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いくひ誌。【1731~1740】

※日々、言葉ばかりが先行する、現実はずっと向こうに置いてきぼり。


1731:【しゃがみ萌え】
わい、しゃがんでるひと萌えかもしれん。なんか地面をじっと見てるひとがかわいく見える。なに見てんだろって気になるし、しゃがんだときに両足ぴったり閉じてる姿が、よちよちしててかわいい。


1732:【人工も自然のうち】
処女作をつくったころから、ちょくちょくかってに浮上してくる、ひとつのイメージがあります。イメージなのでうまく言えないのですが、人間もまた自然現象のうちの一つであり、物理現象の一つのはずです。まず、ここに疑問を抱く方はいらっしゃらないように思います(いてももちろんよいのですが)。人間だけが特別な存在ではなく、人間もまた物理法則の結果に生じた自然現象なのだ、というところをまずはここでは押さえておいてほしいと思います(極端な話、風に舞う葉っぱと、歩き思考する人間は、本質的に同じだということです)。たとえば地球ですが、宇宙では物理法則の結果に星ができましたよね。地球もそのうちの一つです。そして宇宙で星ができるのと同じように、地球上では生命ができました。すこし飛躍したかもしれませんが、地球上で、雷や雨や風が生じ、たくさんの物質がまぜこぜになりながら、あらゆる組み合わせがつど生じ、何億年もかけて生命の素が偶然できたわけです。その生命の素も、突き詰めて考えれば自然現象の一つです。と、いうよりも、この世に自然現象でない事象は存在しません(すくなくとも、いまのところどうやらそれは確からしい、と言えます。断言はできませんが)。そして、生命の素が、なぜかくねくねと自己増殖を重ね、同じようで同じではない生命の素がたくさん生じ、互いにさらに干渉しあい、まぜこぜになりながら、くっついたり、離れたり、破壊されたり、再生したりを繰り返し、生命は複雑な循環を、ちいさな枠組みのなかで維持できる仕組みを編みだしました(人体はそれで一つの銀河団に匹敵するほどの回路を備えているのではないか、と想像してしまいます)。それはまさしく延々とつづく編み物のようで、なんども編み方を変え、解きほぐし、編み直し、上書きし、ときにはほかの編み物とくっつきながら、複雑な造形を組みあげていったのです。それはちょうど、一本の糸がやがて面となり、面と面がくっつき、服のように立体となるような進化の仕方を辿ったのです。ですが、編み物とは異なり、生命には毛糸を操る者はいません。飽くまで、自然現象によって、偶然そうなっただけなのです。しかし、偶然そうなっただけとはいえ、(単なる刹那的な物理作用ではなく、連鎖する)自然現象ではあるのです。つまり、再現性がある(ある種の回路、機構を備えている)、ということです。風が吹くならば、ほかの場所でも風は吹く可能性があります。人間という生命体が地球上に誕生している以上は、ほかの星でも同様の現象として、似たような生命体が誕生している可能性は否定できません。言い換えれば、物理法則にはそもそも、人間のような複雑な機構を組み立てるだけの潜在能力があると言えるかもしれません。むしろ、規模の大小にかかわらず、自然現象の行き着くさきには、生命体のような複雑な自然現象を構築する「意思」のようなものがあるのかもわかりません。意思と言ってしまうと、なんだか途端にうさんくさくなってしまうので、ここではそれを「大きな流れ」と言い換えましょう。「大きな流れ」は、構造の規模に拘わらず、最終的には同じような機構をつくりだそうとする方向に働きかけるのではないか、といくひしはときおりイメージしてしまうのです。宇宙にしろ、銀河にしろ、惑星にしろ、生命体にしろ、それぞれの構造の根本には、物理法則を基盤とした大きな流れが漂っており、複雑さと単純さを繰りかえしながら、言い換えれば、創造と破壊を繰りかえしながら、より高次の機構を生みだすべく、変遷しつづけているのではないか、とイメージが膨らみます。物質は安定を求めるはずなのに、なぜか自然現象は、より複雑な構造へと変質していこうとします。もちろん、人体に寿命があるように、どんな回路――循環系にも、最終的な崩壊が約束されているようです。しかし、その崩壊すら、さらにべつの回路を複雑にするためのきかっけとして働くいち因子になるという点では、大きな流れからは、やはりより複雑な構造を求めて変質しつづけようとする「意思」のようなものを感じずにはいられません。現在、この地球上でもっとも複雑な機構とはなんでしょう? 人体よりも複雑な構造物は存在するでしょうか? もし人体が地球上でもっとも複雑な機構を有していたとすれば、おそらくその人体によって、さらに複雑な機構が生みだされることになるでしょう(或いは、人類の崩壊を以って、新たな機構へのいち因子、きっかけとなる可能性もあります)。そしてそれもまた、自然現象のうちの一つであり、宇宙に漂う巨大な流れのつむぐ、最先端の編み物と呼べるのかもしれません。


