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いくひ誌。【1581~1590】

※日々水を飲むだけでも感謝したいのに、欲望ばかりが渇いていく。


1581:【すごい】
みんながんばりすぎだよ、すごいよ、えらいよ、もっとサボって!!! みんなしていくひしを出し抜こうとしてるんでしょ! そうなんでしょ!! くっそー、こうなったら! 不貞寝してやる!!!


1582:【ふてくされやがって】
まんちゃんがふてくされちゃったので、いくひしは言いつけどおりにサボることにします。めっちゃサボるでー。えっちなことたくさんしちゃうもんね! ひとりで!


1583:【お言葉】
腹が減ったら、崖にのぼって飛びおりろ。古代いくひし王国に伝わるありがたいお言葉だよ。意味は、ばかが喚いてもろくなことがない、です(古代いくひし王国では、ばか=賢者であったそうな)。


1584:【くだを巻く】
ツイッター上で、正論を武器にしてくだを巻いている編集者さんはたいがい、いくひしより年上なのですが、尊敬できないなぁ、とじぶんを棚にあげて思ってしまいます。ヘイトを武器にヘイトを叩いてもしょうがないと思うのですが、そうでもないのでしょうか? 反面教師にしたいものの、いくひしもたいがい、くだを巻いているので、ひとのことは言えないなぁ、と反省した口で、こうしてくだを巻いています。性根が腐るってこういうことを言うのでしょうね。せめて、くだを巻くにしても、おもちろおかしくマキマキしたいと思います。いっぽうでは、淡々と、推しの作品をリツイートしたり、感想をつぶやかれているだけの編集者さんのアカウントもあります。そういうのを見かけると、ほっとしますし、読者として優れた編集者さんなんだろうなぁ、と単純にですが、思います(編集者としてどうかは、分かりませんが)。せっかく作品がよくても、それに関わる作者や編集者さんや出版社がマイナスなプロモーションをしては、もったいないな、と思います。とはいえ、これもまたどの口が言うのか、とツッコミが入りそうなので、もったいないけど反響がないよりかはいいんじゃないでしょうか、とお茶を濁しておくのがよさそうです。編集者がまえにでる時代、と謳われて久しいですが、作品のプロモーションという意味以上には、表立たないほうが、ビジネスという意味では、よい塩梅なのではないかな、とほんの三秒くらい思いました。情報収集に便利なので、編集者さんのアカウントをちらほら覗いているのですが、ほかのアカウントと同じく、口のわるいアカウントはあまり見たくありません。その編集者さんの関わっている作品まで、すなおに楽しめなくなることも、ひとによってはあるんじゃないでしょうか。いくひしはまったくそんなことはありませんけどね。見かけるたびに、すこし心配になります。たいへんな職業だと思います。業界全体でもっと、理不尽な選択を編集者さんがせずに済むようなシステムが構築されるとよいですね。いくひしには関係のないことですが。ともあれ、出版業界の働く環境が変わっていけば、回り回って、おもちろい作品を味わえる機会が増えるようになるかもしれませんし、だとすればいちがいに無関係とは言えないのかもしれません。議論することを咎めるつもりはありませんし、それはだれがなんと言おうと自由なのですが、言い方くらいは選べるのではないかな、と疑問に思います。編集者、と名乗っている以上、背負っている作品のことは、どんな発言をするにしても忘れずにいてほしいな、といち読者として思います。すくなくとも、みんながみんないくひしみたいに、作品と、それを編む者たちはべつものだ、と割り切れているわけではないでしょうから。え? おまえはどうなんだって? だっていくひしはビジネスでやってないですもん、いくひしのこと嫌いな人間には一文字も読んでほしくないですね。いくひしは世界一、読者を選ぶ作者だって、ポーネグリフにも載ってんだから。うそだけど!


