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いくひ誌。【1511~1520】

※日々万能感に支配される、そのつど我執と絡めて閉じこめる。


1511:【アイツ】
いくひしさんの本質は傲慢です。基本、他人を見下していますし、他人よりじぶんが優れていると思っています。しかし、じっさいのところはそうではありません。いくひしさんの能力は平均より下回りますし、知能や知識もまた平均より低いです。じぶんはスゴイのだ、と思いこみたいがために、敢えて他人から評価される場へと能力をさらす真似をせずに、本気をだせばスゴイのだ、注目されさえすれば時代を変えるだけの成果物を仕上げているのだ、とじぶんに言い聞かせる日々なのです。なんと浅ましいのでしょう。どんなに低い評価しかもらえなくとも、他人からあれこれと品定めされる場に挑みつづけていられる人間は、ただそれだけで、いくひしさんよりもはるかにすばらしく、つよいです。他人からの評価など気にしない、と本当に思っているのならば、意固地になって、他人の目から隠れるような真似はせずに済むでしょう。本当は逃げているだけなのに、そんなじぶんを認めたくないから、人目につかない場所で、可能性という名の虚構に逃げこみ、さもしいじぶんの姿から目を逸らしているのです。いくひしさんの本質とは、まさにそれです。まったくなんと器のちいさな人間なのでしょうか。もちろん、逃げることはけっしてわるいことではありません。ときには、勝負に挑むよりも勇気がいります。しかしながら、逃げることはカッコわるいと思いこんでいるいくひしさんのような人間にとっては、逃げることは悪であり、ゆえに、逃げているじぶんを認めがたいものとして捉えてしまうのです。逃げるなら逃げるで、もっと堂々としていればよいのに、と僕などは思ってしまいます。きっとよほど、理想と現実のギャップが激しいのでしょう。どうあっても、そんなじぶんをじぶんだとは思いたくないようです。かっこわるくても、ダサくても、本当のじぶん、なんてものがあると思いこんでいるそのかわいらしい幻想も、すべてひっくるめて、いくひしまんさんなんですから。それでも僕だけはいくひしさん、あなたを見捨てたりしませんよ。だいじょうぶ。僕はあなたに期待なんてしていません。好きなようにサボり、好きなときに逃げ、そして気まぐれにちょっと背伸びなんかしちゃって、滑って、転んで、醜態をさらして、それでもまだ理想を捨てきれずにもがき苦しむ姿を、これからも見せてください。安心してください。いくひしさん。僕はあなたよりよほど人として歪んでいます。じぶんよりも下がいると思って、ぞんぶんに腐り、ひねくれ、ねじ曲がってください。あなたのかつてつむいだ物語のキャラクターも言っています。曲がっていても筋は筋です。あなたの道を生きてください。


1512:【ささめき】
そうやって人の弱みにつけこんで支配しようとすんのやめてくんねぇかなぁ。いくひしクンはあれで単純だからコロって騙されちゃうんだよ、ここぞとばかりに出てくんのも最悪だ。黙って深層心理に沈んでな。


