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いくひ誌。【1331~1340】

※日々思いあがりにすがり生きている。


1331:【四人目】
いくひしは三人いる。一人は小説をつくるやつで、こいつはつくったものに興味はないらしく、推敲すらしないので、残りの二人でいつも文章の直しから、表紙から、編集作業をしぶしぶ負担することになる。もう一人は雑用で、基本的にアイディアをだし、あれをやれ、これをやれ、ダメなら俺に任せとけ、とばかりに前のめりで、イベントに参加するのも基本的にコイツだ。表面上、いくひしのなかのひとはコイツということにしている。最後になるが、私だが、私は、とくになにをするでもなく、たまに「いくひ誌。」を更新したり、きょうはまだ更新してねぇぞ、さっさと書けと、一人目のいくひしに発破をかけ、あんまりでしゃばるな、と二人目のアホの手綱を握り、せっせと稼げるお金を稼いでは、出世払いな、とばかりに投資している。まったく割に合わない娯楽だが、めずらしい生き物を飼っていると考えればそれなりに元は取れていると納得するのは刹那であればむつかしくはない。ずっとであるとすこし手こずる。引きこもりとでしゃばりという相反する二匹であるので、砂糖と塩じみて、ときおり水が飲みたくなる。ならば私がその水かと問われるとすかさず首を縦に振るのはなかなか至難な業となる。私は私ほど頑迷な人間を知らず、或いは人間と呼ぶのも煩わしいとときおり思うほどには面倒くさがりであり、群れることを潔しとせず、嫌いな言葉は「仲間」であり、憧れている言葉もまた「仲間」だ。身内びいきはクソだと吐き捨て、されど友情、恩義に篤いと、即座に手のひら返しをさらりと決めては、胸を打たれて、合掌する。尊い。水と呼ぶには濁りすぎている。四人目もじつはいるのではないかと、疑いの声も聞かれよう。つくり手、雑用、管理人とくれば、足りぬ四人目の立役者は、言わずと知れた読者に需要者、観測者。なれば冒頭の口上からして改め直し、まずはこうまとめてしまうことにする。いくひしは四人いる。引きこもりにでしゃばり、黒幕に、それらを眺めて悦にひたる、随所で酔狂な粋なやつ、名を読者、これに目を走らせるおぬしである。いつも不在の、主である。


1332:【暗黒舞踏団~第三話から引用】
「身体を鍛えるのはいいことだってお父さんが」「チビ。二つ目のいいことだ。身体を鍛えたっていい人間にはなれない」(https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060072


1333:【宝石】
小学生のころの話だ。体育でも朝会でも運動会でも、とかく校庭で体育座りをしているときは砂いじりをしていた。先生の話なんか聞いちゃいない。砂のなかからキラキラのちいさな宝石を探すのに夢中だった。ガラス質のそれは半透明で、見た目はダイヤモンドに酷似している。かといって当時のいくひしであってもそれをダイヤモンドと判ずるには及ばず、おとなからしたら価値のない砂塵の一欠けらにすぎないのだと、きちんと理解していた。それでも砂のなかから拾いあげたときには間違いなく、いくひしにとってそれは宝石だった。ひと際透きとおり、カマキリの複眼じみた欠片を見つけたときの高揚は、教師からの起立の号令がかかってもその場に座りつづけていたほどつよく、粘りづよいものだった。しかし、時間の流れは残酷だ。ながらくその高揚を忘れ果てていた。五日前にいくひしはツイッターをはじめた。主として絵描きさんの作品をリツイートするために利用している。大勢から称賛されている絵から、なぜこれが見向きもされていないのだ?と首をひねることしきりの絵まで、よりどりみどりで、ひとくちに絵といっても、ほんとうに幅が広く、奥が深い。絵画についての知識はほぼゼロであるが、だからこそ、素人にも判る魅力が溢れんばかりの絵には否応なく目が留まるというものだ。情報の海を漂っていると、意識するよりさきにいいね!を押している。ながらく忘れていたあの幼き日ころの砂いじりを思いだすようだ。延々と情報の海、砂漠じみた夜空を漂っていられる。かといってそんな暇はないのである。歯を食いしばり、たるんだ尻を叩くようにして、いくひしはつむぎかけの物語と向きあうべく、ツイッターと袂を分かたねばならぬのだ。教師の号令に物ともしなかったあのころとは異なり、いくひしもいくぶん分別と忍耐を手に入れた。反面、情報の海、砂漠じみた夜空に埋もれ、誰に照らされるともなく煌々と輝く星々は、紛うことなき宝石なのである。ガラス質のダイヤモンドモドキとは一線を画する価値がある。手放しがたい。見つけたい。とはいえ、端からそれは誰のものでもありはしない。魂が、肉体それそのものではないのと同じように。精神が、頭脳の所有物ではないのと同じように。絵は、その生みの親の手からすら離れ、星々のきらめきと等しい輝きを仄かに熱く、シンシンと、発しつづけていく。願わくは、より多くの路頭に迷った者の目に留まりますように。道しるべにはなれずとも、あすの訪れを怯えずにすむ夜を送れますように。なんていいことふうな文字の羅列をいくら並べてみせたところで、つくりかけの物語はまったくちっとも進まない。あなたの絵、すごくすごくステキですね。ただそれだけを伝えるための言葉すらうまく思い浮かばない。絵の素晴らしさを文字に置き換えられない。物書きなんてそんなものだ。すくなくともいくひしには、絵描きさんを越えるじぶんの姿が浮かばない。越える必然性も見つからない。ずっとずっと眺めていたい。もっともっと負けていたい。圧倒的な敗北は、崇拝に似た快楽を伴う。宝石が、価値が、人を狂わし、掻きたてるように。人は世界を描き、建てる。きみが願いを抱き、叫ぶ、ように、僕が文字を並べ、たてまつる。そしてあのコが物語る。言葉を紙に、書きとめる。者の名はいくひし。字が汚いのが悩みです。


