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いくひ誌。【1361~1370】

※日々、だからなに?と問われつづける、死んだらそれで終わりなのに、と。


1361:【和風】
おこちゃま舌のいくひしさんは、むかしから和風よりも洋風の料理が好きで、三角食べとか、おせちとか、ああいったものが苦手で、あべこべにカツ丼とかカレーとか餃子とか、一品だけドン!みたいな食べ方が好きでした。いまでもあまり変わらないかも。お菓子もそうで、和菓子よりもケーキとかチョコとかパフェとかクレープとかアイスとか、あー並べてていまものっそいお腹減ってきたんだけど、とにかくそういうのが好きで。アンコとか苦手でしたねー。さいきんは苦手というほどでもなく、あれば食べますけど?みたいな高飛車な態度で挑めばお口に運ぶのもやぶさかではない。とはいえ、八つ橋は好きだし、抹茶味も好物だ。なかでもキナコの好感度ときたら、食べるときに咳きこむのも愛嬌だね、なんてあばたもエクボ並の依怙贔屓を振りかざしてしまうほどのハートマークなのだが、みなさん、キナコって、知ってます? あんがい知らない人もいるところにはいて、名前は知ってるけど食べたことないって人もけっこういるらしい。まじかよ。プロテイン食べるくらいならキナコでも食っとけ!ってギャグが通じないとか、まじかよ。そんなギャグがあるのかすら定かではない、まいどお馴染みいくひしさんのテキトーなこと言います日記ですが、もはやこのタイトルからしてテキトーすぎて、きょう今、初めてこの文字列を並べましたけれども。ええ。キナコですよね。どんな柄でどんな毒があるのかなーって想像してるそこのきみー! ちゃうよ、キノコじゃないから。キナコ! 学校の怪談にでてくる赤い服を着た女の子って、それは花子! さん付けしろよこのデコすけ野郎。キナコですから! 大豆が原料の、炒ってすりつぶして乾燥させた、お餅につけて食べると美味しい食材って、そりゃキナコ! 合ってた! キナコです。そうです。それですそれです。まあ、なんだ。キナコ好きってところから、こう、洋風と和風のちがいに絡めて、なにかいいこと言っとこうと思ったんだけど、前置きが長すぎて、今からまとめるのめんどくなっちった。なんじゃ? んー、こう、和風の柄ってあれだよね。書道的なデザイン要素があって、雷とか風とか水とか火とか、なんかそういう自然の片鱗を感じるいっぽうで、洋風はこう、どちらかというと幾何学的というか、人工的な印象がつよくない? そうでもない? そっか。ちがったか。んー。キナコが好きってだけじゃダメ? きょうのコレ、いくひしさんがキナコ好きだよーって告白するだけじゃダメかな? よくない? ね? べつにいいよね。だってどうせ誰も読んでないし。そうそう。なんでキナコの話題をだしたかっていうと、キナコにハチミツとかまぜて、練って、固めたお菓子、キナコ棒ってのがあって、それを食べたんですよ。美味しかったなーって思って、書くことないなーって思って、で、書いてみただけ。くっだらねーこと書いてんじゃねーよって思った? いくひしも思った。なんか気が合うね? キモい? まるで白い脳みそみたいな、魚の精巣みたいだって、それは白子! いくひしが言ってんのは、キナコ! ちぇんちぇー、なんかぶつくちゃうるちゃいのがわめいているのよさ、あっちょんぶりけ、ってそれはピノコ! いくひしが抜かしてんのは四の五! なんて御託はいいから新作さっさと結びなさいよ。はーい。ごらんのとおり、文章のキレのなさがすさまじく、いかにあっぷあっぷと、いっぱいっぱいなのかが伝わるようだ。キナコのきめの細かさに、栄養価の高さ、なによりその旨さを見習おう。キナコと見習おうで韻を踏んでみたけど、気づいた?