1513:【繁栄とは?】
国家を存続させるためには国民が増えなければならない、という理屈はもはや旧世代の思想だろう。労働力を確保するために国民に「子を産もう」と働きかけるのは、国家の繁栄という意味ではむしろ逆効果である。すくない労働力でいかに国家を維持していくか、という点に注力していかねば、食料問題やエネルギィ問題など、人口増加やグローバル化によって生じる多種多様な問題に対処していけなくなる。もうすこし言えば、なぜ労働力を増やさなければならないのかと言えば、それは他国との経済競争があるためであり、けっして自国の発展のためではない。資本主義経済は、国家間の熾烈な競争によって容易く限界を迎える。いち早く、国家の発展と、他国との経済競争を切り離せた国が、今後の世界経済をけん引していくこととなるだろう。それは保護主義という意味ではない。競争に勝てばいいという理屈は、競争できる土台が築かれているうちは有効であるが、土台そのものが大きく揺らぎ、崩れつつある時代にあっては、勝ち負けよりも、より豊潤な土壌を耕せるか否かが優先されていく。土壌は、技術力によって養分を蓄える。労働力を求め、国民を増やし、そのけっかに、国内の経済が滞っては意味がない。少子高齢化も佳境に入っている。あと二十年もすれば、全体の人口はさらに減り、割合として、出生率が低下したとしても、子どもの数は少ないとは言えなくなる。高齢化だけが残るだろうが、同時に、定年退職してからも働く者が多数を占める時代がやってくる。働き方もいまとはだいぶん様変わりするだろう。労働者が高齢化していくため、身体に負担のかかる仕事は改善され、減少していく。また、徐々にではあるだろうが、労働と趣味の垣根はなくなっていくはずだ。嫌なことをするのが仕事だ、という意識は薄まり、人の役に立つことや、特技を活かすことが、仕事の意義としてますます謳われるようになっていく。インターネットなどの集合知と、AIによる機械学習の融合によって、社会からホワイトカラーが淘汰されていく。それ以上の割合で重労働者も淘汰されていくため、全体として、貧富の差はなくなっていく方向に国家は再編成されていくだろう。ただし、情報検閲や情報独占による既得権益の保護など、いくらでも現状の権力バランスを維持する抜け道はある。情報の価値が高まるにつれ、政治の不透明性は増す方向につよく傾くこともあるだろう。そうしたときに、理屈で、そちらはよくない選択だ、と国民の多くが見抜けるか否かが、このさきの未来において重要な課題となっていく。そうした知性の獲得もまた、国民への集合知の浸透が重要な役割を果たす。そして、社会に集合知を浸透させる場合、国民の数がすくないほうが有利なのである。集合知そのものは、全世界で共有されていくので、国民の数は集合知の精度にさほど影響を与えない。国民がより、知性を共有し、かつ議論しあえる国家が、これからの世界経済を中心となって引っ張っていくこととなる。どの国も、供給不足にあえぐなか、身軽な国だけが、商売相手に困ることなく、優位に立ちまわるようになっていく。国家の繁栄とは、国民の数ではない。ウィルスや細菌とは異なるのである。


1514:【ぶばれば】
おじゅがれじゃまでじゅ、いくひしでじゅ。ぎょうばぼう、ぐたぐたでじゅ。ぶばればー。え? あ、豚レバじゃないです。レバニラでもないですよ。いくひしがぜったいに言わない単語なので、ぶばればーって濁して言ってるだけです。いくひしがどれだけ、ぶばれでるのかは言わずにおきますけど、いくひしさんだってね、ぶばれぶんですー。ぶばれぶ、ぶばれぶ、言ってたらなんかおもしろくなってきちゃっていま一人で笑ってますけど。はい。まいにちつくるって言ってたショートショートのほうは、快調にあさっての木曜日で二週間目に突入です。げんざいは45480文字で、えっとー、何作だ? ちょっと数えてみますね。はい数えました。28作あります。あれ? おもったよりすくない。体感、まいにち三つはつくってた感じだったんですけど、そうでもなかったみたいです。よくあるよくあるー。たくさんがんばったつもりで、そうでもないやつー。あのね、いくひしね、曜日で、つくるジャンル変えてるんだよ。月火水木金土日ってそれぞれ、「SF」「百合」「ファンタジィ」「BL」「ホラー」「コメディ」「ミステリィ」って順番につくってるわけ。もうすぐ二週間経つけど、やってみて思ったのは、コメディむず!ってことだよね。むつかしい。コメディはむずいよ。あとね、ファンタジィもね、むずいね。つぎはミステリィで、あとはオチを決めなくていいからラクっちゃラクでごわす。なんでコメディがむつかしいのかは、あした並べよっかな。憶えてたらね。忘れて、へんなことまた、ぴーひょろぴーひょろ並べてるかもしんないけど。インスタのほうの「調べ屋」シリーズもなんか8月入ってからあんまり進んでない。こうなったら秘儀、ネタ寄こせの術を発動しよっかなって、まんちゃん思ってる。手当たり次第に知り合いに、「ネタくれー」ってメールするだけ。んで、いい加減にライン覚えろって怒られるやつ。あ、いくひしついにスマホ買いました。HUAWEIってメーカーのやつ。安かったので。でもぜんぜん使ってない。ガラケーでじゅうぶん。カメラの画質がいいので、ときどき使ってるくらいだな。ていうか、いくひしさん、知り合いいないからラインのしようがないし、だったら秘儀ネタ寄こせの術も発動したって意味ないじゃーんってとこまでが、きょうのネタです。あーよかった、きれいにオチた。いくひしさんが無駄にみじめになるだけであなたに楽しい時間を提供できて、あーよかった。よかったでしょ? よかったって言え! じゃなきゃいくひしさんみじめになり損じゃんかよー。ひどいよー。どいひーだよー。なんで逆に言ったんだよー。どいひー、は、ひどいー、の逆じゃないじゃんかよー、って鋭いツッコミはいらないんだよー。みんなもきょうは、ぶばれば? ぶばれでるんでしょ? がんばったんだね。えらいよ。きみはえらい。あすもきみなら乗り越えられるよ。いいことあるよ。いくひし、保障する。いいことなかったら、あしたもここに読みにきなよ。いくひし、アホづらさげて、えらそうなことからばかげたことを、なんの変わり映えもなく並べてるから。だからなんなんだよーって思った? いくひしもよくわかんないけど、まー、こういうひともいるのかーって思ったら、すこしは生きてくの楽になんない? なんないの? なって!!! おやすみー。


