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いくひ誌。【1121~1130】

※日々実力のなさに打ちのめされていく。


1121:【目に見えない技術】
具体的にここがすごい、と指摘できる何かしらで勝負できるのはよくて五年だ。それ以上、たとえば十年を越えて成長しつづけるためには、いわゆる感性やセンスといった曖昧なものの介在が不可欠になってくる。またそうしたあやふやで数値化しにくい何かしらは鍛えるのが難しい。ある一定のレベルより上にいくためには、その見えない何かしらを掴み、こね、熟成させるよりない。同時に、その見えない何かしらが何であるのかを見定める目を養うこともたいせつになってくる。けっきょくのところそれは、見えない何かしらを視ようとすることでしか身につける術はなく、その見えない何かしらとはつねに、具体的な事象を辛抱強く観察することでしか視えてこないのだろう。


1122:【リンクリング】
量子もつれによる光子の対反応は、光が物質(粒子)ではなくある媒体を伝う波だという何よりの傍証ではないだろうか。円形に伝播する波は、円の中心を通る任意の直線を引いたときに、円周上にて対極する二点を結ぶ。たとえばそれは地球をきょだいな円として考えたときに、地軸があるために南極と北極という対極点をもつことと似た現象と呼べる。むつかしく言っているが、ことは単純だ。光は時空間の有様に関係なく(真空中では)速度が一定だ。物理世界においてもっとも速い現象でもある(宇宙の膨張速度よりは遅いが、これは物理世界の範疇でないため、対象にしない)。光はどんな場所においても一瞬で、波紋を最大化する。そのため、光を観測する者からすると、じぶんを中心に二つの対極点をみつくろうことができる。光の発生点こそが中心ではないのかと違和感を抱く方もおられるかもしれないが、さきにも述べたように光は空間と時間に作用されず、どんな場所でも一定の速度かつ、最速で波紋をひろげる。どこを中心としても同じような現象として観測されるのである。よって我々人類が光を観測すると、二つの粒子が同時に発生して映る。それらは同じ性質、エネルギィ(或いは対となる情報)を持つように「ふるまって」観測されるのであるが、そのことと光が粒子として存在することはイコールではない。光は未知の媒体(いわゆるエーテルではなく、ゲージ場のようなもの。現状ではそれを電磁場として解釈されているが、まだ何か足りないような気がする)を伝う波(ゆらぎ)なのではないかと憶測する次第である。


1123:【しょっく】
じーてーんーしゃーがーこーわーれーた!!!(だるまさんがころんだのリズムで)。きょねん買ったばっかやぞ。おととしも二台買ったから三台目やぞ。あした買ったら四台目やぞ。買いすぎや! ほんとかんにんしてー。三万ぽーんって飛んでく。おまえマジで、時期をかんがえろと。壊れていいタイミングやないぞと。いくひしさん、金欠で貧血で倒れても知らんぞー。まいにち16キロをキコキコしてたらそりゃ壊れるかもしれんけどさー。一か月でだいたい480キロ? 東京から大阪まで行けちゃうやろー。しんどい。きょうとか歩いたからな。途中で壊れて、10キロくらい歩いたからな。いくひしさん、荷物半端ないから、足パンパンや。タイミングをかんがえろと。ほんとないわー。泣く。


1124:【スキル不足】
大技を極めるよりも、全体としての美しさで勝負できるようになることが、すなわち成熟であり、極致なのだろう。流れであり、緩急であり、律動であり、余韻だ。そこに至るためには、やはりというべきか、大技をこなせるだけの基盤が必要となる。削ぐためには、余白が入り用だ。模るための素材を築きあげることからいつまでも逃げてはいられないのだ。楽ができるのは、坂をのぼったことのある者か、乗り物(道具)を手に入れた者だけだ。しかし下り坂のほうが負担がかかるし、自転車だっていずれ壊れる。


