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いくひ誌。【2931~2940】

※日々、考えているつもりで、ただの能書き、頭よいと思われたいだけ、存在価値を認められたいだけのワルガキ、脳ナシはいまじゃ差別用語だとほざき、大泣き、どうせそれも噓泣きだと、ぼやき、向けられる数多の矛先。


2931:【2021/03/16*陰謀ロン!】
陰謀論の本質的な問題とは、間違った前提を間違っているかもしれないと疑わずに推論を重ねてしまうことにある。これは陰謀論に限らず、フェイクニュースでもデマでも同様だ。間違った前提や論拠、論法を採用してしまうことが問題なのであり、「一見すれば陰謀論やフェイクニュース、デマに見える言説」そのものに根本的な瑕疵はない。つまり、一つの懸念として指摘しておくが、「陰謀論チックだから、フェイクニュースだと指摘されたから、誰それがデマだと糾弾していたから」といった反論を根拠に思考を煮詰めることもまた、陰謀論やフェイクニュースやデマにおける重大な看過できない問題の一つと言える。言い換えるならば、与えられた情報を鵜吞みにしたり、比較検証をせずに前提条件に組み込んでしまったり、分からないことをわからないまま保留せずに憶測で穴埋めをして、それを事実だと思いこんでしまうことそのものが問題の種である。似た問題として、いくら正しい情報を扱っていたとしても、それを適切に組み合わせ、筋道立てて繋げなければ、いくら情報が正しかろうと誤った結論が導き出される(稀に、過程が間違っていても偶然、正しい解法に結び付くこともあるが、再現性がないので、妥当と判断するには早計だ)。至極当たりまえの話をしているが、これがなかなかどうして日常生活において広く人々のあいだでなあなあにされているように概観できる。考えずとも危機に見舞われない平和な世の中の裏表と言えよう。これを弊害と捉えるか、適応と捉えるかで、このさきの未来が変わるのではないか、と懸念を呈して本日の日誌とさせていただこう。(というこの言説もまた誤った前提に、足りない論拠のオンパレードである。正しく物を考える、というのは、まことに面倒で、手間がかかるものである)


2932:【2021/03/17*関係なくない?】
将棋や囲碁、スポーツやゲームの実力におかれては、学歴に関係なくいかに質の良い訓練をしたか、それを好きでいるか、といった適正がものを言うのだと誰もが暗黙の了解で合意しているにも拘わらず(そうでない学歴至上主義の人間はすくなからずいるにせよ)、なぜ小説においては学歴が高い者ほどよい作品をつくりやすい、といった偏見がまかりとおるのか、はなはだふしぎである。(一方では偏見がなく、もう一方では偏見があるのはなぜなのか、という疑問であり、真実に「学歴」と「各分野の実力」に関係がないのかは、調べてみなければ分かりません。因果関係はなくとも、相関関係はあるかもしれません。環境要因というやつですね。機会の不平等とも言い換えられます)


2933:【2021/03/18*摩擦の是非】
多様性の効用の一つに、粘着性の付与があげられる。流動の性質が際立った集団において、多様化が進んでいると、急激な変化にブレーキがかかる。多様性のない社会では、みなが一方向に尽力し、あっという間に変化がもたらされる。そこで見落とされた瑕疵がのちのち大きな厄を運んでくるのは歴史を紐解けば自明である。そこで足を引っ張る因子があるとよい。一つきりではなく、がんじがらめに無数のダマが相互に足を引っ張り合い、それでもなおそうした拘泥から抜けだした個が、つぎの時代を切り拓いていく。その個が特別なのではない。その個の抱いている好奇心が、そうした逸脱を可能とする。足の引っ張り合いのなかで秩序を築くうえで欠かせないのは、互いに傷つけあわないことだ。そのためには、爪弾きにされ、傷ついている者がいないか、我慢を強いられている者がいないかに気を配るのが効果的だ。弱者を庇護するのは、弱者のためだけではない。巨視的に見れば、最も集団の利を生む術こそ、弱者の庇護なのだ。そうした弱者の中から、やがてがんじがらめになってにっちもさっちもいかなくなった社会をつぎの未来へと導いていく個が現れる。未来への導線を引く、好奇心を暴走させる個が現れる。やはりそこでも、集団の、互いに足を引っ張り合う性質は、そうした個の暴走をある程度、制御する方向に働く。けして踏み潰すことのないように、やはり虐げられている個がいないかに気を配り、庇護する仕組みや習慣を社会が築いていけると好ましい。多様化を保持し、弱者を庇護する仕組みをつくり、なお虐げられそうな者の声を、好奇心を、摘まぬ社会を我々は築いていくほうが、より多くの者がじぶんの幸福を追い求め、掴み、自由を満喫することのできる未来にちかづくのではないか。そうした未来を目指してこそ、じぶんの至福をより長く、安定して保持していけるのではないか。きょうの私はそう思うのだ。(足の引っ張り合いを、摩擦と言い換えてもよい。あって当然の現象であり、問題視すべきは、いつだって危害である)


