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いくひ誌。【1841~1850】

※日々、誰にも必要とされない気楽さを手放さずにいたい。


1841:【SNSから学んだこと】
目立っていいことなんて一つもない。息苦しさを得るばかりだ。


1842:【誰のこと言ってるの?】
まるでいくひし、おまえがSNSで目だったことあるような物言いだなぁ。誰からも注目されずによくもまぁ、言えたもんだ。


1843:【はぁ?】
うっせ、引っこんでろばーか。


1844:【閉鎖コミュニティ】
去年から予告していたとおり、ツイッターを2月から休止しようと思います。10月くらいまで利用を控えます。これまで積極的に宣伝に利用してこなかったので、せっかくなのでデータを集めてみようと思い、ここ数日自作の宣伝ツイートをしてみました。反響はまったくと言っていいほどありません。これは予想通りです。また、宣伝ツイートをしはじめてから一日のプロフィールへのアクセス数が三分の一に減りました。一日平均300あったのが100へと激減です。これに関してはおもしろい変化だなー、と愉快に思っています。いくひしの考えでは、ツイッターの宣伝効果は時間が経過してから徐々にでてくるものだと解釈しているので、ひとまず種を撒く感覚で、ひととおりの宣伝ツイートをしておきました。今回やってみて、なるほどな、と思ったのは、検索されやすい単語がタイトルに入っていると、インプレッション(ツイートを見るひと)が伸びやすい、ということです。フォロワーが一人のいくひしさんのアカウント(https://twitter.com/Man_is_IBUKI)であっても、(作品タイトルによっては)一つのツイートのインプレッションが三日で800とかいきます。検索したときにほかとダブらないようなタイトルがよい、とされてきたこれまでとは異なり、これからはなるべくダブりやすいタイトルのほうが、SNS上では有利になると言えるでしょう。個別に検索しやすくしたいのならハッシュタグを別途に用意すればよいだけの話です。あと、やはりというべきか、今年に入ってからツイッターやnoteから離脱するクリエイターさんが増えてきたな、との印象は揺るぎません。ツイッターにかぎっては、インフルエンサーなるものの影響力は今年かぎりと見ておいて損はないと思います。SNSのユーザーが急速に夢から覚めはじめているように見受けられます。なにより、下の世代が入ってきている様子がないのがおもしろい傾向だな、と思いながら眺めています。そとにひらけたままのコミュニティはもう若い世代には受け入れられないのではないか、と感じています。リスクが高すぎるからです。ひらけた場でまずは同類と出会い、そこから閉じた場へと移行できるサービスが流行っていくことでしょう。今年2019年は閉鎖的なコミュニティが乱立し、普及していく年になるのではないか、とSNSの変容に思いを馳せて、きょうの「いくひ誌。」とさせてください。


1845:【未来志向】
WEBで小説を発表するうえでは、読者サービスが欠かせない。段落と段落のあいだを一行あけるなどの工夫はもちろんのこと、一ページにつき3000文字以上は載せないようにするなど、読者が読みやすい形態で文章を載せることが、PVを稼ぐためには必要であるようだ。いくひしさんはまったくそうした工夫をしていない。なぜか。まず、十何万字もある長編の全文にチマチマと行間を挟む時間が惜しいのが一つ。それからとくにPVが欲しいと思っていないのが一つ。最後に、いずれ小説投稿サイトのほうで、読者にとって最適な文章形態をタップ一つで選べるようなサービスをはじめてくれるだろうとの他力本願を割と本気で期待しているのが大きな理由となっている(作者ではなく読者のほうでテキストの形式を選べるサービスという意味)。いずれそうなるだろうとの希望的観測のもと、だったら読まれるための工夫をするよりもまずは、作品を増やしたり磨いたりする方向に時間を費やしたほうがじぶんでじぶんの行動を納得できると考え、結果として、読者さまへの気配りのない体裁での小説掲載と相成り申してござる。とはいえ、思ったよりも小説投稿サイトのサービス向上の速度が遅いので(よほど儲かっていないのでしょう)、期待しないほうがよさそうだなぁ、と考えがすこし変わってきたところです(小説投稿サイトではなく、メディア端末のほうで機能が向上するとみたほうが期待値は高そうです。テキストの体裁を自在に選択できる機能くらいは基本性能として備わっていくでしょう)。下手をしたら大手の小説投稿サイトですら、あと数年も経たぬ間に封鎖するような事態になるかもしれません。大袈裟でなく、企業のほうで維持費すら稼げなくなる時代がやってくると想像しています(これはやや悲観寄りの考えです)。いずれにせよ、いくひしさんには関係のない話ではあります。そうそう、未来を見据えて小説をつくってきたつもりのいくひしさんでも自作を振りかえって、見通しが甘いなぁ、と思うことがすくなくありません。たとえば、信号機。近未来を舞台にした小説で、完全自動運転車が普及した世界にあって、なぜかまだ信号機が活躍していたりして。これはいけません。自動運転が基本となった社会では信号機は減少していくでしょう。その代わり、車道と歩道は明確に区切られるような区画整理がされていくと想像します。あとはスマホなどのメディア端末も、あと五年もすれば折り畳みやフィルム型のデバイスが普及していてふしぎではありません。もっと言えば、眼鏡一体型のIoTとAR(拡張現実)が融合して、端末そのものを持ち歩く必要すらなくなるかもしれません。眼鏡に投影された映像をもとに、手の動きを読み取って、立体映像を操るような感覚で操作するデバイスがあと十年以内に商品化されるでしょう(仕組みとして同じようなものはすでに開発されていると想像します)。十年後に古びた表現とならないように、いまからそうした道具を見越して、物語に取り入れていったほうがよいような気がします。もちろん、小説内部でスマホではなく携帯電話を使っているからといって時代遅れな小説だ、なんて評価をされるわけではないでしょう。そもそもを言えば、小説そのものがすでに大いに、時代遅れの媒体です。いくひしはいまの時代よりもすこしさきの時代のほうに、いくひしの小説を必要としてくれる方が多く存在しているだろうと想像しているので、こうした方向性での工夫を自作に取り入れています。時代性というものがどういうものを示すのかはよく分かりませんが、ただひとさまの小説によっては、いまこの瞬間に生きている人々だからこそ響く物語というのもあるでしょうから(割合としてはそちらのほうが多そうではありますが)、各々、じぶんのつむぐ物語との相性のよい読者さまがどんな社会に多く存在しているのかを自覚しておくと、読者さまと出会える確率をより正確に把握できるようになるのではないでしょうか。確率を把握しておくことの利点は、優先して取り組むべき工夫を選択しやすくなることです。やりたいこと、そしてできることからやっていきましょう。


