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いくひ誌。【1661~1670】

※日々、誰かを傷つける、生きているかぎりずっとつづく。


1661:【好奇心】
いくひしさんは好奇心が薄いでござる。興味がない分野が多すぎて、人と会話するだけでも汲々とするでござる。思えば、食べ物の好き嫌いも多いでござるな。こんにゃくがダメでござる。シイタケもダメでござる。というか、キノコ類がダメでござる。海鮮物も基本的に苦手でござるし、お魚は嫌いではないでござるが、食べ方がちたないので、お刺身がよいでござる。お寿司は好きでござる。そもそも好奇心うんぬんの前に、いくひしさんは勉強ができないでござるから、国語算数理科社会がまずもって、へたっぴでござる。得意な科目が何一つないでござる。植物はぜんぶ草でござる。歴史はぜんぶ過去でござるし、1+1がなぜ2になるのかも、じつのところはよく解かっていないでござる。文法は何一つとして理解していないでござる。主語? それ必要ですか? 接続詞? それいりますか? こんな具合でござる。いくひしさんは、だいたい、なんとなーくで生きているでござる。こうしたらこうなるから、じゃあいまはこうしとこう、みたいな場合分けで、すべきこと、や、返すべき言葉、反応などを示すでござる。だから初めてのケースに遭遇すると、とても戸惑ってしまうでござる。好奇心がほしいでござる。もっとちゃんと物事に向きあって、現実を知りたいでござる。なぜ知りたいかと言うと、じょうずに生きたいからでござる。楽しいからではないのでござる。きっとこれは好奇心とは違うでござる。好奇心がほしいでござる。寝るでござる。ところで寝ているあいだのいくひしさんは、いくひしさんと呼べるでござるか? 死んだら人は人でござるか? 死と生の境は、いったいどこにあるでござるか? 生命と物質の境界はどこでござるか? 飲んだ水は、食べたお肉は、どこまでが異物で、どうなったら身体の一部になるでござるか? 空気は? 垢は? 排泄物は? 身体に住み着く細菌は、ウイルスは、どこまでがいくひしで、どこからが外部でござるか。いくひしは世界と乖離しているでござるか? いくひしもまた世界の一部でござるか? いくひしはいくひしを構成する細胞や細菌や空気や電気信号みたいに、世界を構成する何かでござるか? それとも異物でござるか? 異物だとすればいくひしはいくひしで、一つの世界と見做してよいでござるか? 誰か教えてほしいでござる。かといってべつに知らないままでも困らないでござる。知らずにいてもよいでござる。考えるのが楽しいでござる。考える余白が好きでござる。余白は何でできているでござるか? 知識? それとも無知でござるか? 無知ならたくさんあるでござる。いくひしは無知でできているでござる。好奇心がないせいでござる。好奇心はどこに落ちていますか?


1662:【客観性の欠如】
客観性がだいじとか、メタ認知がだいじとか、大意としてそういうことを並べがちないくひしさんだけれども、じゃあじぶんでそれができてるの、と言われちゃうと困ってしまう。しょうじき、いくひしさんは、他人からどう見られているとか、どう思われているとか、そういうことがものすごく解からないひとだ(想像はするけれども、当たっている気がしないですし、相手に訊いてみたところで、そうなんですよー、とは素直に言えないと思うのだ)。なんとなーく、こわがられているのかな、と思うことがちいちゃいころから多かった。じぶんでは感情の乱れのはげしいほうの人間だと思っているのだけれども、端から見るとどうもそうではないらしい。未知の部分が多いので、どう接していいのか解からない、となるひとがすくなくないようだ。まあ、そうだろう。いくひしさんだって、いくひしさんみたいな人間がいたらお近づきになりたいとは思わない。正常な感覚だと思います。


