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いくひ誌。【2951~2960】

※日々、これがおまえの総決算、とだらけきった権化が鏡の奥からしたり顔、うるさいだまれ、ぽっこりおなかもかわいいよ、と褒めるとほっぺを赤くする。


2951:【2021/04/05*ぽくぽくぽく、ちーん】
とにかく壮大な物語を欲しているのだ。何か月も浸かっていられるような体験を身体が渇望している。もうこれさえあればいい、という没頭と偏愛と執着の極致のようなものを味わいたい。自らの手でそれを編みだせたら言うことがない。いまじぶんがどんな人物となら触れ合いたいかをとことん突き詰めて考えてみるのがよさそうだ。(いるのか?)


2952:【2021/04/06*ツナマヨが好き。醤油が垂れてると、もーっと好き】
積みあげるという発想は、積みあげてきたものの全貌が見えなくなるくらいになるとむしろ道を塞ぐ壁となる。そうではなく、繋げていくという発想に転換していくことが、長期に亘って、意欲を失わずに様々なことに挑戦しつづけていく姿勢を保つことに繋げるのではないか。やはりここでも、繋げることを意識してみるのがよさそうである。というよりも、なにかよさげだな、という事象は、繋げることでしか成し得ないのかもしれない。それが人である必要はない。さまざまなモノとモノとを繋げていきたいものである。(繋がるではなく、繋げる、が肝だと思うのであります)


2953:【2021/04/07*プロじゃないから分かりません】
一部の商業作家たちが書いていたのだが、「プロになると純粋に創作物を楽しめなくなる」そうだ。そういうものなのだろうか? 純粋に創作物を楽しめなくなったら表現者として終わってないか? と疑問に思うのだが、あなたはどう思われるだろう。純粋に創作物を楽しむとはどういうことか、によって答えは変わるだろうから、いちがいに言えることではないとは思うにせよ。表現者として腕を磨けば磨くほど、創作物の楽しみ方は増えていくように感じるが、違うのだろうか。(楽しみ方が増えていくのだから、純粋ではない、混合している、ゆえにプロになると純粋に楽しめなくなるとの言説は矛盾しない、という解釈は成り立ちますね)(プロにつっかかりたいだけのわるがき。すなおにうらやましぃぃぃいい、きぃぃぃぃいって言えばいいのに。いじけちゃんかわいい)(そんなんじゃないやい)


2954:【2021/04/08*ふしぎだなぁ、と思います】
三次元プラス時間という四次元に住まう我々が、なぜ時空の歪みを二次元的にしか解釈できないのか、が疑問だ。三次元空間の歪みを表現するとき、どうしても時空の歪みは、平面の歪みとして局所的にしか想像できない。なぜなのか。我々の認識はそもそも、二次元の合成でしか世界を解釈していないからなのではないか。では三次元プラス時間という四次元の歪みを想像するには、三次元の合成を試みるのが正当なのではないか。そうしてくると、三次元プラス時間という四次元と、超立方体としての空間的四次元は、ほとんど同質のものと解釈して差し障りなく感じるが、真実のところはどうなのだろう。情報が足りない。先行研究における分かりやすい資料を読んでみたい所存である。(ぜんぜんわけわからん)


2954:【2021/04/09*そんなにうまくいくわけないが、やってみなければわからない】
世間的に好ましくない手段を用いて、何かしらの仕組みを是正しようとすることは、果たして許容してよいのかに関して、これからはより論理的な解を求めていく姿勢が欠かせない時代に突入することが予想できる。暴力を用いての改革は、おそらく同じ轍を繰り返す種を残すという意味で、最適解ではない。暴力は用いないほうが好ましい。だがこの暴力の言葉に内包される事象は、社会が発展していくにつれて増加していく。かつては相手を殺傷することが暴力だったが、現在ではハラスメントやヘイトを筆頭に、暴言や圧力などもまた暴力の一つとして数えられるようになった。その結果、連帯と言われる運動と、ファシズムに見られる扇動との区別は、厳密にはつかなくなりつつあるのではないか。何を目指すのか、或いはその結果に何が起きるのかの、結果論でしか区別をつけられない状況に、現代はなりつつある。個々人の善意が集団となることで創発を起こし、予期せぬ性質を顕現させ、暴力装置として機能してしまう悲劇は、過去何度も人類は繰り返してきたはずだ。歴史をひもといてみれば瞭然であろう。どのように目的を設定し、どのようにそれらを広報し、どのように個々を結びつけ、どのようにして目的を達成するのかについて、いまはかつてないほどに繊細で緻密な段取りを挟まねばならない。だが、それら段取りが細分化し、一部のそれら段取りを共有している者たちにしか改善できない流れが生じれば、必然、時間経過にしたがって前時代的な暴力の匂いのつよい手段が用いられるようになるのは、しぜんな流れだろう(特権の性質が際立つからだ。また、そうした流れに反発しようとすれば、なぜか相手の段取りを介さないといけなくなる。不当だと指弾する余地を相手側に与えてしまうからだろう。そうなると応酬は雪だるま式に複雑化し、錯綜し、先鋭化する。それを過激化と言い換えてもよい)。そうさせないためにも、組織を動かせる管理者たちが下の立場にある者たちの利を最大限にするような環境を整えようとする姿勢を維持することが、最も合理的な判断となる。つまり、上の者が、下の者にゆずるのだ。勝者が、敗者に利を譲る。利を得たければ、負ければいい、というくらいに常識を変質させられれば、この世から争いごとはなくなるだろう。譲り合うことが、じぶんの利になる。それを本能で理解できるくらいに、人類は、倫理観というものを発展させていくのが好ましいように思うしだいである。(理想論であり、きれいごとだが、ほかに目指すべき指針を見繕えない。充分ではないが、まずはそこを目指せば、ひとまず最悪の事態を避けることに繋がるのではないか、との願望です。希望的観測ですらない)(この場合、競争と闘争は分けたほうが好ましい。競争は切磋琢磨し、闘争は勝ったほうが相手に利を譲る。やはり理想論ですね)


