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いくひ誌。【1571~1580】

※日々穴をたくさん掘りつづける、誰を呪うでもなく、じぶんの分だけどこまでも深く。


1571:【短気】
いくひしは短気だ。すぐに線引きをして、対象に見切りをつけてしまう。ただ、個人を相手どって攻撃を仕掛けたり、罠にはめたりするようなことはない。そうせざるを得ない状況になる前に相手との接点を失くす方向にじぶんの行動を修正するし、そうでなくとも、可能なかぎり相手を損なう真似はしないようにする。相手を損なうというのは、回り回ってじぶんに返ってくる。精神論ではなく、あいつはいざとなれば誰かを傷つけることも厭わないやつなのだ、と思われることがそもそも損だからだ。ある意味で、疎まれるというのは、相手を威嚇することにも繋がるから、やりようによっては防御にもなるが、強固な壁は、周囲の人間とじぶんを分断する檻にもなり得る。じぶんで選んだ孤独ならばよいが、知らず知らずのうちに孤独に陥ってしまう、というのは、割と広く見受けられる傾向だ。個人相手とは、可能なかぎり敵対しあわないほうがよい。相手から嫌われても、さいていげん、ほかの人達へ向けるのと同じような態度を心掛けたほうが、損をする確率を減らすことができる。ただし、個人ではなく、集団や組織や業界には、比較的、あからさまな反発をみせることはある。納得できない道理に従いたくはないし、悪の片棒を担いでいるようにしか見えないことに手を貸したくはないからだ。協力はしないし、関わりあいたくもない。ただし、応援はする。よくないところが改善されていく様子は、ただそれだけで見る価値がある。いびつなものほど応援したくなってしまういくひしの性分はきっと、紅葉や落葉ではなく、春の訪れのほうをよりうつくしいと感じる琴線の波長が関係しているのだろう。わるければ直せばよいのである。欠けていない存在などはない。完璧な丸が存在しないのと同じようにね。


1572:【センサーの精度】
工業製品の生産現場では、商品の欠陥品を見つけるために、スキャナーを導入している。ただし、最終的には人間の目によるチェックが入る。なぜか? 機械は精度がよすぎるのである。市場に流してもよいレベルのいびつさまで感知し、バツの評価を与えてしまい兼ねないので、感度を下げ、ザルのような評価をさせている。そのため、稀に、よくないものがつぎの工程や出荷品にまぎれてしまうことがある。そうした不具合を失くすために、人間の目でのチェックを行っている。機械学習を取り入れるにしても、なにがよくてなにがダメか、という閾値をまずは入力しなければならず、それらは現状、暗黙知と化している。これ以上はダメで、これ以下ならよい、とする基準はあるにせよ、基準にないおかしな製品がでてくることもある。そうしたときは、品質管理部にて、審査してもらわなければならない。また、そうした稀にでてきてしまうような欠陥品は、データとして残されない傾向にある。加工ラインそのものの欠陥が原因であった場合、稀にしか生じない欠陥品のために、大規模な改善をラインそのものに費やすのは、コストの面で割に合わないためだ。しかし、これからの時代では、生産現場に機械学習を導入するようになっていく。そうした場合、稀に出てくるようなよくないもののデータこそ、入り用になってくる。精密な部品を加工する現場では、3Dと呼ばれる測定機で、コンマ何ミリといったズレをチェックをするところもすくなくない。ただし、部品が複雑であればあるほど、チェックに時間がかかる。だいたい一時間前後はかかるのだ。そのため、すべての製品ではなく、何十台、何百台に一台といった頻度での検査になる。空港の荷物チェックのように、バケツリレー然とはいかないのだ。これからさき、性能の高いスキャナーが開発され、現場に導入されていくようになるだろう。それはけっして、機械の精度が高まったからではなく、バグのでやすい場所のデータや、よくないもののデータが蓄積され、スキャナーに反映された結果の、実用化となるだろう。或いは、これまで人間の目では見逃されてきたような、機械が検知してしまうくらいの製品同士の差異が、加工技術の高まりによって殲滅されたことによる実用化、という可能性もあり得る。コストの面からするとデータを蓄積し、解析する方向に舵をとったほうが得をする。しかし、前述したとおり、現場では、些末な情報としてなかったものとされる傾向にある。現場の、不利なデータを見て見ぬ振りをする体質を改善していくことが、回り回って得をする時代に突入している。これまで以上に、稀に起きる失敗やバグが、有意義なデータとして活用されるようになってくる。よくないものや問題が生じたら、もみ消すことや、対処することばかりに注力せず、こんなよくないものが見つかりました、今回のは希少種です、美味しいデータですねぇ、とコレクションするくらいの意識の転換が必要とされているのかもしれない。ともあれ、高性能なAIを導入できるくらいの資本をもった組織に限定された話になってくるので、一般の中小企業には縁のない話かもしれない。


