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いくひ誌。【1391~1400】

※日々孤独が好きだと言い聞かせる。


1391:【多様性と相対主義】
多様性社会がだいじだ、といった意見を目にする機会が増えた。けっこうなことである。ただし、多様性が保たれていればいいという短絡な思考は危うい。こういったことを言うとまたあいつは逆張りなことを言っていると揶揄されそうだ。しかし現実問題、自然界の類例を見渡してみてもそうなのだから、多様性であればいいというわけではない、絶対的善ではないのだという点には留意しておいて損はない。たとえばすこし前までは、じぶんの意見はじぶんが守るためのもので他人に押しつけてはいけない(だから他人の主義主張も尊重しましょう)、といった寛容主義が流行った。多様性絶対主義への足掛かりになっていたと思われる。わるいことではない。共通認識として、じぶんの世界観と他者の世界観、或いはじぶんの生きるコミュニティと他者の属するコミュニティは必ずしも合致しない、否、往々にして違っていると認めることは、無意義な衝突を避けるために欠かせない原則とも呼べる。いわゆる相対主義だ。ただし、それは飽くまで「そもそも」の話なのだ。基盤である。そのうえに、社会は社会規範を設け、ルールを規定し、法律を定めている。人によって意見が違うからといって、じぶんはじぶんだ、では困るのだ。みんな違ってみんないい、しかし飽くまで最低限、共通するルールは守ってもらわねばならない。法律ともなれば割と白黒がはっきりとしている。裁判官や弁護士など、専門の判定士がいる。だが倫理観となるとすこし厄介だ。どこまでがよく、どこからさきが許容されないのか、これは個々人によって幅がある。ときには時代によって新たに犯罪に規定されたり、あべこべに当然そうあってしかるべき常識として認められる場合もある。法律もまた、時代によって変化する。絶対的な善ではないし、基準でもない。ともすれば、人が変わるから時代が変わり、人が変わるから法律が変わると呼べるかもわからない。基準はいつの世も人にあり、そしてその人という集合体は、極めて流動的で、とりとめがない。かと思えば、一つの流れにかんたんに流され、性質を一転させたりもする。扱いづらいようで扱いやすく、気まぐれで、従順だ。ある一面を切り落とし、押さえつけることで、一つの性質を際立たせようとするチカラこそが社会規範であり、ルールであり、法律である。何を際立たせるのかを、いったい誰が決めているのか。あなたは人間の、いったいどんな性質を際立たせたいと望むだろう。それもまた人それぞれに思い浮かべる色合いはさまざまだ。しかしかんぜんにバラバラではない。仮に個々の色合いがかんぜんにバラバラであれば、人類の浮かべる色合いはまっくろか、まっしろかのどちらかに寄る。完璧に偏りのない、均等な多様性とは、全体で見たときに、まったく多様性のない世界だと呼べるのだ。偏りはあっていい。それをバランスと言い換えればそれらしい。多様性そのものが重要なのではない。多様性のもたらす、色合いが、虹色のように、或いはモザイクのように、それともグラデーションのごとく、見る角度によって色調が変化するような層をなすこと――色彩の奏でる旋律から律動が失われぬように、均等ではなく、均衡を保つことこそが、多様性を尊重する意味合いなのだ。すべてが均等にバラバラであり、個々人が個々に好きかって生きる社会は、それはそれで多様性のない世界だと呼べる。規律を守ることがたいせつだ、という話ではない。多様性はあっていい。一律な世界であるよりも、種々相なゆらぎに溢れているほうが、崩壊への耐性を内包している確率が高くなる。ただし、多様性も行き過ぎれば、多様性という一律な色合いに染まった多様性のない社会に成り得るのだ。多様性とは飽くまで、回路を正常に循環させるための触媒である。多様性そのものが回路として機能するわけではない。回路は回路で、設計していかねばならない。その過程では、多様性を排除する真似もしなければならない。流れを限定することが回路の基本的な役割だからだ。多様性を目的にするのではなく、そのさきでどういった回路を築こうとしているのか、そこを見逃して、多様性、多様性、と叫んでも致し方ない。長くなった。最後にもういちど問いをなげかけて、本日の結びとしよう。あなたは人間の、いったいどんな性質を際立たせたいと望むだろう?


