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いくひ誌。【2021~2030】

※日々、勇気を探している、見たことも触れたこともないのに、どこかに必ずあるのだと信じてちっとも疑わず、ひょっとしたらむかしどこかで落としたのかもしれないと、以前は持っていた気にすらなり果てて、しかし同じ頭脳で、似たような「愛」なるものは幻想だと切り捨てている。


2021:【あれ、待って】
ひょっとしてだけどいくひし、孤独が好きなつもりでただ、人に好かれないから孤独が好きだってことにしているだけなのでは? ヘタクソなだけの作品を独自性が高すぎる、天才はいつの世も簡単には認められないのだ、とじぶんを慰めていただけなのでは? 待って待って、そう考えると、えー!!! 腑に落ちる!!!! いくひし、ひょっとして天才ではないのでは?


2022:【遅すぎるだろ】
いまごろ気づいたかバカめ。


2023:【一周回って】
そのことに気づけたのはすばらしいですね。一周回って天才だと思います。


2024:【うっせえ】
天才とか天才じゃないとか、ばかとかばかじゃないとか、どうでもいいんだよんなことはよォ。いいからはやくつぎの世界を見せてくれよ。おめぇだけの世界をよォ。


2025:【いくひし、おばかさんなの】
なんでか知らないけど先月(2019年4月)から万葉集がSNS上で話題になっている。いくひしさんは万葉集が好きなのだけれど、万葉集という字面と響きが好きなだけで、万葉集がいったいいつの書籍で、いったい何が載っているのかはさっぱりだ。と思ったけど、ホトトギスが托卵することがすでに万葉集に載っていて、むかしからその生態が知られていたことは、知っている。なんで知っているかというと、「北海道・東北ふるさと大歳時記」にそう書いてあったからだ。ちなみにそれを読んだのはきょうで、たまたま開いたページに載っていただけの話である。いくひしさんにある知識はこうしたたまたま知ったものが大半だ。勉強するする言ってて、したためしはないし、学びなんて苦手も苦手、何かを体系そのままカッチリ体得したことなどいちどもない。いくひしさんの学力は小学生並である。これは謙遜しているのではなく、本当にそれくらいの知識しか持ち合わせていないのだ。否、都道府県名もまともに言えないので、小学生以下かもしれない。こうして自慢にもならない自慢をしてしまうくらいに知能が低いのである。ちなみにさいきん抱いてずっと気になっている疑問は、病院の外来だと薬は病院のそとにある薬局で買う仕組みが一般的だけれど、あれってなんでそうなってるの?ということだ。むかしからこんなパチンコの三店方式みたいな仕組みだったろうか。どんな得があって、ああした形態が増えたのか気になっている。あとは相対性理論がどうしても納得できない。地球、太陽系、銀河系、銀河団、宇宙の膨張、観測者がどの視点にたって眺めるかで、何が速く運動しているかは変わっていくものではないのだろうか。極論、地球は太陽系を回転しているのだから、ロケットはその場にとどまっているだけで、充分に地球から離脱することが可能だ。同じ原理は、太陽系にもあてはまるし、銀河系にもあてはまる。宇宙は膨張しているのだから、その場にじっとしていることができるのなら、光速より速く物体は移動できることになる。もちろんこの前提はナンセンスなのだろうが、すくなくとも地球は宇宙を高速で移動しており、そこから脱するロケットは、地球の公転に逆らうように飛んだ場合、太陽から見たらより速く移動しているのは地球のほうだ、ということになる。たとえれば、川に流した笹船が地球だとすれば、川を上ろうと必死に泳いで流れになんとか抗っているサケがロケットだ。笹船からすればいっしょに流れるほかの笹船や木の葉は止まって映り、サケのほうが遠のいて映るはずだ。しかし川のそとにいる太陽(観測者)からすれば、じっさいに高速で移動しているのは笹船のほうであり、サケはむしろ(のろのろと)止まって映る。同じことが、太陽系や銀河でも起こり得るが、この場合、相対性理論はどのように解釈するのか。つまり、観測者がどの「場」にいて、運動する物体がなんの「系」に内包されているのかが問題になってくる。そして「場」や「系」によって、相対性理論から導かれる解は、同じ対象を扱うとしても、大きく、ときに真逆になるほど、異なるのではないか、とふしぎに思うしだいである。


