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いくひ誌。【2941~2950】

※日々、歯が欠けてから後悔する、根っこが腐ればそれも忘れる。


2941:【2021/03/26*わっからーん】
ブラックホールは蒸発する。真空中に置かれたブラックホールにおいて、ブラックホールと真空との境界では絶えず真空エネルギィが対生成を起こし、粒子と反粒子を生む。その際、いっぽうを吸いこみ、もう一方を弾き飛ばすような振る舞いをみせる。粒子と反粒子のどちらが弾かれるのかはそのときどきの確率による。いずれにせよ、真空エネルギィは物質や反物質に変換され、結果としてブラックホールの質量は蒸発する(ブラックホールに吸いこまれた物質と反物質とが対消滅を起こすから蒸発するのだとしたら、そのエネルギィは残るわけで、なぜそれが蒸発に繋がるのかが疑問だが、この解釈が間違っているのかもしれない)。ちなみに蒸発にかかる時間はブラックホールの質量による。素粒子ほどのブラックホールならば比較的短時間にそれこそ瞬時に蒸発するだろうが、恒星のような星がブラックホールになった場合――その大きさは直径数キロから数百キロメートル程度になるだろうが――蒸発するまでは宇宙の寿命の何兆倍もかかる計算となる(つまり、量子的なサイズでは蒸発するが、恒星サイズではまず蒸発しきることはないと言えそうだ。計算したわけではないが。また、この直径という言い方も、おそらく事象の地平面についてであり、本来物質が凝縮した特異点たるブラックホール本体は、どんなブラックホールであってもすべて素粒子サイズなのではないか? よく分からない)。ここから判ることは、ブラックホールは質量がちいさいほど早く蒸発するということだ。しかし、ブラックホールの周辺に吸いこむ物質があるならば、ブラックホールは成長するので、必ずしも質量の大きさが、蒸発するまでの時間と相関するとは限らない。また銀河の中心には超巨大なブラックホールがあると考えられているが、なぜそこまで成長できたのかについては謎とされている。おそらくは、ほかのブラックホールとの融合によるものではないか、と想像できる(ブラックホール同士は通常、距離が離れているので、無数のブラックホールが融合する、というのは確率的にあまり考えられないが。ほかに考えられるとすれば、インフレーションやビッグバンが発生したときの宇宙膨張時に起きるだろう、膨張の波の振幅により、巨大な質量のダマができやすかった時期があるのではないか、との妄想ができる。たとえば宇宙は段階的に膨張しており、その速度は一定ではない。つまり、宇宙を膨張させているダークエネルギィは、段階的に急激に増加した時期があるのだ。これは、初期の膨張波が質量の偏りを生んだとすれば辻褄が合う。何より、仮にブラックホールそのものがダークエネルギィを生みだす元であるならば、ブラックホールがたくさんできた時期ほど、宇宙膨張の速度は増すと考えられる。ただし重力の差は、時間経過の差として現れるため、そこにも波のような、段階的な差が生じると妄想できる)。(ちなみに真空エネルギィは、ダークエネルギィの候補として有力視されている――らしい。これもまた私はぜんぜんよく理解できていない)


2942:【2021/03/27*好ましい上下関係】
権力構造による弊害を失くすためにはまず、立場の上の者が、立場の下の者へと利益を生む場を提供する仕組みを築いていくのが効果的なのではないか。何かしら資本を贈る行為は贈賄にあたいし、却って腐敗を招くだろう。だが、たとえばむかしであれば領主は農民に対して、道具や土地を与えた。代わりに、そこで生産されたうちの余分な生産物を買い取る契約を結ぶ。場を提供する代わりに立場の上の者は、じぶんたちの目指す仕組みの一端に、立場の下の者たちを招き入れられる。ただし、ここで言う「立場の上の者と下の者」というくくりは、単純な上下関係ではなく、敵対関係にありながら何かしらの勝敗がついた場合における、勝者と敗者の関係についてである。そうでなければ、単なる上下関係は、閉じた世界へと偏向していくことが予想される。それはたとえば、世界中のみなが手を繋ぎ合えば大きな輪っかになり、平和が築かれる、といった詭弁と似たようなものだろう。世界中の人間が手を繋ぎ合ったところで、身近な人間だけで輪っかを作ってしまえば、無数の輪ができるだけで、むしろ世界は閉じてしまう。極論、二人で繋ぎ合ってしまえばそこで終わる。一人ですら、左右の手を握ればそれでおしまいだ。連鎖はしない。循環しない。そこで、有効になるのが、ほかの輪との繋がりであり、共生関係を結ぶことだ。ただし、世界は複雑だ。利害関係は立体的かつ多面的に展開し、容易には協力し合えない。そこで生じた諍いは、歴史を紐解けば枚挙にいとまがない。そうした争いにおいて生じる勝者と敗者の関係では、これまでは敗者が勝者の言うことを聞くようにと、強制力が生じた。だがそうではなく、勝者が敗者の言うことを、利を、願いを、叶えるようにすることで、世界はよりよく発展し、大きな輪を描いていくようになるのではないか。そしてそのときに勝者が叶える利とは、単純な資本や利益ではなく、それらを恒常的にもたらす未来に渡って有効になり得る発展の礎であり、場であるべきだ。むろんそれらを選択し、拒む権利も、敗者にはある。そうした倫理観をみなが備え、暗黙の合意を結べるところまでいけば、人間に備わった競争本能の暴走を防げるのではないか。競争に制限をかけるだけでは足りない。いかに健全な競争であろうと、大多数がそれを行えば、そこに創発する性質が必ずしも好ましい性質になるとは限らない。出来得る限り好ましい創発や発展があらわれるように、立場の上の者が下の者へと場を提供する、といった共通の習慣ができると好ましいのではないだろうか。繰り返すが、この場合の上下とは、階級ではなく、勝者と敗者の関係であり、究極的には日常生活のうえでも生じる、立場の上下である。これはいつでも、そのときどきで入れ替わるものである。(言い換えるならば、それだけたくさんの競争や闘争が、日常では、大小に限らず無意識下においても行われている、ということでもある)