1585:【十五分のおしゃべり】
きょうは偶然、知人と会った。五年ぶりくらいだ。いくひしのいきつけの遊び場に、そのひとがきていて、十五分くらいおしゃべりをした。仕事を辞めて世界一周の旅にでるらしい。期間は一年くらいで、大陸をどの順番で渡るかくらいのおおざっぱな計画だけ立てて、気楽な旅をするそうだ。いくひしは基本的に、行ったことのない場所なら、どこでも旅をした気分になってしまうので、どこに行くのかは、さほど重視しないのだけれども、一年という期間を、どこを向いても知らない場所だらけの世界で過ごすのは、すなおに、すごいなーと思う。赤ちゃんやん!みたいなね。ハッピーバースデートゥーユー、二度目やん!とは言いませんでしたけど、めっちゃおもしろそーって、旅の計画ではなく、仕事について訊きまくった。世界一周旅行に一年間行けるくらいのお金が貯まるような企業にお勤めだったから、さいきんのそっちの業界はどんななの?と訊かずにはおられなかった。主としてマーケティング関連の話を聞かせてもらった。ビッグデータをAIで解析して、抽出されたデータをもとに、人間の担当者が統計分析するらしい。やっぱりAIのだすデータは、どうしてそうなるか、の部分がブラックボックス化しているようだ。言っても、いくひしだってPCがどうやって画面に映像をながしているのかは知らないから、コンピューターの内部のことなんか、とっくの昔からブラックボックス化しているのだろうけれど。AIの場合は、なんでそうなるの?に答えられる人間が極々少数になっていき、やがて人間には理解できなくなる、ということなのだろう。それでもAIが抽出したデータは統計的な正しさを増していく方向に深化している。言い換えれば、時間が経てばそうなる確率が高くなっていく「答え」を導きだしてくれるようになる。確率的にしか導きだせない、というのは量子力学を彷彿とさせる。現実の現象を精度高く分析していくと、絶対そうなる、と確定はできなくなるのだなぁ。なにともなしに不確定性原理について調べたくなった。相手は旅の話をしたそうにしていたのだが、まだ行ってもいない旅のことを聞かされても得られるものはすくないから(すくなくともその相手は細かな計画を立てていないのだし)、それは帰ってきてから根掘り葉掘り聞かせてもらうことにした。別れ際に、「また一年後、気をつけていってきてくださいね」とバイバイしたのだが、どうせなら、「無事に戻ってきてくださいね、お話聞くの楽しみにしてます」と言えばよかったなー、とひとり反省会をした。ひととしゃべると、こういうどうでもいいことを考えてしまうので、それを打ち消すにはさらにどうでもいいことを考えるほかに術がないため、いくひしはいっそう、虚構の世界に逃げこむのであった。半年分のおしゃべりをしたきぶんだ。来年までもう、誰ともしゃべりたくない。楽しいのだけどね、ひととしゃべるのは。ヘロインがきもちいいのと同じように(使ったことはないけれど)。


1586:【旅費】
世界一周を旅するのにいくらかかるのでしょう、と気になってネットで検索してみました(世界一周すると言っていた方には訊けなかったので)。一年間だと400万円あればそれなりに贅沢な旅ができるようです。150万円でもできる、と書かれている記事もあります。思ったよりすくないな、と思うのですが、どうでしょう?(いくひしは1000万円はかかるかな、と思っていました。いちにち3万円の出費という計算です。ホテルに泊まったり、長距離移動に航空機や船や列車を使ったらそれくらいいきそうな気がしませんか?) 宿泊する施設や、旅のルート、渡る国の数によって変わっていくと思います。それこそ、世界を一周するだけなら、いまなら4日もあれば航空機を乗り継いで可能なのではないでしょうか(詳しいことは解りませんが)。仕事を辞めて、ということは、お金よりも時間を確保するほうがむつかしいということなのでしょう。ボーナス一回分の旅費を使うために、職場を去りたいと思うくらいの魅力が、世界一周の旅にはあったのだと思います(旅を終えたら同じ企業に復職すると言っていたので、辞めるための言いわけではないと思います)。現代では、大金よりも時間を確保するほうがむつかしいのかもしれません。両方確保するほうがむつかしいだろ、という指摘は的を得ているので、ぜひとも時間もお金も使いたいときに使えるだけ消費できるようにしたいですね。ちなみに、こうした、知り合いとしゃべった内容を並べるとき、どこまで表現してよいのか、と悩んでしまいます。書き記さないでおくのが正解な気もします。すくなくともネットに載せるのは、相手の承諾があってからのほうがよいと思うのですが、しかしこれがいくひしの妄想でないとの保証はどこにもないので、特定される可能性も高くないでしょうし、消さずにおこうと思います。(それはそうと、的を得るという言葉、的を射るが正しく、的を得るは誤用ではないのか、という論争に決着はついたのでしょうか? いつも迷ってしまいます。得るのほうがひびきがよいので、そちらを使うことのほうが多いかもしれません)