1334:【グレた体調】
はい、おはよう。やー、きのうは久々に身体が死んでたね、かれこれ二十時間くらい寝ちまった。身体いたーい。いくひしはおばかさんなので、じぶんでじぶんの体調不良には気づきにくいのだがね、ぶっ倒れる前兆としてふくらはぎとか関節が筋肉痛になるのだ。でもざんねんなことにだいたいまいにち筋肉痛なので、その前兆もたいして役に立たないというか、おかしいなって思えない。難儀なやつじゃろ? で、ホント、鼻をすすると、ずるってカサブタみたいなタンがって、ちたない話で申しわけないのだがね、カサブタじみたのがズルって喉のほうに落ちてくるわけよ。やー、まいったね。数年前にいくひし、それをほったらかしてて肺炎寸前になって、いそいで病院に駆けこんだら、なんでこんなになるまでほうっておいたんだ、ってお医者さまに怒られちった。あるあるー。おばかさんあるあるなのだね。で、きょうはだいぶん身体が軽くなってる。きのうご飯たべなかったからかな、体重が減ってるってのもあると思うのだが、それはそれとして、ようやく体調さんのほうも思春期を抜けだして、グレたあのころを黒歴史だなんだと振りかえれるようになったのかなって、そりゃ体調不良やろー、どっ!ってな具合で、べつに字面的に間違ってはいない。いくひし、体調不良だった。風邪を引いていたのだね。こんくらいだいじょぶだべって思って、いつもどおりに活動してたのがよくなかった。休むときは休むんだぞ。おばかさんとの約束だ。こじらせていいのは性格だけにしとくのだぞ。わかったのだな。え? 性格もやめといたほうがいい? でもしょうがないのだな。だって性格不良を治すためのお医者さんなどいないのだからな。オクスリだってこの世のどこかにはあるかもしれないが、やめておいたほうが利口なのだな。性格がひんまがっていようが、おばかさんであろうが、じぶんがじぶんであることのほうがむつかしいのだからな。貴重なのだから。治すようなものではないのだね、とだけ言っておくぞ。ただし息苦しかったら、環境のほうを変えたほうがいいかもしれない点については言い足しておきたいところではあるのだな。より自由な境地を目指していきたいものだな。うむ。おばかさんとの約束だ。


