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いくひ誌。【1711~1720】

※日々、どう生きるかではなく、いかに死ぬかを考える、訪れる死ではなく、迎え入れる死でありたい。


1711:【お気にのマンガ】
ヤマシタトモコさんの漫画「違国日記」3巻を読みました。巻を増すごとにどんどんキャラへの愛着が増していきます。基本的にはみな癖のあるキャラでありながら根はいいひとというか、無害な方々ばかりのなかで、ときおり不穏な気配がゆらぎのようにまじって感じられます。前回の感想でも述べたかもしれませんが、ここまで繊細に人間の機微を描いている作家さんは、小説や映画、アニメを加えてもそうそういないと思います。二重三重に、場面場面のキャラクターの心情が、その後の行動に影響を与えていて、それは足し算のような積み重ねではなく、ピンボールのような、ちぐはぐさを辿りながら、それでも一連の流れに違和感がない。場面によって線を描き、心理描写を点として、つぎなる線への布石にしている。これはなかなかできるものではありません。なにより、コマとコマ、話と話のあいだの行間のリズムが従来のマンガや小説が異次元に感じられるほど大胆で、ふつうは描いたり、伏線を入れたりする場面を敢えて削り、人物の関係性やこころの動きに焦点を当てているのが、非常にたくみだな、と感じました。小説よりも深く、人間の繊細な機微を描きながら、漫画でなければできない表現でそれを実現しているのは、本当にすごいとしか言いようがありません。寝込んでしまうくらいにおもしろく突き刺さった物語でした。次巻も楽しみです。


1712:【力量不足】
やーやー、いくひしさんだ。8月からはじめた毎日更新ショートショート(https://note.mu/ikubisiman)が100話目に入ったのでな、いったんこれにて一区切りとさせていただくでござる。とはいえ、100話プラスちょこちょこほかの記事も載せて、全体ビューはこの時点で2467だ(スキの数は全記事あわせて266でござる)。平均すれば一話24回ページを開かれたことになるのだが、うち10ページくらいはおそらく編集するときに開くことになるじぶんのPVが加算されているので、一話あたり14回くらいが平均ビューということになると思うでござる。いくひしの経験上、PVは100あってようやく一人が全文を読むくらいの確率かな、といった感覚があるでござるから、ページだけ開かれていっさい読まれていない、というのが大半かな、といった見方をしているでござる。掲載元のnoteでは、なんか、記事を読まずにスキだけ押してばいちゃする方もすくなくないので(レビューゼロなのにスキがカウントされていることがある。四時間ごとに集計が行われるでござるが、半日経過してもビューがゼロのままスキが1というのもあるでござる)、あんまりスキの数に意味はないなぁ、と感じているでござる。みなさん注目されたくて必死なのでござるな。そういった努力を否定する気はないでござる。みな健全でござる。いくひしがダメなだけでござる。でもいくひしは、ちゃんと文章に目を走らせて、すきぃ、と思った記事にしかスキは押せないでござる。お返しのスキを押せずに、申しわけないでござる(おそらくは挨拶を返さない、みたいな受け取り方をされる傾向にある気がするでござる)。ちなみに、毎日ショートショート更新するよー、楽勝だよー、なんて思っていたいくひしさんでござったが、いやはや、蓋を開けてみたら、閉じきれずに「執筆中」の物語が、えっとー、いくつだ。数えてくるでござるね。数えたでござる。8話もあったでござる。やー、これにはいくひしさんも、じぶんでじぶんに失望でござる。ぜんぜんスキル足りてないですやん、口だけですやん、なってしまったでござる。基本、いくひしさんは日の打鍵上限が3000字なので、3000字以上のショートショートになってしまうと、その分、つぎの日の物語を3000字以下でつくらなくては、予定が狂ってしまうのでござるが、んなぁー、けっきょく最後のほうはどれも5000字以上、10000字越えも珍しくなくなってしまい、完全にお手上げ状態になってしまったでござる。言いわけでござるな。じぶんの力量を下方修正するでござる。未完成のショートショート8つのうちの2つは20000字を超しそうな塩梅で、今月中にはすべてのショートショートを閉じてしまいたいでござる。並行して、noteのほうでは新しく中編を連載していくでござる。読んでくださった方、貴重なお時間と想像力を注いでいただき、ありがとうございます。いただいた時間に値する虚構を編めるように、これからも「ここにしかない物語」を目指して、つくっていきたいと思います。で、ござる。んなぁー。


