※日々、知らぬ間に爪は伸び、血は巡り、胃液は分泌され、傷口は塞がり、眠くなっては、目が覚める、ことごとくの営みが、流れのなかで自然発生していることに目を瞠る、この感応すら、制御下におけない、なにはともあれ生かされている。
1721:【すぺーすあどべんちゃー】
やあやあ、いくひしさんだ。おふろに入っているときにふと閃いたのじゃが、どうして空気は水のなかに入るとうえに向かって浮かぶのだ? きっと空気が浮かんでいるのではなく、空気よりも重い水が下のほうへと集まるので、空気はただ上へ押し上げられているだけなのではないか、と想像したのじゃが、どうだろう? 水にかかる重力よりも空気にかかる重力のほうがちいさいから、水のほうがたくさん下に溜まる。密度の濃いほうが下に溜まって、低いほうが上に押しやられる。そう考えると、無重力空間では浮力は働かないのではないか、と推測できるのだけれども、じっさいのところはどうなのじゃろう。中学校で習った気もするし、習わなかった気もする。でも重力によって浮力が生じるなら、たとえば宇宙空間を走行中のロケットのなかには浮力が生じることになるのではないか、と考えると、すこしだけワクワクするのだ。さらさらとした密度の濃い液体で満たしたペットボトルのなかに気泡をつくっておけば、重力の高い星に近づいただけでも、気泡がその重力とは反対のほうへ動くので(つまり液体が星の重力に引っ張られてそちらの方向に集まり、結果として気泡が逆側に押しやられるので)、宇宙の中での羅針盤になるかもしれない。ロケットの走行速度の異常や、重力場の乱れも、事前に察知できるかもしれない。もっと言えば液体でなくとも、気体ですら浮力というか、重力の差による物質の流動は起きるはずで、気体や粒子の微弱な挙動を感知し、分析することで、より詳しい重力や移動速度、時空の変化を観測できるのではないか、と考えたのじゃが、じっさいには、重力の変遷は物質ごとに生じているわけで、任意のひとつだけの重力だけをズバリ感知するのはむつかしいのだろうなぁ、と想像するものだ。お風呂からあがるころには、重力探知機を巡った壮大な宇宙冒険譚が脳内で展開され、しがない発明だった重力探知機が、宇宙の秘密を暴くきっかけとなり、永くつづいた宇宙の暗黒時代に終止符が打たれる寸前で、この妄想はちょっと壮大にすぎるから、いまのいくひしさんにはつくれないな、と脳内ネタ置き場行きになってしまった。宇宙冒険譚はいちどつくってみたいぞ。生きているあいだにつむげる物語には限りがあるのでな。優先順位をつけながらやっていこうと思うのだ。ちまちまと。千里の道も一歩から。遠くばかりを見据えていながら、まずは目のまえの一歩をだいじにしていきたい、欲張りないくひしさんであった。
1722:【プライド】
いくひしはこれまでに何度か、おまえはプライド高そうだよな、とか、アイツはプライド高いから、とか、聞えよがしに言われたことがある。じっさいがどうかはよく分からないけれども、いくひしほどプライドのないウミョウミョも珍しいのではないか、とじぶんでは思っている。人の大勢いきかう街中でゴキブリ相手に土下座してもなんとも思わない気がする。ただべつに土下座がしたいわけじゃないから、命じられてもするかどうかはそのときの気分によるとは思うけれども。プライドが高い人ってどういうのを言うの。プライドってなんですの。矜持とは? 誇りとは何?
