を捉えているかといえば、これも個々人によりけりで、一概にそうとは言えない。一面を見ただけで、その背後を想像し、捉える者もあるだろう。けっきょくのところ、多面的に物事を見ろ、という指摘は、往々にして、欠けている情報があることを想像しろ、という意味合いなのである。何が欠けているか、どこに足りない情報があるのかを知っていることが、多面的に物事を見ることの利点と言える。畢竟、誰であっても物事を多面的、多角的に見ることはできない。どんな情報が欠けており、その情報が欠けているとどれほど実体とかけ離れて見えてしまうのか。実像と虚像と、真実それそのものの距離感を測ることが、すなわち多面的に物事を見ることの本質と言えそうだ。じぶんがどれほど歪んだ虚像を現実として捉えているか。それを自覚することが、より真実にちかしい世界を見るという意味で、妥当なのかもしれないが、どれほど気をつけたところで、人間はそもそも世界を正しく見たり、解釈したりすることはできない。その歪みをすこしずつ自覚し、修正していく営みこそが、科学であり、論理なのであろう。定かではない。(定かでないことをすまし顔で言うのやめなさいよ)


2975:【2021/04/30*堕落の化身と呼んでください】
出来得る限り苦しまずに生きていきたい、と望むことの何がいけないのだろう。そしてその望みを叶えようと抗うことの何が間違っているのだろう。抗うからこそ苦しいのではないか、との指摘もあろうが、そうした意見には、そうした側面もあるかもしれないが、だからといって流されれば楽なのかと言えばそれも違うだろう、と反論しておきたい。どちらが理想とする生に近づけるか。その違いにこそ、苦しみを抱く余地を預けたい。(苦しみたくなーい。楽がしたーい。楽しいことだけしていたーい)


2976:【2021/05/01*予測の是非】
メリットとデメリットが半々ずつ含まれる選択肢が複数ある場合、何を選んでも失策と捉えられてしまうし、何を選んでも最善とはならない。だが選ばずにいれば、確実にデメリットだけを百パーセント受けることになる。こうしたときには、とりあえず何かを選ぶことが優先されるが、だいじなのは、そのさきにどのような選択肢がさらに広がるかを加えて予測しておくことだ。一回の選択であればどれを選んでも同じかもしれないが、選択の回数を重ねれば必然、枝分かれした結果の筋道は違ってくる。水脈がそうであるように、僅かな変化とて、繰り返せば、行き着く場所は大きく変わってくる。絶対に行ってはいけない方向を見定め、なおかつ選択するという行為の途切れない道を選んでいくのが好ましい。一見すればどれを選んでもいっしょに見えるかもしれないが、往々にして人生という大局で見れば同じではない。一つの選択肢に囚われず、広くその先に広がる枝葉がごとく網の目の未来に思いを馳せよう。予測は、そうした視野の拡張を意識して行うことでしか成し得ない。(というよりも、視野の拡張を行える、という一点で、予測には価値があると言えそうだ)(ホントか?)


2977:【2021/05/02*無礼でごめんなさい】
何かしらの論の根拠が、「いままでがそうだったから」とか「強者が通った道だから」とか、循環論法や歪んだ自然淘汰の原理を引き合いにだす類の論説は往々にして破綻している。また、畑が異なるのならば、そこで期待される成果物もまた異なる。その畑で不要だからといって、ほかの畑でも不要かどうかは分からない。一つの畑の基準をすべての成果物に当てはめられても困るし、それは早まった考え方だ。視野を広く持ってほしいし、その点を、すくなくとも何かを審査する側はつねに持ち、前提として補足しておくほうが親切ではあるだろう。わざわざ言い方をわるくして、立場のわるい者の反感を招かなくともよいだろう。そうした反感を期待しているのならば、悪質だと言える。なんにせよ言葉というものは、立場の上の者が、下の者に気を使うものであり、逆ではないのだ。礼儀とは、上の者が下の者に向けるものである。(いやいや、誰に対しても礼儀を尽くしてくださいよ。本当頼みますよいくひしさん)


2978:【2021/05/03*だって楽しいんだもん】
SNSから距離を置いてもいかに困らない生活を築けるかが、これからの十年の幸福の基準となっていくのではないか、との予感がある。SNSを利用せずとも満たされる自尊心と情報源を持とう。(おまえが言うな大賞一位とれそうな言葉やね)


2979:【2021/05/04*私はたまにうそつきです】
いいなぁ、ではなく、いいぞ、と思うと精神によい。暗かった視界がぱっと明るくなる。他人が何か成功していたり、何かを手に入れていたり、活躍していたときは、とにかく、いいぞ、と心のなかで唱えるとよい。口にだしてもいいだろう。だしたことはないが。それでも、口にだしただけでも、精神によいのが判る。羨望ではなく、応援である。いいぞ、と思えば、じぶんも他人もみんなよい。ただし、批判の視点も忘れずに。(じぶんに対してはつねに、いいぞ、と思っているからこうして言い聞かせる必要はないのだ。私はつねにいいのだ。たくさん失敗しているだけのことで)(うそ。ほんとはいつでも、もうだめだー、と思っています)


2980:【2021/05/05*言うほど抱えていない問題】
いったんすべてを捨て去って、それでも残るものを確認する時間がほしくなるときがある。たくさんの知識や技術を抱えてしまったがゆえに、それらダマとなった情報を繋ぎ留めておくために脂肪までもたらふく抱えこみ、身動きがとれなくなって感じられるときがある。いちど身に着けたものを手放し、身軽になってなお手元に残るモノの価値を確かめたくなるのだ。そのためには、身体いっぱいで抱えきれないほどの何かをいちど抱えなくてはならず、この行為は何度も反復することとなる。いずれはこの行為すら重荷に感じ、最も純粋な何かを得るために、命さえも擲つのかもしれないが、いまはまだ、その境地に立ちたいとは思わない。波のような反復に身を委ね、そのたゆたいを楽しんでいきたい。(泳げないので、浮き輪がほしいところだ)


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参照:いくひ誌。【2171~2180】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054890593071

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