1573:【手抜きの日】
家に帰ってきてからまずすることは、洗濯です。よごれものを手で揉み洗いをしてから、Tシャツなら一枚ずつネットに入れて、下着ならいくつかにまとめてぽーいして、んで洗濯機にぶちこみます。ネットは百均で買います。一枚百円です。大小合わせて十五枚くらいあると思います。洗濯機が、ぐおうん、ぐおうん、うなってるあいだにPCを開いて、ツイッターをします。さいわいにも近隣への騒音を気にする必要がないので、たとえ真夜中だろうと、ぐおん、ぐおん、言わせます。水分補給をしながら、すこし糖分を補給するためにチョコレートなんか齧りつつ、三十分くらいで洗濯機が、ぴぴー、ぴぴー、言いますから、はいよーって取りに歩いて、部屋に干します。部屋干しです。除湿機まわしてるので朝までには渇きます。そとに干さなくてもくさくなんない。手で揉み洗いするようになってからな気がします。ひと手間ってだいじやん? よくわかんないけど。んで、零時くらいにいったん寝て、二時か三時に起きて、この「いくひ誌。」を更新してなかったら更新して、すでに更新してたら、ほかの創作に時間を割きます。前にも書きましたけども、この「いくひ誌。」はほとんど一発書きで、あとで読みかえしたときに誤字脱字を見つけたら直すくらいで、推敲も改稿もしません。こんなもんに時間をとってられねぇですからね。だいたい十分か二十分あれば終わりますから、お行儀わるいですけど、時間ないときはご飯食べながら並べたりしてます。お行儀はわるいんですけど。どんなに疲れてても、文字を並べるだけなら余裕のよっちゃんです。よっちゃんが誰かはわかりませんけども。そろそろお歳暮の時期ですかね? 年賀状もそうなんですけど、もらったらお返ししなきゃならないじゃないですか。めんどうですよね。このあいだの、いいね!の話じゃないですけど、それって意味あります?って思っちゃうんですけど、みなさんはそうでもないんですかね。や、文句じゃないですよ。りっぱだなーって思います。真似できないですもん。そういう、もちつもたれつ、みたいなのは、はたから見ていて、すなおに感心します。ただ、苦手に思っているひとがいることも知っていてもらえると助かるなーとは思います。お返しはいりません、って言われても、困っちゃいますしね。まあ、いくひし、お歳暮なんてもらったことはないんだけど。年賀状も小学生のときに先生からもらったきりだしな。すっぱいブドウじゃないですけど、ひょっとしたらこの苦手意識は、じぶんが傷つかないようにとの防壁なのかもしれないなぁ、なんて思うとかなしいので、いまのなし。気づかなかったことにしよう。季節の変わり目は疲れやすくないですか? ようやく身体が夏用ではなくなってきたな、と感じます。みなさん、ほんと体調には気をつけてください。油断して薄着なんかしちゃいかんよ。湯ざめにも気をつけてな。え? 口うるさい? おまえこそどうなんだ?って、いくひしはだってほら、よくいうでしょ。バカは風邪ひかないんだぜ? はーい、おやすみー。またねー。