1125:【わすれた】
日記の書き方わすれた。なに書いてたっけってなってすこし前の「いくひ誌。」ちら見したら、あたまのよろしくなさに首もげた。いくひしってこんなアホだっけ、ってなった。いやアホなんですけど、こんなにー?ってなる。あ、さいきん映画観てないなーって思ってて。なにか観たいなーってなってるので、おすすめあったら教えてください。念じたら届くぞ。いくひし超能力者やから。ぴこーんつって、そらとか飛べる気がする。気がするだけ。だめ? だめかー。思ったんだけど、いくひしさん、じぶんのこと語らなさすぎて、性別とかもじつは不明なままなんじゃないかとすこしばかし不安になってきたとまでは言わないけど、でも判るよね? もうこんな文章並べてるんだから、性別はこんなで、顔はこんなで、背はこんなで、こんなんでこんなでこんなだろーなってこんな? くる? こない? きてよ! というわけでね、いくひしさんの性別は、いくひしさんとしか言いようがないし、性格もいくひしだし、顔もいくひし、背だっていくひしだし、文章もいくひし。でも本当は、イクビシなんだよって、さっちゃんはね、さちこって言うんだほんとはね、ってな具合で、またくっだらねーことまいにち並べていこっかなって。さっさとイマ手がけてるやつ手癖でぽいぽーいって済ませて、ちゃっちゃとつぎのやつにとりかかりたい。なんかね。本腰入ってない。よくない。おもしろいこと見つけていこう。見つけたら教えて。念じたら届くから。いくひし、超能力者やから。オーガニックやから。無農薬やから。無能やから。っておーい、能力ないんかーい、みたいなね。書き方わすれてオチのキレがざんねんなことになってますけど。ざんねんなのは器のちっささだけにしておきましょう。でも器が大きけりゃいいってもんじゃなし、ちっこかったらすこしの量でも山盛りに見えて得したきぶんになる、そういう視点をこそだいじにしていきたいね。ほんとかー? 適当なことを言いすぎな、いくひしまんでした。ホントひっでーなオチ。


1126:【ぱりんこ】
ぱりんこっておせんべいがおいしい。おつかれさまです、いくひしです。ここ三日くらい、寝る前におふとんにくるまりながら、枕電灯の明かりでぽわぽわしつつ、森見登美彦さんの「四畳半神話体系」読んでまして。いや、すごいっす。再読なんですけど、圧縮力のちからこぶときたら、フタコブラクダにひけをとらないぽっこりっぷり。あかちゃんのおしりかってくらいぷりぷり。ゆびでつついて、ちょろろーって飛びでた中身を大口あけて受け止めたい。おなかぱっつんぱっつんになるまで飲み干しちゃうから。水ルフィ!なんつって、クロコダイルと戦います。かかってこいやー! 食器洗いとか、掃除とか、基本いくひし嫌いなんですけど、冬場は割と率先して食器洗う。なーんでだ? ちめたくなった手をね、お湯につけてあたたまろーって魂胆。こんたんってなんかかわいいな。猫飼ったらなまえ、こんたん、にしよう。きょうは「不滅のあなたへ6巻」買ってきたので、四畳半神話体系を読み進めがてら、ぬくぬくします。けっこう買ったまま放置してるマンガ多くて。小説もあんま読めてない。三十冊はないはず。たぶん。インプットできてないの、なんでかなーって思ってたら、さいきん、新しい曲を発掘してなくてですね。なかなか頭が切り替えられない。いくひし、曲を聴くことで、頭のなかの波長を変えてくタイプのなんかなんかなので、それがないとちょいとばかし苦労する。まいにち同じ調子になっちゃう。おすすめの曲あったら教えてください。おすすめってか、あなたの好きな曲。念じたら届くので。いくひし、調子者なので。超能力者ではないですけど、お調子者なので。チョーしか合ってないけど、それっぽいこと言ってみた。それっぽいのそれが何を示してるのかは謎だけど。はぁ。適当なこと言うのなごむ。ちょっとさいきん真面目なこと並べすぎたよね。いや、適当なのは相変わらずなんだけど、真面目な顔してるのよくなかった。もっと変な顔しながらうーみょろうーみょろしとくべきだった。イマ変顔しながらこれ打っとるからね。チミも変顔しながら読んでくれよな。周りにひとがいないか確認するんだぞ。変な顔陳列罪で捕まんないようにだけ注意してな。奇抜なのは顔だけにしとくんだぞ。服装まで奇抜だと、パリコレに引っ張りだこになっちゃうから。いくひしさんはパリコレなんぞに行かずに、おこたでぬくぬくしながらぱりんこをぱりぱりしてたいのだ。パリコレではなくぱりんこでぱりぱり。どう? オチっぽい? 落ちた? ほんとにー? おっけー? おっけーでましたー、よっしゃー、やったー、わーい。え、なに? 寒い? 凍えるって、冬だからじゃない? あったかくして寝るんだぞ、おやすみ~。