1515:【現実と虚構の境とは?】
小説だと、一人の作者がたくさんの人格を演じ分けて、書き分けて、意識を分散させていても、あいつ頭おかしいんちゃう?とは見做されないのに、日記風味だと、とたんに、なんかあのひとおかしくない?ってなるのは、なかなかおもしろい現象だなぁ、と思いながら、いくひしは、「いくひ誌。」を並べている。これが小説ではないとどうして言いきれる? おなじ文字なのに。


1516:【本気で言ってんの?】
いくひし君のさー、小説? 読んでみて、この作者あたまおかしいんとちゃう?って思わない読者がいると思ってんの? あ、思ってたんだよねー、ごめんね、気づかなくて。もうね、その時点でね、あたまおかしいんとちゃうっていうか、お腹の底からちゃんちゃらおかしいんだけど。


1517:【褒め言葉じゃない?】
あたまがおかしいって、作家にとっては褒め言葉じゃない? この作者のあたまんなか、どないなっとんねん、ってなったらそれってすごいことじゃない? まんちゃんの小説読んでそう思うひとがいると思ってるそのおめでたいあたまをまずはどうにかしたらよいのでは?


1518:【コメディむず!】
笑いには三つある。予想外の驚き、安堵、優越感、である。まずは基本的な傾向として、世のなかにある笑いの多くは、さげすみの感情を伴っている。ピエロを笑ったり、人の失敗を笑うのは、そこに、ある種の上下関係が築かれているからだ。言ってしまえば、優越感である。ひとは滑稽で未熟なものを笑う傾向にある。微笑ましいという言葉は、その語感のやわらかさに反して、じつはえげつないほどに人間のみにくい感情の機微を捉えている。荒んだ見方をしてしまっているのかもしれないが、そういった自覚はときに必要だ。プラスの感情だと思われている機微の根幹に差別が根付いていないとは言いきれない。なぜそれをおもしろいと思ってしまうのかには、意識を差し向けておいて損はないはずだ。じぶんより下の者への優越感からもれる笑いのほかには、安堵の笑みがある。これは、緊張からの気の緩みであり、ほっとしたので笑みがこぼれる、といったものだ。達成感と似ている。大きな仕事を終えたときに、思わずこぼれる笑みがあるだろう。それが安堵による笑いである。めったにないことだろうが、命の危機から脱したときも笑ってしまうはずだ。達成感との違いはまさにそこにこそあり、自力で何かを成し遂げずとも湧きおこる感情の動きが、安堵なのだ。目標と定めず、いつ切り抜けられるか分からない、といった状況から脱したときに安堵の笑みがこぼれる。案外、達成感を抱いたときには人は笑わないものである。粛々とよろこびを噛みしめるのだ。最後になったが、笑いの分類の三つ目である。予想外の驚きである。笑いの動機としてもっともポピュラーな要素ではないだろうか。人間は予想外なことに対しては、基本的には、不快に感じるようにできている。安定を好むのはなにも、人間だけではない。生物はみな何かしら、決まった環境や流れに身を任せることを好む性質がある。しかし、安定がいきすぎるとこんどはマンネリ化し、日々の営みそのものの活気が損なわれることもある。つまり、予想外の驚きで笑みが溢れるのは、そこに活路を見出すからである。こうなったらこうなるはずだ、との予測が、いい意味で外れたときにひとは笑うのである。そこには、安堵や優越感も含まれる。たとえば子どもの乗った自転車が崖の下に消えた。いそいで助けに向かうと、崖のさきはゆるやかな斜面になっており、子どもは笑顔で手を振っている。安堵で思わず笑みがこぼれてしまう。或いは、全身タトゥだらけの強面の男が近づいてきて、ちょっといいですか、と言ってきた。身構えていると、男は、子猫のエサ専門店はどこにありますか、と言った。思わず微笑ましくなってしまうのではなかろうか。或いは、パンケーキ専門店はどこですか、と訊ねられても、ほっこりしてしまうのではないか。悲観的な想像をめぐらせたが、結果として、そちらへは転がらず、よい方向に現実が修正されたとき、ひとは安堵や優越感によって笑ってしまう。ゆえに、人を笑わせたければまずは、不安や緊張感を強いなければならない。コメディのむつかしさとは、なんといってもそのさじ加減にある。あるていど不快な思いをしてもらわなければならないのだが、しかし行き過ぎれば、笑いに転嫁されず、ただ不快なままにしてしまう。そして、何を不快に思うのかは、現代ではかつてないほど人によりけりになっている。一部の人々を狙い撃ちするだけならば、ギャグでじゅうぶんである。拳銃のようにギャグは、笑いなさい、との命令を、それを受け入れやすい人々へ向け、発射することができる。だが、拳銃の弾は点であるがゆえに、多くの者を射止めることはできない。また、刹那的であるがゆえに、一過性の流行りで終わる傾向がつよい。ギャグとコメディの違いは、この、点と線のちがいで捉えることが可能だ。コメディは線なのである。したがって、ある種のゆらぎが含まれる。幅があると言ってもいい。そのゆらぎや幅が、広く人々へ笑いを届ける。反面、笑いの基本的な性質として、さきにも述べたように、予想外の驚きがある。いちど使った「予想外」はもはや、つぎには使えない。コメディのむつかしさはここにこそある。一期一会のハプニングだからこそ、喜劇は悲劇としておもしろい。負の感情をうまく自覚し、それを笑いへと転嫁する。予想外の驚きが、「安堵」なのか「優越感」なのかによって、その喜劇の質が決まるだろう。笑いの根底に差別意識があったとしても、それはそれで構わない。ただし、そこから生じる笑いが「安堵」であれば、差別を対消滅させる反物質となり、「優越感」で終われば、人格を滅ぼす麻薬として、自意識をみにくく肥大化させることになるだろう。もっとも、みにくい自意識もまた、自覚し、制御できれば、それはそれで愉快な喜劇となるのだろうが。


