※日々、誤解し、誤解され、すれ違って生きていく。
1821:【うわーん】
まんちゃんさぁ、さいきん頭よさげに思われたいって気持ち、暴走してない? あんた学歴ないじゃん。あたまわるいじゃん。知識ないじゃん。計算できないじゃん。漢字とかさ、何か四字熟語一つでも書けるわけ? 弱肉強食ですらムリじゃない? それは書ける? ふうん。じゃあ四面楚歌は? え? だめ? ほらー。そういうとこだってまんちゃんさぁ。都道府県十個も言えないでしょ。県庁所在地とか言える? 株と為替の違いとか分かる? 化学反応式、三つ以上何か並べられる? 円錐の体積の求め方とか憶えてる? ぜんぶダメじゃん、小学校からやり直してきなよ。まんちゃんのそういうとこ、ホントにホントにどうかと思う。勘違いしないでね、ダメなのはいいよ、だってそれがまんちゃんだもん。なのに、ダメなのに、ホントはホントはぜんぜんおばかちゃんなのに、頭よく思われたいって、そういうあんぽんたんなところがかわいくないなって。もっと素直になろ? ぼくちゃん、あんぽんたんなのってウジウジしてて。それがまんちゃんでしょ。這いつくばってかわいくしてて。
1822:【若さと老い】
100パーセントの出力で、レベル100の技をこなす。これを若さだと仮定すると、40パーセントの出力で、レベル100の技をこなす。これが老成だと呼べそうだ。どちらにもメリットはある。若さの場合は、出力が全開である分、迫力や勢い、キレやスピードがでる。反面、老成の場合は、出力が低い分、安定してこなせ、また持続しやすい(疲れにくい)性質がある。またべつの見方をすると、若さは、出力が高いため、レベル110の技を体得しやすい傾向にある。反面、老成は、長期的な計画をたて、段階的にコツコツと経験を積みあげていかないことには、よりレベルの高い技を体得するのはむつかしい。未来を切り拓くという意味では、若さのほうに分があると言えそうだ。とすると、老成した方法論を主軸にしている者は、じぶんより若く、出力の高い者を観察していたほうが、つぎのステージへと昇るための階段を、精度高く見繕えるのではないか、と期待できる。ちなみにこの若さと老成は、実年齢とはあまり関係がない。年齢が若くとも老成している者もいれば、還暦を過ぎても若さに溢れている者もいる。若さと老成、どちらの方法論もとれるようにしておくと成長するのに有利かもしれない。ギアを変えるように自在に入れ替えることができれば、より理想的だ。
1823:【してねぇよ】
勘違いしてんじゃねぇぞ、いくひし。小説がうまくたってなんも偉くもなんともねぇからな。んでもって、いくひし、おめぇはうまくすらねぇんだかんな。偉くもなんともねぇ以下の以下だ、勘違いしてんじゃねぇぞ。
1824:【感情と名称】
同性同士の感情の揺らぎを掬い取る物語をSNS上で見かける機会が多くなった。いくひしがそういう物語に目がいきがちなだけ、との指摘は一理ある。ただ傾向として一定期間内での出現率が増加しているのは確かだと言えそうだ。そうしたなかで、百合やBLであると謳わない作品にまで、百合やBLではないか、といった判定をくだし、嗜好する受け手たちもまた増加しているように見受けられる。非難するつもりはない。物語は誰であっても好きなように解釈し、楽しむ自由がある。間違った解釈を楽しんでも一向に構わない。ただ、それを気に食わないように思う、ほかの受け手たちの気持ちも理解できる。間違った解釈を、それがあたかも正しい解釈のように触れ回っていたら、眉をひそめたくもなるだろう。ただ、百合やBL(にかぎらないが、ジャンルという枠組みそのもの)は、基本的には、受け手の解釈でしかない。たとえば一時期、「萌え」という言葉が流行った。かわいいや、きゅんきゅんする、のような感情を示す言葉だ。萌えアニメ、なんて言葉も出現し、ジブリやディズニー作品と区別するフレームとしていまでも機能している。百合やBLといった言葉も、そうした「萌え」という言葉同様に、感情に由来する言葉だと考えてみてはいかがだろう。女の子同士が関わりあい、なにかしらの感情を抱きあっている。それを見た者が、あ~よい~~、と思えばそれは百合なのだ。同様に、男の子同士が関わりあい、そこにしか芽生えない感情を抱きあっている様子を目にし、あ~よい~~、と思えばそれはBLであり、萌えなのだ。その子たちの関係性が友情であろうと恋愛であろうと、宿敵であろうと関係ない。百合やBLという言葉は、関係性を示す言葉ではなく、関係性を見出した者の心の揺らぎを示す名称であり、受け手の気持ちを示す言葉なのだ。むろん、関係性そのものを示す、固有名詞じみた役割の「百合」や「BL」があってもよい。ただ、ジャンルがそうであるように、飽くまでそうしたレッテルは、物語それそのものの本質を示すものではない。本棚に仕舞うときに、なんらかの秩序を持たせて並べたい。ジャンルとは、そのための区分けの一つであると呼べる。またSNSを眺めての印象だが、任意の作品を示し、百合やBLである、と指摘されることに対して、嫌悪感を募らせる者がすくなくないようだ。