1713:【運がいい】
きょうはツイッターに動画を投稿してみようと思って、動画をMP4に変換したり、動画のどこを抜きだそうかと選んだりしてたら、けっきょく何度やっても動画がツイートできずに、諦めました。でも思えば、試験的にどうなるかなーと思ってやってみようとしたけれども、ツイートしなくてよかったな、とあとで思いました。ときには「らしくないこと」をやったほうがいいかな、と思ってやってみようとしたのですが、挑戦というのは必ずしも、「らしくないこと」である必要はないのかな、と考えを改めました。要するに、やりたくないことはやらずによろしい。どうしてもやらなきゃいけないなら、対価を払って、ほかのひとに頼めばよろしいのではないでしょうか。対価がないなら、つくるほかなく、そのためには働かなくてはならず、けっきょくのところ、やりたくないことを誰かに肩代わりしてもらうために、ひとは働くものなのでしょう。社会の基盤は、責任のなすりつけあい、でできていると言えそうです(視点の問題なので、そうでない考え方もできますが)。ところで、みなさんは、Tumblrをご存じですか。いくひしはいまもまだよくわかっておりませんが、ブログとツイッターがいっしょくたになったSNSみたいです。いくひしもはじめてみました。とりあえず、YOUTUBEにあげている動画を厳選して載せていく場所にしてみます。なので、YOUTUBEのほうには、こんご、よりごのみせずに、動画置場として、クラウド代わりに、どんどん動画を載せていこうと思います。かといってこちらの物書きのいくひしさんにはなんの影響もありませんし、読者さんにも無関係なのですが、書くことない日だったので、こんなことを並べてみました。らしくなかったですか? なにごとも挑戦です。言い換えれば、なんでも挑戦とつければ、挑戦になるのです。挑戦ではない行動ってなにかありますか? 日々は挑戦の連続でできているものではないのでしょうか。生きることそのものが、挑戦です。どんなものでも挑戦になるのですから、好きな挑戦を選べばよいのではないでしょうか。諦めたり、つづけていたことをキッパリやめてしまうこともまた、挑戦なのです。(選択したあとで、目標をさいど設定し直せば、より説得力のある挑戦になりそうですね)


1714:【ぐっすり】
夕方から出かけようと思って、その前に一時間だけ仮眠を、と思ってよこになったら起きたら零時二十分前でした。六時間って。六時間の仮眠って。寝不足とかじゃないです。ちゃんと昨日とかぐっすりすやすや八時間くらい寝ました、夜の九時に寝て、朝の五時に起きました。なんでやー。というかさいきんやたら眠くないですか? いくひしは眠いです。秋だから? 秋だからなの? というか人間、十二時間も起きてたら眠くなりません? なんでみんなそんな元気なの。信じらんない。どう考えても八時間労働とか理に適ってないですし、人間、一日四時間も働けばもう充分というか、四時間が限度な気がします。ちょっと先週くらいから生活習慣が崩れてきているので、ここらへんで、えいや、と気合いを入れて修正していきたいところなのですけれども、気合いを入れなきゃならない時点で、生活習慣のほうを見直したほうがよいのかもしれません。身体に負担をかけないようにしましょう。します。言い換えれば、だらだらした生活を悔い改めよ、ということですよ、いいですか、いくひしさん。あい! たいへんよいお返事をいただきましたので、これにてきょうの「いくひ誌。」とさせてください。と思ったけど、なんか短いな。さいきんの悩みとか並べておこう。さいきんはいくひしさん、アイポッドシャッフルの充電ケーブルが千切れそうで、アイチューンともなかなか同期してくれなくて困ってます。平和な悩みだなー、って思った? 死活問題や! いくひしさんから音楽とったら、おそとにでられないからな。音楽でお耳を塞いでないといくひしさん、おそとにでられないからな。アイポッドシャッフルはもうダメかもしんない。お気にの曲が多すぎて、端末二機を使い分けているほどの愛用ぶりですが、そろそろほかのミニミニ音楽再生機をご購入する時期かもしれん。なにがよいだろう。よぉわからん。みなさんはおそとで曲を聴くとき、なにで聴いてますか?(自転車に乗るときにはイヤホンは外しましょう)


1715:【失敗のレンズ】
駄作は意図してつくったほうがいい。もちろん駄作をつくろうとしてつくるのではない。いったんアクセルを踏みこんで、このさじ加減だと高確率で失敗するだろうけど、どんな失敗になるかをまずは確かめてみよう、といった意図をこめて、駄作になっても致し方なし、でもひょっとしたらこの方向性で理想の成果物が仕上がるかもしれない、といった希望的観測を胸に抱きつつ、手掛けてみるのが、上達の足場として欠かせない工程となるのではないだろうか。意図して駄作をつくれば、それはじぶんだけの経験として、上達の足場になる。こうすると失敗する、といった勘を、理屈にまで紐解ければ、それをしないようにするだけで、失敗しない方法を確立できるようになる。一発で成功させようとするのではなく、まずは失敗のコレクションを集めることを意識すると、一歩一歩着実に理想へと近づけるのではないだろうか。うまくいけば、一歩進むごとに理想は磨かれ、思いもよらない姿となって、あなたを予想もしえない場所に連れて行ってくれるかもしれない。なにがアタリかを見抜く目は、なにがハズレかを高確率で見抜けるようになって初めて体得できる慧眼と言えよう。残り物には福がある。言い換えれば、福がないものを取り除けば、最後は誰もが福にありつけるのだ。まずはたくさんあるハズレを、ハズレだと見抜く目を肥やす方向に尽力することが、慧眼を体得するのに有利に働くのではないだろうか。慧眼とは、他者には見えない無数の失敗をレンズとして編んだ複眼のことなのかもしれない。


