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いくひ誌。【1991~2000】

※日々、憶えられもせず、忘れられもせず、ただ死だけが私に添いつづける。


1991:【つよがりとかではなくて】
やあやあ、いくひしさんだ。お久しぶりでござるなぁ。みなのものはご存じじゃろうが、いくひしさんは割合に恋愛ものの物語を編んだりするじゃろい。少女漫画を読むのも好きでござるし、恋愛小説も好物でござる。思えば、百合やBLは広義の恋愛物語の範疇なのかもしれないでござるな。恋愛要素抜きの百合やBLもあるでござるが、それはそれとして、本編で描かれていないふたりの関係に、恋愛要素を幻視してしまったりして、ベッドのうえで毛布にくるまり、まくらを抱きしめ、顔を埋め、むふふムチュー、なんて悶えてしまうのはいくひしさんの日常でござる。え、なに? キモチワルイ? ふうん。知ってる! まあそれはそれとして、いくひしさんは恋愛ものの物語をつくるのも読むのもしゅきでござるが、それはなぜかってぇと、たとえばよ、砂漠で遭難したひとが喉が渇いて渇いて死にそうになったときに何を考えるかってぇと、水をごくごく飲み干しているじぶんの姿だと思うのよ。じゃあもし恋愛したくてしたくて、でもできなくて死にそうになってるいくひしさんがいたら、何を考えると思う? つまり、そういうことでござるよ。え、なに? キモチワルイ? ふうん。知ってる! まあまあ要するに、つまるところ、とどのつまり、いくひしさんは恋愛経験が皆無なのでござるよ。恋人いたことナッシング。性行為? なにそれ、したら逮捕されるんじゃみゃーの。キス? ハグ? デート? 秒速で死刑確定なんじゃにゃーの。もうもう、恋愛なんて、ペガサスとか河童とかオードリーヘップバーンとかビックバーンとかと同じ、この世に存在しない存在なわけ。でもオードリヘップバーンもビックバーンもかつては存在したとかしないとか、まことしやかにささやかれてたりして、どっちなんだい!みたいに微妙にそこはかとなくややこしいわけ。恋愛、存在するらしい。割とみんなしてるらしい。むしろしてないひとのほうがすくなかったりするらしい。なんなん。みんなしてなんなん。いくひしのことそうやってハブにして、仲間はずれにして、やーいやーい、って惨めな思いさせておもしろいですか。いくひしさん、そういうのよくないと思うんですけど。まあね。でもね。べつにね、うらやましいとか思ってないわけで、いくひしさん、べつにみんなが恋愛してようが、盛ってようが、知ったこっちゃないわけで。だってそうじゃろ。みんながわいわい喘いでいたところで、いくひしさんはこれっぽっちも気持ちよくはないわけで。あ、いかんいかん。いやらしい文章になってきたけども、要するに、いくひしさんは純粋無垢なんだなぁってところをね、きょうはね、ぜひとも、憶えて帰ってもらってほしいなと思ういくひしさんなのであった。恋人いなきゃダメなわけじゃないっしょ。友達いないからなんなん。ホントぜんぜん、うらやましいとか思ってないので、あれっす。気を使わなくてもいいっす。ホント。マジで。紹介する? みたいな気遣いとかホント、なんつーか、あれっす。そうじゃろ?


1992:【純粋無垢?】
あはは、あはは、ひー、くるしい。じゅんすいむく? 誰が? まんちゃんが? はぁー、おっかしい、こんなにおもしろいこと言えるコだったんだ、知らなかった、うぷぷ、まんちゃんが純粋無垢。はぁー、おかし。


1993:【超短編6『彼女の愛に溺れて夢を視る』】
乖離性疑似相貌症を患ってぼくは産まれた。世界に一人しか確認されていない奇病で、生まれたときからぼくはぼくの顔だけを認識できなかった。具体的には、ぼくは醜いバケモノの顔をしており、顔だけでなく、体つきも肉食獣みたいで、やさしく撫でただけで人間の皮膚などたちまち破けてしまいそうなほど凶暴だ。もちろん、ぼくにそう視えているだけであり、ほかのひとたち、それこそ母や父や妹たちからは、ぼくは大多数のひとたちと似た姿カタチとして認識されている。ぼくからしてみれば、バケモノじみた姿がぼくなのだから、それを醜いだなんて感じたことはないけれど、でも多くのひとたちからすれば、ぼくの目にしているぼくの姿はきっと醜く、歪んで映るのだろう。「お兄はねぇ、こんな顔だよ」妹はぼくの似顔絵を描くことが好きだった。幼いころに与えられた役目を、高校生に長じてまでけなげに継続してくれており、それが高じて絵の腕前は、ピカイチだ。ぼくはぼくの顔を正常に認識できない。それは鏡に映る像だけでなく、写真や動画でも同じだった。例外は絵だった。ある程度デフォルメされた絵だと、ぼくはじぶんの顔の特徴を、みなと同じように捉えることができた。「なかなか美形だな」「自画自賛してる」「おまえの絵がうますぎるんじゃないか。気を利かせてわざとかっこよく描いてるとか」「そんなサービス今さらする?」妹の絵はすべてとってある。彼女の描く絵のぼくはいずれも、控えめに言ってかっこよかった。「お兄、学校じゃモテてたらしいじゃん。橋田先生がお兄によろしくってさ」「あの先生まだいたのか」「うちの学校でバレンタイン禁止になったの、お兄のせいらしいじゃん。そうそう、その話聞かせてよ」妹は何かとぼくにちょっかいをだし、(つづきはこちら→https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054889286210