1587:【きょうの疑問】
子ども向け、と書かれていた菌類の本を読んだ。これで子ども向けかぁ、へー、と思いながら、むつかしくない?なんて目をぐるぐるまわした。けっきょく流し読みになってしまった。だってむつかしいんだもん。ビフィズス菌とか乳酸菌とか納豆菌とか、菌とついてる割に、じつは菌類ではないんだよーって、書いてあって、あーそうかも細菌じゃん、細菌ってバクテリアだから菌類じゃないんだよな、なんて、日本語のまどろっこしさに思いを馳せた。DNAが膜で覆われていないのが原核生物で、覆われている、いわゆる一般にイメージする細胞を持つのが真核生物だ。ふたつの異なる細胞を持つ生き物、つまり原核細胞と真核細胞の両方を持つ生き物はまだ発見されていないんだよー、と書かれていて、ふーん、となった。細胞内共生なんて言葉も、何食わぬ顔で登場するし、なんとかラーゼとか、なんとかミンとか、目のまわる単語が列挙してあって、いまの子どもたちはこんなのを読んでも理解できるのだなぁ、と感心した。それはそれとして、細胞内共生は、生物の進化を語るうえでは欠かせない仮説の一つだ。例として、生物は、ミトコンドリアを細胞にとりこみ、共生することで、エネルギィ変換効率を高めた方向に進化したわけだが、ミトコンドリアも元々はそれで一つの生物だった。ほかの生物の細胞に相利共生したことで、爆発的にその数を増やし、生物の多様な進化を促した。細胞内共生説は、いまでは定説となっているようだが、まだまだ解明されていないことの多い説で、ときおり「じつはこういう例もあるんです」みたいな、例外や新発見がぽんぽんでてくるので、何が正しいのかがよくわからない。原核細胞と真核細胞の両方を持った生き物はいない、という言い方もきっと精確ではなく、両方持った生物がすなわち、細胞内共生を経た生物だ、ということなのではないか。或いは、原核生物はDNAが剥きだしなので、同じようにDNAの剥きだしなほかの原核生物や、そうでない真核生物をとりこむと、自身のDNAを相手のDNAへと融合させてしまうような共生の仕方をしてしまうこともあるのではないか。つまり、生物の進化には、細胞内共生だけでなく、(ウィルスを含む)原核生物によるDNAのねじ込みがあったのではないか、と推測できる。じっさい、一部の細菌は、外敵となるウィルスが入りこむと、その遺伝子情報を解析し、自身のDNAに刻みこんで、つぎからは即座に反撃できるような免疫機構をそなえている種もある。一般に、進化とは、DNAの転写や複製時に生じるバグであると考えられているが、それだけでなく、細胞レベル、染色体レベルの、異種間融合が引き起こした、後天的に生じるバグによっても促されてきたのかもしれない。すでにそうした研究はされているだろうから、なんらかの本を読んでみたいのだけれども、どんな本があるのかがわからないので、見つけたら即座に反応できるように脳内の「欲しい物リスト」に加えておこうと思う。それにしても、研究成果でお金を稼ぐ、というのは、たいせつなのだなぁ。高峰譲吉についての文章を読んでそう思った。高峰譲吉はアドレナリンを発見したことで有名らしい(いくひしは知らなかった)。ほかにも、コウジカビから抽出した消化酵素ジアスターゼを使って「タカジアスターゼ」という商品を発明したひとで、バイオテクノロジーの発展に大きく貢献したそうだ。アメリカの製薬会社に特許の一部を譲渡し、莫大な資産を築いたそうで、その資本のおかげで、医学は飛躍的に進歩したと唱えるひともいる。研究を発展させるにはお金がないとね、みたいな話が書かれていた。お金そのものがだいじ、というよりも、生活の心配をせず、改善しつづけられる環境を維持できることが、やはりというべきか、何かを行うにはプラスに働くのだ。お金を稼がずともそうした環境が維持されていれば、お金はいらないのかもしれない。とはいえ、お金のような対価がなければ誰かに協力したくはない、と考える人間の多い時代には、お金を稼ぐことでしか何かを発展させることはできないのかもしれない。もっとも、発見は、お金の多寡に関係なく、誰にでも平等に訪れる瞬間的な死のようなものだ。死をおそれず、目を逸らさず、みずから掴み取った者だけが、閃きや発想を、発見という名の共通認識へと昇華できる。発見したとき、ひとはもう、それまでのじぶんではいられない。本を読むと、そうした瞬間的な死を疑似体験できる。日々死にたいと思うひとにはおすすめしたい自傷行為だ。