1733:【クリエイターの方向性】
これからのクリエイター(個人事業主)は、自作を基本的に著作権フリーにし、無料提供できるようにしていったほうが長期的に見て有利になる(多作であることが必要条件になるだろうが)。補足として、利用された作品による売り上げの純利益が100万円など規定値を超すたびに30%の使用料をとるようにすればよい(利益が更新されるたびに、徐々に上限をあげていくとさらに好ましい。つまり、200万円の純利益になったらそのときに加算された利益の100万円からは35%の使用料を徴収する。徐々にあげていくとして、上限はすくなくとも50%までは許容範囲内だろう)。利用者は利益が確定した段階で使用料を払うことになるので損をせず、リスク回避に繋がる。また、無料提供と謳いながらも、利用されることで同時に無料で宣伝されるようなものなので、WIN:WINの関係性が成立する。もちろんじぶんで自作を商品化してもよいわけで、限定的な著作権フリーにするのは、プラスアルファの効果しかない。とはいえ、規約に関しては法的拘束力のある規定の仕方を明記しておく必要がある。著作権フリーとはいえ、すべての権利を放棄するのは危うい。訴訟問題に発展しないように、条件は厳密に定義しておく必要性があるだろう。最低限、前以って弁護士に相談するなど、のちのちのリスクを回避すべく、損をしないような下準備が欠かせない。「いらすとや」や「YouTubeによる他企業との包括的業務提携」などの先行事例があるが、小説や漫画の分野ではまだ目立っていないため(とくに小説は原作としての幅が広いのでほかの媒体よりも需要が比較的高く)、いまのうちに真似をしておくと、先行者利益にあやかれるかもしれない。ここまで読んだうえで、ではなぜあなたがやらないのか、と訝しむ方もおられるかもしれない。それはいくひしが、ビジネスを目的に創作をしていないためである。ビジネスを目的にしたならば、いますぐにでも準備をはじめるだろう。いままでのやり方では売れない時代に突入している。ビジネスの基本は、二つの意味で、やられる前にやれ、である。資本主義経済においてビジネスとは物理暴力のない戦争だと心得ておくと、痛い目に合う確率を下げることに繋がるだろう。


1734:【役立たずでごめんなさい】
いま自由にできるお金がぜんぜんないので、好きな作家さんに貢げないのが悔しい。創作でお金を稼がない分、ほかでお金を稼がなきゃだ。計画的にお金貯めてこ。コミティアにも同人誌とか無料配布するしな。50万貯める予定だったけど、目標100万にしとこ。がんばろー。


1735:【役立たずの言いわけ】
いくひしは好きなひとたちからは漏れなく好かれたいし、嫌われるのなんてヤダけど、いくひしの好意を知ってもらいたいとはとくに思わないし、いくひしの好意に価値があるとも思ってないし、なんだったらいくひしに好かれてるってだけで嫌な思いをさせてしまうかもしれないから、できるだけ目立たずにいたい。好意だけじゃなく、じぶんのつむいだ物語も同じで、必要としているひとにだけ届いてほしいし、なんだったらいくひしのつむぐ言葉や物語は、ひとによってはものすごく傷ついてしまうこともあると思うから、ほそぼそと、すこしずつ必要なひとにだけ行きわたってほしいから、それが世界に一人しかいないなら、そのひとにだけ届いてほしいし、ほかのひとには一文字も読み解かれたくないとすら思っていて、これはよくない考えだとは分かっているけれども、思ってしまうものは仕方がない。ただいっぽうでは、好きなひとたちのことはできるだけ多くのひとたちにその存在を知ってほしいと思うし、こんなステキなひとたちがこんなステキなものをつくってますよー、してますよー、ってことを知ってもらいたいと思うから、きっと本心では多くのひとに認められることがよいことだと思っていて、その辺がなんか、じぶんでじぶんの考えが矛盾してるなぁ、と思うのだ。お金を稼ぐことにしても同じかもしれなくて、いくひしは創作でお金を稼ぎたいとはとくに思っていないのだけれども、ほかのすばらしい表現者や創作家のひとたちにはぜひとも、たくさんお金を稼いで、すこしでも多くの作品を残してほしいと思っていて、これはでもよく考えてみたら矛盾はしていなくて、べつにいくひしは創作でお金を稼げなくとも、いまと変わらずにのほほんと創作をしていくのだろうなぁ、と思っていて、べつにお金に余裕があるわけでもないし、まいにち卵ご飯か納豆ごはんだし、未来を前借りしているだけでしかないのだけれども、たとえいまたくさんお金を稼いでも、そのおかげでたくさんモノをつくれるようになるわけではないから、そこのところはべつだん自家撞着だなぁ、とは思っていないのだ。でも、だからってお金をぜったいに稼がないぞ、対価なんていらないぞ、と意固地になるのはおかしくて、そんな必要もないわけで、だからビジネスを目的にはしていないけれども、創作をつづけていくための手段としてならお金が懐にぽいぽいーって入ってくるのはアリだな、と思っているから、きっとその可能性を残すような真似をしているのかもしれない。お金を稼ぐことはわるいことじゃないし、稼げるなら稼いだほうがよいし、なんだったらいくひしはいくひしの好きなひとたちのためにお金から労力から時間からなにから貢げるものは貢ぎたいと思っていて、でもいくひしにできることなんか高が知れていて、言ってしまえばなにもないから、せめてお金に余裕があったらステキな作品を購入して、そうでなかったらこれいいよー、ステキだよー、って布教して、あとはもう、好きだなぁ、としみじみ思うこと以外にはなにもできない役立たずだなぁ、と思っては落ち込む日々だけれども、まずはさておき、お金貯めて、お布施しよ。誰かの役に立ちたいとは思わないけれども、もらった恩は返したいと思う、ほんじつのいくひしまんクンなのだった。