1362:【意識の有無】
植物に意識があるのか、と問うよりもまずは、人間に意識があるのか、を再定義したほうが建設的だ。外部入力された情報を元に出力される情報の枠組みを規定するアルゴリズム、とすればそれらしい。任意の振る舞いを、ある閾値内におさめる役割を担う「複雑系」と呼んでも差し障りない。だとすれば、植物にも意識はあるだろうし、地球にもあることになる。創発する物質の集合体は総じて、意識を宿す、とまでいくと、さすがにおおざっぱにくくりすぎではあるだろう。創発と創発による干渉によって、新たな創発を誘発するシステムと言い換えてもいい。この場合、人の集合体である人類もまた、それらすべてでひとつの意識を宿していることになる。(三十秒考えただけの発想です。なんら科学的根拠はありません)(ここでは、意識と自我を切り離して考えています。自己を認識せずとも意識の有無は定義可能です。生命反応と意識のちがいは、出力される情報の属性が異なる点でしょう。意識は飽くまで、外部入力された情報をどのように処理し、出力し直すか、という過程そのものであり、その過程を一定の枠組みに保つアルゴリズムそのものでもあるので、いわば回路と言い換えても成立する概念です。循環しながら繰り込みを促す一つの系こそ、意識ではないか、というここではそうした趣旨の発想です)


1363:【写真】
なんかあれっすよね。インスタはじめますよーって告知したじゃないっすか、前に。で、まずはインスタのアカウント登録しようと思ったんすけど、なんか本名入れなきゃ登録できないふうになってて、それって、え? みんな本名で登録してんすかね。いくひしヤなんすけど。個人情報、ぜったいに入れたくないんすけど。ツイッターとかピクシブとかでも、誕生日とかそういうの入力しなきゃいけない場合あるじゃないっすか。いくひしウソの誕生日しか入力してないんすよね。なんかコワいくね? アマゾンのほうはさすがに本名っすけど、やだなー、やだなーって、怖い話の得意なおっさんみてぇに、かったるそうに語るわけっすよ。で、まあ、アカウントのほうはあとでいいやって、まずは写真っすよ。どういうふうに運営してこうかなって、ただ撮るだけじゃ意味ねぇし、自撮りはヤだし、なんかねぇかなーって考えてんすけど。なんかある? なくね? どうすっかなぁ。とりあえず、坂が多いんすよね。ウチの近所ってか、半径十キロ圏内っていうか、まあずっとだな。この国、坂が多いじゃないっすか。だからまあ、坂をテーマに写真を撮ってくのもいいかなとはなんとなーく思ってはいるっす。べつに道だけじゃなくていいじゃないっすか。ななめになってりゃなんだって坂っすよ。猫の尻尾だってななめってりゃ坂だし、転がるボールだって坂じゃないっすか。じゃあ、ななめでいいじゃんってなってくるんすけど。なー、でも、ななめって、なんすかって話っすよ。ななめってなんすか? この世に傾いてないものなんてあるんすかね? ないじゃないっすか。もうね、この世はななめてできてんすよ。むしろ、この世イコールななめ、みたいなね。ななめに構えてんじゃねーよみたいな言い方もあるっすけど、あんなの、俺の傾きに同調しとけよ、って脅しみてぇなもんすよ。同じ傾きだったらそりゃー、おまえさんからすりゃまっすぐかもしんねぇけど、みたいな感じじゃないっすか。むしろおまえさんがななめってるって発想がない時点で、そうとうななめってるっすよ。写真だってね、ななめってたほうがかっくいいんすよ。ただ全部が全部ななめってると、こんどはぐるぐる目が回って、じれったくなって、もう、ちゃんと目線揃えてよって、やっぱり見てるほうからするとこっちに同調してほしいじゃないっすか。だからまあ、目線くらいは揃えてやってもいいけど?みたいな感じっす。そんなこんなでインスタ、来月くらいにははじめられるように準備しとくっす。まあ、あんまし考えずに、見てもらっても損をしないように、害のないような、毒にも薬にもならねぇようなものを載せてけたらなって。だってそうじゃん? 坂ってのはのぼったら、くだらなきゃなんねぇんだから。くだらねぇものこそ載っけてこうって思ったっす。


1364:【僕は唾液を呑みこんだ】
誰もがいちどは経験あるはずだ。ネットでじぶんの名前を検索する。たいがいは同姓同名のまったく異なる人生を歩んでいる他人の記事がヒットする。また、何かしら特殊な技能を持つ者ほど、自分自身のことが書かれた記事にいきあたる確率があがる。例外は犯罪者とその被害者くらいなものだ。きょうは後輩を家に呼んである。(つづきはこちらから→https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054886140394


