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いくひ誌。【2921~2930】

※日々、堕落しつづけ、加速する。


2921:【2021/03/06*靴不調】
体調不良だ。久方ぶりに自覚できるほどの風邪をひいた。寒気がすごい。一週間前にお腹の調子がわるかったが、おそらくそれが悪化したのだろう。靴を変えてからどうにも身体の調子がよろしくない。かかとの長い靴なのだが、ほんのすこしの微妙なズレが身体のなにかを狂わせているのではないか、と妄想したくもなる。靴の裏が滑ってしまうのもストレスに感じている。靴は常時、いくつかの組があるとよろしいのだが、贅沢なのだろう。買うだけの金銭的余裕もない。なるべく靴にはこだわっておきたいと改めて思った。


2922:【2021/03/07*無理をしない範囲で無理をしない】
市販の薬を飲んだからか、きのうよりかは体調はずっとよくなった。37.9度まで熱があがったが、薬のおかげですぐに下がった。きょうは一日寝ていることにするが、夜にはでかけることになるだろう。無理はしないが、無理をしてまで無理をしないようにすることはないのではないか、と屁理屈をこねて、しばし隙を見て遊んでしまうことにする。


2923:【2021/03/08*堰き止めたあとのこと】
眠すぎて、たくさん寝た。さいきんの関心事は、多様性の進んだ社会ではどこかで属性を均等に配置する処置を廃止しなければならなくなるのではないか、との疑念についてである。たとえば現在は、組織役員の男女の数を半々にしようとする運動が活発化している。なぜそうしなければならないかと言えば、組織の是正を行える上層部からまずは変わっていかなければ、その下部層に流れる男女平等の観念に偏りが生じてしまい、男女差別が助長されたままになる懸念があるからだろう。裏から言えば、男女差別を許容する流れがまずあり、その影響で、男女のあいだに歴然とした差が生じてしまい、それがさらなる差別構造を強化する流れを生みだしてしまうという悪循環がこれまでの社会にはあった。それを是正するためにはまず、流れを生みだしている上流において根本から流れを変えていけると好ましい。だが、是正が進んでいけば、社会における男女平等はある段階において達成されるか、或いはこれ以上是正しようもない、という極限に達すると予測できる。そうなった社会ではそもそも性別で人物評価を行う意味がなく、また男女差よりも個人差のほうがはるかに大きな社会となっており、それが当然だとする認識もまた人々のなかで築かれる。そうなったときに、かつての社会から踏襲された、男女の数を公平にすべし、との縛りはむしろ旧態然とした仕組みとして改善すべき悪因と指弾され兼ねない懸念についてはいまのうちから議論しておいて損はないのではないか。どうなれば、当人の資質のみで役職や職種を決められるのか。どういう社会になれば、男女平等を唱えずに済むようになるのか。いつまでも男女という性差に目を奪われ、何かしらの規範をつくるときの基準にすることは、男女平等の観点からやや的を外してしまうのではないか、との疑念は、これからさき、よくよく考え、その是非を見極めていきたいものである。だがすくなくとも現段階において、性差別は歴然と存在し、そして強者は強者に、弱者は弱者のままに、との構図を強化するちからとして社会に漫然と漂っている。まずはそうした流れを阻害し、新たな流れを構築しようとする工夫はあって然るべきではないか、との意見に異論を唱えるつもりはない。


2924:【2021/03/09*サボりたいだけ】
じぶんのことであるが、積み上げてきたものをいちど横に置き、新たに何かを積みあげはじめるいまは時期な気がしている。積みあげつづけながら新たにべつのことに挑戦する真似もむろんできなくはないが、どちらかと言えば、積みあげてきたものを熟成させる期間が必要なのではないか、との直感が働いている。敢えて放置して、錆びつかせるべきなのではないか。ときおりそうした方針をとることがあるが、すべての分野において放置しようとしたことはない。だがいまはその時期に差し掛かっているのではないか、との予感があるのだが、いまいちふんぎりがつかない。失敗したときにすべてを失う恐怖心が湧くからだ。だがこのまま中途半端に惰性でつづけるよりかは、一度区切りをつけ、時間を置く手法を取り入れるほうが好ましい未来に近づける気がする。予感でしかないが、試すだけの価値はある。もっと言えば、いまはずいぶんと狭い世界に身をやつしすぎているのではないか、との不安がある。どうにかしたほうがよい、との危機感、ともすれば焦りがあるのかもしれない。焦るときはすこし余裕を持ったほうがよい。そういう意味で、やはり時間を置く時期なのかもしれない。