1519:【どうでもよいことしか考えない】
こんばんわ、いくひしです。きょうは涼しかったですねー。肌寒いくらいで、長そで着てくか迷っちゃいましたよね。ニット帽かぶって出て正解でした。自転車乗っても汗かかなくて、秋やーん、って思った。コオロギ鳴いてるし。でもじっさいは夏ってこんなだったよねー、みたいなツイート見て、あーそーかもーってなった。話は変わって、空調ってあるじゃないですか。エアコンも空調の一種で、ビルとか大きな部屋では空調がないと、快適に過ごせないし、サーバーがある場所なんか、機械が熱をもっちゃうとよろしくないので、やっぱり空調が欠かせない。で、さいきんは、ほら、AIブームがあるじゃないですか。空調の管理もAIでやりましょーよってなって、業界全体が、「えー? そんなんいりますー?」みたいになってるみたいです。や、知らんけど(←使ってみたかっただけ)。空調って、空気を吸いこんだり吐いたりするから故障が多いんですよね。異物混入がとくに多い。虫がね、多いんだって。虫さんだって、暑い日は涼しい場所にいきたいし、寒い日はあったかい場所にいきたいっしょ? で、空調は絶好の避難場所になるから、虫が飛びこんで、故障の原因になっちゃう。もちろん、故障にもいろいろあるわけで、そういうのをデータ化して、AIで今回の故障の原因はこれこれこんなで、場所はここですよー、みたいにしたら便利やん? みたいになってるのかなーって思ったらそうじゃないらしい。や、そういうのもあるっちゃあるみたいだけど、そんなん、けっきょく人間を派遣して修理するわけだから、二度手間やん! みたいな感想を持つ幹部の方々が多いようで、あんまり推進されてはないみたい。じゃあAIどこに活かすねん、ってなるでしょ? なんない? いくひしはなった。で、じゃあどうなのっていうと、空調のね、風の温度とか当てる場所とか、つよさとか、そういうのをね、人間が体感でリモコンぴっぴするんでなく、こう、熱源感知やら、赤外線センサーやら、なんやら使っちゃって、人間の動きなんか感じちゃって、自動で空調を管理しましょーよってのを、自社ビルにつけてよーって社長さんがおられるんだと。でもね、人間がピッピすればいいだけの空調が200万くらいだとすると、AIを使うだけで、すくなく見積もっても10倍はかかるんだって。2000万なんだって。ばかか。人間がピッピやってれば済むのを、自動で適温にしてくれるだけの装置つけるだけで2000万って、ばかか。思うよね? なんかもっときっといいことあるんでしょ、だからそんな投資するんでしょ、って思ってたら、ただ流行りに乗りたいだけの顧客が多いっていうなんともざんねんな現実がね。あるんですよね。そもそも人間の体感なんてひとそれぞれで、適温っていっても、大勢いるオフィスじゃ、寒かったり暑かったり、ひとによりけりじゃないですか。AIでコントロールしましょうよっていっても限度がありますよ。でもね、ちょっと考えてみたら、体感そのものはそんなに重要ではないわけですよ。結果として、人間一人がパフォーマンスを発揮しやすい環境になっていればよいのであって、多少汗を掻くくらいがよいなら、そういう温度設定にしちゃえばいいわけで。で、そういうパフォーマンスと室温の因果関係をデータとして蓄積するには、空調の管理にAIを取り入れるのがよいわけですよ。だから、これからのことを考えれば、2000万の投資もそこまでバカじゃないのかもしれない。とはいえ、きちんとデータを分析するつもりがあるのならって意味ですけどね。もうすこし言えば、空調も小型化していくだろうから、ひとりひとりの足元から、デスクから、風がでちゃって、個人に合わせた空調の管理もきっとできるようになっていくのでしょう。環境をデザインするという概念は、これから需要のあがるいっぽうのテーマだと思っているいくひしさんですから、空調の未来に興味はビンビンなのだ。とはいえ、無駄に高い技術力を持っているはずの現場の人間たちが、専門外の技術(AIの活用)となると、とたんに「あんなの使えねー」になるのは、どこの業界もいっしょなのだなぁ。大手の自動車会社といい、大手の空調会社といい、もっと社員に時間を与えて、世のなかの動向を見渡す余裕をもたせてあげればいいのに、と思うのだが、きっと余計なお世話なのだなぁ、と思って言わないけれど(いくひしが言ったところでどうにもならないが)。体育会系な社風で、部長クラスの人間たちが怒鳴りあう職場が珍しくないというのも、だいじょうぶですか?という気になる。いくひしさんには関係のない世界の話だからべつにどうでもよいのじゃが。というか、これも毎度おなじみ、いくひしさんの妄想なのじゃが。それはそれとして、セブンの「抹茶練乳氷」ってアイス、美味すぎでは?


