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いくひ誌。【1521~1530】

※日々過去のじぶんを恥ずかしく思う。


1521:【多様性が損なわれている?】
ビジネスの視点で社会を見渡すと、じょじょに多様性がなくなってきているのではないか、と感じる者もすくなくないだろう。売れる商品は限られ、特定の人気がついたものばかりが加速度的に売り上げを伸ばしていく。したがって、多様性がどんどん薄れてきているのではないか、と考えてしまうのだろうが、これは逆である。多様性が進んだからこそ、需要が分散し、本当に売れるものしか、売り上げが伸びなくなったのだ。本当に売れるものとは、売れているから売れているものだと呼べる。いくひしはこれを、ディズニーキャラクターをかわいいと言っとけ現象と名付けた(今だけ)。ディズニーキャラクターをかわいいと言っている人間の何割が真実それをかわいいと思っているだろうか? ディズニーキャラクターはかわいい、という前提条件をもとに、それをかわいいと言っておけば、そういうかわいさが解かる人間です、と周囲の人間たちに示せるがために、かわいいと言っているだけではないのか? いわば名札のようなものだ。そして、多様性の進んだ社会では、この名札の存在価値がますます高まっていく。同一の興味関心をもつ人間と出会う確率がすくなくなっていくためだ。ニッチな趣味を名札にしていては、他人と関わることもむつかしくなる。そのため、本当は二割くらいしか興味はないが、まったく興味がないわけでもないし、どちらかと言えば好きなものを、まずは接点として掲げ、他者と関わりあおうとする。そうした帰属意識のようなものが、売れているものがより売れるという現象を後押しする。それはけっして、多様性がなくなったからではなく、多様性が進んだがために表層に浮かんで観測される、認知バイアスである。売れないから商品をださない、ではなく、ヒットしなければ利益を算出できないようなこれまでのビジネススタイルを変えていく、いまはそういう節目の時期なのだ。(※いくひしは、ディズニーキャラクターを、ディズニーだからではなく、本当にかわいいと思っています。ただし、1990年代以降のキャラクターにかぎります(ティンカーベルは例外です)。したがって、ミッキーマウスをかわいいとは思っておりません)


1522:【おろち】
「気持ちや思いを言葉にすることはできます。でもそれはへびの鱗のようなもので、一枚や二枚をはぎ取ってみせたところで、それは一匹のへびを捕まえたことにはなりませんよね。僕の言葉も同じで、それはたしかに僕の内側に身じろいでいる一匹のへびの片鱗ではあるのですが、けっしてそれがすべてではない。僕の内側にはいつでも、オロチが蠢いています。それが一匹だという保証もないのです」


1523:【聞いた話から考える】
昔話には必ずと言っていいほど、人里離れた山奥で暮らす、子宝に恵まれないおじぃさんとおばぁさんが登場する。なぜだろう? それほど当時そういった、村社会から隔絶したおじぃさんおばぁさんが多かったのだろうか? その謎への仮説はいくつかあるだろうが、さいきん耳にした話では、子宝に恵まれないというのはむかしのこの国では、相当に罪深いことだったという説だ。村八分にされるほど、追いだされるほどに、子供のできない男女は肩身の狭い、社会的弱者だったのだ。物語の王道として、弱者が逆境を乗り越え、しあわせになる、というものがある。昔話のすくなからずも、最後は、末永くしあわせに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし、で終わることが珍しくない(桃太郎、舌切り雀、花咲かじぃさん、一寸法師など。むろん、例外も多い)。いくひしが聞いたのはここまでだ。ここからはいくひしが考えたことなのだが、子宝に恵まれず、不遇に追いやられた人間を主軸に添え、つくられた物語は、当然のごとく、その当事者たちには語り継ぐことはできない。なぜなら子孫がいないのだから。ということは、そうした物語をつくり、子供に聞かせたのは、子宝に恵まれ、村のなかに居場所のある者たちだということになる。ではなぜ、村八分にした者たちが、わざわざ追いだした者を憐れむような物語をつくり、語り継いだのか。語り部として子どものお守りを命じられるような立場の人間は、そうした弱者へ共感を覚えるような者が多かったのかもしれない。ただ、それだけではなく、弱者でないはずの者たちのなかにも、なぜ追いだす必要があるのだろう、といった疑問を持った人間も多くいたのではないか。同情していたのだ。或いは、罪悪感から、物語のなかでだけでも救済したいとの思いがあったのかもしれない。お祠や慰霊碑を建てる代わりに、物語というカタチで、人生を追いやられた者たちへの鎮魂歌を歌い、語り継いだのかもしれない。では、現代ではどうだろう。そういう視点で現代社会を眺めてみると、弱者が逆境を乗り越えていくタイプの物語には、この手の構造を伴った作品もすくなくないのではないか。けっして、語り手や読者が、その主人公みたいな逆境や弱者ではないものが思いのほか、ヒットを飛ばしてはいないだろうか。共感、共感、と叫ばれて久しいさっこんであるが、誰が、どのキャラクターに、どのような立場からどのように共感しているのか、という分析は、じつはあまり発展していないように感じている。語り継がれる物語とは、歴史的観点から考えてみると、案外、等身大のじぶんと重ねて共感できるようなものではないのかもしれない。