2026:【ただのゴミ】
いくひしさんはじぶんに価値などないと知っているし、なくても生きていてよいと思っている。いくひしさんごときに誰かを責めたり、非難したりすることはできないし、する必要もないと思っている。言い換えれば、いくひしさんには誰かを傷つけるような力はないし、何かを変える影響力もない。なくていいとすら思っている。誰も傷つけたくないし、みんないくひしの関係ないところで仲良く楽しくやってほしい。ただ、ときどき、いくひしの「これすきなんだー」って気持ちを知ってほしいというか、「みてみてー」となるときがあって、いくひしこれすきー、ってモノや人が、いくひしのほかにも同じように、これすきー、ってされているのを見ると、いくひしさんはすこしだけ孤独じゃないのもいいかもな、って思うのだ。いくひしさんが好きかってできているのは、いくひしさんがじぶんに価値がないことを知っているからだ。責任なんて負いたくないし、誰からも必要とされたくない。ゴミでいいから、価値なんてなくていいから、好きに生きさせてほしい。いろいろな選択肢を、いろいろなままで、そのときどきで選ばせてほしい。たぶんきっと、これがいちばんわがままなことなのだろうけれども、いくひしさんが欲張りなのはいまにはじまったことではないので、しかたがないと諦めてほしい。とっくに呆れられて、飽きられて、諦められてしまっているのかもしれないけれども、それこそ望むところなのだ。いつまでもクズでいられるってすばらしいことだと思うのだ。クズでも、ゴミでも、なんの価値もなくても生きていける。好きなものに好きって意思表示できる。好きでいつづけられる。こんなにステキなことってある?


2027:【こころしずかに】
いくひしさんは性格に難があるので、割かし無視されやすい人生を歩んできたのだけれども、それでもまったく意に介さないのは、他人からの評価でいくひしさんの本質は何も変わらないと知っているからだ。それは言い換えれば、いくひしさんの主観などこの世になんの影響も及ぼさないと知っていることの裏返しでもあり、その自覚はいくひしさんが小学校にあがる前の段階でいくひしさんに刻まれた「物心」であった。いくひしさんが寄り目をすると世界は二つに分かれて見える。けれども、だからといって世界そのものが二つに分かれることはないのだ、ということを、いくひしさんは寄り目をしたまま写真に映ったり、ほかのひとに寄り目をしてもらったりすることで確かめていった。目に見える世界がすべてではない、むしろたいがい間違っているかもしれない、とそのときに知ったのだ。だから他人からどう見えているか、という評価がいくひしさんにとってはあまり重要ではなかった。でも、量子力学の解釈では、何かしらの観測があってはじめて粒子は無数に広がる確率のモヤを一つにしぼり、確固とした挙動として姿を現すのだ、といった考え方をされるらしいといまのいくひしさんはおぼろげながらも知っているので、あながち人間の主観がまったく世界に影響を及ぼさない、とは言い切れないのだ、と考えを改めているところである。とは言っても、やっぱり人間の主観は、風や水や火など、自然にありふれた現象に比べたらいくぶんも弱く、それは重力ほどの微弱さで、けれどたしかに世界に干渉し得るチカラを帯び、寄り集まることで地球の重力のように、ひと一人を転落死させるくらいの影響力を持つかもしれない、とすこしおそろしく、神秘的に思ったりもする。他人の評価を気にするな、と言うのは簡単だけれども、無視するにはいささかおそろしい。その気持ちが分からないでもないがゆえに、気にする気にしないに拘わらず人の目(評価)が集まらない状態というのは、そう邪険にすべき境地ではないのではないか、といくひしさんはしみじみ思うのである。孤独と静寂は、自由と相性がとてもよい。