1574:【未読書】
いくひしです。ここ二か月くらい、まとまった文章を読めてなくて、読了した小説本となると二冊もないという体たらくです。つまみ、つまみ、読んではいるんですけどね。なかなか、するする読めずに、どうしたんだい!とじぶんの読解力に訊ねてみたいきぶんです。小説以外の本も、まいにち数ページずつとか、そんなで、時間がないわけじゃないんですけど、きぶんじゃない、みたいな感じで、困ってしまいます。読みたくないわけじゃないんですけどね。むかしみたいに、脳汁でてる感じがなくて。困ったなぁ。読書欲ばかりが渇いていく。お腹は空いているし、なにか食べたいのは明白なのに、ではなにを食べたいんだい、と訊かれると、うまく答えられない、みたいな。目のまえに料理を運んできてもらっても、一口食べただけで、うっ、となってしまう。美味しくないわけじゃないんですよ。ただ、吐きだしちゃうんです。拒食症のひとはこんななのかなぁ、と疑似体験しているきぶんです。読書の話ですよ? だから、拒食症のひとからすれば、比べないでください、と言われてしまうかもしれません。失礼でしたかね。すみません。そういえばさいきん、ナマケモノのいくひしさんと、しばらく顔を合わせていないんですけど、元気なんでしょうか? あ、言ってもどちらもいくひしであることに変わりはないので、じぶんでじぶんの顔を見ることはできない、みたいな言葉あそびにすぎないんですけど、はてさて。ぼくらみたいな、いくひしのなかでも下っ端のいくひしは、ナマケモノのいくひしさんからの指示がないと、どうしていいのか、わからなくて、指示待ち状態になってしまうので、ここらでそろそろ年末の予定というか、新作の指示をいただきたいなぁ、と思っているところなんですけど、電話にでない、メールは返さない、ラインはしないし、家にもいない。雑用ばかりひとに押しつけて、サボりたければサボればいい、なんてひとごとみたいに言ってくる。じっさいサボってみると、やらないならやらないって言って、と怒ったりして、どうしてほしいんですかね。言ってもこれも、じぶんのことでしかないわけで、じぶんにじぶんで、きみはどうしたいの?と投げかけているだけなので、いくひしさん以外の読者のかたには気にしないでほしいのですが。ショートショートだって、核となるネタがないと、困ってしまうんですけどねぇ。わかってるんですかねぇ、いくひしさんは。という、きょうは、いくひしが複数人でチームで執筆してますよ、みたいな具合に書いてみて、きょうの「いくひ誌。」とさせてください。慣れない真似はするもんじゃないですね。ではでは、またあした。雑用専門のいくひしまんでした。