1335:【twitter一週間記念】
どもども。twitterをはじめて一週間が経ちましたいくひしまんちゃんです。きょうはせっかくなのでtwitterを使いはじめてからどのような変化があったのかを短くではありますが述べていきたいと思います。へい。まずはですね、いくひしさんの睡眠時間がごっそり減りました。へい。そいから小説のノルマとして日に3000字を課していたのですが、破りに破って、21000字のマイナスです。つまり一週間まるまるサボっていたってことになるんですね。へい。体調崩してたとか言いわけですからね。たとえ40度の熱がでても3000字くらいはいくひしさんなら並べられます。ところがどっこい、twitterには敵わなかった。あとね、思うんですけど、twitterね、ぜんぜん休憩にならんのですよ。休憩時間にちょちょーいってやってるつもりでも、なんだかんだ脳みそ疲れますからね。休むんならちゃんと休まないと、たとえtwitterで天才たちのやんごとなきつぶやきや作品さまを拝んでいようと、脳細胞がんがんフル稼働ですからね。疲れは溜まります。へい。ちなみにtwitterはじめてから知ったんですけど、自アカウントのアクセス解析ができるんですね。アナリティクスを見られるんですけど、足跡とかはもちろんなくて、いくひしさん、ツイートもしてないですから、ほとんど意味ないです。ただプロフィールへのアクセス数が一週間で4272ありました(ひょっとしたら二日遅れで、実質四日分かもしれません)。でもいくひしのtwitter以外のサイトへはまったくぜんぜん流れてきてはいないみたいなので、広報としては機能しておりません。そのつもりもありません。や、ちょぴっとくらいはありました。あわよくば自作小説読んでくれないかなーって思ってました。ごめんなさい。でもそれとはべつに、たんじゅんに世に埋もれているすばらしい作品をすこしでも人の目に触れる場所に、陽の当たる場所に掘り起こしたいなって思いがつよいです。というかtwitterやってみようと思って、やりたいことがそれくらいしか思いつきませんでした。へい。で、twitterをはじめてみて思うのは、やっぱり瞬間最大風速が表層の情報の大部分を覆っていて、いくらすばらしい作品で、過去にたくさんリツイートされていても、一年前のものだともう、まったく人の目に触れていなかったりします。へい。ほかにも、フォロワー数の多さだったり、大手の版元と繋がっているか否かだったりと、作品そのものの素晴らしさとはべつの要素が、注目されるか否かに大きく左右しているように思います。本当になんてもったいない、と憤りというか、哀しさが募ります。もちろんいくひしさんは素人ですから、これは単なる野次でしかないのですが、でもすくなくともいくひしは一週間でこれだけの才能を目にして、すごいなと感動して、リツイートして、一覧にしました。もし才能を取り扱う業界の方で、いくひしのリツイートした絵の作者さんを六割以下しか知らないようでしたら、もうすこし才能を探す工夫をしたほうがよいかもしれませんよ、とこれは老婆心で申しあげたいです。もちろんいくひしがリツイートした絵の作家さんは、全体からすればごく一部である事実は否めません。たほうで、twitterはいちどフォローしてしまえば、あとは口を開けているだけで情報がつぎからつぎへと流れてきます。しかし、それは飽くまでフォローしたアカウントからのみの情報です。開拓しようとしなければ、twitterは知らず知らずのうちに自身の世界観を狭めてしまう危険性があるな、とこの一週間使用してみただけで、改めてその懸念をつよめました。へい。あとはなんだろな。そうそう、いくひしさんはpixivのほうをさきにはじめていたので、あの作者さんはtwitterやってないのかな、と探すのですけど、やっていない作者さんもすくなくないです。逆に、pixivを利用していない作者さんもいらっしゃいます。どちらかいっぽうに目を配っているだけでは才能を探すという意味では足りないようです。そこにイベントに足を運ぶ、を入れてもよいですね。へい。あとはですね。いくひしさんはエロ絵を極力リツイートしておりません。だいすきですがしていない理由は、えっちぃやつだとこう、隠されてるじゃないですか。見るための手間が一段階増えるんですよね。これ、twitterの利点を阻害してます。流れでダダダーって見るとき、ほんとなんやねん!ってなる。作者さんがわるいのではないですよ。ただ、見てるほうとしましては、疲れているときほど、もういいわ、って飛ばしたくなります。同じ理由で、宣伝用のツイートだと絵より文章のほうが多かったりして、やっぱり飛ばしたくなっちゃいます。いくひしは見ますよ? でも飽くまでいくひしさんは、新しいファンをつくってほしくて、その出会いの場にすこしでも繋げたくて、リツイートしているわけで、そうするとやっぱり宣伝用のツイートは避けたくなっちゃいます。いくひしは見ますけどね! 成人向け漫画家さんの絵をたくさんリツイートしたいのです。18禁でない絵を一枚でもあげていただけると、いくひしみたいな人たちはリツイートしやすいと思います(エロ絵だいすきなので! エロ絵が苦手な人たちにも魅力を知ってもらいたいのです)。ラフ絵以下の落書きでぜんぜんだいじょうぶです。魅力はじゅうぶんに伝わります。へい。あとは、メディアツイートがまとめてあると、過去絵を辿りやすくて助かります。これ、リツイートしてもらいたい絵描きさんはだいじだと思います。同じ理由から、定期的に自身の過去絵をリツイートしてくださっている作者さんのアカウントは、応援しやすいです。ツイートをさかのぼるのも限度があります。もちろんこれはいくひしの得手勝手な感想です。作者さんにはなんの関係もありません。twitterですから好きにつぶやくのが正解です。ただし、もしすこしでも自作をリツイートしてほしいと望んでいる作家さんがいらっしゃったら、参考にしてみるのも一つではないかな、と僭越ながらにも思います。へい。きょうからマイナス分を挽回すべく日にノルマを5000字に増やして小説のほうを進めていこうと思います。十日で挽回できる計算ですね。pixivFANBOXのほうで進めていた自叙伝を休止して、その分の時間を小説のほうに回せばなんとかやっていけるかな、と考えています。体調のほうもだいぶん回復しました。咳がイタ気持ちくなってきたので、あさってには全快しているでしょう。へい。まいにち描くと言っていた絵のほうもまたつづけていこうと思います。twitterのほうは、しばらく深く潜るのはやめて、表層の情報に焦点をあてようと思います。そうそう、いくひしさんは未だにフォロー数がゼロなのですが、作家さんをフォローしない理由は、迷惑かな、と思ってのことです。へんなやつがいいね!押してるな、と思って無視してくださるくらいがちょうどよいと思います。悪気はございませんので、ご寛恕いただけるとさいわいです。へい。以上で、twitterをはじめて一週間の所感を終わりにしたいと思います。ご清覧ありがとうございました。