1846:【休養日】
新しいことをはじめるとついつい手加減を忘れてしまう。夢中になっているあいだは脳内麻薬が分泌されて、身体が全開放状態になるので、快適なのだが、いちどエンジンを切ってしまうと、とたんに、身体がまともに動かせないくらい疲れてしまう。よろしくないなぁ、と思いながらも、全開放状態になるのが嫌いではなく、むしろそのために生きていると言っても過言ではないので、どうしても対策を講じたくない。なので、疲れたあとにどのようにケアをするかのほうに思考を割きがちだ。たくさん寝るか、美味しいもの食べるか、の二択なので、考えることがとくにないと言えばないのだが。それはそれとして、音楽は重要だ。とくに音楽のテンポとビートはだいじ。体感速度や思考の波がそこに共鳴するので、聴きながら作業をする人間はときおきピッチやビートの異なる曲を聴きながら、じぶんがいまどの体感速度でどのような律動に同調しているのかを確認する癖をつけたほうがよろしいかもしれない。知らぬ間にドツボにハマっていて、体感速度や律動そのものが要因で、うまく作業が進まない、出力がさがっている、といったこともあるようだ。よい発見だった。あとはさいきん気になっているのは、アマゾン定額読み放題全体の収益がさがってきていることだ。アンミリに登録している作家側に分配される基金があるのだが、今月(2018年12月分)は先月(2018年11月分)と比べて一億円くらい下がっている。きょねんの上半期は毎月すこしずつ金額があがってきていたのが、きょねんの七月ごろから徐々に停滞しはじめてきていたので、なんらかの対策を打たないと、定額読み放題の顧客離れが進んでいくのではないか、と想像している。売れている本だけにスポットを当てる手法だけではあとがつづかない(基本的に本はいちど読めばそれでおしまいだ。続々とヒット作がでてこそ、市場が活性化する。過去のヒット作にのみスポットをあて、宣伝をする戦略は、飽くまで豊潤な新作の土壌があってこそ成立する手法だ。ヒット作以外からヒット作をだすシステムがない以上、アマゾン定額読み放題サービスは先細りしていくのが道理であろう)。なんらかのサービスを展開すべき時期である。ただ、それだけの資本を費やすに値する価値が、いまの電子書籍市場にあるのかは疑問だ。紙の出版以上に、電子書籍市場も収益をあげるのがむつかしくなってきていると想像しているが、さてどうなるだろう。ぼんやりと眺めていきたい。