1524:【蟻とゾウ】
蟻を踏みつぶさないように生きるゾウの気持ちなど、地面を好きかって這いまわる蟻たちには解からないのだ。(作物に群がる虫の気持ちなど、殺虫剤を撒く人間たちには解からないのと同じようにね)


1525:【うへー】
やーやー、いくひしでござる。ちょいと留守にしていたあいだにこれはまた、ウトウトとねむたくなることばかりダベダベと並べてくれちゃって。いやはや、これだからかしこぶりマンにはこまってしまうよ。やれやれ。ユーモアのない文章にいったいどんな読者がつくってんだい。おもちろくもなんともない文章、読みたい? ためになる文章とか役に立つ文章なんかがあると思っている人類にゃーちょいとはやすぎる刺激かもしれないが、いくひしさんの並べるユーモアについてこられるあなたのような読者さまには、そりゃー、とくべつにタイムスリップ体感まちがいなしの、時間のつぶしかたってやつをお教えしよう。森見登美彦さん著の「ペンギン・ハイウェイ」がアニメ映画化されて、8月17日に公開されたってぇ、話だぜ。三日前なのだぜ。これは観るっきゃないのだぜ。なんたってぇ、これだけおねショタ×好きな相手からかいブームが世を席巻するはるか以前から、その真髄を築きあげていた森見氏の見る目のありようときたら、これはちょいと、そこらの預言者には太刀打ちできない魔眼じみた凄みがあるってもんよ。え? いくひしの小説? んなもん読んでるひまがあんなら、「ペンギン・ハイウェイ」を観て、ついでに原作にも手を伸ばし、読んでみたらいいのではー???  ユーモアとは何か。答えはそこに載ってるよ、いくひしはだってそこからユーモアとはなんぞやって学んだもんね。自由とは、学ぶとは、そういうこともなんか知った気になれるようで、とくに何も身につかない、だからってぇべつに存在を否定されるいわれはないものだ。役に立つとか立たないとか、本物だとか偽物だとか、そんなこと、あなたの胸に湧き立つ思いに比べたら、月とすっぽんぽんの赤ちゃんのおちりくらいの差があるね。どちらもだいじだけれども、いくひしはすっぽんぽんの赤ちゃんのおちりのほうが好きかもなー。好きすぎて頬づりしちゃう。すりすり。そんなこんなで、すっぽんぽんの赤ちゃんのおちりじみた、おねぇさんのおむねの魅力の謎を解くべく最後の夏を駆けずり回る少年の話、というわけではないのだが、森見登美彦さん著の「ペンギン・ハイウェイ」をアニメ映画共々、どうぞよろしくおねがいしまーす! なんて単なるいち読者が関係者面して宣伝しちゃう。だってそれくらいおもしろい、無関係とは思えない、応援したい、そういうすばらしい物語なのだもの。ぜひぜひ、おひまを見つけて、映画館へ駆け込もう。言うても、いくひし、まだ観てないんだけど! うへー。はよ観たい!!!


1526:【何様のつもり?】
鳴りやまない秋の虫の音を耳にしながら、時間の許すかぎり虚構の世界に身を委ねる、この至福はぼくだけのもの、誰かに理解されたり、共感されたり、受け入れられる必要もないし、されたいとも思わない。独占したい。他人がこの至福の領域に足を踏み入れたしゅんかんに、虫たちは鳴くのをやめ、ぼくをつつみこんでいた虚構のモヤは霧散する。立ち入らないでほしい。なんぴとも、ぼくの人生に踏み入ってほしくはない。触れてほしくはない。関わりたくはないのだ。でもときどき、他人という名の虚構を覗きこんでみたくなる欲張りなぼくは、こっそり人間の皮をかぶって、そとに出掛ける。眺めるだけでいい。関わりたくはない。とうめい人間の皮でもかぶれればよいのに、まだぼくはとうめい人間に出会ったことはないから、とうめい人間を探しながら、他人の人生をそのひとのすぐそばで、じーっと観察する。一日もあれば飽きてしまうから、もうそのひとに用はないけれど。


