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いくひ誌。【2651~2660】

※日々、過去のじぶんを恥ずかしく思う、いまのじぶんを棚にあげて。


2651:【暇人なので】
きょうから洋画ドラマの「メンタリスト」観る。やたー。(どうでもよいけど、「やったー」と「やだー」は似ている)


2652:【片想いがよい】
惚れやすいので好きなひとがいっぱいいる。恋多き人生やな。(だいたい会ったことないひとばかり)


2653:【コメディ】
ひとの失敗はおもしろいけど、ひとの失敗を笑うじぶんの姿はおもしろくない。笑ってる姿もおもしろい笑いがよいなぁ。


2654:【ぷぷー】
さいきんのいくひしさんはいいひとぶっててさいあくですね。おまえそんなんじゃねぇじゃん。


2655:【真面目に不真面目】
アホみたいにくだらなくて、誰のなんの役にも立たずに、ただおもしろいの感情を誘起するだけの文章や物語を並べていきたい。こんな不真面目に真面目な文章ではなく。


2656:【わるだくみ】
きょうはこっそりわるいことする。たとえばそう、長年かけて積みあげてきただろう大量の、矜持の別名に似た存在を、根こそぎ一蹴し、掻き集め、まとめてこの世のあらゆる不要の烙印を捺された者たちの行き着く場所へと放りこむ。さらに、自由気ままに振る舞っていた万物の子らを、決まりきった場所に押しこめ、そここそがおまえの居場所なのだと押しつけ、命じ、その傍らでがらんとした空間を独り占めしながら優雅にコーヒーをすすり、ホットケーキなどをついばみ、漫然と移ろう空を眺める。我は王なり。そうそう、と思い立ち、何か盛大に鬱憤を晴らしたくなったので、排泄物の吹き溜まりのような場所へと赴き、ケツとの接吻がお似合いの器をこれでもかとブラシでいじめてやって、じぶんが心地よいというだけの理由で、よい香りのするスプレーをぶちまけてやる。つぎはなにか、そう手ごろな生き物の死体を切り刻んで、煮て、焼いて、食っちまいたい気分だ。くっくっく。そりゃただの料理だ。床の埃を掃いて、捨てて、散らかった部屋を片付け、トイレを磨いただけだろう、ええい、偉そうにするない。なにが王じゃ。おまえはただの亡者、わるぶって粋がるだけの無能さ、風呂洗いすら今じゃ自動さ、栓を抜いて、洗剤かけて、水で流せばあとはボタンを押せばお湯が溜まる便利だ、黙る便器すらいまじゃ珍しくて、便座すら自動でぱくぱく口を開け閉めする仕様さ、器用さ、そして異様さ、世のなかはいつの間にかわるぶることすらむつかしくて、掃除するだけでも極悪人になれる偉業さ、異常さ、未踏さ、誰もが誰かを責め、正義の味方になれる世界は誰もがヒーローになれる理想郷ではなく正義の需要過多で値崩れしたヒーローどもの地層だ、そこかしこに有り触れた砂利みたいにいまじゃ正義は誰かに投げつける小石ほどの価値しかなく、しかし現実の姿として大地は無数の小石でできている、砂利なくしてひとは立つことも歩くこともできない、ならば無数に溢れた値崩れした正義はそれはそれでいまの社会を支えている、築いている、傷ついているのは、ときおり雪崩のように襲いかかる土砂崩れに鉄砲水に巻きこまれた人々だ、ご愁傷様だ、運がなかった、諦めて受け入れるしかない、自業自得、自己責任の声の嵐も、それはそれで無数の砂利の姿さ、ときおり床にうっすら張った矜持の別名みたいに、掻き集めて、きれいさっぱり拭い去ってしまいたい、それこそ悪だ、悪巧みのなせる業さ。