1736:【偽善】
上記で得手勝手なことを抜かしているが、いくひしのSNSを利用する動機の九割は宣伝のためだ(より正確には広報に主眼を置いている)。精神に負担がかからないように好きなものをリツイートする、という手法を採用しているだけで、他者の創作物やツイートを利用して、あわよくばじぶんの創作物に目を通させようとする魂胆が根底にある。そのため、いくひしはフォロワーを増やす努力をしていない。プロフィール欄のリンクを踏んでもらうことが狙いだからだ(基本的にフォローした相手のプロフィール欄を覗きにいく者はすくない)。ことしの5月からツイッターの利用をはじめたが、月間のプロフィールへのアクセス数を平均すれば10000回だ。一日平均330くらいになる。宣伝効果は大きくはないが、まったくないとも言い切れない。ただ、時間対効果は低いので、この方法では宣伝としてやはりというべきか割に合わないと言えよう。もっとも、好きなものに「好き」のハンコを捺せるだけで、なんだかすこし癒される。SNSに登録せず、ただ眺めているだけでも満足ではあるが、ツイッターで好きなツイートをリツイートしたりハートマークをつけたりするのは精神衛生上、すこしだけプラスかな、と感じる。とはいえ、それに依存し、時間を無駄に費やすのは利口とは言えない。本末転倒にならぬように、来年からは利用を控えるかもしれない。いくひしまんはまったく以って、打算と傲慢で生きている。クズだと思って構えておくのが賢明だ。


1737:【回路を維持するための視点】
あたまのなかに回路ができる瞬間というか、時期が割とハッキリ判ることがある。数日のあいだに、これまで絶好調でなければできなかったようなパターンを、とくに意識せずとも、あたまのなかに浮かぶ回路をなぞるだけで比較的、楽に出力できるようになるときがある。比喩として的を外しているかもしれないが、ある位置に立ったときにのみ見える立体映像のようなものだ。立体映像は、ほかの場所からはただ物体にペンキが塗ってあるだけなのだが、ある場所に立ったときのみ、各種パーツが組み合わさって見え、ひとつの巨大な立体映像に見える。うまく説明できていない気もするが、たとえばエッシャーの騙し絵は現実に存在しない構図が多く描かれている。延々と巡る階段の絵や、二階から流れ落ちた水が知らず知らずのうちにまた二階に戻ってくるような重力を超越しているような建物の絵などは有名だ。もちろん現実には存在しない建造物だが、そのように見えるカタチでの建築は可能だ。目の錯覚を利用するわけで、じっさいには部分と部分が繋がっていなかったりする。ただ、ある任意の場所から見たときのみ、うまい具合に接合して見え、ひとつのあり得ない建造物に見える。トリックアートも同じようなものだが、トリックアートの場合は、違った角度から見てもそれがどんな絵かは判るので、比喩としてはやや的から離れる。何が言いたいのかと言うと、あたまのなかに回路ができるとき、その回路は立体的な構造を伴っていることが多いということだ。しかも、ある任意の見方をしないとその回路をうまくなぞることができない。すこし気を緩めただけですぐにバラバラになってしまうので、回路が安定するまでは、なかなか苦労する。しかし、その回路が安定すると、理想的な出力の仕方が、比較的楽にこなせるようになる。ふしぎなのは、回路そのものはじつのところすでにできあがっているのに、どんな見方をすればいいのかが分からないがために、うまくなぞれないことが多々あるという点だ。比喩の比喩となって恐縮だが、たとえばそれは、円を無数に並び立てたときに、ある場所からのみ、すべての円の穴が一直線に重なるようなもので、その地点を身体に憶えさせるのが、回路を築きあげるよりも時間がかかるのだ。言い換えれば、回路を築きあげることと、その回路を保つための視点を維持することは、べつのプロセスを辿る必要がある。一方だけでは充分でなく、より複雑な回路を築きあげると共に、その回路を安定して保つための視点もまた探っていかねばならない。そしてより時間がかかるのは、視点を探るほうだ、ということを、さいきんつよく実感した。抽象的なうえに、個人的すぎた話かもしれない。なんの参考にもならないかもしれないが、コイツの話は参考にならんな、と判断してもらえるだけでも、この文章を並べた甲斐はあっただろう。そもそもこんなテキストは誰も読んではいない、という現実は見たくないので、敢えて立つ場所を変え、現実が像を結ばないように、バラバラにしてしまうのがよろしかろう。寄り目をすれば視界は歪む。とすると案外に人は、常日頃から視点を探っているのかもしれない。じぶんの外ばかりでなく、ときには内側に築かれた「視えないナニカ」にも意識を配ってみるのも一興ではないだろうか。