1527:【リアル回帰】
いくひしの見渡せる範囲にいる十代~二十代前半のコたちはもはや、ツイッターなんか見ていないし、インスタもフェイスブックもやっていない(アカウントは持っているようだが)。若い子に人気、といった触れ込みで宣伝しているサービスも、名前は知ってるけどー、みたいな反応だ。極一部の若者を見ての分析であるから、一般化はできないが、すくなくとも、ネットに夢中になるよりも、リアルでの活動のほうに重点を置いているコのほうが圧倒的に多いと感じている。当然といえば、当然だ。ネットのサービスは、飽くまでリアルの活動を豊かにするための補助であり、ネット内での評価を得るために活動をしていては本末転倒であるからだ。物理世界の活動よりもインターネットでの活動を優先している者はほとんどいないのではないか、と思えてくるほどだ。若者にとっては、ネット内での評価よりも、物理世界で所属しているコミュニティ内での立ち位置のほうがだいじであり、重要視すべき指針なのだ。それは、仲間内からの評価がだいじ、という意味ではない。そこがじぶんにとっての居場所になっているか否かが、重要なのだ。ツイッターでフォロワーが一万人いますよ、と言ったところで、へーすごいねー、と棒読みで言われるのがオチである(言ったわけではないが)。人脈だとか、所属しているコミュニティの知名度なども、とくに重要視しているふうには感じない。むしろ、そうした上辺の評価で物事を判断しようとする姿勢には、冷ややかな視線をそそぐのが若者の特徴と化してきているように思えるのだが、いかがだろう? あなたの周りの若者は、いったいどんな価値感で世のなかを見渡しているだろう? もはや年下からのほうが、学ぶべき姿勢を見かける機会が多いのではないか。あなた自身は、誰かに尊敬されるような生き方をしているだろうか。いくひしは、日々、光に照らされ、融けて消えてしまいそうである。これでは家のなかに引きこもっていたくもなるだろう。コミュニティに属さないことが、いくひしにとっては、生きやすい居場所となっている。


1528:【応援】
応援したいけれど、関わりたくはない、という心理はあまり一般的ではないのだろうか? いくひしは応援したい人、団体、組織、もの、コトがたくさんあるけれど、いずれも関わりあいたくはないし、仲良くなりたいとも思わない。この場合の、思わない、は、どちらでもいい、ではなく、むしろそうなりたくはない、いやだ、にちかい。応援はしているけれど、だからといって、味方ではないし、身内になりたいとも思わない。身内びいきだ、と思われるのもいやだし、身内びいきもきらいだ。あの星きれいだねー、と思うことで、その星がますます輝けるのなら、そう思うひとが増えてほしいと望むし、そのためにできることはしたいけれど、いくひしがその星にとっての何かになろうとは思わない。なりたくもない。いっぽうてきに、きれいだねーと言っていたいし、可能ならば、そんな他人の思いに関係なく、星々には光り輝いていてほしい。そもそも本当の星ならば、地上の民の感応の有無にかかわりなく、輝いているものだろう。夜でなくとも星は人知れず輝いているのだ。昼間の星、地上に届かない星の輝きほど、目にしたいとの望みがつよく湧く。人が望遠鏡を覗くのは、ふだんは見えない星を見たいから、ではないだろうか。応援したい気持ちとは、すなわち、もっとはっきりとつよく星の輝きを目にしたいとの欲求であり、そんなものがなくとも星はかってに輝いているのである。そういう星ほどやはり、応援したく(目にしたく)なるではないか。


1529:【いんぐりっしゅ】
こんばんは、いくひしです。みなさんは英語、とくいですか? いくひしはダメです。苦手です。どれくらい苦手かと申しますと、このあいだのことなのですが、クスリって英語でなんてったっけ?と訊かれ、もちろんいくひしさんはじぶんのことを天才だと思っておりますから、ここぞとばかりに得意顔で、ドラッグでしょバカだなー、と笑いましたところ、よこにいた、いくひしより六つは歳下のコに、メディシンじゃない?と指摘されてしまい、あーそうだった、うっかり、うっかり、なんてごまかしましたけれど、ホントはぜんぜんピンとすらきておりませんでした。医薬品という意味でのオクスリは、メディシンなんですか? 知りませんでした。英語、苦手です。暗号かな?と思ってしまうくらい、異国の言葉に見えてしまいます。異国の言葉なので、ヘンではないはずなのですが、んー、周りのひとからは、いくひしさんはおばかさんなのではないか、ともっぱらの噂で、日々人と言葉を交わすごとに、冷たい視線をちょうだいしております。誤解です、と言いたいところなのですが、いくひしさんは正真正銘のおばかさんなので、致し方ありません。半年くらい前に、英語べんきょうしまーす、なんて書いた憶えがあるのですが、どうにもまったく、うんともすんとも、だめだめです。おばかさんがおばかさんであるゆえんだと思います。我ながら、じぶんに失望してしまいます。まだ失望できる余地があったのですね、とびっくりしてしまうほどです。なかなかやるじゃありませんか、と見直してしまいそうになるくらいですが、それはちょっと、お門違い、というものでしょう。あまり調子に乗らないようにお願いいたしますね。いくひしさん、あなたちょっと、もっとお勉強したほうがよろしくありませんか? きのうまでのいくひしまんさんへ。本日のいくひしまんでした。


1530:【またぁ?】
まんちゃんさー、じぶんもちゃんとひとと会話してますよって匂わせるようなこと書いてるけど、相手の名前ちゃんと言えるの? どうせまんちゃんに質問したのも、まんちゃんで、六つ年下のコもまんちゃんなんでしょ? そうやって、寸劇さらすのもいいけどさー、ちゃんとだいじなことはオチに書いとかないと。妄想ですよって。ね? じぶんをおっきく見せようとするの、まんちゃんのかわいくないところだと思うよ。バレバレだから百歩譲ってかわいいって気もしないでもないけど。


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参照:いくひ誌。【321~330】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054882559089

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