1716:【三単語】
まいにち、同じ言葉しかしゃべらない生活。お疲れさまです、と、すみません、と、ありがとうございます、の三つ。いっそしゃべらずにいられたらいいのに。シンとした心のうちを見せられたらいいのに。どっちみち、みな危ない橋を渡っている。そらは蒼く澄みわたっている。静寂がふきだまっている夜。みなだれもがだまっているよく、歌っているぼく、くちずさむ口をふさぐ毒、無言でも呼べば今宵もくる孤独。


1717:【ちょいちょーい】
あに言ってんのまんちゃん、ああたチョーくっちゃべってんじゃん。あたまんなかで。こちとら耳塞ぎたいくらいだよ、ホントもう、うっさいいつもひとりでわんさか。


1718:【失敗の種類】
他人の言う失敗に耳を貸す必要はない。参考にするくらいでちょうどよいし、なんだったら無視しても一向に構わない。大事なのは、じぶん自身の手で行った失敗だけだ。世のなかには取り返しのつかない失敗がある。そればかりは先人の失敗を教訓とするのが吉とでよう。しかし、それ以外の失敗は、誰がなんと言っていようと、すこしでも疑念を抱いたのなら、まずはじぶんでやってみたほうが得られるものが桁違いだ。失敗してもよいのだ。やっぱりそうなのか、と思うこと以上に、やってみて得られる感触がある。それを素材と言ってもいい。素材は、じぶんで失敗しなければ得られないのだ。他人から又聞きした失敗の知識では、つぎに活かすことはできない。またいっぽうでは、そう低くない確率で、時代や環境が要因でこれまではできなかっただけ、ということもあり得る。時期によっては失敗とならずにうまくいくこともあるだろう。どちらかといえば、トータルで見ればそちらのほうが多いはずだ。たまたまこれまでうまくいかなかっただけ、時代にあわなかっただけ、環境が違っただけ、そういうことのほうが多い傾向にある。これは逆の言い方もできる。じぶんでした失敗だからといって、誰にでもあてはまるわけではない。うまくいったからといって、つぎからそれで通用する保証もないのだ。ゆえに、具体的な失敗であるほど、そこから得られるデータは、一般化はできない。したがって、一つ、二つの失敗ではなく、より多く、広い範囲での失敗を集めておくことが、失敗を活かすために有用となってくる。失敗は基本的に、それ単体のみに当てはまる固有の問題である傾向が高い。しかし、いくつかの失敗を組み合わせ、統合し、眺めてみると、共通する点が見えてくることがある。その共通点こそが、つぎに活かすための養分となる。失敗から学ぶとは、ほかの失敗との共通点を探りだし、具体的な固有のデータ(失敗)を、抽象化することにあると言っても過言ではない。組み合わせる失敗のデータが多種多様であればあるほど、その抽象化した学びは、言語化しにくくなるという性質がある。いわゆる、暗黙知や、大局観と呼ばれるものにちかくなっていく。無数の失敗から抽象化された学びは、一つきりとはかぎらない。組み合わせや、失敗の種類によって、複数同時にかつ多層的に共通点を生みだす。生みだされたそれら共通点同士を結びつけることで、より抽象化された点が新たにできていく。層はさらに厚みと面を増していき、その一連の繋がりが、ひとつの回路として築かれていく。その回路に沿って、行くべきではない道と進むべき道がつど、新たな局面を迎えるごとに取捨選択されていく。大局観とは、無数の失敗からつむがれた回路によって導きだされる暗黙知、じぶんだけの思考の地図と呼べるだろう。そして、大局観や暗黙知がもたらす固有の視点は、慧眼として肥えていくこととなる。繰り返しになるが、それはじぶんにとってのみ有効な回路だ。一般化はできない。だからこそ、なるべくじぶんの手で失敗を重ね、回路の精度を高めていくことが、経験をつぎに活かすために有効な過程をはらんでいると考えられるが、これもまたいくひし固有の回路の導きだした、無数の失敗の副産物であるかもわからない。一般化はできない。誰にでもあてはまるわけではない。鵜呑みにしないように心がけよう。