1336:【家事】
きょうは手短にいきましょう。いま手掛けているのは短編です。すでに二万字進んでいるので、このままだと中編になるでしょう。義足の男の住む家で、お手伝いさんとして働くことになった女の話です。うしろめたい過去のあるオナゴですが、真面目な割に能天気なので、シリアスな話の割にテイストは明るいです。ジャンルはなんでしょう。ミステリィっぽいラブストーリィでしょうか。意図して登場人物はすくなくしています。いまのところ三名しか登場しておりませんし、終わりまできっとそのままでしょう。今回、目指しているのは、日常生活にある発見です。いくひしがこれまで結んできた物語の数々では、基本的に日常パートをカットしてあります。テンポがわるくなるからです。可能なかぎり物語に必要でない場面は削っていました。が、今回は、掃除洗濯調理に食事と、日常のなかの何気ない作業を、物語と絡めながら描写することに挑戦しています。作者たるいくひしさんが、ふだん家事がぜんぜんというか、苦手なお方ですから、なかなか描写に苦労するなぁ、と申しております。掃除してるとふだん見落としているものが見えてきたりしますよね。いらないもの一つとっても、じぶんにとってはゴミであっても相手にとっては宝物、或いはその逆もあるわけでして。食べ物だって好みはひとそれぞれで、いくら大好物でも食べたくない日だってあるでしょう。そういう何気ない、ふだんの生活の一場面を、どうやって物語にとって必要なシーンとして取り入れていくかを考えていくと、これまでのいくひしさんにはなかった物語になるのではないかな、と思ってつくっています。脱稿済みの「リモコ~世界凍結系女子の遊覧~」(八万字)は、六月に入ってから推敲したいと思います。ジャンルはSFですかね。女の子とショタしかでてこない、いくひしの趣味全開の物語です。時空を操れちゃう系女子が活躍するようでそうでもないお話になっております。あとはなんだろ。下水道で生まれて、育ったモフモフが、ペットとしてお姉さんに育てられて、同じように下水道で育ったバケモノと闘う短編も、できれば五月中に終わらせたかったのですが、無理そうです。いくひしさん、予定立ててそのまま成し遂げられたことがないです。あいつの言うことは信じちゃいかんよ。じぶんのこと名前で呼ぶ系なんちゃらだと、一人称の記述なのか三人称なのかの区別がときどき分からなくなりません? いくひしだけ? いくひしさんはあほうなのでね、ぜひ気を付けてもらいたいと思います。慣れた調子でそらんじるといくひしは、ふとんにもぐりこみ、おやすみー、と誰にともなくつぶやくのだった。完。


1337:【川が消えた日】
世界から川が消えた。朝起きるとSNSがどこもその話題で沸騰しており、公共のニュースも軒並み報道している。ホントかどうかわからなかったが、大学までのあいだにかかっていた橋のしたを覗くと、先週まで流れていた川が干上がっていた。(つづきはこちらから→https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054886004755