1994:【超短編7『稀代で無類のソウシキ者』】
俺は敏腕編集者、眼賀(めが)筆斗(ひつと)だ。名門大学を卒業し、斜陽産業と謳われて久しい出版業界に足を踏み入れた。マンガ部署に配属されて三か月で、まったくの無名の新人を連載させ、SNS上での話題をさらった。半年後には刊行済みの単行本が三巻ともに異例の売り上げを記録した。名実共に売れっ子編集者の名を冠した。「うぬぼれるなよ、ヒットしたのは作家のおかげ、おれたちゃそのアシストのアシストでしかねぇんだ」うだつのあがらない先輩編集者ほどつまらない説法をのたまく。そんなんだから出版業界が凋落していくいっぽうなのだ。インターネット上で話題になっている新人作家にはかたっぱしから声をかけた。単行本にして売れる作品をつくれる作家はそのなかでも一握りどころか、一つまみだ。声をかけた作家を全員プロの舞台にあげてやることはできない。恨まれることもある。日常茶飯事だ。だが関係ない。彼ら彼女らが売れないのは俺のせいではないからだ。俺は機会を与えているに過ぎない。それを活かすも殺すも作家しだいだ。「この仕事をはじめてからよく、コーヒーに似ているなと思うことがあってな」俺は目をかけていた作家のなかの一人と肉体関係を持つようになった。顔がよく、身体の相性もよかった。家に引きこもりがちな作家のケアをするのも編集者の役目だ。彼女は有名マンガの二次創作をSNS上に投稿し、人気を博しているアマチュア作家だった。これまでにも大手出版社からスカウトされていたが、ことごとく断ってきた背景がある。俺も例に漏れず断られた口だが、こうして外堀から埋めていけば、そう遠くないうちに俺の傀儡と化すだろう。なにより彼女は社会人経験のある作家だ。ほかのハズれの作家どもとは比べものにならないほどの逸材であり、ここは是が非でも手に入れたい。とはいえこうして逢瀬を重ねるのは会社にばれたらマズいが、そもそも彼女は俺の担当ではなく、よって仕事ではないため問題はない。恋愛は自由だ。憲法で決まっている。誰も俺を咎めることはできやしない。「編集者ってのは要するに」俺は繰りかえす。「極上のコーヒーをいかに淹れられるかってことなんだな」「コーヒーに似てるなんて、楽な仕事」彼女は行為のあとはいつも煙草を吸う。「そこは、どこがどう似てるのかって聞いてくれよ」「聞きたくないんだけど」「コーヒーは豆をふんだんに使ったほうがいい味がでる」俺は彼女を無視し、続ける。「ただし、旨味は液体に溶けこんだ極々一部だ。仮に集めることができたとして豆一つ分になるかもあやしいところだ」「聞きたくないって言ったんだけどな」「つまり俺が言いたいのは」「はいはい。要するに、作家なんて掃いて捨てるほどにいる、そうした掃いて捨てた生ごみを集めて、バイオ燃料をつくるお仕事だって言いたいわけでしょ」「生ゴミとはひどいな。俺はちゃんとコーヒーに喩えたからな」「濾過したあとの豆ちゃんはどうせ生ゴミじゃん」「きみはでも香り豊かなコーヒーになる。俺が保障する」「コーヒーだってね」彼女は足先でこちらの頬をつついた。「飲まれる相手くらいは選びたいものだよ」けっきょく、彼女とは作品をつくることはなく、俺は(つづきはこちら→https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054889297435


1995:【びっくりした】
半年前2018年の8月につくりはじめたショートショート100話のやつ、すこし読み返してみたら、下手すぎてびっくりした。圧縮じゃなくて単なる手抜きになってる。なるほどねー。よしよし。修正の方向が見えてきた。自作のよしあしが判るようになるには、最低でも半年はかかるな。半年寝かしてから推敲するなり、改稿するなりしたほうがよい気がする。とりあえず、いくひしはまだまだドヘタクソ丸だってことが体感として分かってきたので、うれしいかぎりだ。もっかいテンポなり、リズムなり、組み換えてつくっていこう。