1588:【性的指向と嗜好と権利】
同性愛者などのLGBTを痴漢と同列に語った著名人の雑誌掲載文がSNSで俎上にのぼっている。全文を読んだわけではないが、要約すると、「LGBTの権利を認めるというのなら、同じように痴漢の、女性を触る権利も認めるべきだ、しかしそんなのはおかしい、だからLGBTへの権利も保障する必要はない」とするロジックが展開されていた。こうした主張に反論するには、差別的だ、と異を唱えるのではなく、きちんと誤謬を指摘しなければならない。差別的だからいけないのではない。詭弁を正論のように掲げ、人権を保障されてしかるべき人々の人権を蔑ろにしようとしていることが問題なのだ。反論する前にひとつ明らかにしておかねばならないのは、痴漢を繰りかえしてしまうような依存症患者にも人権は保障されており、それはLGBTにかぎらず、損なわれてはいけないという点だ。この点に関しては相手の主張にも一理ある。ある意味で、(痴漢のような)依存症患者も、LGBTの人々も、ほかの人々と同じような最低限の生活を送る権利があるのだ。それは平等に、社会制度を受ける権利でもある。言い換えれば、依存症患者だからといって過剰に保護する義務が社会にはないし、LGBTだからといって優遇する必要もない。ただし、どんな属性の人間であっても社会からの恩恵を、平等に受けとる権利は保障されてしかるべきである。したがって、たとえば痴漢が、同じような趣味のパートナーと出会い、プライベートな空間で痴漢のようなプレイをしていても咎められることはないし、逮捕されるいわれも、差別されるいわれもない。ただし、公共の場で、しかも合意のない相手に接触を強要するのであれば、それはどんな人間であろうと法律違反として裁かれる。平等とはそういう意味だ。同じように、たとえLGBTだろうと公共の場で法律に反する行いをすれば裁かれる。だがそれは、そのひとの持つ属性とは関係がない。痴漢がいけないのは、性的嗜好が罪だからではなく、公共の場で法律に反した行いをしているからである。その性的嗜好そのものが裁かれるに値する罪なわけではない。もしそれが自身で制御できない依存症のような脳の疾患であるならば、しかるべき機関でしかるべき治療を受ける権利が、平等に、誰であっても保障されているし、その権利を行使しやすい環境を、政府は整えていかねばならない。こうした意見を口にすると、ならばLGBTも治療できるように制度を整えていくべきではないのか、といった反論が飛んできそうだが、第一に、LGBTは病気ではない。第二に、仮に病気であったとしても、自身の行動を制御できるのならば、つまり法律に反するような反社会的な行いをしないのであれば、治療を強制する権利は誰にもない(誰が誰と恋愛しようがこの国の法律では罪ではない。性的指向や嗜好を罰する法律はないのだ)。足が不自由だからといって、他人がかってに足を切って、義足を強制してはいけないのと同じように、医療機関の利用は、飽くまで任意で行われるべき、個人に保障された権利である(ただし、人命にかかわる重大な疾患および損傷を除く)。まとめれば、痴漢や、LGBTにかぎらず、人権は誰であっても保障される。女性に触れる権利などは存在しないが、自由に恋愛をし、合意のうえで相手に触れる権利は誰にでもある。仮に、公共の場でだれかれかまわず発情し、襲いかかるような真似をすれば、それは属性にかかわらず、誰であっても罰せられる(そしてLGBTだからといってそのような犯罪に走るわけではない)。人は、公序良俗(や法律)に反する罪を犯すから裁かれるのだ。属性によって裁かれることはないし、あってはならない(なぜなら基本的人権の尊重に反するから)。よって、「痴漢行為とLGBT(という属性)を同列に語り、社会保障制度を整える必要はないと断ずる主張」は合理性に欠けており、論理として破たんしていると評価できる。繰りかえすが、差別的な発言だからいけないのではない。間違った理屈で、他者の人権を損なおうとするその姿勢がいただけないのである。LGBTを擁護する主張へのいっさいの反論を許さない、という同調圧力も問題だと思う反面、まだまだ根強い差別意識は社会の表層に漠然と漂っている。LGBTに関する議題だけではなく、あらゆる社会的課題に対しても、平等の意味をいまいちど見詰めなおし、論理的な議論が展開されることを望むものである。(※俎上にのぼった掲載記事を読んでいないので、これは飽くまで、「痴漢行為とLGBTを同列に語ることの不備」を指摘する以上の意味合いはありません。誰かを批判する、意図も効果もないことを補足しておきます。自戒をこめて述べますが、何かを批判したいときはまずは事実確認を優先してください)