2925:【2021/03/10*変化の速度を制御できたらよい】
人類社会における多様性と、生物多様性は必ずしも同じ視座では語れない。人間はコミュニケーションがとれるが、ほかの生物はそうもいかないためだ。たとえば外来種が増えると、自国の固有種が絶滅する危険性が増す。外来種を制限し、ときには駆逐する策が提案され、支持されることはそう珍しくはない。だがこれを人間社会に当てはめて考えてしまうと途端に差別主義の排他政策になる。難民を排除し、自国に固有の人種の繁栄を目指す。いわゆる保護主義であるが、生物多様性がそうなのだから、人類社会に当てはめても妥当だ、とするのは早計である。外来種がなぜ危険なのかと言えば、淘汰圧が極めて高いためだ。固有種を殲滅し、絶滅に瀕させてなおその勢力を衰えさせることがない。いくところまでいき、歯止めがかからない。これをむりくり人間社会に当てはめれば、侵略者のようなものである。けして難民ではない。侵略者であれば人間社会であっても防衛策を講じるのは妥当であろう。何もそれは固有の人種を繁栄させるためではない。優先するためではない。排他主義とは異なるのだ。ゆえにもし外来種であろうとも、淘汰圧が低いのであれば、これはむしろ生物多様性を増す方向に生態系を豊かにする。そもそもを言えば、どんな土地であろうとも、長い歴史のなかで外来種との交配が何度も繰り返され、現在の生態系が築かれている。人類も例外ではない。私もあなたも、様々な人種のDNAを有している。問題なのはしたがって、混ざり合うことそのものではなく、その速度である。淘汰される種があるか否か、多いか否か、どのくらいの速度で環境が変容してしまうのか。生物多様性を語る上ではまず、この視点から各種俎上に載る害悪とされるものへの対処の是非を論じずには、有意義な議論はむつかしいであろう。基本的なことであるが、これはほかのどのような社会問題であっても有効な前提条件となると言えそうだ(本当か?)。


2926:【2021/03/11*目的に合わない靴でした】
得意なことといえども、負荷のかかる状態で行えば、ぎこちなくなる。意識せずともできる所作ですら意識下におかれ、コントロールを余儀なくされるからだろう。しかし、いまいちど無意識の所作を意識の壇上に置き直し、どのようにそれを行っていたのかを見詰め直す時間はけして無駄にはならないように思うのだ。同時にそれを基本にしてしまうとこんどは堅苦しくぎこちない所作が身についてしまい、好ましくない影響が定着してしまう懸念があるため、あくまで一時的な訓練と位置づけ、常態化させないようにするのが利口なのではないか。靴を変えてからというものどうにも足が滑り、氷のうえに立っているようなおっかなびっくり感が抜けない。はやいところ新しい別の靴にしたいなぁ、との愚痴を漏らして本日の日記としておこう。今回の教訓としては、靴の裏はなるべく平らなものを選び(面積を増やして摩擦係数を増やしたい)、可能であれば軽くて頑丈な靴を選びたいものである。薄い靴や、素材がメッシュのもの、またスパイクのように床との接着面のすくない靴はじぶんには合わないようである。以前にも犯した失敗である分、いまいちど忘れないようにしておきたい。対策としては、失敗した靴を捨てずに手元に置いておくのがよろしいのではないか、と思う次第だ。


2927:【2021/03/12*まずは流れを整える】
他者への影響力を鑑みて発言の仕方を変えるのは、現状の社会に漂う漫然とした風潮のもとでは必要な自制と思われる。何のために必要かと言えば、発言の内容そのものではなく誰がそれを言うのかによって発言の是非や影響そのものが決定づけられるようなある種の権威主義やハロー効果を今以上に強化させないために、である。言論を内容の正当性や理屈の妥当性で判断すべきとする理屈がまだまだ社会には浸透していない。その人物の属性や社会的身分によって、その発言を支持するか否か、同意すべきか否かを、すくなくない人々が判断基準にしている。そうした流れをこれ以上強化させないためには、社会的身分の高い者や、他者への影響力を有した者は、自由に発言するのではなく、公共の福祉を鑑み、発言の内容の正当性や理屈の妥当性を担保しようとする姿勢を保ち、発言の内容によって他者に誤った行動をとらせないような工夫をしていくことが求められる。これは、社会的身分や他者への影響力で個人を判断することを肯定しているのではなく、個人を個人として見做し、そのうえで誰が言っているのかではなく、発言はその発言の内容そのもので判断するべし、との暗黙の了解を強化するための第一段階と言えよう。