1663:【才能取扱い事業】
いくひしさんは、たびたび「ビジネスを目的にしていない」とか「他人の評価を気にするな」といったことを並び立てている。なぜかというと、せっかくスキルもセンスもあるのに、仕事にしたり、他者の評価を気にしすぎたりして、その分野から去ってしまう人間を数十人単位で見てきたからだ(文芸とはまたべつの分野の話です)。手にしたスキルを仕事にできる人間が極々一部に限られる業界というものがある。世界一の称号を持っていても他者を蹴落とさなければ、職という名の椅子に座れないコミュニティは、それほど珍しいものではない。才能を売りにする業界はどこもこの傾向が顕著だ。足を引っ張りあったりせずに、同業者同士で業界を盛りあげていくほうが結果として、業界が活性化して、仕事も増えるので、同業者同士で協力し合ったりするほうがよい、という意見もある。そのとおりだと思う。しかし、長期的な利を期待し、待っていられないほどに、逼迫した業界では、短期的な視野で利益を追求する者がのしあがっていく傾向にある。貧しい業界ほど、この弱肉強食の原理からは逃れられない。だからといって、他者の足を引っ張ったり、蹴落としたりしていては、ますます貧しくなっていくいっぽうだ。歯止めがきかなくなる。なぜかというと、他者を蹴落とし、なりあがった強者の築く土壌は、殺伐とし、下の世代がなかなか育たなくなっていくからだ。一見するとなかよしこよしに映るが、つねに強者の機嫌を窺い、ときに理不尽な振る舞いを強要され、甘んじて受けざるを得ない状況にたびたび追い込まれる。強者のお気に入りになれれば、ほかの面々を出し抜くカタチでいい思いができるが、その分、強者との関係性は強固となり、より理不尽な目に遭いやすくなる。自分の立場を守るために、自分自身の手で、他者を傷つけることも厭わなくなっていく。問題なのは、強者からの庇護と承認がなければ、自分で考え、行動することができなくなっていく傾向にあることだ。何かをしようと思い、行動してみても、強者の意向に背いていれば、即座に、弱い立場へと追いやられる。強者自らそう指示せずとも、これまでの調教のおかげで、周囲の者たちがかってに、なんだあいつ、という目で見、ときに常識という名の魔法を唱え、排除しようとする。礼儀がなっていない、恩を仇で返すのか、先人を敬う気持ちが足りてない、あの方の顔に泥を塗る気か。言い方は様々だが、要するに、強者を中心とした支配構造を乱すな、と言いたいのだ。異分子がそこにあることを許容できない。異分子を排除できれば強者から一目置かれる。相互監視に、飴と鞭だ。そのコミュニティから出て行ければよいのだが、物理的に同じ場所で活動せざるを得ない場合もでてくる。そうでなくとも同じ業界にはいるのだ。名札を外すだけで済まない。私たちの目の届かないところでやれ、と追い打ちをかけ、見せしめのように劣悪な環境へと追い込まれる。そうなってくると、話はややこしくなってくる。そのコミュニティから脱しても、強者の仕向ける同調圧力から逃れられない。この同調圧力の正体こそ、他者からの評価であり、強者からの庇護と承認だ。弱肉強食という名のビジネスが強者の傲慢を促進し、その権力を肥大化させる。強者以外の者たちは、自身の存在価値の指標を自分以外に求めることで、知らず知らずのうちに、強者やコミュニティの同調圧力に支配されるようになっていく。ひとたび強者からの庇護と承認がなくなってしまえば、あとはもう、業界そのものから足を洗うしかなくなる。同調圧力の及ぶ範囲のそとに脱せられればよいが、なかなかむつかしいのが現実だ。じっさいには、物理的にそのコミュニティから脱しておきながら、その分野そのものからもすっかり身を引いてしまう人間がすくなくなかった。要するに、強者からの承認がなければつづけることができないほどに、心身ともに依存していたのだ。特定の何かをする動機が、自分の内側ではなく、外側にあったことで、強者から突き放された途端に、辞めてしまう(この場合、強者を大多数からの評価と言い換えても成立します)。もちろんそうした生き方もあってよい。いつまでも同じ分野にしがみつき、とり憑かれていることがしあわせだとは限らない。ただし、自分で予定していた引退ではなく、強制的にそうせざるを得なくされたのなら、いささか心残りではあるだろう。いっぽうでは、自分のスキルをビジネスに活用することや、他者からの評価を活力にすることは、可能ならばしたほうが好ましい結果に結びつきやすい。より自由な生活を送れる可能性が広がる。しかし、飽くまで目的は、選択肢の幅を広げることであり、ビジネスや他者からの評価を得ることではないはずだ。不本意な引退をしていった者たちのすくなからずが、一部の特権階級にいいように使われ、疲弊し、気づいたときにはいなくなっていた。これはいくひしの身の回りの、特殊な事例かもしれない。一般化はできない。それでも、いくひしよりスキルがあり、センスのあった者たちがつぎつぎに辞めていくなかで、いくひしだけがこうしてつづけていられるのは、いくひしの目的がじぶんの外ではなく、内にあったからだと踏んでいる(繰り返しになりますが、文芸の話ではないですよ)。あなたの身の回りの環境が快適なら言うことはない。そのまま好きなことを好きなときに好きなだけしていればよい。ただ、もし、好きなことをしようとしてもできない環境があるのなら、そしてその要因が周囲の人間たちの醸しだす漠然とした空気だったのなら、「ビジネス」と「他者からの評価」を絶対視する意見には、慎重に対処したほうが好ましい。働くな、もうけるな、と言っているのではない。お金を稼げるに越したことはない。他者によろこんでもらえたら、それはやはりうれしく思う。ただ、その前にまずは、自分が自分をしあわせにしてあげなくては、と思うのだ。何かを好きだ、と思う気持ちをまずはだいじにしてほしい。嘘偽りのないこれがいくひしの考えであるが(正しいとは限りませんので注意してほしいのですが)、なにを言っているのかいまいちピンとこない、という方が多いかもしれない。そのほうがよい。むしろ、そうした社会を望むものだ。権力を笠に着て、横車を押しとおし、他者を道具のように使う人間の話なぞ、通じないほうが好ましい。そんな生き物がいるんですか、と眉に唾を塗られる日が訪れるのを願うばかりだ。(追記:間違えました。他人を道具のように扱う人間がいてもよいと思います。そういう人もいるという前提で、お互いに不利益を被らないように生きていきましょう、と努められるほうがより目指すべき未来なのかもしれません)