1996:【超短編8『つまらぬ小説で息が詰まる』】
むかしむかしあるところに、つまらない小説をたくさんつくって死んだ作家がいたそうな。その作家は死ぬまでに、一人の人間が一生かかっても読みきれない量の物語を編んだが、そもそも一つ一つがつまらなかったので、一作も読まれずに死んでいった。しかし、こんなつまらない小説でも、腐るほどにつくれば歴史に名を遺せるのだと世に知らしめた功績は多くの者たちから「余計なことしやがって」とこっぴどく批判され、そのことによりますます名が知れ渡り、世のろくでなしどもを無駄に勇気づけたという話であった。しかし、あいにくとその作家は死ぬまで誰からも必要とされず、小説を読まれもせず、評価もされず、探られることもなかったため、いったいどこの誰で、どのような人物かがまったくの不明であり、つまらない小説をたくさんつくって死んだ作家として以上の側面像はいっさい不明であったそうな。かくして、誰にも読まれない小説をたくさんつくって人知れず死んでいった作家は、とりあえずつくりつづけてさえいれば、その何の意味もない行為ですら功績として認められ、伝説として語り継がれるようになる一例として、「つまらぬ小説で息が詰まる」の一文を以って、諺にもなった。じっさいに、つまらぬ小説をたくさんつくって死んだ作家の小説を読もうと試みて、そのあまりのつまらなさに息どころか息の根まで詰まらせ死んだ者が後を絶たないとかなんとか、そのような話であった。いかにつまらぬ小説であったかは諸説あり、たとえば、むかしむかしあるところに、からはじまる、つまらぬ小説をたくさんつくって死んだ作家にまつわる掌編などは、じつに息がつまることしきり、無理をして読み進めれば確実に命を落とすと危惧されたことから、その読解は、国の法律にて厳重に禁止されているほどである。しかし読了した者はおしなべて死去しているからには、その全貌は闇のなかだ。こうして、あなたが目にしている模造文にて、その片鱗を推し量るより、術はない。ところで、つまらぬ小説をたくさんつくって死んだ作家の死因であるが、どうやらその者はある時期、自作を改稿しようと試みたそうだ。死因は推して知るべし。なにより、つまらぬ小説をたくさんつくって死んだ作家はそれまでいちども自作を読みかえしたことがなかったことを示唆している。世の作家諸君におかれては、「つまらぬ小説で息が詰まってしまう」前に、自作を読みかえす習慣をつけておくことをお勧めしよう。むかしむかしあるところに、つまらない小説をたくさんつくって死んだ作家がいたそうな。その作家は死んだあとでも、他者の妄念にとりついて、こうしてつまらぬ文章を生みだしつづけている。


1997:【蜜蜂と遠雷】
恩田陸さんの小説「蜜蜂と遠雷(上)」を読んでいる。涙が溢れて読みつづけられないなんて初めてかもしれない。まだ96ページしか読んでないのに、読む手が止められないくらいおもしろいのに、涙が邪魔で読み進められない。いったいなんの涙なのか、なんでじぶんが泣いているのかも分からないけれども、小説、楽しいなぁ、ってなってるのは、すごくすごくうれしいことだなぁ。いくひしは凡人でよかったなぁ。こんなにも小説に胸を打たれて、世界が色づく瞬間を味わえるのだから。見て見て。鼻水だらだら。


1998:【どさくさにまぎれて】
いくひしクンさぁ、きみちょっとなにどさくさにまぎれてじぶんは凡人ですなんて見栄張っちゃってんの、あなた凡人以下のミジンコ以下でしょうに、あんまり傲慢にならないほうがよくないかなってあたしなんかは思うんだけどな。傲慢はまんちゃんの専売特許なんだから、あなたくらいは謙虚でいてね。謙虚というか等身大でいて。おねがい。