1338:【限界】
いま、いろいろとじぶんの限界が見えてきている。気を緩めるとあとはもう衰えていくだけの時間が死ぬまでつづくのだろう、と思えて、焦りが募るが、その焦りによって目のまえの課題と向きあうのは得策ではない。焦りとはすなわち、既成概念だからだ。すでにある他人の実績や、社会常識と照らし合わせたときに、焦りが生じる。そこに目指すべき自由な表現はなく、向きあいたい世界もそこにはない。焦りを感じたときはいっそのこと目標を変えてみるほうがよいかもしれない。見ている方向がズレている。知らず知らずのあいだに指針を見失っており、紛い物の何かを目指すべき何かだと見間違えている可能性がある。今ここにはない何か、じぶんがつくらなければ今後、人類が滅亡するまで現れることのない、生きた証を残したい。或いはすでに、「私」という存在がここにあることでそれは叶っているのかもしれない。「私」が生じた影響は、「私」が滅んだあとでも、滅ぶことそのものですら、すくなくない影響をこの世に残す。それは微々たるものであるにせよ、重力波が巨大ブラックホールの存在を示唆する重要な役割を果たすように、すくなくない影響を残すのだ。その影響をすら、自由にじぶんで選びたい。「私」はどのような影響を残したいのだろう。それは、どうすればこの手でつくりだせるだろう。考えれば考えるほど、なるほど「私」は創造主になりたいのだな、と思いあがりが重なり、そしてそれはきっと自由とは真逆の性質によってがんじがらめに縛られ、「私」は「私」ですらいられなくなるのだ。無になりたい。影響を残すことなく、ただそこに存在するだけの可能性の塊に、きっと「私」はなりたかったのだ。死ぬのでもなく。生きるのでもなく。ただそこに存在することなく存在する、限りなく揺るぎない収束の果てに。欲をだし、手を伸ばし、足を踏みだした時点でそこに揺らぎが生まれ、波を拡げ、あとはもう延々と理想から遠ざかる不完全なデキソコナイがあるばかりである。単なるデキソコナイですらいられない。デキソコナイにすら満足になりきれない、不完全な波の連なりが、生と呼ばれる一時の崩壊であり、死もまた巨大な生の一端でしかなく、生の残す影響は、波の振幅がごとくウゴウゴと蠕動し、収束の果てを求めて膨らみつづけていくのだろう。そこに、限界などはなく、衰えも成長も、同一の現象として片づけられ、情報のゼロとイチの区別すらなく、闇雲に、底知れなく、ただ在るばかりなのだ。「私」は在るの集合であり、けっして無には辿り着けない。なればこそ、無数の「私」を通じて、よりらしい、零にちかいチリアクタをつむぎ、試みるほかに、すべきことはなく、またしたいこともないのかもしれなかった。いま、いろいろとじぶんの限界が見えてきている。気を緩めるとあとはもう衰えていくだけの時間が死ぬまでつづくのだろう、と思えて、焦りが募る。その焦りによって目のまえの課題と向きあうのは得策ではないが、かといってとくべつ何かを失うこともまたない気がするのである。損得を越えたところにしかもう、「私」のしたいことはないのだと、無数の在るの複合体は、声なき声で、ときおり、気が向いたときにだけ、べつだん本気でそう信じるでもなく、ほかに思うことがなかったので、そうのたまいたそうな。


1339:【セリフ】
いいセリフはそれを発するとき、言葉よりさきに感情が動いている。すると言葉よりさきに動作が生じることになる。言葉を放つとき、人物がどのような動きをしているかを考えると、しぜんとその人物だからこそ放たれるセリフが飛びでてくる。いいセリフほど、言葉がなくとも伝わるようになるという矛盾が生じる。そうしたときは、どうしても言わざるを得ないくらいの感情を高ぶらせる何かを挿入するとぐっと印象的なセリフになり、場面として活きてくる。


1340:【動作】
ここぞという場面で、感情を描写するとき、無意識からの動作を叙述するとキャラクターが生きてくる。それは意識的にしなければ通常しないような特殊な仕草であると好ましい。唇をつまんだり、スマホの画面を袖で拭いたりとキャラクターがセリフの片手間に何気なくしていると、無意識ながらにそうしなければならなかった背景が間接的に浮きあがる。前者は混乱にちかい動揺であり、後者は苛立ちめいた無関心さが読む者に伝わる。逆説的だが、ここぞという場面以外は細かい仕草は描写しないほうが読みやすくなる。使いどころが肝要だ。


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参照:いくひ誌。【1061~1070】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054884897928

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