※日々、できないことばかり増えていく、できて当たり前のこともできぬままに。
2341:【おーたむ】
やあやあ、いくひしさんでござる。おひさしぶりでござるなあ。ここ数日、めっきり肌寒くなったでござる。おそとにでかけるときもマフラーが欠かせないでござるな。いまは秋でござる。紅葉の季節というよりも、なんだかもう落葉の季節でござる。秋といえば、食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋でござる。なんでも秋とつければいいってもんじゃないでござる。二度寝の秋とか、耳かきの秋とか、マッサージの秋、空き部屋の秋、飽きの秋、秋の秋、秋は秋でござる。なんだか秋という文字が急にへんな感じに、「季節」以外のニュアンスを帯びはじめて感じられてござらん? こういうのなんて言うのだっけ、ゲシュタルト崩壊で合っているでござるか? まあまあ、いくひしさんはとにかく、秋にすっかりなじんでいるでござる。たくさんお腹は減るし、たくさんおねむでござるし、たくさんおもちろい物語に浸っていたいし、現実逃避していたいでござる。秋にかぎらんでござる。いくひしさんはつねに現実に飽き飽きでござる。でもでも、この飽き飽きのいくひしさんも現実のうちでござるから、現実さんのことはきらいではないでござる。ありがたいでござる。いくひしさんがなーんもしなくとも心臓さんはトクトクせわしないでござるし、時空さんはかってに移り変わりつづけてくれるし、いくひしさんがなーんもしなくとも、いいことづくしでござる。やったーでござる。きょうはもうおねむの秋でござるから、すやすやネムネムするでござる。寝る子は育つし、際立つでござる。寝ているのに立つなんてへんでござる。へんてこでざる。おもしろいでござる。わらっちゃうでござる。へそで茶が沸けるでござる。でも沸くのはお湯でござらん? お茶は淹れるものでござる。あ、でも、ウーロン茶は煮立てるでござるな。やや、ここでも立っているでござる。立つのは茶柱だけじゃないんでござるな。なっとくでござる。秋は英語で、オータムでござる。わからなくてぽちぽちって検索したでござる。「育つ」と「オータム」で韻がふめるでござる。寝る子はオータムでござる。オールタイム寝る子ないくひしさんはだから、秋の申し子と言ってもいいでござるな。オールタイムから「ル」と「イ」を抜けばオータムでござる。ルイなしでござる。言い換えれば、無類でござる。いくひしさんは無類の申し子でもあるんでござるな。ちがうでござるか? やや。イチャモン、こじつけ、ペテンに大ぼら吹きでござるか? おこられちゃったでござる。こうなったら不貞寝してやるでござる。朝までぐっすりぐーぐーしてやるでござる。いい夢みてやるでござる。みなのものも、いい夢をみるでござるよ。秋は、おねむの秋でござる。たくさん寝るとよいでござる。おやすみーでござるー。
2342:【立派でなくてよかった】
立派な人間でなければならないひとはたいへんだ。立派じゃなくても責められることのないいくひしさんは、とても恵まれていると言えよう。PCでステキな絵を眺めながら、ラーメンを食べ、チョコレートをかじり、合間にコーヒーを飲んでいても誰からも何も言われない。ステキ!