2657:【そもそもの問題はグレーだからでは】
この国では刑事罰こそないが売春は違法であり、職業として認められていない。よって性交をサービスとして提供するセックスワーカーも社会的には存在しないものとされている(性風俗と売春はイコールではない。売春とは陰茎と膣による性交であり、口や肛門を使った性交類似行為は売春ではないとされている。性風俗店で提供してよいサービスは性交類似行為であり、性交そのものではない。ゆえに性風俗店そのものは違法ではない。しかし、性交類似行為から売春に至ることを防ぐシステムは現状ないと言える。ここで言うセックスワークは、性交を含めたサービスを行う者と定義する。一般に言うセックスワークとは意味合いが異なる。ちなみに、男同士での性行為は膣ではなく肛門を使うため、陰茎を肛門に挿入しても性交類似行為として扱われる。言い換えれば、男の管理売春、要するに男の売春宿は違法ではないのだ)。だが現実には、自由恋愛という隠れ蓑によって、性交を含めた性産業(セックスワーク)が職種の一つとして社会に当たり前に組み込まれている。セックスワークが貧困層のセーフティネットの役割を担っているとの言説を目にする機会があるが、そういった側面があったのはもうずいぶん昔、何十年も前のことに思える。現代では需要と供給のバランスはとっくに崩れており(つまり、供給過多であり)、セックスワーカーの低所得化がすすむだけに留まらず、そもそもがセックスワークに一定期間従事しつづけることすらむつかしい背景があると想像している。ただでさえ重労働の上、法的な保護や制度を受けにくい層でもある。密閉空間に素性のわからぬ客と二人きりで、無防備な状態で接しなくてはならず、客からの暴力だけでなく、個人事業主としての雇われの立場上、管理者からの理不尽な搾取や横暴には、泣き寝入りする者のほうが多いはずだ。もちろん、いちがいに言えることではなく、セックスワーカーたちの人権を守り、安心して仕事ができるような環境を整えようとしている者たちだっているだろう。だが最初に述べたように、そもそもこの国には、セックスワークなる職業は存在しないことになっている(ゆえに、税務署はつよくセックスワーカーたちに納税の催促ができず、警察はセックスワーカーと客とのイザコザへ介入できない)。パチンコの三点方式と同じだ。飽くまで、接客業やマッサージ、ダンスを披露したついでに、客と恋に落ち、一夜限りの性行為を交わしただけなのだ。法的には問題ない。そこには性行為サービスを提供した見返りによる報酬という構図はないからだ(繰りかえすが、性風俗店は違法ではなく、この限りではない。とはいえ、たとえ性交が行われていたとしても自由恋愛という建前で見逃されているのが現状だ)。だがそんなのは詭弁だ。現実には、性交やそれに類するサービスの提供によって対価を得ているれっきとした仕事と呼べる。今後、国がとるべき態度は二つだ。一つは、セックスワーク(売春)を法的に職業と認め、ほかの職種と同様に、労働者の権利を守るための制度をつくり、劣悪な労働環境を是正していくこと(つまりセックスワークの合法化だ)。もう一つは、厳格にセックスワークを禁じ、あぶれたセックスワーカーたちへと、代わりとなる職業や、生活保障を割り当てる制度を税金をかけて整えていくことだ(言い換えれば、まっとうに機能する社会のセーフティネットの構築を行うこと、つまり社会保障の徹底だ)(双方同時に選択してもいい)。また、セックスワークが仮にこの国に存在しない職業として扱われたとしても、表向きは各々接客業など、個人事業主として働いている。何か災害があり、労働者への損害補償や融資をする支援制度が設けられた際には、むろんそうした個人事業主たちにも問題なく適用されるべきであるし、適用されない理由はない。セックスワーカーだから、なんて理由はそもそもこの国では成立し得ないのだ。幽霊を裁判の証人にできないのと同じ理屈である。仮に、何らかの基準で、特定の職業だけが制度の適用外とされたならば、そこには正当な理由がなければならない。繰りかえすが、セックスワーカーだからダメだ、という理屈は、この国では成立し得ないのだ。反社会的勢力への資金流出というのも理屈に合わない。もしそうした事象が観測されたならば、個別に対処し、刑事処罰すればよいのだ。それができないほどの巨額が一挙に反社会的勢力に渡ってしまうようなら、そのような土壌を放置してきた政治の責任である。やはりどうにかせねばならないだろう。長年放置してきたツケが回ってきたと諦めて、目のまえの社会問題の解決に取り組んだほうが好ましいのではないか。(言い換えれば、性風俗関連特殊営業を含めた風営法は現状、セックスワーカーたちの人権を守るための法律としてはまっとうに機能していないのでは、との疑念を呈しています)(上記はあんぽんたんの底の浅い所感ですので真に受けないように注意してください。ひょっとしたら知らないところで制度が改善されていて、いくひしさんが思っているよりもセックスワーカーの働く環境が改善されているのかもしれませんし、余計に悪化しているのかもしれません。実態がどうなのか、よくは知りません)