1392:【間違い】
いくひしは基本的に間違ったことしか言わない。どこかに瑕疵がある。錯誤がある。勘違いをしている。思い違いはなはだしい、とまでいくとすこし言いすぎな気もする。ともあれ、正しいことを言っているふうを装っているだけである。鵜呑みにせずに、じぶんで考えを煮詰めてみよう。いちばんかんたんな手法は、いくひしの主張に反論してみることである。例外を探し、この場合はじゃあどうなの?と考えてみるだけで、独自の考えを導ける。同じようなことを考えている者がほかにもいるかもしれない。だが、すくなくとも、あなたの導いた考えは、あなただから結ばれた筋道を帯びている。答えが同一だからといって、過程まで合致することは滅多にない。なんどやっても、誰が辿っても同じ筋道、同じ解答になるのならば、それは真理にちかい考え方だと呼べる。それはそれで尊ぶべき発見だ。なんてうそぶくこの文章自体が、錯誤に、謬見にまみれている。ふーん、と受け止めるくらいがちょうどよい。え? べつに真に受けたことはない? 正しいことを言っていると思ったこともない? あ、そうですか。そうですよねー。ごもっともで。はいはい、へー、そう。ふーん。


1393:【気質】
ご存じのとおり、いくひしはストーカー気質である。どんなに嫌われても「うるせー、俺は好きなんじゃ!!!」で追いかけてしまうようだ。妖怪じみているが、存在しないものとして扱えば害はない。悪霊になっていたら容赦なく滅してしまえばよろしかろう。


1394:【十周年記念】
ことし、いくひし、小説読みはじめて十周年記念です。来年、2019年は小説つくりはじめて十周年記念になります。ぱちぱちー。もちろんエビバディピポーは来年、いくひしさんを祝う予定をたてちゃったりしちゃってたりしてますよね。超高級ホテルの宴会場貸し切ってぱーちーなんか開いてくれちゃったりして、いくひしはもちろんそんなこと知らされてないから、目隠しされて、やたら快適な車に押しこまれて、椅子なんかなくって、ソファに寝そべってるうちに到着して、おめでとー、おめでとーって、道行くひとびとがカメラぱしゃぱしゃーって、水浴びみたいにして、いくひし、うひゃーって、びっくりして、わーいってよろこんで、えらいひとから、えらくないひとまで、つぎからつぎへと祝辞をあげていくなかで、いくひしまったくの意に介さずのハラペコちゃん、おいちー料理をつぎからつぎへとお腹につめこみ、ぽんぽこりんのー、ぽんぽこなーの、ちょうきゅうめいのちょうすけさんから、きゅうべいさんまで、きみも魔法少女になってよ、のノリで、散々いくひしのこと妖怪ぱっぱらぱー扱いしてきたうみゃうみゃどもが手のひら返しに、腹黒まじり、舌舐めずりから、おもねりまで披露しながら契約書片手にこぞって祝ってくれるのかな。いくひしまんのまんは、傲慢のマンでありーの、ルサンチマンのマンでもありーの、バッドマンからスパイダーマンまで、ウルトラマンからアンパンマンまで、もちろんそこにはアイアンマンが勢ぞろいでございますけれども、幅広くお取り揃えてございますですわよ。はい。いくひし、小説読みはじめて10ちゃいです。らいねん、物書きとして10ちゃいになります。まじかー。予定ではとっくに売れっ子になってるはずだったんだけどなー。なかなかどうして人生、うまくいかねーなー。そういうわけでつぎは20ちゃいを目指して、なるべく早死にしないようにムリなくつづけていこうと思います。60ちゃいまでつづけられたらいーなー。しにたくなーい。生きてくぞ。


1395:【ゲーム】
いくひしはゲームをたしなまない。据え置き型ゲーム機からスマホのアプリゲーム、ボードゲームからカードゲーム、麻雀に将棋と、たいがいのゲームから距離を置きつづけてきた。スポーツもそうだ。集団競技が苦手だった。嫌いなわけではない。人より熱中しやすい性質(たち)であるから、敢えて手をださずにきたのだ。たばこにしろアルコールにしろ、ドラッグにしろ恋愛にしろ同様だ。本来ならばインターネットからも距離を置くべきだった。これは明確な失敗である。ただでさえ人生という壮大なゲームを進行中であるのに、ほかのゲームにうつつを抜かしている場合ではないのだ。余裕がないのである。ゲームの中であってもゲームをたしなめる人はそれだけ人生に余裕があるのだ。すばらしいことである。すなおにうらやましく思える。経験上、いくひしはハマったものから順に中毒年数が伸びる傾向にある。指数関数的に伸びているので、おそらく創作活動はさいていでもあと二十年はつづけているはずだ。ただそれが小説であるかは定かではないし、思えばこれまでハマってきたものの根底にあるのは総じて創作であったのかも分からない。たいがい、じぶんでそれをするのが好きなのであって、それ自体を好きであった試しがない。そのため他人がそれをしているのを観るのは好きではなかった。たとえば、もし絵を描くことにハマっていた場合、いくひしは他人の絵に見向きもしなかっただろう。傾向として、それ自体を好きになったものには手をだしていないのだ。触れたら穢してしまうとでも思っているのだろうか。とんだ純潔主義である。そういう意味では、小説そのものを好きになったことはないのだろう。つくるのが好きなのであり、他人の小説を読むのも、飽くまで素材集めなのだ。同じ媒体から持ってくれば盗作であるが、ほかの媒体からであれば素材として有効だ。ならばほかの媒体から摂取したほうが効率がよい。よって徐々に小説を読まなくなっていく。仮にいくひしに陽の目を見ない要因があるとすれば、こうした不勉強さが災いしていると言っていい。本読みとしてはようやく要領がわかってきたかな、といった塩梅であるが、小説読みとしては風前の灯である。自作ですら読むのがしんどくなってきた。深みにハマっている傍証である。