1664:【補足】
上記の補足として。他者を道具のように扱い、自分だけが甘い汁を吸うことになんの躊躇も抱かない人間は、たいがい「金儲けのためじゃない」という言い方をする。次の世代のため、業界のため、お金なんか稼げなくてもいい、夢を叶えたい、そういう物言いをしがちだ。反面、自分はお金をきっちり周囲から集めておきながら、その手助けをした者たちには一銭も払わないことも珍しくない(払っても対価としては見合わない額だ)。いくひしの言う「ビジネスを目的にしていない」は、けっして「お金を稼ぐことは汚い」という意味ではない。お金を稼げるなら稼げるほうがいい。ただ、本心では自利のためなのに、まるでそうではないかのような物言いで周囲の人間たちをこき使い、自分だけいい思いをしているような人間のために働く必要はない、と言いたいのだ(もちろん、それだけではないが)。言い換えればいくひしだって、真実にビジネスをしている相手とはビジネスをしたい。しかし、現状、(これは文芸の話になりますが)ビジネスをしている者を見かけない。労働にはそれに見合った対価が払われるべきだ。提供したリンゴをどう使うのかは、農家の知ったことではない。農家の人間はただ、美味しいと思うリンゴを育て、収穫するのが仕事なのだ(加工品専用にと、味よりも量を優先して栽培する農家もあるでしょうけれども)。食べてみたら思った味じゃなかった、と言って返品するのは、商人のすることではない(買う前に試食するなりなんなりして納得したから契約を結んだのではないですか。思っていたのと違うものが納入された、と不満に思うのであれば、そもそも未完成品を商品として購入するような真似は避けるべきです。ただし、虫食いや腐っていたなど、明らかな瑕疵が商品にあったのならば話は別ですが)。利益にならなければ商売にならないというのであれば、売れた分だけ報酬を払うような仕組みにすればいい。そういうシステムならそれはそれでよいのだ。そういう仕組みをつくり、前以って説明したうえで、契約をする。そこまでしてようやくビジネスと呼べるのではないだろうか。組織に与する商人側も、自分であげた売上くらいは、還元されるような仕組みを求めてもよいのではないか。ビジネスとして以前に、システムとして破たんしているように見受けられるが、いかがだろう。(いかがもなにも、主語が不明瞭で何を言いたいのかさっぱりだ、という意見は妥当です。わざと濁しているので、その解釈で間違ってはおりません)