1723:【愛染め】
他人の人生を覗き見たい欲求よりも、他人の内側を覗き見たい欲求のほうがつよい。他人になってみたいけれど、それはけっして他人の人生を歩んでみたいということではなく、言ってしまえば、じぶんを完全に脱ぎ捨ててまで、まったくべつの赤の他人の人生を辿りたいわけではないのだ。いくひしはじぶんのことが好きじゃないけれど、好きになりたい、とは思っているのかもしれない。じぶんには欠けている視点、見えていない風景、感じられない機微から欲動、どこを見て、なにを思い、どう誤魔化すのか、なにを見ずに、なにを無視して、どこに向かおうとするのか。じぶんを好きになりたいから、足りないナニカを埋めようと、じぶん以外の誰かの人生を、視点を、物語を、欲しているのかもしれない。いくひしはあなたの世界を覗き見たい。いくひしにとってはあなたの内側に広がるなにもかもが、原石であり、養分であり、理想であり、武器なのだ。いくひしがじぶんを好きになるために必要な要素が、あなたのなかにはいくつもたくさん眠っている。言葉にし、絵にこめ、カタチにし、つむぎだしたあなたのなかの断片が、いくひしをいくひしとして生かしつづける。いくひしは、あなたたちのツギハギでできている。いくひしが、いくひしでなくなっていくあいだだけ、いくひしはじぶんのことをほんのすこしだけ好きになれているのかもしれない。いくひしはじぶん自身が好きではないから。だいすきなひとたちの断片で、己のなかをいっぱいにしたい。何者にもなりたくない。いくひしは、いくひしですらいたくないのだ。
1724:【作者という名の幻想】
小説にかぎらないけど、たとえばほら、漫画とかさ、絵とか、それをつくったひとの性別とか年齢とかそういうのって、ぜんぜん分かんなくない? 上手なひとほど、どんな作家さんなのか、ぜんぜんイメージつかめない。や、イメージは浮かぶんだけど、いざ正解を知ったときにぜんぜんそれっぽくなくて、えー、まじでー、うっそーん、ってなる。というか、性別とか年齢とか、そういうの、当たったことのほうがすくない。みんなは分かる? いくひしは基本、絵描きさんはみんなヨボヨボのおじぃちゃんか、おばぁちゃんだと思ってる。だってそうじゃなきゃ、あんなステキな絵をつくれなくない? 長生きしてなきゃつくれないっしょ。無理っしょ。で、いざ正解を知ったときに、ぜんぜん若くて、還暦まで、まだまだだったりして、えー!? まじでー!? うっそーん!?ってなる。すっごいかわいい絵を描いてたのが、絵に描いたようなおじさんで、おっさーん!ってそういうときは叫びたくなるのよね。とぅきーっっっ!!!って。かわいいコがめちゃめちゃ怖い絵を描いてるのと似た衝撃があるくない? すごっ!てなる。ギャップ萌えの一種かも。そうそう、褒め言葉でたまに、作者の顔の見えるような作品って言い方あるじゃんか。いくひしはどっちかってーと、作品と作者がかけはなれてるほうが、受ける印象は、まじでー!? うっそーん!?ってなる。もちろん前にも並べたかもだけど、作品と作者はべつものだと考えてはいてて、でも、どれだけじぶんの枠組みから外れて表現できるか、遠くまでいけるか、じぶんの内面に潜っていけるか、そういうのが表現者のエイヤー!だったりするんじゃないのー、って、いくひしはたまに思うのよね。それが正解だとは思っていないけどさ。だって、ときどき、寸分たがわぬ等身大を表現しきってしまう研ぎ澄まされた水晶みたいな作家さんもいて、その輝きもまた真似できないのだよね。世のなか、びっくりするほど天才が多い。インターネットさまさまだ。たくさんの天才を見つけられて、その点にかぎっては、本当にいい時代だなぁ、と心の底から思うのよね。生きることに飽きずにいられて、我はたいそうほくほくじゃ。
1725:【ゆがんでひび割れ、砕け散る】
その点いくひし、てめぇはまんまだな。割れた鏡じゃ、合わせ鏡にもなりゃしねぇ。クズは成果物までクズなんだよ、わかってんのか、クズ。
1726:【褒め言葉じゃん】
要するに、え、なに? クズはクズにしかつくれないってこと? すごいじゃん、うれしい!!! 褒めてくれてありがとー。
1727:【傲慢のなせる業】
プライドがなくてじぶんのことを好きではないのに、それでも、しゃーないな、と開き直っているところがいくひしさんの傲慢たるゆえんかもしれぬ。生きている価値はなく、誰の役にも立ってはおらぬが、生きていてもよくね? と思うのは、怠惰というよりも、傲慢さのなせる業である。
1728:【ゲノム編集と管理社会】
人間へのゲノム編集技術の適用は、徹底的な管理社会の実現のうえにのみ成立可能な政策だと呼べる。ゲノム編集を施した人物が誰と性行為をし、どんな子孫を残したのか、或いは残すのかを、国家が把握および管理しないことには、ゲノム編集技術につきまとう危険性を払しょくできない。それはたとえば、ゲノム編集によって意図せぬ遺伝子改変が起きたときに、その遺伝子がその後、多くの国民に無作為に拡散する懸念を失くすには、誰にどんなゲノム編集を行い、そしてその人物は誰と生殖し、その子孫にどんな影響が現れるのかを、国家が観測しつづけなければならない。誰と性行為をしたのかを国家が把握できなければ、ゲノム編集の個人への適用は、その後の人類へ無視できないほどの多大な影響を残すはめになる。そしてその影響は、世代を重ねるごとに大きくなっていく。その影響の余波をある一定の範囲におさめるためには、かつてないほどの徹底的な管理社会体系が築かれなくてはならず、ひるがえっては、ゲノム編集技術の発展には、そうした管理社会国家の存在が欠かせないのかもしれない。