2955:【2021/04/10*ニヒルをきどるのもたいがいにセイヤくん】
どういう規模のコミュニティで生きようと、ちいさな世界に違いはない。上を見ていたらキリがない。何かの尺度でみずからの立ち位置を規定しようとする作業は、おそらくみずからの可能性を、ある段階までは引きあげてくれるが、それ以上に行こうとするならば、足を引っ張る桎梏となるのだろう。大国の大統領になったところで、しょせんは人類におけるほんのいっときの権力を有するにすぎない。この世の、宇宙の、世界の大きさからすれば、地球上のどんなコミュニティも似たようなものだ。宇宙は直接じぶんに関係しないのだから考えるだけ無駄だ、という反論が飛んできそうだが、それを言うなれば、直接関係のないコミュニティのこともまた考えるだけ無駄と言える。ほかのコミュニティに作用されない環境を築くことのほうが、すでにあるコミュニティのなかで他者を蹴落とし、しのぎを削ることよりもあらゆる面で自由なのではないか。一方的に他者に作用できる透明人間であることこそ、自由の名にふさわしいのではないだろうか。定かではない。(フリーライドって言葉を御存じでしょうか。いくひしさんのそれは苦労せずに利だけかすめとりたい、搾取する側に回りたい、との欲望に聞こえますが、釈明の言葉はありますか? ないですか。そうですか。いまのじぶんを肯定するのに必死なのですね。お疲れさまでございます)


2956:【2021/04/11*堕落の底の底】
物語市場における商業作品では、編集者たちはおそらく、既存の作品群と比べて足りない点をまずは埋めようと助言をするのではないか。しかし、それによっていまは、作家性が損なわれ、作品の魅力そのものが減退してしまう例が頻出して感じられる。商業作家ではなくとも、商業作家以上におもしろく、魅力的な物語をつくりだしている作家は数多い。そうした者たちは、商業という舞台に馴染まない形態で、物語を出力し、表現している。だがそれはあくまで、商業の舞台に馴染んでいないというだけのことでしかない。商業の舞台は、あまたある表現発表の場の一つでしかない。そこに乗らないから、或いは、乗れないから、作家として劣っている、なんてことはありえない。これからの時代は、かつてはとりこぼされてきた魅力ある物語が、多くの者の目に留まるようになっていくだろう。その結果、商業の舞台そのものが変質せざるを得ない節目に、いまはさしかかっているのではないだろうか。商業の意味合いが変質しつつある、と言い換えてもよい。潮目はとっくに変わっている。各々、じぶんの足場を固めていきましょう。(そうは言ってもきみの足場はグラグラというか、スカスカというか、なんもないというか、それどうやって立ってるんですか。浮いてませんか。飛んでる? や、それはですね、落ちつづけているんですよ)


2957:【2021/04/12*よく育て】
身体が脂肪を蓄えたようで、ジャンプをすると身体の表面を脂肪が時間差でぷるんぷるんする躍動感を味わえるようになった。なるほどこれはこれは。じぶんの身体のようでじぶんの身体ではないようだ。じぶんの身体のなかにじぶんの意思に反した動きをするものが埋め込まれている。髪の毛もまた似たようなもので、つまり風が吹けば意識に関係なくなびくわけだから、まるで宇宙人だと言っても過言ではない(過言である)。脂肪もまた、体内に根付いた宇宙人と言えよう。脂肪はしかし、髪の毛のように切ってさっぱりするわけにはいかない。これ以上、身体のなかに宇宙人を飼うのは潔しとしたくはないので、食事の改善か、運動の割合を増やそうと思うしだいである。(ペットは一匹でせいいっぱい。かわいいぽっこりちゃんをたいせつに)(おむねはもともとぺったんこ)