1396:【支え】
評価されないことにかけては群を抜いているいくひしさんにも、じっさいにわざわざ時間を割いて会いにきてくれた方がふたりいらっしゃる。ひとりは、いくひしに客観視という名の第三の目をくださった方で、なんだかんだいくひしが小説をつくりつづけていられるのは、その方に見初めてもらった過去があるからかもしれない。それからもうひとりの方は、即売会で新刊をその日のうちに読了して感想を伝えにきてくださった、つよき心のひとである。見知らぬ作者にわざわざ感想を伝えにいく、というのは、いくひしのなかでは相当に難易度の高い行為である。折に触れて、もうだめだー、となるときにその方の行動力を思いだし、ダメちゃうよー、いけるよー、とひざに鞭打ち立ちあがることができる。ありがたいことである。ふたり目の方に到っては、あなたはどんな物語をつむぐのですか、と訊き忘れたことを後悔している。機会があればぜひ読ませていただきたい。ひょっとしたらその方々のお目に触れることもあるかも分からない。こういったことも、並べられるうちに並べておこうと思う。


1397:【フリ】
何度目かになりますが、いくひしのキャラはフリです。なかのひとは、ここに書いてあるようなキャラではありません。物理世界のいくひしはどんなかと申しますと、「あはは、まじっすか、あははー」こんな感じです。いちにちに口にする言葉は八割、おつかれさまでーす、に終始しています。コンビニで買い物をするときに店員さんに「アリガトゴジャマス」と「ナクテイイデス」を唱えるので、十割ではないのです。たいがい周囲からはデキソコナイ扱いされています。デキソコナイなので、くっそ~、と地団太を踏むしかないのです。だむだむ。みなさんの周りにも、いつもぼっちで、いるのかいないのかよくわからない、影の薄いくせして、妙に周囲から浮きあがっている人間モドキ、いませんか? それがいくひしです。いくひしはどこにでもいます。あなたの周りにも、一人か二人くらい、いるのではないでしょうか。そう、これを読んでいるあなたの背後にも。


1398:【調べ屋】
仕事を選ぶコツは簡単だ。需要があって、供給が足りない業種であればいい。報酬をこちらで選ぶくらいの余地が生じる。端的に、客の足元を見ることができる。信用第一なんて時代錯誤も甚だしい。仕事は、できるかできないかの二択だ。客の満足する結末に導ければ、極論、依頼通りでなくてもいい。アレが欲しいと言われれば、コレとソレとアレのどちらですか、と候補をいくつも並べる。なんだったらそれらすべてを売り物にすれば単純に報酬は何倍と跳ねあがる。アレを調べてほしいと言われれば、アレを欲しがるほかの連中の情報もいっしょに提供し、いまならアレを手に入れられますよ、と持ちかければ、高額の依頼が新たに発生する。仕事はいくらでも転がっている。それに気づき、仕事にするかしないかの違いがあるだけだ。「だんなー、仕事でさー」黒猫のマダラが窓から入ってきた。きょうは一日家で書類整理をするつもりだった。急な依頼ほど報酬の交渉がしやすい。「きょうは何だ。泊りがけはムリだぞ」「となり街でさ。なんでも奇怪なタケノコが生えたってんで、ニンゲンどもが騒いでら」「依頼じゃないのか?」「ダンナが言ったんじゃねぇですかい。アッチ方面で困ってるニンゲンいたら教えろって」「ああ。言ったな」正式の依頼ではないようだ。ただし、マダラが嗅ぎつけたくらいだ、放っておいてよい案件ではないのだろう。「怪と魔、どっちだ」(つづきはこちら→https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054886316030