1365:【つぎの物語構造】
海外ドラマやさいきん売れ筋の洋画を眺めてみると、三幕構成はもう基本中の基本で、ほとんどそれを主軸にしている物語がなくなっているな、ということが解ってくる。現在流行っているのはなんといっても、三局螺旋構成とも呼ぶべき物語構造だ(直近の映画では「アベンチャーズ・インフィニティウォー」がそれにあたる。また、海外ドラマでは「スーツ」シリーズが全編通してこの構成で話が進む)。これはいくひしの唱える多重構造の基礎的な構成と似ている(代表作としては「群れなさぬ蟻」がある)。任意の物語を三つ用意し、縄をよじるように、物語同士を交互に繋いでいくことで、一本の大きな物語を浮き彫りにする構成だ。使用する三つの物語は、それぞれ舞台や扱うテーマが異なるようにするのが基本だ。また、それぞれの物語では共通する問題が、各々別個の次元で用意されている。仕事、プライベート、過去の確執など、階層こそたがえど、同じような問題、たとえば対人関係や究極の二択など、抽象的に同じレベルの葛藤をキャラクターたちが抱くようにすると物語同士の連携がとれる。可能であれば、それぞれの問題が、一方では失敗だったが、その失敗のおかげで他方では解決に結びつく、あるいはその逆であったりすると全体の大きな物語にメリハリと脈絡ができ、きれいな螺旋構造になる。現状、書店に並ぶ小説本において、この三局螺旋構成を用いた物語は目立っていない。文芸局でこの構成に目を付けている部署がどれだけあるだろう。参考程度でいいのであたまの隅に置いておくと、時代の波に飲み込まれそうなときに役に立つはずだ。もっとも、すでに物語構造は複雑化し、つぎなる段階へと進もうとしている。後追いしているだけではただ波に飲み込まれるだけであろう。


1366:【書くことないver.何十回目】
あい、いくひしです。ちわ~。なんか上の記事で偉そうなこと抜かしとるあほがおりますが、気にしないでください。ときおりね、もう一人のマンちゃんがいらんこと抜かすので、えいって懲らしめときますのでね、コラーってしときますので。ええ。なぁ~にが多重構造だ。多く重なっとるんはおまえの失態に醜態にムエタイやぞって、ムエタイはタイの格闘技! へんな茶々は入れないでほしいよ! まったくもう、へっぽこぴーなんだから。そうそう、いくひしさん、よーやっと新作の推敲を終えまして。あした表紙つくって、まえがき並べて、あさってには更新できるはず、たぶん、だったらいいなぁ、なんてな!(なにがだ) 今回はですね、あ、新作の話ですけど、なるべく心理描写はすくなくして淡々と物語を転がしております。で、視点をちょっと工夫してみたくて。実験ってほどではないのだが、いくひしさん、三人称一視点の書き方が三パターンありまして。神視点寄り、一人称寄り、主語省略書きの三パターンです。自作において、神視点寄りは、「僕の内部をじかになぞって。」がそれですね。一人称寄りは「この女、神。」「改悪∞今昔物語」「改悪∞異類婚姻譚」などです。最後に、主語省略書きは、「攻殻機動隊アンソロジー【狂言師は廻る】」「網膜の住人~仮想世界に魔法をねがい~(特捜見習いの章)」がそういう書き方をしているぞ。で、今回、な、な、なななななな、なんと! 「リモコ~世界凍結系女子の遊覧~」ではそのすべてを場面ごとで使い分ける手法をとっているのだ。ザ・作者の自己満足! 読みやすくなってほしいというか、臨場感というか、よりおもしろくなってほしいという願いを込めてみたが、込めてみただけだ。三年後とかに読みかえしたときに、なかなかやるじゃん、と未来のじぶんに思ってもらえたらいいなと紅茶をすすりながら優雅に椅子にふんぞりかえっておるぞ。腰いたいねん。ついでに今からホットケーキを食べるのだ。うまうま。そう言えばそろそろツイッターはじめて一か月経つかなーっと思ったらあと五日ある。げんざいプロフィールへのアクセス数は13034回で、平均すると一日400~500アクセスあることになるのだが、多いのかすくないのかは、比較対象がないのでよーわからん。フォロワーすくない割には善戦している気がするぞ。自慢みたいになってるかもだが、一言もつぶやいてないので、いくひし要素は皆無だ。虎の威を借る狐どころか、虎の威を羅列してる名無しでしかないぞ。自作小説のPV上昇率から考えると、ヒットアンドランみたいに、いくひしのTLをちらっと覗いて即バイちゃって感じがビンビンだが、ちょっとでも多くのひとに絵描きさんのステキな絵を見てもらえるのは、しょうじき、自作を読まれるのとは別種の多幸感がある。というか、まったく罪悪感のない、純然たるよろこびで、表現者として言ってはいけないことなのだが、しょうじきいくひしの小説は読まなくていいので、リツイートしたステキ絵やおもしろ漫画をもっと評価してよ!と思うのだが、そういうこと言ったらあかんぞ。ステキ絵やおもしろ漫画を読んだついでに、ついででいいので、ちょこっとだけ、ちょこっとだけでいいので、いくひしのつくった小説の冒頭、否、否、最初の一文字だけでも、ちらっと、ほらっと、読んでみてほしいぞ。くどい! くどい? くどーい!!! あい。もちろん、無理、合わない、と思ったらぜんぜん、ぽいってしてもらって構いませんので。あー、くどいな。はい。たぶんいくひしのツイッター覗いてる大半の方は、いくひしがリツイートしたり大量にファボしたりして、なんやねんコイツ!とかオデコに青筋浮かべて、どんなやっちゃねんって腕まくりしながら覗きにきてるだけだと思うので、そうそう、大半はいそがしい、暇などない方ばかり、それこそ、どこの馬の骨ともしらぬ愚か者の小説に目を通すなど片腹痛いわ!ってなる方ばかりだと思うので、そういう意味では、リツイートするなら暇人相手に奇跡の一文、つぶやきにしたほうが見返りは大きいのだが、べつだんそういうつもりがあるわけでもないので、や、すこーしくらいはありますけど、だったらもっといい方法はたくさんありますし、ぜひぜひ、ステキな絵とおもしろ漫画を、いくひしの作品ではないですが、世のすばらしい絵描きさんたちの創作物を見て、正当な高評価をしていただきたいな、と思っておるぞ。きょうはいちだんとくどいな。とりあえず、今月中に中編もう一つか二つあげられるように調整しておくぞ。じぶんのために! ザ・自己満足! 底なしの!!! ばいちゃ!