2928:【2021/03/13*なぜ小さな影響は無視できるのか】
たとえば厚みのないピンポン玉のような生き物を想像してほしい。一次元を線とすると、二点間を転がる円(ピンポン玉)の描く直線がそこに住まう生命体の挙動と捉えることができる。二次元を面とすれば、面を縦横に移動するピンポン玉の筋や線のうごめきがそこに住まう生命体の挙動と捉えることができる。では三次元はどうか。三次元においては、立方体における六つの面に、それぞれ二次元生命体(厚みのないピンポン玉)が動いて見える。立方体を薄く輪切りにしていけば、無数にそうした面を見てとることができる。しかしいずれの面に映る円の筋や線の蠢きは一面として同じものはなく、同時に、総じてがある法則によって自由な動きを封じられている。その制約とは、面の総体で一つの三次元生命体(厚みのある球体としてのピンポン玉)を構築することであり、立方体内部に住まう三次元生命体の挙動に、各々の面に映る像が制限されている。では四次元ではどうか。四次元においては、六つの立方体に、それぞれ独立して動く三次元生命体(厚みのある球体としてのピンポン玉)が映しだされて見えるが、そのじつそれら六つの立方体に現れる三次元生命体は、一個の四次元生命体として生きている。これは言い換えれば、べつの時間軸において別々の場所で生きている人間を同時に見ているようなものであり、言うなれば六つの画面で同時に一人の人生を眺めているようなものである。では五次元、六次元、となるとどうなるか。これはそこに映しだされる世界(可能性)が増えていくことを示唆する。世界を同時に眺めることのできる視点、画面が指数関数的に増えていくことを意味するが、これはつまるところ、世界をどこまで一つの枠組みで見ることができるのか、という疑問に直結する。話は変わるが、世界は各種要素が相互に関連し、複雑に連携し、ときに打ち消しあい、世界の枠組みを一つに確定させようとする。そのたった一つの枠組みになぜ確定されるのか。たとえば今朝私が珈琲ではなく紅茶を飲んだとすれば。或いは飲まなかったとすれば、それは明らかに異なる未来を辿ることになるだろう。しかしそうした小さな差異は往々にして、大きな影響に掻き消され、未来の大筋においては決定的な差異とはなり得ない。なぜか。それは、多次元世界における無数の面が、それでも一つの枠組みのなかの生命体の挙動を制限するのと同様の理屈で、この世界そのものの挙動を制限しているからではないのか。多次元になればなるほどに面の数は増し、その面そのもののピクセルもまた増していく。僅かなピクセルのズレは多次元になればなるほどに許容されるが、そこで合成される多次元立方体内部に住まう生命体の挙動には大きく作用しない。おそらくこの世界はすでに多次元世界であり、この世界に内包される観測者、或いは挙動を伴なう物体の数だけ、その世界の枠組み、面の数を増していると妄想できる。定かではない。


2929:【2021/03/14*なんでそうなのかは知らない】
恒星において、その質量が大きいほど燃え尽きる時間は早くなる。恒星として質量が大きいほうが早く死を迎えるのだ。また、恒星の密度によって死までの過程が異なる。その過程を進化と呼ぶが、これは生物学的な進化とは違った意味合いである。恒星の多くは連星である。星の周囲を公転する星を惑星と呼ぶが、これが恒星の場合、連星と呼ぶことになる。連星は二つないし複数の恒星が公転する。いずれも恒星である。恒星は自身の質量によって、最後には、赤色巨星、白色矮星、中性子星、ブラックホールのいずれかになる。軽ければ赤色巨星で終わり、重ければブラックホールにまで進化する。ブラックホールになるにしても、その過程では、赤色巨星、白色矮星、中性子性、と進化の段階を経る。また連星においては、赤色巨星となった際の膨張現象により、隣接するほかの恒星にガスや質量が移動する。その際に生じる高エネルギィの放射が、いわゆる超新星であり、大規模なものが超新星爆発となる。その際には降着円盤を形成し、ジェット(高エネルギィ)を噴出する。ブラックホールにおいてもこれら降着円盤は観測され、その際に噴出するジェットは宇宙で最も高エネルギィの現象と言える。ただし、単独のブラックホールの場合は移動するガスがないために、降着円盤やジェットは観測されず、重力波以外での観測は絶望的と呼べるだろう。ちなみに二つのブラックホールが衝突しあうこともあり、このときに生じる重力波のエネルギィは、全宇宙の恒星が発する光を合計したものよりも多いと計算される。ただし、重力波は高質量の物体が高速で運動するだけでも生じるため、ブラックホールの連星があるだけで重力波はつねに生みだされていると推測できる。(覚書きですので、細かなところで間違っているかもしれません)


2930:【2021/03/15*お金ないない】
新しい靴を買った。八千円のが四千円になっていた。足を運んだ店舗ではハイカットの靴の品数がすくなく、とりあえずチェックポイントを満たした靴を購入した。チェックポイントは大別して三つある。ハイカットであること。靴底がぺったんこであること。生地が薄くないこと。三つ目の生地については足の甲の部分がメッシュ生地で、どうしたものかと迷ったが、頑丈そうではあるので、想定していた金額よりも安かったので、ひとまず買うことにした。初めて購入したメーカーの靴なのでやや不安があるが、まずは使用してみないことには真実にお買い得なのかの判断はつかない。先日購入したほうの靴も、使用する場所がいまとは違うところならば好ましい靴に思うので、十月になるまでは休み休み履きつつ、足に馴染ませておこうと思う。


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参照:いくひ誌。【1391~1400】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054886277035

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