2943:【2021/03/28*ちゃんちゃらーん】
地球の公転軌道において周回する宇宙ステーションは、厳密には無重力ではない。地球の重力圏から脱出していないからだが、それでも宇宙ステーションの内部では物体は無重力のように振る舞う。地球の重力と、遠心力(慣性力)が釣り合っているために、重力が打ち消され、無重力のように振る舞う。ただし、力とは相対的な関係性によって叙述されるものであり、重力(重力質量)と加速度(慣性質量)は区別できない。これを等価原理と呼ぶ。(一つお利口さんになりました!)(理解したわけではない)


2944:【2021/03/29*元気百倍、ゼロゼロマン!】
元気というものがよく分からない。元気とは状態なのか、性質なのか、それとも属性なのか。たとえば明るいひと、と言えばなんとなくニュアンスは判る。いつもニコニコ笑顔を絶やさず、他者を否定せず、積極的に交流をはかろうとするひとだ。そうしたひとは明るい。だがそれは必ずしも元気だとは限らない。明るくとも元気のないひとはいる。うつ病を例にあげるまでもなく、空元気という言い方があるくらいなのだから、元気がないのに無理をして明るく振る舞うことはある。では元気とはなんだろう。活発な様子を示す言葉なのか。それともつねに動きつづけている状態を言うのか。エネルギィが充満している様子となんとなくちかい気がするが、どうだろう。お腹が空いたら元気がでない。矛盾しないように思う。だが、お腹がいっぱいになったのに元気がでない、も矛盾しない。エネルギィをやる気に替えても似たようなものだろう。いや、どうだろう。やる気があればそれは元気があるのではないか。だがいくらやる気ばかりがあっても一見して元気がなかったら、やはり元気がないひと、と評価される。なるほど、主観と客観の評価はべつだ。元気という言葉には、いくつかの視点からの評価が混在している。じぶんにとっての元気、傍から見た元気、それからいつの時点から見た評価なのか、も関係していそうだ。若いころの疲れた身体は、それでも老年のころから振り返れば、それそのものが元気な証と言えそうだ。元気だから疲れることができる。疲れ果てることができる。なんとなくわかってきた気がするが、するだけだ。まったくわからん。元気がないときは休めばいいし、動けるなら何かしらしたいことをすればいい。何か好奇心を満たすような行動をしていれば、ひとまず主観がどうであれ、疲労の有無に関係なく、元気なひと、と傍からは評価されるのかもしれない。定かではない。


2945:【2021/03/30*油断しすぎでは?】
新型ウィルスによる災害において、問題なのは、その発生源が人為的であるか否かではなく、人為的にも引き起こせるか否か、にある。仮に人為的にも、人類にとって最悪のウィルスを容易に開発できるのであれば、いまのままの社会構造では容易く崩壊する確率が高い。バイオテロに対する防衛を、軍事や外交の強化で成しえるのは、相応に効果はあるが、それよりも生物(ウィルス)兵器によって感染爆発が引き起こされないような都市設計をいまから真剣に考え、模索し、開発しなおしていくほうが、現状維持を目指すよりも、人類の生存戦略として適当であるように思うが、いかがだろう。生物兵器を用いても効果がない、脅迫にならない、そうした都市設計を築いていくほうが、経済の面でも、防衛の面でも、利があるのではないだろうか。(妄想ですので、真に受けないようにしてください)