1367:【SNSと小説】
SNSが普及したおかげで、いまでは共通の議題を、不特定多数の人物たちが議論し、その過程から結論までを含めて、多くの者たちが同時多発的に追うことができるようになった。かつてはその役割を担っていたのが小説だった。小説の役割の一つを、現在はかんぜんにSNSが代替している。それだけでなく、小説では不足していた複雑さ、多様さまでをもSNSは補完していると言っていい。小説が売れなくなった背景には、機能性として、SNSに勝る要素がなくなってきているからだとする見方は、一つの懸念として押さえておいて損はない。では、SNSにできず、小説にできることは何か。SNSが特化しているのは情報量の多さ、そして幅広いキャラクターだ。反面、雑然とし、まとまりがない点が瑕疵として目立つ。だがそれも、まとめとして一連の流れを編集する者たちの登場により、おおむね解消されているのが現状だ。では小説はSNSに勝てないのか。現在進行形や過去の出来事についての見識に関しては、個人が集合知に勝ることはできない(もちろん集合知は万能ではないが)。集合知たるSNSを利用すれば、それより優れた小説ができるのではないか、という指摘は、半分当たりで半分間違いだ。インターネットを小説の素材集めに利用することは有効だが、それは飽くまでこれまで行っていた取材の効率化が進むという意味でしかなく、SNSへの対抗策としては充分ではない。SNSにある情報ならSNSを見ますよ、と需要者から言われてしまえば、それ以上食い下がることはできないためだ。ではどうすべきか。現在の話題、そして過去の議題においてSNSに勝てないのだとすれば、あとはもう、未来における問題を想定し、議論を煮詰めるほかに術はない。これからの小説家におかれては、まだ世の人々が気づいていない問題に焦点を当て、思考実験を繰り返し、それら無数の筋道を物語を通して、体系づけることが、SNSへの対抗策として欠かせないエッセンスとなっていく。結論をだす必要はない。こういう場合はこうだが、こういう場合はどうだろう。キャラクターと共に考え、読者と共に、つづきの筋道を導きだす。まとめられたSNSの記事が、個人に語りかけることはない。しかし、小説は読者にじかに語りかける。SNSになく、小説にある利点としては、それくらいのものだろう。やがてSNSのつぶやきだけを素材として編纂される物語もでてくるだろう。そうすればもう、小説がSNSに勝てる要素はなくなる。ともすれば、SNSと小説の区別はなくなり、融合する未来が見えてくるのかもしれない。あと100年もすれば、いま溢れているSNS上の情報の多くからあらゆる権利が消失する。なればそのさきに、これら無数の言葉を掻き集め、物語として編みこむ者がでてきても驚きはしない。或いは、作者としての権利さえ主張しなければすでに存在しているかも分からない。それが人間である必然性はない。関連付けられた言葉をまとめるのが得意なのは、もはや人間ではない時代なのだ。