2028:【薬局と病院の話】
病院では、外来の患者さんには処方箋だけだして、そとの薬局で薬を買ってもらう仕組みが一般的だ。これってなんでだろうーって疑問に思ってますよ、とうえのほうの「いくひ誌。」で並べた。で、軽く調べてみたところ、どうやら利点は大きく分けると三つあって、一つは薬局を病院から切り離すことで、病院側のコストをカットできる点。これは薬剤師とか、薬品の管理とか、受付け時の混雑解消とか、敷地の問題もある。もう一つは、制度の問題で、基本的な話として、薬には点数が振り分けられている。調剤報酬点数と呼ばれるものだ。国の保険に入っている者ならば、たいがいの医療費は三割負担で済む。残りの七割は国が、国民から集めた保険料で賄っている。調剤報酬点数の高さによって、国からの保険料の分配額が変わるのだ。つまり、同じ薬でも、点数が低いと、国から補てんされるお金が少なくなるので、薬局の売り上げもまたすくなくなる。利益率を高くするためには、点数の高い薬を買ってもらうほうがよい。もちろん、わざと点数の高い薬を処方するのは倫理に反するので、そうした行為は一般的ではないし、そもそも処方箋をだすのは病院なので、経営の切り離された薬局の収益は関係がないのが道理ではある。ただ、性格のよろしくないいくひしさんは、そこになんらかの癒着があるのではないかなー、と穿った見方をしていたのだけれども、そんなことはほかの人たちだって見抜いているわけで、薬局利用者の九割とかそこらが同じ病院からの患者さんが占めている場合は、保険料の補てん率が少なくなるルールになっているようだ。だから薬局としては、いろんな病院から処方箋を集めたほうが、収益としてはプラスになる。大きな病院の近くにある薬局はけれど、そもそも利用客が多いので、その天引きされる分の保険料をまかなってあまりある利益が確約されているので、九割以上はもとよりの病院からの患者であることは珍しくないようだ。癒着がない、とは言い切れないのでは、と興味本位で、思ってしまう(よしんば癒着があったところで、非難するつもりはないですよ。非難されてしまう可能性があるのでは、と言っているだけです)。最後に、病院と薬局が分かれている理由だが、これは薬の流通に関係している。どんな薬でも同じ量だけ安定して需要供給できるわけではない。そして薬には使用期限があるため、いつまでも保管してはいられない。供給量のすくない薬の場合は、全国の病院に均等に分配できない場合も往々にしてでてくる。そうしたとき、ひとつの薬局がさまざまな病院の患者さんへ薬を提供できれば、より効率よく薬を管理、配給できる。それはたとえば、アマゾンの商品管理(物流)倉庫が一か所に集められているのと同じ理屈だ。在庫を抱えるときには、その在庫は一か所に固めてあったほうが、補充や補完を効率よくこなすことができる。効率がよければ、そもそも在庫の数は少なくて済むので、ますます全国に貴重な薬が行きわたるようになる。まとめると、「コスト削減」「調剤報酬点数制度」「薬の需要供給」、以上の三点から、病院と薬局は切り離されて、経営されていると考えられる。もちろんほかにも理由はあるだろうし、上記は間違った結論であるかもしれないので、興味のある方はじぶんで調べてみるのものおもしろいのではないだろうか。ちなみにいくひしさんは、軽く調べた、と言ったけれど、とくに調べたわけでもない(なぜなら検証をしていないから)。あまり人の言うことを素直に聞き入れないほうが身のためかもしれない。