1847:【透明人間になりたい】
あー、ひとと関わりあいたくなーい。


1848:【うぷぷ】
まんちゃんおっかしー。まるでまんちゃんがひとと関わりあってるみたい。


1849:【あばばー】
やあやあ、いくひしさんでござる。いくひしさんはいくひしさんでいくひしさんでござる。いくひしさんだからいくひしさんでいくひしさんなのだ。だからたまたまいくひしさんだったり、いくひしさんだったり、或いはいくひしさんであるかもわからない。そうそう、いくひしさんと言えばいくひしさんでござるな。いくひしさんがどうしていくひしさんかというと、たとえばいくひしさんがいくひしさんをいくひしさんにしたとするでござる。するといくひしさんは、いくひしさんってどうしていくひしさんなの、という具合に、いくひしさんとなるから、そういう場合は、しゃーない、きみはいくひしさんだ、となるので、けっかとして、いくひしさんはいくひしさんとなるでござる。ここではたとお気づきになられるいくひしさんもいらっしゃるかもしれないでござるな。そうなのでござる。きょうはもう、いくひしさんがない日でござる。なんもなーい。いくひしさんはいくひしさんなのに、いくひしさんがないでござる。もう何を言ってもいくひしさん。そうそう、思いだしたでござる。なんといくひしさんはいくひしさんだったでござる。えー!?っとびっくりなさったそこのいくひしさん。じつはあなたもいくひしさんだったでござる。どしぇー!?と腰をいくひしさんなさったそこのあなた、あなたのいくひしさんしたいくひしさんはじつは腰ではなくいくひしさんなのでは? もうもう、どこまでいってもいくひしさん。いくひしさんはいくひしさんのことばかりで、いくひしさんがいっぱいなのでござる。いっそのこといくひしさんであることをやめるのも一つかもしれないでござるが、いくひしさんはやっぱりいくひしさんでござるからやめようがなく、やめるとすればもうそれは、いくひしさんがいくひしさんするしかないのでござる。いくひしさんはいくひしさんだ。いくひしさんはみなに平等に訪れる。誰もがいくひしさんに向かっていくひしさん、そしていくひしさんはおのずとあなたをいくひしさんに向かわせる。いくひしさんといくひしさんはけっきょくはおなじものであり、表裏一体ですらなく、いくひしさんはいくひしさんなのだ。つまるところいくひしさんは、いくひしさんなのだなぁ、でござるー。いくひしさんはたとえいくひしさんでも、いくひしさんでありつづけてしまうでござるから、これはもう、いくひしさんとしか言いようがないでござる。ホントにもう、いくひしさん。


1850:【無駄な労力】
気づいたらこの「いくひ誌。」の文字数が、百万字を超していた(短編やショートショートを抜きにして)。単行本十冊分の分量がある。なんて無駄な労力を費やしてしまったのだろう。この分の時間と打鍵を創作に費やしていたら、十冊分の小説がつくれていたはずだ。この無駄さによって生まれた小説もあるだろうから、まったく無駄だとは呼べないが、そんなことを言いはじめたらどんな行動も何かしらの影響の結果として自作に作用するので、単純に考えればやはりというべきか、無駄な労力を費やしてしまった、と評価せざるを得ない。ツイッターをやめるついでにこの「いくひ誌。」もしばらくお休みにしたほうがよろしいように感じている。もっと言えば、小説をつくる時間を、ほかのもっと有意義なことにあてれば、いまごろはもうすこし人間らしい生活を送れていたような気もする。しかし、有意義なこととは何かがぴんとこず、人間らしい生活がどんなものかもよく分からないので、よしんば何かしらの基準があったとして、ではいまの生活を脱して、そのような人間らしい何かしらの生活を送ることが果たしてじぶんの望む在り方なのかと想像を逞しくしてみると、どうにも、そのようには思えないのである。けっきょくのところ充分なのだ。満ち足りている。これ以上なにかを望みようがない。あわよくば、欲を張りたくなるような新しい刺激がつねに供給される仕組みを生活の基盤に取り入れたいとこざかしくも頭の隅にて企んでいる。いまはインターネットがその役割を担ってくれているが、もうすこし自動的にかつよりどりみどりといった塩梅であるとよろこばしい。家に図書館があれば言うことはないのかもしれない。漫画喫茶でもよろしい。マクドナルドが入っていると文句はないが、店員やほかのお客は不要であるから、すべて自動で営んでくれると助かる。もっとも、メンテナンスをしなくてはならないだろうから、その手間と労力を考えると、たいして欲しい設備でもない。基本的に欲しいものや環境というのは、じぶんのものにしてしまうと、途端に煩わしいものになる性質があると言える。手間暇かけても手元に置いておきたい、そう思えるものというのは案外にすくないのではないだろうか。いくひしさんはなるべくじぶんのものを増やしたくない。ほかのひとのものを自由に使えるほうが便利だと感じる。そしてそういう環境を増やしていくことが快適さの条件だと考えている。いくひしさんは他人と関わりあいたくはない。人間同士で関わらずとも、関係性を築ける環境こそ理想である。ものだけをやりとりできる環境が好ましい。絆や繋がりを尊び、謳う者たちも、じつのところは他者と関わりあいたいなどとは思っていないように、いくひしには映る。欲しいものを得るために仕方なく関わりあっているだけであろう。欲しいものだけを一方的に受け取れるならば、直接顔を合わせる必要もなくなる。例外は性欲に関係する衝動だけである。あなたはなぜ他者と直接関わりあいたいと欲するのだろう。他者と直接顔を合わせ、言葉を交わし、いったい何を得ているのか。いくひしはそれをなかなか言語化できないでいる。


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参照:いくひ誌。【851~860】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054884350043

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