1575:【左右から考えること】
利き手でできることを、逆手でもできるようにする。ただそれだけのことがむつかしい、というのは、いくひしがよく思うことなのですが、これというのは、お手本があるからといって、必ずしも上手にできるわけではないということの何よりの傍証だと思うのですが、いかがでしょう。誰よりも身近なじぶんという存在をお手本に以ってしても、真似することは容易ではない。ひょっとしたら、いくひしだけがむつかしく感じているだけで、案外みなさんはそうでもなく、利き手できることは逆手でもできたりするのでしょうか。これは手だけではなく、パターンを逆再生させる場合でも同様で、やはりむつかしいです。グーチョキパーではなく、パーチョキグーとする。これくらい単純だと、いくひしでもできるのですが、ここにあと二つ異なった型を加えるだけで、格段にむつかしくなると思います。パターンを認識するまでは比較的誰であっても、お手本さえあればできると思います。ただ、パターンを再生する基盤を変えたり、逆から辿ったりするのは、人間には不得手な作業だと思います。その点、機械だと、比較的簡単にそうした処理が可能です。なにが違うのでしょうか。いちばんは、演算能力の違いだと思います。ただそれだけではなく、機械はそのつど、パターンを演算処理しますが、人間の場合は、パターンを体得した時点で、考えなくなる、という相違点があると思います。つまり、人間は、パターンをひとつの塊で憶えてしまうために、融通が利かなくなるのです。塊で憶えてしまうのですから、逆手や逆再生をするには、もういちど塊を解凍し、展開し、そして筋道を辿り直さなければなりません。ただし、人間は学習しますから、その「塊を解凍し、展開し、筋道を辿り直す」というパターンそのものも、塊で憶えることができるようになります。これはいまのところ、機械にはできない処理の仕方です。言うなれば、点を線に、線を面に、面を立体にするような思考の仕方を、人間はできるのです。メタ認知と言えば、ピンとくる方もいらっしゃるかもしれません。次元を一つうえに繰り上げた処理の仕方を、人間はできるのです。あと十年もすれば、AIもこうした情報処理の仕方ができるようになると思います。膨大なパターンから学ぶだけでなく、新たなパターンを自力で創造できるようになるのです。現状でもすでに、深層学習によって、新しい筋道を示すことはAIであっても可能になっています。ただしそれは、同じ盤上や、同じルールのうえに成立するゲームのようなものにかぎります。盤上から外れた瞬間に、それまでの解析は使い物にならなくなりますし、同様に、ルール外の事態には対処できません。ですが、人間のように、「塊を解凍し、展開し、筋道を辿り直す」ような高次の学習ができるようになると、AIは自力で問題を見出し、答えへの筋道をいくつも創造できるようになるのではないか、と想像しています。もちろん、いくひしはAIにかぎらず、あらゆる分野に関して、まったくの門外漢ですから、真に受けないでいただきたいです。もっとも、素人とはいえ、杜撰ながらにも、こうして考えることだけはできます。どこかに書かれていたものをそのまま出力しているのではなく、パターンを抽出し、ほかの分野に当てはめたり、分解し、組み立て直し、矛盾なく筋が通るかをためしてみたりと、そうした試行錯誤の繰り返しによって、出力される、これは発想です。正しい答えではないかもしれません。おおよそ、間違っていると捉えてもらったほうが損をしない確率が高いでしょう。ただし、発想の真価とは、正しいか否かではない、といくひしは考えています。虚構の物語は往々にして、正しくはありません。現実ではないのですから、そういうことになります。しかし、そこにある物語は、人間にのみ可能であった、「パターンを憶え、それをふたたび解凍し、展開し、結び直された、発想の筋道」そのものだと言えます。もちろん、虚構の物語だけではなく、学問には総じて、こうした「発想の回路」がつきものです。とはいえ、教科書のように、答えだけが載っている場合もすくなくありません。なぜそう考え、どうしてそうした発想に到ったのか、といった、「塊を解凍し、展開し、結び直した過程」は載っていないことが多いです。知識を溜めこむのは、パターンを憶え、塊を増やすのには有効ですが、それを発想に転換するには、またべつの回路が必要なのです。こればかりは、自力で、なんども「塊を解凍し、展開し、結び直す」訓練をしなければなりません。お手本をそのまま真似るだけではなく、走らせる場所を変えたり、パターンを変えてみたりと、お手本にはなかったことをする『無駄な時間』が、のちのち幾重もの層となって、じぶんなりの「発想の回路」を築いていくのだと思います。お手本やパターンは憶えておしまいにせず、そこから、いまいちど「塊を解凍し、展開し、結び直す過程」まで実行するように、目標を設定しておくと、すこしだけ自由になれた心地が味わえるのではないかな、と思います。もちろん、この「塊を解凍し、展開し、結び直す作業」そのものも、塊として処理されていきますから、そこからさらに塊を打ち砕き、より高次の考え方へと昇華させ、「発想の回路」の層を増やす方向にじぶんを誘導すると、いくひしの場合はですが、最終的な目的を達成できるようになるのではないかな、と希望的観測を抱いています。層の数を増やすには、より多くの、多彩な塊が必要です。要するに、知識ですね。知識を憶え、打ち砕き、ほかの関係ないことに活かすことで、知恵へと昇華し、その過程そのものが新たな知識となって、つぎなる知恵への土壌となる。まとめてしまえば、なんてことのない話になってしまいますが、知恵はいつまでも知恵ではいられないのだ、と意識しておくだけでも、何か問題を打開しなくてはならなくなったときの糸口に差がでてくるのではないかな、と思います。いちど掴んだ発想は、つぎからは単なる出力へと風化してしまうのです。出力するだけなら、AIのほうが得意な時代になっています。発想そのものもそうですが、発想の仕方そのものを変えていく習慣が、より大きな問題に直面したときに、身を助けることに繋がるのではないかな、と思います。いずれAIは、その境地に立つことになるでしょう。それでも、AIの発想を噛み砕き、思考の筋道についていける人材は不可欠です。あと二十年もすれば、AIの翻訳家のような職業が、世のひとびとへ、新しい視点を提供する役目を担っているかもしれませんね。


1576:【おいおい】
まるでいくひし、おまえがいかにも発想豊かみたいな物言いだな。どっかで聞いたことあるような言い回しばっかじゃねぇか、おまえならではのアイディアを書いてみろよ。発想つうか、おまえのはただの雑草だけどな。