2029:【売上部数の開示の是非】
ある出版社の社長が作家の書籍実売数をツイッター上で暴露して炎上している。いくひしさんはその出版社の社長や同じ出版社のヒットメーカーである特定の編集者を、リスク管理がへたそうだな、と思っていたので、擁護するつもりも、庇うつもりもいっさいない。その出版社で働く、ほかの編集者や、いま仕事に着手している作家さんたちにはいい迷惑だろうなぁ、とすこしの同情を寄せるのがせいぜいだ。いっぽうでは、実売数の開示については、ほかの出版社もどんどんすればいいのに、とは思っている。なぜ公開してはいけないのだろう? 個人情報だからとかなんとか理屈をつけてはいるけれども、要するに、実売数の多寡によってつぎの仕事に繋がったり、或いはなくなったりするからだろう。言い換えれば、出版社は基本的に、その作家の本が実売数でどれだけ捌けたのかを重視していて、それによって仕事の依頼をするか否か、どれだけ部数を刷るか否か、を決めている。問題があるとすれば、そういった作家の知ることのできない情報で、作家の生命線を握りつづけている出版業界の杜撰な実態のほうにあるのではないだろうか。実売数が公開されることが作家にとってリスクである、といった実情のほうが、今回の炎上の因子よりもずっと根深い悪因(火種)を抱えていると見受けられるが、いかがだろう。実売数が公開されるとマズイ、というのは言い換えれば、作家はつねに出版社に生殺与奪の権を握られているのといっしょだ。商業作家が自著の実売数を知り得ない、という現状もおかしな話である。実売数くらい公開したらよいのでは? そんな短期的な、あやふやな指標で、作家の価値が決まるとでも思っているのだろうか。もちろん売れている作家が出版社を支えている事実は鑑みるべきだろう。売れることが商業作家にとっては重視すべき指標の一つではある。ただ、それがすべてではないし、それが第一であると仮定するのならば、いますぐにでも作家をやめたほうが身のためだ。作家など儲からない。儲けたいだけなら、ほかの業種に移るべきだろう。そもそもの話をしてしまえば、実売数以上の本を刷って、つぎつぎに新刊をだし、赤字分を、新たに刷った本でまかないつづける出版業界の事業形態がおかしいのだ。なぜ刷った部数と実売数に、十倍ちかい差があるのだろう。作家も作家で、そんなバブルに甘ったれてないで、もっと堅実に商売をしたらどうなのか。とはいえ、いくひしさんはプロではないし、商業作家になりたいわけでもないので、おもしろい物語を提供しつづけてくれるかぎり、好きにしてください、と思うのが関の山だ。業界の体質が改善したところで、いくひしさんはまったく得をしない。これまでと同じように、おもしろい物語を味わいつづけるだけである。ただ今回の一件を眺めていて思うのは、ほかの出版社(の編集者)が、火種になっている件の出版社(社長)を責めることができるのですか、ということだ。ここぞとばかりに、日ごろの鬱憤を晴らしているだけのようにしか見えないのですが、集団リンチは楽しいですか?(と、クズが申しております)


2030:【超短編14『あとはあなたがゆびで押すだけです』】
自殺なんかじゃない、殺されたんですよ。依頼人の孫奈(そんな)真坂(まさか)の怒りに満ちた声を聞き、これはがっぽり金を毟り取れるな、と判断し、二つ返事でその事件を請け負った。興信所を営みはじめて十年が経つ。これまでにも厄介な依頼は舞いこんだが、殺人事件の調査は今回がはじめてのことだった。否、殺人事件であるとはまだ決まっていない。依頼人の話によれば、歳の離れた姉が先月遺体で見つかった。場所はひと気のない森のなかで、ロープで首を吊った状態で発見されたそうだ。状況からして自殺と判断されたようだが、依頼人は納得しなかった。「姉は裁判中でした。勤め先の大手医療メーカーと、病院を相手取って、医療ミスの告発をしていたんです。病院側も医療ミスを認めていて、メーカーのほうも、賠償金を払うことに同意すると意思表示してきた矢先のことでした」「だからといって殺されたと言うのはあまりに短絡なのでは」思ったので指摘した。ざっと調べたデータによれば、いくども示談を提示されておきながら、依頼人の姉はそれをつっぱね、過去の事例からすると法外としか思えない金額を要求していた。むしろ、その金額を受け入れる姿勢をメーカーや病院側が示したほうに違和感を覚えるほどだ。「医療ミスで亡くなったのは、あなたのお姉さんの息子さんだったとか」「ええ甥です。姉の受けたこころの傷はいかほどだったのかと、想像するだに、胸が痛みます。甥っこは最新のナノマシン療法を受けていたのですが、どうやら製品に問題があったようで」「因果関係はハッキリしているんですかね。いえ、ハッキリしているからこそ、裁判はあなたのお姉さんに有利に進んだのでしょうが」「メーカーは商品の欠陥を認めています。病院側も不良品を掴まされていたとはいえ、治療のリスクを充分に説明していなかったことで被告に」「なるほど。息子さんを失くされたのだから相当に精神的にまいっていたことでしょう。法外な賠償金も、これは報復と見做したほうが正しいのかもしれませんな」引き受けてくれた弁護士がよく見つかりましたね、と言うと、やはり散々断られたらしい、と依頼人はようやくむかしを懐かしむような顔を見せた。それからすぐに表情を引き締め、「人選には失敗したかもしれませんが」と意図の掴みかねる言葉を漏らす。「それはそうと、お姉さんは訴えたメーカーにお勤めだったとか」(つづきはこちら→https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054889629573



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参照:いくひ誌。【11~20】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054881262099

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