1665:【ぜんぜん】
おこってないよー。ぜんぜんおこってないからね、変顔しながら打ってるからねこれ、特定の誰かを責めたり、非難しているわけではないので(業界の謎ルールには注意したほうがよいかもね、とは思うけれども)、そこんところモニョモニョー!


1666:【ついでに】
偉そうなことを言ってしまったついでに、印税制度の限界や、編集者の担当作家抱えすぎ問題にも言及したいけれども、いくひしにはなんのメリットもないのでやめておきます。ただ、誤解されたくない(いくひしが、という意味ではなく)ので言っておきますと、出版関係で問題が起きたときは、たいがい編集者が本当の被害者であることが多そうです。出版会社のシステムそのものが問題の根っこにあって、編集者はそもそもがその悪習(形骸化した風習)に苦しめられているだけなのではないか、と常々疑っています。もしいくひしに編集者さんと関わった過去があったとしたら、きっとその編集者さんには感謝しかしていないと思います。むしろ、そのひとを未だに苦しめていそうな業界の謎ルールをこそ、どうにかしてほしいなぁ、と思っているのかもしれません。もしも、の話ですよ。それくらい編集者という仕事はたいへんそうだ、という意味です。いえ、詳しくは知りませんけれども。端から眺めているだけでも応援したくなってしまいます。がんばってほしいです。それはそれとして、業界の謎ルールは、どうにかしたほうがよろしいのでは? との思いは揺るぎません。(いくひし、おまえの性格のほうをこそどうにかしろ、との指摘は正鵠を射っています。ハナマルをあげちゃいたいと思います)


1667:【!!!!】
うっせー! すきだ!!!!!


1668:【ネタギレ】
毎日つくるよーって言ってたショートショートあるでしょ、あれね、77話目にしてついに、あばばー、あばばー、ってなっちゃいました。手が回らない。執筆中のショートショートが四つも溜まってしまって、うおー、となっております。これこれ、まんちゃんや、なんでそんな能力に見合わない真似をしておるのかね。言いたくなっちゃいますよねー。なんででしょうかねぇ。まんちゃんもよくわかんない。ネタはあるんですよ。いくらでも思いつきます。でも、それを物語として、ショートショートとして、編むのが、もうね。能力不足でござるよ。うは。いくひしはなんで分身できんのじゃろ。アメーバだって分身できるよ? なして人間モドキのいくひしさんが分裂できないのって、人間以下のくせに、なしてーって思ってしまうよね。うんって言った? 否定しろ! まあね。人間以下でございますよ。社会生活なんて営めませんよ。常識? しらねぇなぁ。ルール? 破るためにあんのじゃろ? マナー? マナーってあれじゃろ、他人にマナーを押しつけないのが最低限のマナーってやつ。ちがう? ちがうならそれはそれでよいのだけれども、いくひしさんはみんなみたいには生きられんので、それもそれでよいと言って。だめ? だめなの? いいじゃんケチ。なーんて言ってるからいくひしさん、あなたいつも独りなんでしょ、みんなから嫌われて、避けられてるんでしょって、言われたら言い返せないし、かなしいから、きょうはすこし泣いてもいい? だめ? ざっけんなし! 泣かせろや! なーんてきょうもきょうとて、書くことがないので、キレ芸ならぬ、ネタギレをもってオチとさせてくださいな。すっかり秋も更けて、肉まんのおいしい季節でごわす。あったかくして寝るんだぞ。おやすみー。