2934:【2021/03/19*いったん距離を置いて、様子を見る】
カチンときたときにはすぐに行動せずに、どうしていまじぶんはそれをしようと思ったのか、をよくよく吟味し、それによって最悪どういう悪果が生じ、好ましい結果がどのくらいの確率でもたらされるのか、を推し量ってから、行動に移すかを決めても遅くはない。衝動的に、瞬間的に判断しなければならない場合も往々にしてあるものだが、そうしたときにはカチンとはこないはずだ。カチンときたときには、ひとまず時間を置く。それからどのようにしたら最も好ましい結果が訪れるかを計算する癖をつけておくと、長期的にはお得だと思われる(できればじぶんが直接に手を下さずに済む手法を考えられればいちばんよいし、実行せずとも、それだけで満足できるかもしれない)。もしそのせいで出遅れたり、損をしてしまったとしても、考えを煮詰めておけばその遅れや損を取り戻せる。また、即座に行動に移さなかったことでもたらされる悪果というのは、たいがい避けようがない(どうあっても避けようがないのだから、まずは考えることを優先しても結果は変わらない)。まずは身の安全を確保し、あとでゆっくりとじっくりと対策を練ったほうが、トータルでは得をする確率が高くなる。やはりいちど時間を置いたほうが、長期的にはお得なのである。(個人と組織とでは、やや話が変わってくるかもしれません。真に受けないでください)


2935:【2021/03/20*挑発しているわけではありません】
プロの格闘家はアマチュアや素人相手に、無闇に技をかけたりはしない。身体そのものが凶器だからだ。もし素人相手にプロとしての技を使えば、相応の罰を受けるのが道理だとする倫理観が築かれている。だがこれが文筆業ともなると、とたんに無法地帯と化す。小説のプロが、素人やアマチュア相手に、SNS上で息巻いていたりする。あまつさえ、作品以外での何かしらを以って、実力を誇示してすらいる。文章のプロとしてそれはいかがなものか、と思うのだが、プロとしての矜持や倫理感はないのだろうか。それとも、その程度のプロ意識なのだろうか。だとすれば、物書きのプロもたいしたことはない、との認識を持たれても致し方ないのではないか。プロの底が知れる。それこそプロといえども、上から下までピンキリなのだろう。SNS上で息巻いているプロは、プロのなかのアマチュアなのかもしれない。(そう思われても致し方ないのでは、という所感であり、私がそう思っているわけではありません、と注釈を挿そうと思ったけれども、けっこう素で思っているのかもしれません。プロ意識とは?)


2936:【2021/03/21*自爆テロとの区別は?】
怒っていいときと怒らないほうがいいときの差はなんなのか、と悩む。おそらくは、怒っても怒らなくともじぶんが得をしないときには、その怒りは何らかのカタチで表明したほうがよい気がする。怒ることでじぶんが得をするときは、あまり怒らないようにしたほうが好ましい気がする。損をすると判っていても伝えなければならない、抗議せねばならない。そういうときには、怒りをなんらかの形で伝えたほうが、環境を好ましい方向に整えるという意味で、短期的には損をするにしても、長期的には好ましいのではないか。同時に、どのように怒りを伝えるのかは、よくよく吟味し、工夫できたほうが、どんな場合であっても身を護るために繋がる。怒りを怒りだと判らなくなるまで加工し、装飾し、刺を取り払い、なおかつうまく抗議や反発の意図が伝わらなかったときのために、相手がそれを無視した際に、何らかの形で不利益がもたらされる構図になるように細工をしておくのがよいのではないか。むつかしいがゆえに、やはりよくよく吟味し、時間を置きながら、どうすれば最も安全に最大限の成果を結び付けられるかを考案していくのがよい。そのためには、どういう成果が最も好ましいかもまた、よくよく考慮されたい。じぶんが引き下がる(身を引く)ことで、大団円を迎えられるのなら、それもまた、怒りを表明した者の工夫の一つと言えるのかもしれない。(とはいえ、そういった個人に怒りを抱かせない環境を築くほうが本来は優先されるのだろう。つまり、誰かしらに怒りを表明させた時点で、それはもう事故であり、事件なのだ。刑事や民事に発展するか否かはおいといて)(定かではありません)