1399:【アイス】
コンビニアイスのなかだといくひし、パピコのチョココーヒー味がいちばんすきです。つぎは、セブンイレブンの箱入りで売ってるチョコミントアイスで、そのつぎがロッテの箱入りカルピスアイスバーがすきです。はい。おなかいたーい。アイス食べすぎておなかいたーい。だめだよ、アイスの食べすぎはノンノン! でさー、きょうさー、雨が降ってきてさー、やんだくなっちゃった。きょうはなんもしたくない日ですからね、いくひしさん、なんもしたくなくなっちゃった。そういえばマンガ「嘘喰い」が全編無料で読み放題キャンペーンやってましたよね。いくひし、八巻から全巻持ってるので、キャンペーン終了してもいつでも読める。でも一~七巻まではないから、コンプリートする時期だよとのお告げかなと思った。無料キャンペーンと言えば、いくひしさん、アマゾンの電子書籍の無料キャンペーン、あさってまでやってるので、タダですからね、ぜひこの機会にゲットできる方はゲットしてほしいなと思います。はい。いまのところは、インスタとかツイッターとかはじめましたけど、それが無料配布のダウンロード数に反映されてるかというと、そうでもないです。だいたい新刊は30冊いけばいいほうで、いまは27冊なので、ふだん通りの印象です。二日目までは数字が伸びるのですが、三日目からはほとんどダウンロードされなくなるので、無料キャンペーンやる方は、二日単位で、分けて実地すると効果的かなと思います。既刊の場合は、無料キャンペーンを重ねるたびに、ダウンロード数は減っていきます。いくひしの場合だと十冊ダウンロードしてもらえたらいいほうです。一冊とか、もはやザラです。ちなみに、読み放題に登録されていない方に読まれても、いくひしには一銭も入りません。完全にご奉仕です。あべこべに、アマゾン読み放題に加入している方に読まれれば、読まれたページ分だけ収益がでます。ただし、初めて読まれたページ分だけの換算なので、一冊につき多くても200円の収益を超すことは稀です。例外として「R2L機関」はページ数が多いので、最後のページを開いてもらえるだけで、2000円ちかくがいくひしの懐に入ります。アマゾン読み放題に入ってる方は、開くだけなら無料ですからね、お布施のつもりで、「R2L機関」の最後のページを開いてくれてもいいですよ? 裏から言えば、読み放題に入ってない方は、無料キャンペーンでゲットした電子書籍は、いくら読んでも作者の利益にはなりませんから、コイツの作品はおもしろいけど、コイツの性格が気に入らねぇって方は、ぜひぜひ、タダでいくひしの作品を読んでもらって、げっへっへ、読んでやったぜ、ってなってもらえるといくひしはうれしいです。もうほんと、読まれたい。で、おもしろいって思われたい。お金はいいので、まずは読まれたい。あなたの脳内にいくひしの世界観を植えつけたい。読まれて、他人の脳内に展開された世界こそ、いくひしの作品ですからね。読まれない小説は小説として未完成なままなのだ。かわいそうに。読んでくれた方、読んでくれている方、ほんとうにありがとございます。でもべつに、あなたがいなくてもいくひしはつくりつづけていくけどな。でもあなたに読まれてうれしいことに変わりはないのだ。うれしい、うれしい。にんきないけど、読んでくれてる方がゼロじゃない。その事実だけで、落ち込まずに雨の日でもふんふんらんらん鼻歌歌って生きていける、本日も例によって例のごとく、読者であればだれでもいい、尻のぷかぷかな、いくひしまんでした。


1400:【才能ナシ】
こんだけつくって陽の目見ないなんて、なんて才能ないんだろうって思うじゃん? 思うよね? 思うな!!! 言わないで―、いくひしかんたんにしょげるから言わないで―、いらない現実つきつけないでー、見たくなーい、そんな現実なんて見たくなーい。でもさ、こんないくひしだけど、こんないくひしだからこそ、なーんだ、って思ってもらえるかもしれないじゃん? あんだけやって陽の目見ないやつもいるんだって、じぶんなんかまだまだだって思ってもらえるかもしれないじゃん? あなたね、ぜんぜんスゴイやつだから! いくひしを見てごらんよ、こんだけつくって、知名度ゼロやで! 人気ナッシングやで! 閑古鳥がコンコン咳こんどるって、そりゃコンドルやろー!どっ、ってな具合で、ギャグですら寒い、カオスでコスモないくひしまんちゃんを、これからもよろしくー!!! だれも読んでないかもだけどー。


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参照:いくひ誌。【991~1000】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054884688593

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