1669:【たんじゅん】
いくひしは単純なので、がんばってるひとを見ると、おっしゃがんばったろ、と思えてしまう。ありがたいことに、いくひしの好きなひとはみんながんばり屋さんなので、いくひしもがんばろーって思ってしまうけれども、適度に休みたいので、いくひしの好きなひとたちにもぜひ、適度な休みをとってほしいと思っています。身体こわさないでくださいね。ちゃんとスヤスヤおやすみなさいですよ。してください。寝るのだいすき! 夢を見てこそ人生だい! や、じっさい、夢を見ているあいだに記憶が整理されているのではないか、といった研究もされているようですから、人間は寝ているあいだにこそ成長していると言っても言い過ぎではないかもしれませんよ。しらんけど! さいきんホント思うんですけど、あ、話かわるんですけど、いくひしに拡散力というか、有名力というか、他者への影響力があったら、いくひしのこれすきー、ってモノやヒトを、これすきー、ってするだけで、みんなに知ってもらえるのになぁ、って、ときどきもどかしく思うことが増えた。でも、有名力のあるひとが言っただけで、価値が高まるような流れは、いくひしさんが渋面を浮かべることしきりの助になってしまうので、たぶんですけど、いくひしが有名力とか影響力が高くなるようなことがあったら、これすきー、とはだんだん言わなくなっていくのだろうなぁ、となんとなしに妄想しては、とらぬ狸の皮算用、砂上の楼閣に、杞憂だなぁ、とそれっぽい言葉を並べては、語彙力のなさにあたまを抱える日々であった。ご恩返しがしたいなぁ、との思いが日に日に募っていく、いくひしまんでした。


1670:【癖】
いくひしは物語を文章に落としこむときに、頻出しやすい単語がある。「抱く」「覚える」「わかる(解る)(分かる)(判る)」「向く」「見る(見遣る)」「言う」「続ける(つづける)」などだ。動詞が多い。「感情を抱い」たり、「違和感を覚え」たりと、いそがしいキャラクターが多い。あとは、キャラクターの視線の動きを描写してしまいやすい傾向にある。これは狙っているわけではなく、完全なる癖であって、直そう、直そう、と意識しているものの、どうしてもあっちを向いたり、こっちを向いたりさせてしまう。同様に、うつむいたり、目を伏せたり、見上げたり、見下ろしたりと、せわしない。背の高さを示すのにも、見上げる、という形容をしがちだ。キャラクターの見た方向が気になるのはきっと、いくひしがふだんから、どこを見ているかをじぶんで気にしているせいかもしれない。相手の顔を見ないくせに、否、見ないからこそ、じぶんがどこを向いているのかの視点のありかが、キャラクターの心象と密接に関わっているように感じているのかもしれない。この、「感じている」もよくつかう表現だ。「思う」と同様に、頻出しがちだ。小学生の作文かな? とも思ったりするけれども、小学生の作文が稚拙だとはまったく思っていないので、とくに反省はしない。ちなみに、いくひしは人と会話をするときは、相手の声音に集中していることが多い。相手の顔やしぐさを見ていることは稀だ。情報が多すぎて混乱してしまう。いくひしとしゃべる機会がもしあるとしても、いくひしの目があさってのほうを向いているからといって、あなたに興味がないわけではないので、ご寛恕ねがいたい。そもそも耳は顔のよこについている。真剣に聞こうとすれば目を合わせることができないのが道理ではないか、との理屈は的を大きく外しているので、笑って聞き流していただけるとありがたい。以上、いくひし講座でした。


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参照:【1451~1460】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054886436526

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