1738:【物書きとしての才能】
現代の物書きにおいて重宝すべき素養があるとすればそれは、毎日よりたくさんの文章を出力できることではなく、ましてや短くまとめることでもなく、SNSなど不特定多数の目のつく場所になんの躊躇もなく着飾らない本心からの文章を載せることのできる鈍感なまでの素直さではないだろうか。むろん、おもしろい文章をつむぐことは前提として。(そしていくひしにはその素養が決定的に欠けている)


1739:【おいちー】
十年ぶりくらいにフルーチェ(桃味)食べたらうますぎて死ぬかと思った。


1740:【サボり魔】
やあやあ、いくひしさんだ。久しぶりって感じがするなー。ここ10日ほどはサボりまくっていて、ちょっとまずいなーっとおしりをぽりぽりしてしまういくひしさんじゃが、まー、なんというか、さいきん寒くない? さむい、さむいー。もうこの時点でお察しの方もおられるかもじゃが、そうなのだ、毎度おなじみ書くことがない日なのだ。やー、でもこういう日もあっていいと思うのだ。仕事ではござらんのでな。いくひしさんは、もう、サボりたいときはサボるし、やりたくないことはやらないし、なにも思い浮かばない日は、なにもせずに、ただぼーっとするのだ。それが生きるってことじゃろい? ちがう? ちがった? あ、そう。ごめんちゃい。そうね、まー、ふんばらなきゃいけないときはあると思うのだ、いくひしさんだってそう思う。でもね、サボりたいじゃん。サボりたいし、なまけたいよ。人間だもの。クズだもの。でもだよ、いくひしさんは思うのだ。クズでなにがいけないのじゃろって。いけない? いけないの? ダメ? そっか。ゆるしてー。いくひしさんクズで、なまけものだけど、ゆるしてー、好きになってー、やだやだ、いくひしさんもみんなから、かわいいー、まんちゃんもっとこっち向いてー、って動物園のレッサーパンダみたいにただ生きてるだけで、ちやほやされたーい、立っただけでも褒められたーい。なんでいくひしさんは、こんなにクズなのに褒められないのじゃろう。クズだから? そっか。核心つかないでー、いくひしさん泣いちゃうから核心つかないでー。やだやだ、かわいいって言われたい、いくひしだってプリキュアみたいにかわいくってつよくなりたいよ。でもいざ、はいよ、ってプリキュアになれるなんか、ちゃらら・らっら・らー、みたいなアイテムもらっても、え、いらないです、って突きかえしちゃいそう、なんかめんどっちそうだし。クズなので。クズってべんりー。えごっさ、べんりー。えごっさってなにかぜんぜんわかんないけど、ノリで言っただけだけど。かわいく、クズです♪って言ったらかわいくなれますかー! なれませーん!!! 鳥肌たつからやめろやーってどっかから聞こえたー。泣くー。もうこうなったら!! 不貞寝してやる!!! ぐーすかぴっぴって、いびきかいちゃうもんね! いいかー、寒いからちゃんと毛布に巻きつき、巻きつかれーのしながら眠るんだぞー。いくひしさんはそうやって寝るー。おやすみー。


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参照:いくひ誌。【121~130】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054881501669

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