1589:【しょうじき言って】
ショートショートの毎日連載、しょうじき言ってもう飽きた。やりたくない。


1590:【キャラづくりと素子】
世のなかにはキャラをつくらないと何も表現できない、からっぽな人間もいるのだと知ってほしい。むしろ世のなかには、ツギハギでできた人間のほうが多いはずなのに、そのことにすら気づかずに、じぶんの中心には、確固たる自我があると思いこんでいる人々が、とてもおそろしい何かに思えるときがある。素のじぶんをだしたら? と何かしらの助言で言われるとして、でも、素のじぶんをだしたら何もしゃべらないし、表現しないし、したとしてもそれは相手を傷つけたり排除しようとしたりするときの限定的な、「あ? つぶすぞ」しかないとしたら、素のじぶんをだすことになんの意味があるのだろう。本質的にやさしくない人間は、やさしいフリをすることでしか、人と関わる術を得られない。みなのそれがゴッコでない保障がどこにあるのだろう。いつから人は、ゴッコを本物だと思いこむようになるのだろう。それとも、いつの間にか、虚構が現実に塗り替わるものなのだろうか。だとすれば、いつかこのゴッコも本物に? もしくは、ゴッコをしあえる関係性さえあれば、その呼び名はなんでもよいのかもしれない。虚構でも、現実でも、偽物でも、本物でも、愛でも、絶望でも。人はただ、仮初に生き、塗りたくった虚構のうえにありもしない共同体を築きあげる、デジタルな信号を発する、素子なのだ。


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参照:いくひ誌。【331~340】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054882637401

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