2958:【2021/04/13*重力熱情報いくひし仮説2】
一般相対性理論において、或いは量子理論において、重力の高い物質は時空を歪めるとされる。だが宇宙のスケールと、我々人類のスケールとでは、その時空の歪み方はまったく異なると言える。宇宙スケールでは大きく歪曲して映る事象であっても、我々人類の日常スケールでは滅多に観測できない。ほとんど無視できる。なぜかと言えば、時空を曲げるためにはすさまじく高い重力が不可欠であるからだ。とはいえ、質量が低くとも、時空への干渉は行われているはずだ。影響力は無ではない。それはたとえば、鉄を羽で撫でるようなものだ。数回程度では影響は目に見えないが、何億、何兆と羽でなぞれば、いくら鉄と言えども表面がえぐられるだろう。似たようなことが質量の低い物質と時空のあいだでも言える。畢竟、原子といえども時空に作用を働かせている。また、銀河は中心に巨大な質量体、いわゆる巨大ブラックホールを保有しており、さらに星々の合間には暗黒物質が満ちていると考えられている。つまり、銀河それ自体がとてつもなく高い質量体だと考えることができる。そして質量の高い物質は、高い重力を保有し、時間の流れが遅くなる。つまり、銀河内における惑星は、銀河外における時間の流れよりもねっとりと時間が経過していることになる。言い換えれば、質量の低い銀河ほど時間の流れは速く流れる。だが、往々にして恒星は、質量が高いほど早く燃え尽きる。ここに矛盾が垣間見えるが、一般相対性理論の解釈を曲げれば矛盾はなくなる。つまり、重力の高い物質の周囲の時間の流れは遅くなるが、重力の高い物質の内部においてはむしろ時間の流れが速くなると考えればよい。これは質量の軽い物質のほうが、重い物質よりも時間の流れが速いこととも矛盾しない。巨大な質量を構成する各種要素は、本体よりも速く時間が流れる。そこに加速して見える時間の流れの分が、それら各種要素の総体――本体たる巨大な質量体の周囲の時間の流れを奪い、遅くしている。これは、原子や分子、電子や素粒子など、小さい物質ほど高速で動いていることとも矛盾しない。これは生命にも当てはまる。なぜちいさな生命体ほど早く寿命を終え、巨大な生き物ほど長生きするのか。人類スケールにおいては、重力と時空の関係はほとんど無視できるため、小さいものほど時間が速く流れる、という法則のみが際立ち、そうした性質を創発しているのではないか、と考えられる。ここから言えることは、重力と時空の関係と、重力と時間速度の関係は、必ずしも比例しないという点だ。どちらかと言えば、重力と時空の関係は、宇宙スケールのみに際立ち、重力と時間速度の関係は、対象のスケールに関係なく生じ得る。むろん、時間速度の変化そのものは微小であるが、どんなに小さな物体であれ例外なく生じる性質があるために、創発を起こしやすいのだろう。たくさんの原子でできていればいるほど、或いは種々相な部位(つまり質量や速度の異なる部位の複合体)であればあるほど、それら複合体に流れる時間の流れは変質しやすいと言えそうだ。(じぶんで並べた文字の羅列なのに、何を言いたいのかさっぱりわからん。こういうのをデタラメ、と言います。真に受けないように注意してください)


2959:【2021/04/14*同化ではなく、触媒】
コミュニケーション能力うんうんが囁かれる世のなかだが、往々にしてコミュニケーション能力と謳われるもののおおむねは、組織やコミュニティ内において波風たてないように、ごくごく狭い範囲における文化に迎合できるか否かにあると言えるのではないか。そのようなものはコミュニケーション能力とは相反する、むしろまったくの別物に思える。異質な者同士を結びつけられる素養こそ、コミュニケーション能力の本質と言えるだろう。(ホントか?)(異質な者同士を結びつけるには、波風立てないようにそれぞれの文化やコミュニティに溶け込める技能も充分にコミュニケーション能力に必須な素養に思えるが?)(あばばばー聞こえなーい)


2960:【2021/04/15*ぼろぼろの肉、それはそぼろ】
大股で三十歩進む、というトレーニングをはじめたのだが、その結果、太ももの裏から臀部にかけての筋肉が壊滅的なダメージを受けて、よぼよぼのおばぁちゃんになってしまった。合計で六十歩、距離にして七十五メートルほどを移動する。文章で並べるとたいした運動でない気がしてしまうが、ほかのどんなトレーニングよりも筋肉が死んだ。きょうで三日連続で行ったが、筋肉痛が治る様子は一向にない。むしろ背筋まで弱っているようで、休養日を儲けたほうがよいかもしれない。(これがほんとのボロ儲け)(念のためにご説明致しますとこれは、ボロボロの身体に休養日を儲ける、を略して、ボロ儲け、と言い表したことで、いわゆるお金をたくさん稼いでウハウハだぜ、というボロボロの印象とは相反する言葉とかけまして、おもしろーい、と思っていただこうとの魂胆を短くも丹念にしたためた、わたくし渾身のダジャレなのであります)


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参照:いくひ誌。【1541~1550】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054886837372

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