2658:【2020/04/05雑感】
経済が滞ると品物の生産が遅延するので、物流もまた滞る。そうすると医療に必要なものまで供給不足となり手術すらまともにできなくなります。消毒液から手術着、メスや麻酔、ほかにもさまざまな医療品が不足する事態と、それ以外のリスクとを天秤にかけながら、何をどれだけ制限すべきかを考えていかなければなりませんし、何をどれだけ許容すべきかも考えていかなければなりません。税金を何にどれだけ使うべきかを短期と長期の両方の視点で見極めつつ、さらに最悪の事態にも備え、加えて、その後の展望も考えていかなければなりませんので、何を優先すべきで、何をもっとも避けるべきかによってもろもろの判断はころころと変わることが予想されます。すくなくとも、したほうがよいことはすべて実行していくほうが望ましいでしょう。その前段階として、すべての懸念を考慮して考えることはできませんので、何を後手に回してもよいのか、何をいまは考えずにいてもよいのか、もまた選択していかなければならないでしょうから、判断一つくだすのにもむつかしい局面に思えます。ここにもバタフライエフェクトが垣間見えますね。真実、命の危機に差し迫った人々を切り捨てない判断をしているからこそのジレンマとも言えるかもしれません(とはいえ、医療機関にすら罹れない――可視化されていない――困窮者の存在は考慮されていない可能性がありますので、そこは今回の件に限らず是正していくほうが望ましいでしょう)。かといって、何らかの重要な判断をくだす必要性に迫られていないいくひしさんのようなひとたちはただ単に人混みに出向かずにいればよいだけなので気楽ですね。(あくまであんぽんたんの雑感ですので、何かの判断基準にはしないでください)


2659:【それほしい、と思ってしまう】
さいきんは小説家さんよりも絵描きさんのつむぐ文章のほうが読んでいておもしろく感じる日が多い。というか、絵描きさんたちそれぞれの世界観が反映された文章が好きなのかもしれない。(或いは、そもそも文章に滲みでてしまうくらいの世界観がないと絵を描きつづけてはいられないのかもしれない)


2660:【日常生活が苦手】
きょうはこっそりこわいことする。人間にとって意識を司るとされる器官へとまっすぐ通じる穴に、細長い棒をつっこみ、目の裏側に位置する部位を、ぐりぐりとほじくりまわす。あと十センチでもずれれば脳みそに達するというスリルを味わいながらこんどは、無数の針のようなものが剣山がごとく生えそろった道具を口のなかに突っこみ、やはりこれでもかとごしごしと、ときに何かをこそぎとるように、剥ぐように縦横無尽に動かしては、血が流れてもお構いなく、むしろそうしたいがためにそうするように執拗に手を動かしつづける。仕上げに水をこれでもかとそそぎこみ、ミキサーさながらにぐちゅぐちゅとかき混ぜて、ぺっと吐く。こんどは正真正銘、刃物を手に取り、ゆびさきに持っていく。このときばかりはさすがに緊張する。ゆびの先端を刃物で挟み、パッチンと一気に切断する。ふしぎと血は噴きださないが、身体の一部が切り離され、床に転がる。ぱちん、ぱちん、とつぎつぎに切り落とし、手が終わればつぎは足だ。常人と言わずして赤ちゃんであればあまりの恐怖に泣き叫んでいるかもしれないし、赤ちゃんであればこんなことをせずとも泣き叫んでいる。だって泣くのが仕事だもの。そしてこれはただの爪切りだ。耳掻きをして歯磨きをしてそれから爪を切っただけだけれども、小心翼々具合にかけては右にも左にも上にも下にも、要するにここにしかないただひとつの秘宝であるいくひしさんはけっこうなビビリであるので、もうもう赤ちゃんでもないのに目をぎゅっと閉じて、いまにも泣きだしそうな顔をしているから手元が狂って、余計な部位を突つき、磨き、切ってしまうのだ。イヤーーーー!!! ふつうにこわいことをしてしまった。


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掲載元:いくひ誌。【1771~1780】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054887843365

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