1368:【新作更新】
新作更新しました。「リモコ~世界凍結系女子の遊覧~」です。八万八千字です。超能力に目覚めた少女の話です。まえがきは、いちおういちど並べてみたのですが、なんか微妙だな、と思ったのでボツにしました。新しくつむいでもよかったのですが、ない小説もあったほうがいいかな、と思い、今回はナシにしてみました。しばらく経過を見守って、やっぱりつけたほうがいいかな、と思ったら補足するようにしたいと思います。https://kakuyomu.jp/works/1177354054886159948


1369:【ミステイク】
本日の失敗は、メロンパンをオーブンで焼いて食べようとしたら、スイッチを間違って押してしまい電子レンジが起動して、金網を敷いていたこともあり、せっかくのそとはカリカリ、なかはモチモチのメロンパンがカッチんコッチんになってしもうたことです。わいの夕飯が~~。もうなんもやる気起きん。やだ。やだやだ。やだやだやだ。駄々っ子になってしまう。陸に打ちあげられたクラゲみたいに、ぐてーってしてやる。ってゆーかさー。ツイッターやってる小説家、プロのね、専業で食ってけてるお方々。いいもん食いすぎじゃね? 見てるだけで腹減るし、腹立つし、煮える煮える、ぐつぐつと。噴きこぼれた分でまた腹減るわけでしょ? ふっじゃっけんなし。これ見よがしに写真なんかアップしやがって。まじで。食いもんの恨みはおそろしいからな、おぼえてろよこんちきしょー。まあね。見なきゃいいんだよね。見なきゃいい。そうだよね。かってに覗いて、かってに憤慨して、なに一人で孤独百面相やってるのって、そうなっちゃうよね。うっせーーー!!! ぱーか、ぱーか。コンプライアンスとかポリティカルなんとかレスとか、そんなん知るか―! こちとら腹の虫の居所がわるいねんのんじゃ。ジタバタ、むしゃくしゃ、シャクトリムシや。くんねん、くんねん、器用に身体折り曲げて、伸ばして、折り曲げて、伸ばしてって、にーに、さんしって、ラジオ体操か! じゃかーしーわ! スベってますねって、ふっじゃっけんなし、まじで。てな感じで、きょうはキレ芸に挑戦してみようと思ったんですけど、向いてなさすぎた。向いてないよね? やー、ミスセレクトでした。キレ芸はやっぱり、本気でぶち切れてナンボじゃないですか。観客は冷静なのに、なんで怒ってんの? 器ちっさ、みたいな空気のなかで、一人カンカンぽっぽーって頭から湯気を噴きだしてるから面白いのであって、基本、こうやって語りベースでのキレ芸ってただ不快なだけだったりするんですよね。やってるほうもむなしいし。やーめた。陸に打ちあげられたクジラみたいに、ぐてーってしてやる。って、そこはクラゲじゃねーのかよ! てなミスを以ってほんじつの「いくひ誌。」の結びとさせていただきたい。雑だな。わるい? ごめんねー。


1370:【短編メモ】
お風呂に入ってきたら、あとでつくります(2018・6/17・22:53)。メモ「忘れないで。あなただけは虚偽(うそ)じゃない」(短編の場合は、いちどあたまのなかに、始まりから終わりまでの映像が流れて、場面をもういちど再生させながら文字に落としこんでいけば完成します。上記のセリフは物語の核となるセリフです。長編の場合は、場面ごとにつど、終わりまで映像が流れますが、もちろんキャラクターたちだって途中でどうなるかくらい予測できるわけですからそうならないように行動しようとしますよね。すると未来が変わり、想定していた場面とは異なる物語がまた動きだします。作者の敷いた運命にキャラクターたちはいつだって抗っているのです。そして作者はさらにつよい運命をキャラクターたちに強いなければなりません。どちらが勝つかは、最後まで分からない、そういう物語を編んでいきたいです)


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参照:いくひ誌。【951~960】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054884575825

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