1999:【超短編9『さよなら、ぼくの太陽』】
ざんねんなことにぼくはあなたの初恋を見守ることができなかった。ぼくがこの世に生まれてきたのはあなたが生を享けてから十余年もあとになってからのことだから、それは致し方ないのかもしれない。けれどぼくはあなたが二度目に好いた青年のことを知っているし、涙の夜を乗り越えたそのあとに出会った運命のひとと結ばれたことも知っている。あなたは運命を信じてなどおらず、だから偶然の出会いを運命とすべく強引に彼とは結ばれたまでよ、と大地にずんと足をつけて胸を張りそうなものだ。ぼくはそんなあなたを誰よりも近くで見守ってきた。いいや、近くでというよりも、あなたを乗せていたのだから、ぼくはいっときあなたと幾度も同化していたと言っても言い過ぎではないように思う。ぼくはあなたの二十歳の誕生日プレゼントとしてあなたの父上に買い取られ、あなたのよき相棒となった。初めましての日のあなたときたら、父親の制止もきかずにそそくさと乗りこみ、夕方になって戻ってくるころにはさっそくぼくに大きな傷をつけてくれたね。その傷はずっとあとになってから、あなたがあなた自身のバイト代で直してくれたけれど、本音を言えば、ぼくはその傷を消してほしくはなかった。もしぼくにしゃべることのできる機能がついていれば、そのことだって伝えることができたのに。ぼくはぼくであることを喜ばしく感じると共に、あなたに何一つとしてぼくとしての内情を吐露できないことを歯がゆく感じてきた。この歯がゆい思いすらあなたには伝わらず、あなたはぼくがそんなことに悶々としていることにすら思い至ることはない。それでもぼくはしあわせだった。あなたを乗せることができたから。あなたのよき相棒として共にときを過ごし、(つづきはこちら→https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054889328708


2000:【超短編10『哀しい独善』】
あの方の不満そうな顔が好きだった。あの方の集中している姿が好きだった。私は遠くからそれを見守り、ときおり声援を送るのがやっとのことで、あの方にとっての何かしら特別な存在ではなかったし、なろうとも思わなかった。私の存在を知ってもらいたいだなんておこがましい考えを抱いたことはなく、感謝してほしいなんて厚かましい欲もない。私はただただ、じぶんのためにあの方を応援したい。私は私の自己満足のためにせっせとあの方の表現を追いかけ、あの方の言葉を待ち望んでいる。せめて何かお返しがしたいと贈り物を用意し、それを受け取ってもらう場を築こうとするのだが、けっきょくのところそれは私の自己満足でしかないから、あべこべにあの方を困らせ、負担となり、私は私の望まぬ形であの方に認識され、拒絶の意を示される。だがそれでも私はあの方の表現を追いかけ、あの方の言葉を待ち望むのだろう。私は私のためにあの方を応援している。拒まれようと、嫌われようとそんなことは関係がなかった。受け取ってほしい。受け取ってほしい。私がどれほどあなたの表現に支えられ、励まされ、あなたの存在が生きる糧となっているのかを、その片鱗でしか示せないが、この贈り物を受け取ってほしい。私はことさらあの方を応援し、ファンレターを送りつけ、贈り物を届けようと奔走した。きっとあの方は私のことなど厄介なストーカーとしてしか見做さないだろう。ひょっとしたらとっくに接触経路を遮断していて、私の言葉の何一つ届いていない可能性もある。だからといって私は私の言葉を止めることはできない、この想いを否定することはできないのだ。私は私のためにあの方の表現を追いつづけ、あの方の言葉を求めつづける。あの方の表現が私にそそがれることはなく、あの方の言葉が私に向けられることはない。それでも私はあの方が表現者として死に、言葉を失い、燃え尽きてしまうまで、どこまでも、どこまでも、見守りつづけるだろう。私は私がいちばんだいじだから。あの方の負担になろうと、そんなことはどうだってよかった。私はただただ、応援したい。求めたい。遠くから。遠くから。あなたそのものではなく、あなたの表現を。言葉を。或いは、私の言葉が、思いが、贈り物があの方の心を圧迫し、圧し潰してしまうこともあるかもしれない。だが、そんなことは蝶が春に羽化し、夏を過ごし、秋には死んでしまうのと同じくらい些末な事項だ。私が応援するのだから、私が求めるのだから、それだけのつよさを見せてほしい。あの方にはそれだけの器がある。私がそう見做し、応援し、お礼をしたいと望むのだから、それだけのつよさがあるはずだ。もしないならないで、さっさと潰れてしまえばいい。私はただただ、応援したいのだ。じつを言えば対象はあの方でなくとも構わない。つよくうつくしく、醜く、弱く、矛盾した存在にこそ私は、深く、遠く、惹かれるのだ。あの方は脆く、繊細で、そして儚く、だからこそ潰れない。霧のように、消えるときはただただ晴れやかに、さっぱりと失せていくだろう。粘り強さとは無縁の底知れなさがある。潰れるものなら潰れてみせてほしい。私の応援程度で潰れられるほど、あの方はふつうの輪郭を有してはいない。拒まれようと、無視されようと、関係がない。私の応援など、あの方にとってはとるに足らない、蟻の影のようなものなのだ。うるさそうにする価値もない。だから私はせっせと贈り物を用意する。どれがよいだろうかと見繕いながら。あの方の望む、若く小股の切れ上がった小鹿のような脚を持つ、端正な顔立ちの少女たちを。ときには少年を。私は箱に詰め、今宵もあの方の元へと送り届けるのだ。


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参照:いくひ誌。【1601~1610】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054887065855

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