2937:【2021/03/22*本当かどうかは知らない】
地球を8,9ミリ以下に圧縮するとブラックホールになる。地球の脱出速度は秒速11キロメートルである。地球が8,9ミリ以下の大きさ(ブラックホール)になると、この脱出速度が秒速三十万キロメートルを超すので、畢竟、光すら脱出できなくなる。ただし、その重力の及ぶ範囲は限られる。太陽がブラックホールになっても、理論上は地球はそのままブラックホールの周囲を公転する。もっとも、恒星がブラックホールになる前段階では超新星爆発が生じるため、その際に放出されるエネルギィによって周囲の星々は粉砕されることになるだろう。(なんでそういう計算結果になるのかは、まったくわかりません。鵜吞みにした知識を披歴するだけでなんとなく賢くなったように見えますが、そういう所感がすでに愚かですね。かわいい)


2938:【2021/03/23*歯医者さん行きなさい】
あごに違和感がある。奥歯の虫歯か、それとも親知らずの影響か、圧迫感が拭えない。歯が浮いたような感覚は、空腹がつづいたりすると頻繁に発生する。体力が落ちた。12時間以上起きていられない。外出した日は特に疲れる。本もすらすら読めなくなった。漫画ですら例外ではない。ツイッターをながめすぎているせいかもしれない。控えようと思う。


2939:【2021/03/24*なぜなの?】
原子を中性子になるまで凝縮すると、十万分の一のサイズになる。原子が中性子になるとは、原子核と電子が融合することだ。ちなみに、中性子さえも、それを構成する素粒子たるクオークがあり、さらに凝縮する余地がある。そこまで凝縮されたものがすなわちブラックホールとしての性質を宿す。人間を原子サイズまで圧縮すればブラックホールになる。ただし、重力の及ぶ範囲は狭く、何でも吸いこむようになるわけではない。また、瞬時に蒸発するだろうと予測される。かつての宇宙では、素粒子サイズのブラックホールが無数に形成されていたのではないか、と見られているようだが、どうなのか。また、重力の高い星ほどはやく死を迎えると言われる。その点、ブラックホールはどうなのだろうか。重力の高い物体ほど時間の流れが遅くなるのならば、そもそも重力の高い星ほどはやく死を迎えるとの言説は矛盾するのではないか、と疑問に思うしだいだ。(考えるための土台になる知識が足りない。妄想しかできない)


2940:【2021/03/25*現実は捏造の地層であり、自我は捏造の地層を御馳走と見做す欲深き舌である】
記憶の捏造を行うには、無言であるほうが好ましい。何らかの行動の結果に対して、じつはそうではなく、こうしたかったからこうしたのだ、と後付けの解釈で、じぶんに都合のよいように過去の動機を捏造しやすくなる。初期の目標や目的を捏造できる。これを無意識のうちから習慣化してしまうと好ましくない癖となってしまうが、意識的に行い、制御可能であれば、これは過去の失敗を活かすための意識改革となり得る。過去にまき散らしてきた失敗を、布石とし直し、それをしたからこそいまがあり、ゆえにこうした成果を築きあげることができた、と好意的に捉えることで、過去に引きずられず、創造性を向上させながら、前向きに日々を生きていける。新たな目標に挑める。目的にちかづく。繰り返すが、無意識から行うのではなく、意識的に行い、制御することである。捏造は捏造だ。偽りだが、じぶんをだましだまし生きていかないことには、人間はあらゆる罪の意識にさいなまれ、押しつぶされ、死ぬしかなくなる。ある程度の自己認識の捏造は、生きていくうえでは欠かせないのかもしれない。かといってそれを肯定してばかりいると、取り返しのつかない失敗をしでかすのであろう。やはりと言うべきか、自覚と制御が肝要なのだろう。(或いは謙虚さを。じぶんの失敗を、成功に結びつけてくれた環境があったのだ、人々がいたのだ、と想像する癖をつけておくと、歪んだ自我を肥大化させずに済むのかもしれない。人は往々にして救われているのだ)(定かではない)


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参照:いくひ誌。【1331~1340】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054885956517

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