これに関しては、そういうふうにマイナスに感じてしまう側にも問題があるように感じる。百合やBLに対しての差別意識がつよいのではないか、と穿った見方をしてしまうのだ(差別意識は誰もが抱いているものなので、抱いてしまうのはしょうがないが、それを自覚するくらいのことはしてもよいのではないか、と思う)。解釈を押しつけられることに対しての反発であるのなら、「これは百合でもBLでもない」といった反論の仕方ではなく、率直に、「あなたの気持ち(解釈)を押しつけないでください」で充分ではないかと思う。同様に、ホモやゲイやレズやビアンといった言葉を悪口だと受け取る側にも、懸念を示しておきたい(悪口の意味でそうした単語を用いる者にこそ非があるのは言うまでもなく、また言うまでもないのでここでは深く触れずにおく)。牛乳が好きな人間に対していくら悪意をこめて、この牛乳好きが、と言ったところで悪口にはならない。ならば、同性愛者に対して、ホモやゲイやレズやビアンと言ったとしても、それが悪口になる道理もまたないと言える(同性愛者ではないのに、ホモやレズと呼ばれた場合には、そうではないと否定するのが自然な対応だ。しかし、怒る理由にはならない。牛乳が好きではない人間に、この牛乳好きが、と言ったとして、果たして相手は怒るだろうか。何を言うかよりもむしろ、言い方のほうが問題だ。要するに、発言者に悪意があるか否か、差別意識に根付いた発言かどうか、が焦点となる。投げかける言葉そのものの是非を問うのはお門違いだろう)。ホモアニメ、ホモ漫画、ホモ小説など、なんでもよいが、そう呼ばれて怒る理由が分からない(明確に相手が悪意を以って言っていたら、その悪意に対して反発する姿勢は理解できる。ただ、相手に悪意があるかどうかは、発せられた言葉だけでは判別できないのでは、と疑問に思うのだ)。もっと鷹揚に構えてもよいのではないか。ホモやレズは悪口ではない。蔑称である、なんて意見も聞かれるが、この世に蔑称なんてものはない。言葉を蔑称として扱う者がいるだけだ。百合やBLもまた例外ではない。もちろん、この解釈を他人に押しつけるつもりはない。きょうのいくひしはそう思います、という感想なのでした。
1825:【インプレッションとアクセス数】
SNSにはアクセス解析機能がついている。アナリティクスと呼ばれるものだ。その日にじぶんのアカウントを覗きにきたユーザーの延べ数と、投稿した記事をどれだけのひとが見たかを数値化してくれる。いくひしは2018年の8月からツイッターをはじめた。平均するとプロフィールへのアクセス数が月10000を超す。先月、12月のアクセス数は10774だった。一週間休止してもそれくらいのアクセス数なのだ(ちなみに、いくひしのフォロワーは現時点で20人だ。SNSをざっと見渡してみると、フォロワーが数百人いてもプロフィールへのアクセス数が10000を超さないユーザーはすくなくないようだ)。インプレッションは、いちどもツイートしてこなかったので分からなかったが、きょうはじめてツイートしてみた。インプレッションは40だ。一日の平均アクセス数が300を超すいっぽうで、インプレッションが100いかないというのはどういうことなんじゃろ? ツイッターを経由せずにいくひしのアカウントを見にきているひとがいるとして、その方々のアクションは数字に反映されないのだろうか。たとえば、アクセス数のほとんどがいくひし自身のツイッターを開いた回数だとしよう、だとしてもインプレッションはさいていでも300はいくはずだ(固定ツイートなので、いくひしがアカウントを開けば否応なく数字に反映される)。通常、プロフィールへのアクセス回数よりもインプレッションのほうが多い。十倍以上の差があるのが珍しくないなかで、いったいどういうことなのだろう。わからーん、と思ったきょうのいくひしさんなのでした。
1826:【原作フリー素材はじめました】
note「
https://note.mu/ikubisiman」のほうで原作フリー素材はじめました。ショートショートを無料でご自由にお使いいただけます。二次創作との主な違いは、原作ままでもOK、改変自由、商用利用OKな点です。詳細はnote「
https://note.mu/ikubisiman/n/n016b9fc07240?creator_urlname=ikubisiman」こちらにて。
1827:【たのしい】