2343:【今宵、寄り添っている】
お酒をたしなまないし、煙草は吸わないし、恋人はいないし、友達もいない。お酒を呑んだことはあるけれど、煙草はくゆらせたことがなく、しかし副流煙は吸いこんだことがあり、そして咳きこんだりし、恋人はいたことがなく、友達もいたことがない。お酒は料理で使うので必要だが、煙草はとくに必要はなく、恋人は欲しいというよりも、恋仲になっても疲れないくらいに安心して接していられるひととの縁ならば繋いでも構わないとは思うがゆえに、きっと友達もいらないわけではないのだろうと推し量ってはみるものの、さりとて現状に不満があるかと言えばたいしてなく、独りなのはすごく楽で、たいへん楽で、太平楽だ、このままずっといまがつづけばよいと思っている。恋愛は虚構で充分だし、そも恋愛とは虚構であり、思い込みであり、いっときの錯誤であるから、そんなものにうつつを抜かしている時間が惜しいと考え、現実のつれづれから目を逸らすばかりか、周囲のツレ連れからも目を逸らしている、これは友達でも同じく、友情は虚構であり、思い込みであり、いっときの錯誤であるから、たまに錯覚するくらいでちょうどよく、友となるよりさきに距離を置く。人と接しているあいだに見えてくる幻想こそ、友情であり、離れても視えてしまうものが色恋だ。いずれにせよ虚構であることに変わりはなく、ならば端から虚構で済ませてしまえばよろしくて? 虚構に埋もれいく過程を孤独と呼び、そこには何もなく、ゆえに何もかもがある。私は世界のうちの一つであり、世界は私そのものである。私をゆびさし、顔をしかめる者があり、笑いだす者がある、だが彼ら彼女らは世界を眺め、眉をひそめ、笑い、苦しみ、楽しみ、生きている。酒も、煙草も、恋愛も、友も、縁も、繋がりも、世界には無数に溢れ、薄れ、溶けていく世界は、我が巣に影をつくらぬだけで、そこここに虚構の余地を残している。たくさんのいっぱいのうんと濃ゆい寂しいが寄り集まって、私の世界を埋めていくが、満ち、塗りつぶし、溢れかえって、有り触れて、延々広がりを帯びては消えていく虚構の海を、私はきょうも一滴残らず呑み干していく、その名を孤独、酒と煙草と色恋と、友の代わりに寄り添う、ひとのカタチをなしたもうひとつの私、もうひとりの世界、その名を虚構、うそと偽りの現実のあだ名。
2345:【改行、省略、視点】
この「いくひ誌。」ではほぼ全文、改行せずに記事を載せている。これにはいくつか理由がある。一つは、敢えて読みにくい体裁で文章をつむぎながらでも、最後まで読んでもらえるような文体をつくれないか、との工夫だ。改行なしでもするする読んでしまう、文章から目が離せない、そういった文体をつくれないか、との思案がある。また、一時期いくひしさんがとっていた手法の名残でもある。こうして改行をせずに第一稿をつくりあげてから推敲がてら段落をつけていく小説のつくり方をしていた時期があり、その形骸とも呼べる。改行なしでつむぐと文章が圧縮される効果がある。反面、思考が飛躍していることに気づきにくい欠点の裏返しでもあり、功を奏しているとは言えそうにない。客観的な評価としては、淡泊で味気ない、との所感を抱かれそうだ、と見立てている。たほうで、「改行なし手法」を試みていた時期に、可能な限り、一人称一視点における主語と接続詞を省略できないか、と試行錯誤していたこともあり、作品によっては、地の文がいったい誰の行動を描写した文章なのかが分かりづらくなっているかもしれない。この点、まだ工夫の余地があり、いろいろ試しているところである。さいきんの自作において接続詞の頻出度をあげているのには、そうした理由がある(過剰に省略していただろう分を、こんどは残すようにしている)。作者たるいくひしさん以外には判らない文章変化であるだろう。大別すれば現状、いくひしさんの文体を視点を基準に分類すれば、「三人称一視点」「一人称一視点」「三人称一視点主語抜き」「一人称一視点主語抜き」の四つとなる。神視点だけはいまのところつくったことがない。処女作の極一部で神視点を扱ったが、いまのところ一作まるごと神視点の物語を編む予定はない。神視点にするとしても、その前に、群像劇として視点をキャラクターごとに分ける構成を考えてしまうので、仮に神視点を扱うとすれば、「キャラクターごとの視点で物語を多面的に編むよりも、神視点で連続的に編むほうがおもしろくできる構成を閃いたとき」となるだろう。いまざっと考えてみたところ、神さまの手記というカタチでなら、神視点で編むのがもっともおもしろく叙述できる物語の編み方に思える。神ではなく守護霊でもおもしろいかもしれない。ただ、それはそれで広義の一人称一視点となろう。物語に積極的に絡んでいかない観測者が語り手であれば、一人称一視点と神視点は限りなく近似に寄ると言えそうだ。