2946:【2021/03/31*忘却】
「しあわせは忘却のなかにしかないんですよ」「忘れ去られる幸福を知らないのですね」「忘れられるためには必要不可欠な段階というものがあり、至福とはその段階にしか宿らない。その段階を得つづけることがすなわち、生きるという行為なのだ」「忘れられることもなく、ただ存在する存在になれたらひとは、神にもなれる」「忘れられつづけることができたら、ひとは誰より有名になれる」


2947:【2021/04/01*理想≠完成図】
改善点とは、完成図があって初めて姿を現す影のようなものだ。まずは完成図がなければ改善すべき点をみつくろう真似はできない。完成図は、そのときどき、環境によって変わっていく。何を完成と見做すのか。どこを目指すのか。そこを定めないことには、現状維持以上の成果を結びつける真似はむつかしい。


2948:【2021/04/02*私はワープが下手なのです】
たとえば銀河同士は何百万光年と離れている。となりの銀河で何が起きようとたいていのことは地球には関係がない。これを縮小して考えれば、同じ銀河内でも同様だし、太陽系内でも、似たようなものだ。とはいえ、さすがに太陽や月で、何か大きな異変が起きてしまうと困ってしまうが、その異変がたとえば人間一人分の質量くらいならば、さほどに心配する必要がない。むろん人間一人分の質量の核融合反応が月で引き起こったとなれば話は別だが、そうした異変はめったに起きたりはしない。もうすこし規模を縮小し、同じ地球内ではどうだろう。距離が縮まればその分、影響を受ける割合が増していく。ちょっとの変化が、伝わってしまうこともある。ただそれでも、大概の影響は、距離が隔たっていれば打ち消され、打ち消された時点で、銀河系のそとで起きたことと原理上区別はつかない。もちろん、大陸を隔てたくらいでは、人類社会の引き起こす異変は打ち消されない。環境問題しかり、戦争しかり。ただし、たとえばそれが他人からの評価という、意識下の認識程度であれば、ほとんど無視できると言える。銀河系のそとのべつの星の住人から評価されないからといって、何百光年と離れているあなたにとってそれがどんな意味を持つだろう。それがたとえ、テレポーテーションで繋がりあえる技術があったとしたところで、その技術を使わなければやはり遠い宇宙での出来事であり、やはりあなたには関係がない。じぶんには関係がない。これは無関心とはやや話が異なる。関心がないのではなく、影響がないことを知っているだけだ。ゆえに、影響が及ぼされるような認識のされ方がなされるようならば、無視はできない。だが、相手から高評価されるか否か、という認識の問題程度ならば、これは無視できる問題と言えよう。銀河同士でなくとも、これは地球上でも同じことが言える。あまり他者からの評価に踊らされずに、あなたの中に広がるあなただけの惑星にて、あなただからこその生態系を築き、平和を育んでいこう。(もちろん、遠い星のうえに住まうなにかしらから好ましく思われようとしてじぶんの行動指針を修正していく真似も、それはそれでステキで、ロマンチックではあるのだが)


2949:【2021/04/03*どんぐりの背比べって諺を知っていますか?】
極端な話で恐縮だが、ルッキズムに関しては、たいがいの人類は絵画やイラストのいわゆる美形とされるキャラクターたちよりも歪んでいるし、醜い部分を宿している。基準をそうした表現物における美にしてしまえば、総じての人類はみな同一に不細工と言ってしまえるのではないか。ルッキズムにおかれては、他者と比較することそのものを批判するというよりも、基準をどこに置いているのか、を議論したほうがてっとり早い気がする。人類は総じて醜い。見た目で優劣を競えるほど、あなたも私もうつくしくはない。それでよくはないですか?


2950:【2021/04/04*ちやほやされたーい!】
ちやほやされたいという欲求と、ちやほやされるような人物になりたいとの願望は、同じではない。誰かに称賛されたいだけなのか、称賛に値する何かしらの行動をとれる人間になりたいのか、の違いと言える。他人を操りたいのか、じぶんを制御したいのか、の違いだ。ちやほやされたい、との欲求は、他人を意のままに操りたいとの欲求である。独裁者の発想に似ている。反して、ちやほやされるような人物になりたい、というのは、自己実現であると言える。欲求や願望が、他者へと向かうのか、自己に向かうのかの違いであり、突き詰めて言えばこれは、どちらがより叶えやすいかの違いに繋がると言えよう。周囲の環境を変えるのはむつかしいが、それに比べればじぶんを変えるのは比較的容易だ。他方、じぶんを変えることがむつかしい環境では、まずは環境を変えなくてはならないこともでてくる。とはいえ、その場合は、ちやほやされたい、という欲求を抱く余地もなく、ただただ生存本能を刺激されるような劣悪な環境であるだろうから、例外と言ってもよいだろう。まずはどんなじぶんになりたいのか。そこを基準にして、願望なり、欲求なりを選んでいくほうが、より好ましい環境を築くという意味でも、最適なのではないだろうか。定かではない。


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参照:いくひ誌。【61~70】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054881262233

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