1577:【ときどき】
ときどき一日に二回、記事を投稿するのは、きょうまだ投稿してねぇじゃん、と気を利かせてくれるほかのいくひしさんたちが載せてくれたことに気づかずに、いくひしが重ねてべつの記事を投稿しちゃうからです。零時前に寝てはや起きしてから記事を並べるとそうなりやすいです。なんて言ってるけど、どのいくひしさんもいくひしであることには変わりはないので、寝ているつもりで、文字を並べているいくひしさんがいるだけかもしれません。ともだちいないのに、すっごい仲のいいともだちいるよアピールをすると、こんなわけわからない文章ができあがります。ちなみに、ツイッター2(https://twitter.com/Man_is_IBUKI )のほうなんですけど、更新しているショートショートがびっくりするほど読まれておりません。このまま百話いくまでに読者ゼロを記録しそうで、あらあら、みたいになってます。同じショートショートを載せているのにnote(https://note.mu/ikubisiman)のほうでは、ぎゃくに思ったよりもPVがあります。画像をつけられるのがよいのかもしれません。あとたぶんですが、いいね!押したからこっちも押してね!みたいな文化が、SNSにはあるようです。人によるとは思いますが、いくひしはそういうのが苦手なので、本当にいいと思ったものにしか、いいね!は押しません。評価経済とかバカじゃないの?と思っているクチなので。あわわ、口がわるくなってしまいました。いまのはウソです。おばかさんじゃないの?に訂正いたします。すみませんでした。はい。いくひしはこれまでに二度、即売会に参加しました。無料で配布したので、実績にはなりませんが、そのときにハケのよかった作品は、ネット上ではむしろ(相対的に)PV数のすくない作品だったのが印象的でした。noteのPV数も、いいね!の数と正比例しません。いくひしの場合だと、noteでもっともPV数の多いジャンルが百合なのですが、いいね!はあまりつきません。百合に惹かれてクリックする潜在需要者が比較的多いということなのでしょう。読んでみても趣味に合わないからいいね!は押さない、ということだと思います。ぎゃくに、ホラーやミステリィは、いいね!がつきやすい傾向にありますが、PVは百合の半分くらいです。視点を変えれば、読んだひとは高確率で、いいね!を押している、と言えます。ミステリィやホラーのほうが、読む人による好みにばらつきがない、とも言えるでしょう。誰が書いてもそれなりに評価されるジャンル、ということだと思います。将来性は低いのでは?といくひしさんは思ってしまいます。いますぐ売れたいひとにとっては、ホラーやミステリィが売れ筋かもしれません。おそらく、百合コンテンツはこれから増加していくでしょう。需要者の嗜好も、コンテンツが増えていくにつれて、色を混ぜるように感性が鈍化していくので、いずれはどんなものでもそれなりに受け入れられるような土壌ができていくと思います。どんな物語にも謎があるように、どんな作品にも百合要素が加わる日はそう遠くないでしょう。かつての萌えのような扱いになると思います。同時に、女性主人公の作品も増えていくでしょう。即売会やサイトによって、売れ筋が変わるように、たまたまいまの出版市場では、女性主人公の小説が売れないだけだと思います。潜在的需要はむしろ、男性主人公よりも多いのでは?と疑っているくらいです(根拠はありませんが、強いていうならば、いくひしが、共感をさほど重要視していないことと無関係ではありません。これからは、共感よりも、そのキャラクターになりたいか?のほうが、売れる物語に必要な要素となっていくと思います。コスプレで人気のあるキャラクターは、共感しにくいキャラクターのほうが多くはありませんか? ゲーム内のネカマや、ガワだけ美少女のVチューバーなどを眺めていると、二次元の女性キャラは、それでひとつの種族のような扱いになりはじめている気がします。子猫をかわいがるようなものでしょう。或いは、神をまつるようなものかもしれません。三次元の女性にある特徴を兼ね備えてはいますが、そこにあるのは、女性とは似て非なるもののように感じます。美というクオリアの具現化と言ってもいいかもしれません。もちろん、現実の女性と無関係ではないでしょうけれど)。(※一週間前、9/11ごろに並べていちどボツにした文章です。現在はnoteでいちばん読まれているいくひしの記事はミステリィとコメディになっております。時間が経過するにしたがい、いいね!の数が多い記事が読まれやすくなっていく傾向にあるようです。よしあしはべつとして、評価経済の弊害だと思います。フラットに需要を分析しにくい世のなかだなぁ、とデータ分析の重要性を実感します)


1578:【秋がちかい】
粉末レモネードをお湯でとかして飲むとうまい季節がやってきた。


1579:【どれがいい?】
やさしくなれる薬と、努力できるようになる薬と、頭よくなる薬、飲むならどれ飲みたい? いくひしはねぇ、ぜんぶ!


1580:【九番のかたー】
受付け番号九番の、えー、いくひしさん、いくひしまんさーん。はーい、きょうはバカにきくオクスリだしときましたからねー。じぶんがバカだって解るようになるので、絶望して死んじゃわないように気をつけて飲んでくださいねー。


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参照:いくひ誌。【991~1000】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054884688593

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