おそらくこれからさきの次世代型管理社会では、管理され自由を抑圧される個人が、不満を抱かないように、精神そのものが管理される社会になっていくことが予想される。人間の脳内報酬系に添って導線を引けば、人間は驚くほど素直にその線に沿って行動選択の幅を収斂させていく。これまでの人類史では、社会が個人を洗脳し、個人はその洗脳に抗おうとしてきた。しかしこれからの時代では、個人のほうで洗脳されたがる社会が到来する。洗脳され、選択肢を用意してもらったほうが快適な生活を送れるようになるためだ。たとえその快適さが一過性の錯誤であり、ただそのように錯覚させられているだけだとしても、それを確かめることは、脳内報酬系を操られている個人にはできない。自由を奪われ、人生から行動選択の数を失い、ただただ目のまえのデータという名の虚構に身を費やす。それで満足できるように社会が個人を調教していく。管理しやすくするために。よりよい社会を築くために。しかしそれが誰のためなのか、について議論をされることはなくなっていく。人々の精神世界は多様性を豊かにしていくが、物理世界では画一的な、個性のない社会になっていくだろう。人類にとってそれがよいことかどうかは分からない。個人にとってどうなのかは、そのときになればおのずと判ることである。あと二十年もしないうちに実感できるようになるのではないか、と妄想するものである。(※12/04追記:ゲノム編集は大別すると二つに分けられる。子孫に引き継がれ得る生殖細胞(受精卵)へのゲノム編集と、その個体にのみ有効とされる体細胞へのゲノム編集である。体細胞へのゲノム編集であれば、遺伝子改変がその子孫に引きつがれる確率はぐっとさがる。よって、各国で規制されているのは、生殖細胞(受精卵)へのゲノム編集であり、そうでない体細胞への適用は、医学の発展に貢献すると期待されている)
1729:【孤独をアレンジ】
孤独は他人に理解されないから孤独なのだ。そしてだからこそだいじにする価値がある。理解されようとしても無駄だ、けっきょく他人と理解しあうことなどあり得ない、という事実を受け入れると、すこしだけ生きるのが楽になる。それで孤独が消えるわけではないが、孤独を愛おしく思えるようになってくる。むろん、理解しあえないからといって、理解しあおうとする姿勢を崩す必要はない。どれだけ貪っても底を突くことのないご馳走だと思えば、理解し得ない(されない)ことと、理解しあおうとする姿勢は、ぐるぐるとまわる臼じみて、蕎麦粉のように日々つつましやかな至福をもたらしてくれるだろう。あなたはきっと他人に合わせることができるのだ。ほかの人々よりも他人の行動原理を理解している。しかし、あなたの行動原理に理解を示してくれる他人はなかなか現れない。あなたのほうが上位互換であり、高みに立っている。何が不満だろう? 孤独は誰にでも付きまとう影のようなものだ。暗がりをおそれ、光を求めれば求めるほど、あなたの孤独はより濃くより深くなっていく。光に近けば近づくほど影は一見すれば消えたように映るが、太陽に覆いかぶさる月じみて、あなたそのものを影にしたてあげる。望まぬカタチであれば、どんな宝石も目障りだろう、押しつけられる孤独とて同じことだ。じぶんの孤独を見詰め、どんなカタチをしているのかを探っていくと、やがて影絵のように、あなたにとって好ましい孤独のカタチを、自ずととっていくようになる。孤独はあなたと共にあり、あなたを見守るよき相棒となるだろう。理解されないことはわるいことではない。ましてや、孤独は、忌み嫌い、手放すようなものではないのだ。孤独ほど好きに造形できる感情はない。お好みのカタチにアレンジしていこう。
1730:【高みの価値】
他人より高みに立っているからといって偉いわけでも、優れているわけでもない。山頂に住んでいる人間が偉いわけではないのと同じ理屈だ。住みやすさでいえば、麓のほうがよほど快適だろう。とはいえ、山頂に立たなければ望めない景色もある。なにより、山頂に立てる人間は、麓にも、海にだって行けるだろう。また、地上と比べて山頂からはより遠くまで景色を見渡せる。俯瞰の視点は、何かを計画したり、改善点を見繕うのに一役買う。この視点の多さ、もしくは選択肢の多さこそが、高みに立つことの数少ない利点と呼べる。繰りかえしになるが、だからといって偉いわけでも、優れているわけでもない。たった一つの使い道しかない道具のほうが、多機能な道具よりも優れていることなどいくらでもある。上位互換だからといって、下位互換を侮ったり、下に見たりするのは利口ではない(もちろん逆にも言えることであるが)。視点の多さ、選択肢の多さが高みの利点だというのならば、目を留めた対象にある長所や短所をそれぞれよりたくさん洗いだせるようになることこそが優先して取り組むべき事柄かもしれない。洗いだされた長所と短所から、そのつど、局面に合った要素を抽出し、つぎなる一歩に繋げる。山に登りたければ山に、海に行きたければ海に、まだ見ぬ景色を見たければ旅にでて、疲れたならば家の周りを散歩すればよい。立っている場所の位置など些末な事項だ。行きたい場所に行き、生きたい場所で生きられるようになることこそを、歩みの矛先の指針にしておきたいものである。
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参照:いくひ誌。【821~830】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054884277599