1520:【機械化できない仕事は?】
AIやナノマシーン、3D印刷技術など、テクノロジィの発展に伴い、人間の仕事はどんどん機械に代替されていくと推測される。ともあれ、一挙に仕事がなくなるわけではなく、段階的に、かつ緩やかに、気づいたらいつの間にか変わっていたよねーといった感覚で、時代は移ろっていくと考えられる。なかでも、最後まで人間が担うことになる仕事は何かと言えば、それは掃除であるだろう、といくひしは考えている。裏から言えば、掃除を人間がしなくなる時代がきたならば、人間は労働から解放される。それはおそらく、人間のようなロボットが掃除をするようになるのではない。環境そのものが、掃除をせずに済む、汚れることのない素材や仕組みになっていくことで実現される未来であるだろう。部屋をまるごと水洗いできれば合理的であるし、また、家具や服飾の多くも、汚れの付着しない素材でつくられるようになっていくと想像する。細かなほこりや、汚れはどうしてもでてくる。そこは、ロボットの出番かもしれない。しかし、基本的に機械は汚れが苦手である。故障の要因の最たるものに、異物があげられる。本質的に、機械は掃除が苦手なのだ。たとえば、金属製品の加工を一つとっても、作業場にはバリやキリコが散乱する。加工の過程では大量のキリコがこんもりと出る。それらを自動で掻き集め、排出するシステムは実現可能だが、どこかで人間の手が必要となる。けっきょくのところ、掃除ロボそのものを掃除する人間は、ロボットが人間の仕事をすべて代替する日が訪れるまでは必要なのだ。機械が人間の手を完全に離れ、機能する日がくるまで、人間は機械の世話をしなくてはならない。それはいまでいう、酪農のようなものだ。家畜から自動で卵や乳を集められたとしても、牛や鶏の糞の始末は人間の手で行わなければならないのと同じである。そう遠くない将来、人間の仕事は、機械の世話をすること以外になくなるかもしれない。


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参照:いくひ誌。【1131~1140】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054885221119

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