物理世界だとわる目立ちしてしまういくひしさんでも、インターネットのなかだと目立たずにいられるから気持ちがすごいラク。たとえば、インターネットのなかであっても何かを発信するときはすごいドキドキする。心臓にわるい。でもとくになにも反応がないから安心する。よかったーってなる。でもそれじゃダメじゃん、意味ないじゃん、みたいな考えもあるから、ドキドキしながらまた別の方法を試していく。この「いくひ誌。」とかいまは誰も読んでないって分かってるから、すごくラクに言葉を並べられる。あべこべに、誰かの視線を意識した途端に、つまらない言葉しか並べられなくなる。ときどき小説のアクセス数が変動しているときがあって、そういうときは、もしかしたら読まれてるかも、と思って、ドキドキしてしまう。こわいー、ってなる。前から繰り返し言ってることだと思うけども、いくひしはひとの視線がすごい気になる。どう思われてるかとか、どういうふうに評価されてるのかとか、気になって、きぶんがうがーってなる。自意識過剰だとじぶんでも呆れてしまうけど、気にしないではいられない。でも、たとえばいくひしが誰かから嫌われてても、いくひし自体がどうにかなるわけでもないって頭では解かってるから、哀しいけどしょうがないなぁ、ってなる。どうしようもない。だから物理世界のいくひしさんは、ものすごく独りが好きだ。誰とも関わりたくない。でもインターネットのなかだと、誰とも関わらずにいられるし、好きなだけ、好きですって相手に示せるから、たくさんハートマークとか押しちゃう。でもいくひしの好きです、なんて意思表示は、相手からしたらあってもなくても構わない蚊の羽ばたきみたいなものだから、むしろちょっと煩わしいくらいかもしれなくて、でもちゃんと蚊を気にせずにいられるミュート機能とかがあるから、いくひしは安心して、無関心の世界のなかにいられる。ほっとする。爆弾を踏まないように、こうしたらどうなるだろう、ああしたらどうなるだろう、と試していくのは、なんだか池に小石を投げ入れて、いい音が鳴るかどうかとわくわくするときのいくひしに似ている。爆弾を踏んだら負けなのだ。ぎりぎりまで、石を積みあげて、雪崩を起こすことなく、そのままひっそりと消えていく。見つかったら(バズったら)負け。ひとり遊びはたのしい。
1728:【高嶺の花になれ】
SNSの普及で、コンテンツ市場は事実上の不当廉売(ダンピング)がまかりとおっているようなものだから、今後は、無料で作品を提供するのではなく、高い値段をつけて、高嶺の花となることで目立つ時代に突入していくことが予想される。お金を払わない大量のユーザーよりも、高い値段で商品を購入してくれる少数のユーザーに的を絞ったほうがビジネスとして成立する市場となっていく。無料で作品を提供するような真似はしないほうが身のためだ(ちなみにいくひしはビジネスで創作をしていないので無料公開が基本です)。付加価値を高めるのに、無料提供は効果的ではない。ビジネスをしたければまずは、高値でも売れるように的を絞ることが肝要だ。お金を払ってでも「任意のソレ」を欲しがるのはどういった者たちかを考えてみよう。情報商材が売れる世のなかだ。情報商材の基本は、情報の中身ではない。誰からソレを仕入れたのか、だ。ユーザーの多くは本質を求めてなどいない。いつの世も売れるモノとは、着飾るための装飾品である。
1729:【それはそれとしてじゃあ】
本質って何?
1730:【なんとなーく】
きょねん2018年は、SNSでバズるといいことあるよ、といった共通認識がバブルよろしく膨れあがった年だったと実感する。その反動で2019年はクリエイターさんのSNS離れが加速するのではないか、と見立てているが、どうなるだろう。大勢の才能が競い合うように作品を投稿し、バズッたりバズらなかったりを日々繰り広げている。熾烈を極めるという表現がぴったりだ。その結果、バズってもいいことなんてとくにない、との実情が可視化されやすくなっている。身を削って投稿したところでたいした反応もなければ、バズッたところで得られるのはいっときの承認だ。日々大量のコンテンツが流れてはネットの海の底へと沈んでいくSNS上では、相対的に宣伝効果は薄まるのが道理と言えよう。宣伝効果がまったくないわけではない。投稿しないよりかはしたほうがよい。ただ、身を削ってまでするほどのことではない、といった共通認識がクリエイターたちのあいだに漂いはじめていると感じられる。いまいちど、なんのために創作しているのかを自問してみてはいかがだろう。SNSで人気者になり、企業から声をかけられ、或いは、たくさんの需要者に恵まれ、売れっ子作家になる。そんな夢物語を見て過ごす日々もわるくはないが、夢物語がしょせんは夢物語でしかなかったのだと気づいたとき、或いは、夢物語が現実へと昇華されたとき、じぶんの辿ってきたこれまでの人生に失望しないよう、なぜじぶんは創作をしているのか、と日々問いつづけることをおすすめする。答えはいくつあってもよい。日々違った答えがでることもあるだろう。それら自問自答こそが創作する意味に繋がっていくはずだ。やがてそれら日々の積み重ねが、なぜ生きているのか、との大きな問いかけへの答えへと結びついていく。あなたはなぜ生きているのだろう? 日々ぶれる答えをたのしもう。
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参照:いくひ誌。【1481~1490】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054886540746