1719:【モドキモドキ】
いくひしは、才能がないし、人気がないし、おもしろくないし、つまらないし、さいていだし、貧乏だし、あたまわるいし、態度がくそだし、常識を知らないし、マナーはなってないし、傲慢だし、性格がゆがんでるし、みにくいし、なまけものだし、思いやりがないし、知った口ばかりたたくし、無自覚に他人を傷つけるし、感情的だし、数字に弱いし、語彙力ないし、記憶力は低いし、口数すくないし、すけべだし、恋人いたことないし、失恋ばっかだし、口だけだし、すぐ寝るし、サボるし、集中力に乏しいし、努力しないし、役立たずだし、気がきかないし、服のセンスないし、全体的になんかダサいし、挙動不審だし、生意気だし、遠慮を知らないし、加減も知らないし、嘘が下手だし、気を使ったつもりで相手を困らせるだけだし、失礼の塊だし、歩く粗大ゴミだし、生きてる価値なんてないし、死んだほうがマシだし、すぐに卑下するし、自己肯定感はゼロだし、恋人どころかトモダチすら皆無だし、人脈はマイナスだし、信用はカスだし、実力から実績から実態から実情まで、学歴、職歴、履歴のなにもかもが薄っぺらいし、誇れるものがないし、誇りたくもないし、特別なことがなにもない、平凡にもなりきれぬ、憐れな凡人の底の底、奈落に住みつく人間モドキでございますが、それでも生きていけるこの世のなかは、なかなかどうして捨てたもんじゃないなぁ、と思います。こんな人間以下のモドキモドキでも生きていてよい時代なのです。こんな人間以下のモドキモドキでも生きていてよいのですから、あなただってもちろん生きていてよいのです。あなたはすくなくともいくひしよりはずっとずっとすばらしい人間です。モドキモドキが言うのですから間違いありません。生きていてよいのです。このまま何食わぬ顔をして、ひっそり、こっそり、生きていきましょう。じぶん以外の総じてが、じぶんよりも優れている世界にあって、いったい何をひがめばよいのやら。宝石箱のなかのホコリじみて、ただただまばゆい輝きに圧倒されるばかりの日々でございます。世界はこんなにもキラキラと光に満ちている。すばらしい、すばらしい。嗚呼、デキソコナイのクソでよかった。人間以下のモドキモドキはベッドのうえによこになったままで、おもちろい漫画を読み終え、あーたのしかった、とすやすや眠る態勢に移ろいながら、そう思ったのだそうな。


1720:【ていねい】
ていねいなものが好き。でもある種の勢いを表現するためには、荒さも必要で、パッションとかエナジーとか言って世間一般にはどちらかというとこの荒さのほうが評価の基準として大きな割合を占めているように感じる。つまり、ていねいさを売りにしては評価されにくくなる。ていねいさというのはきっと、目に見えるかたちにしてはいけなくて、と、いうよりも、ていねいさすらも隠せるくらいにていねいに、仕上げなくてはならなくて。積み木でたとえるなら、隙間なくぴっちり組み上げたあとで、そのバランスを保ちながら、絶妙なさじ加減で、抜けるブロックを抜いてしまう、みたいな。ていねいに仕上げたからこそできる穴空きに、ていねいさ+荒さが現れるのかな、と思うのだけれども、なかなかそれがむつかしい。ていねいに線を拾っていくことと、その線を敢えて崩す、というのは、慣れてきてしまえば、線を崩しながら仕上げてしまえるわけで、ていねいさというのは、ある閾値を超えると、ていねいではなく、単なる無駄になってしまうのかもしれなくて、これは荒さにも言えることで、単なる荒さは無駄でしかなく、それをていねいという名の下地に添えることで、荒さは魅力として評価されるのかな、と。要するに、世のなかの荒いのに評価されているものの多くは、じつは目に見えないていねいさによって、その基盤を築かれているのだ、と気づければ、他人の技術を盗む際にも、上辺の荒さではなく、その基盤にあるていねいさ、より抽象的に言えば、愛に気づけるのかな、と思うのだけれど、それができれば苦労はなくて、いやはや、むつかしいですよね。具体的な例を挙げろ、と言われれば、ガウディの建築物を挙げたら、あぁ、となるかもしれません。ただ、こうして具体例を挙げてしまうと、途端に言葉のちからが弱まってしまうのも、ていねいさの持つ弱点なのかもしれません。荒いままでも魅力を保てるようになりたいなぁ。そのためにはていねいに、基盤を築いていかなきゃだし、その基盤を魅力そのものにしなければならなくて、いやはや。魅力ってなんですか?


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参照:いくひ誌。【1381~1390】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054886221419

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