2346:【猛毒】
ふだん褒められ慣れていない人間が絶賛されるとどうなるか知ってる? めっちゃ熱でるねん。冗談でなく、めっちゃ熱でるねん。赤ちゃんが興奮しすぎて熱だすのといっしょ、放っとくと融けて消えるねん、マグマかってくらいデロデロ。バブーさながらのタブーやで。ご褒美もほどほどに。
2347:【読書のなかった人生】
ひとさまにじぶんのつむいだ物語を読んでいただけることはまたとないご褒美に感じるいっぽうで、貴重な人生の時間を奪ってしまうようで申しわけなく感じてしまうのは、おそらくじぶんのなかでもどこかで、読書と出会って人生を狂わされたといった恨みに似た感情が渦巻いているからかもしれない。それほど読書との出会いは突然だったし、劇的だったし、衝撃的だったのだ。或いはだからこそ、必然だったのかもしれない。(読書によって埋められる何かを欲していた、それは埋める必要のある欠落を帯びていたからにほかならない)
2348:【未来が視えてもいいことはない】
未来が解かってもしょうがないのだよな。だって解かる未来は、じぶんが関与しない未来であって、なんとかしようと動けば、その未来は変わってしまうわけだから。予知者はどうあっても未来を変えられないし、予知した未来が訪れたときに、やっぱりそうなるんだね、と思うしかない。だから原理的に未来予知には価値がなく、どちらかと言えば、未来を想定したり、妄想したりすることのほうが人生を有意義に送るのには役に立つと言えそうだ。ビジョンと未来予知ならビジョンのほうがはるかに視る意義がある。
2349:【泣いちゃうかもしれない】
おもしろい物語を味わうために生きていると言っても過言ではない。人と関わるのは、そのひとの物語を味わいたいからだし、人と関わらないのはそのひとの物語が口に合わないからだ。虚構の物語にもおもしろい物語はたくさんある。生きているあいだにすこしでも多くの、おもしろい、いくひしさん好みの、いくひしさんの好みの幅を広げてくれるような、深めてくれるような、そんな物語を味わいたい。その点、いくひしさんにとっておもしろい物語を、いくひしさんから取りあげるような真似をする輩には、すこしだけ容赦ないかもしれない。たいがいのことはどうでもいいと流せるが、いくひしさんにとっておもしろい物語が、いくひしさんの元まで届く機会を奪うような真似をする何かがあったら、いくひしさんはすこしだけ黙っていないだろう(たとえば、なんでそんないじわるするの、と泣いてしまうかもしれない)。おもしろい物語を味わいたいのである。それだけである。(そして、あたたかいおうちと、太陽の匂いのするおふとんと、清潔でシンプルな動きやすい服と、足にぴったりな靴と、おいしい食事と、紅茶ジュースコーヒーとよりどりみどりの飲み物と、甘いおやつとしょっぱいお菓子と、インターネットと個人の自由に寛大な社会風土と、充実した医療と福祉と社会基盤と、安全な治安と、働かずに生きていける日々と、物理的に他人と接触せずに済む環境があれば、あとはもうこの身体さえあれば贅沢は言いません。おもしろい物語を味わいたいのです。ただそれだけなのです)
2350:【誰もが私より立派であってほしい症候群】
いくひしさんは、いくひしさんがもっとも愚かで、弱く、惨めな存在でありつづける世界が理想だなぁ。いくひしさんがどれだけ成長し、肥え、豊かになっても、いくひしさんが最下層に位置するくらい、みなにはあらゆる面で豊かになってほしい。要するに、ピーターパンシンドロームをひどくこじらせている。いつまでも子どもでいたい。未熟でありたい。誰かを手本にし、学びつづけたい。どうしようもなく幼稚なのだ。
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参照:いくひ誌。【1471~1480】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054886507947