1127:【編集者不要論?】
編集者が必要か否かという話題がネット上で散見される。突き詰めていけばそれは、読者が必要か否か、の話になっていく。本がでる、でない、はビジネス上の問題であって、創作とはまたべつの議題だ。また、出版社を介して本をだす以上、組織の内部の人間を納得させなければならないのは何もおかしいことはなく、どれほど理不尽な条件を突きつけられても、それに応えるのがプロである。むろん、その仕事を引き受けるか否かは、選択の自由があってしかるべきだ。断る権利を保障するためにも、仕事を持ちかける側にはある程度の説明義務、そして職業倫理を備えておいてもらいたいと願うのは何もおかしなことではない。これからは独占禁止法も適用されるようになる。ビジネスとして不誠実な風習は是正されていくだろう。作家もそれに応えていかねばならない。締め切りを守るのは、最低限こなすべきことの一つだ。


1128:【痴漢の認識のちがい】
人によって思い描く痴漢像は異なる。いわゆる手で身体を撫でまわすような痴漢像と、じっさいの痴漢の実像とのあいだには幅がある。じっさいの痴漢のほうが幅が広い。腰をぐいぐい押しつけたり、不必要に密着したり、髪の毛の匂いをあからさまに嗅いだりするのも痴漢の一種だ。痴漢をしたことがない、という認識にどこまでバイアスがかかっていないかは検証の余地がある。


1129:【しんせつ】
息を吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー、はい止めて。五億年くらい。化石か! お茶がおいしい季節ですね、いくひしまんです。きょうのテーマは新雪と真説と親切です。言っておいてなんですが、あんまし関係ないかもしれません。いきなりですけど、アンケートとります。いいですか。きょう土曜日だと思ってたひとー? はーい! いくひし、きょう土曜日だと思ってた。気づいたら日曜日だった。まじかー。きょうあと一時間十五分で終わっちゃうけど、土曜日だと思ってた。あとね、銀行とかで書類に年月日とか記入するとき、何日だっけってなるひとー? はーい。詰まってると窓口の職員さんに小声で、16日、きょうは16日です、ってヒントもらう。ヒントってかまんま正解。やっさしー。ありがとごじゃいます、って顔赤らめてお礼言う。あとは、とっさに簡単な計算ができない。四万÷五百とかね。二百じゃないっすか、なんて言っちゃうけど、八十だから。倍以上ちがうから。はずかちー。わかんないなら解んないって言えばいいのにね。ゆっくりやればできるんだよ? 誰もいないところでの暗算ならそこそこ、小学生くらいのレベルならできるんだよ? でもなんかひとに見られてるとダメ、意識が相手にいっちゃう。そういうことあるひとー? はーい。世の中、やさしさでできてるなーってひしひし感じる。でもいくひし、やさしくされるたびに、おまえはよわっちーなーって言われてるように感じて、すこししょげる。じゃあ厳しくされたらどうなのっていうと、やっぱりヘコんじゃうし、めんどくせーのー。コイツ、マジめんど。って思われてるかもしれないって考えて、やっぱりヘコむ。病んでなーい。べつに病んでないよ。気にしない、気にしない。いんだ、いんだ。どうせあと八十年もしたら生きてないから。三十年後に生きてるかもわかんないから。ひょっとしたら一年後には死んでるかもしれないし、あした死ぬかもわかんない。こわくない? ねー? なんかこわいんだけど。死にたくなーい。だっていくひしまだ裸で誰かと抱きあったこともなければ、楽しいことをコレたのしーねーってわかちあったこともない。かなしー。やだよ。いくひしだって愛ってステキって言いたいもん。愛のステキなところ知りたいもん。死にたくなーい。めっちゃ長生きして、たのしいことだけしつづけたーい。でも眠るようにぐっすり死ねたらそれはそれでしあわせな幕切れかもしんない。要はいくひし、苦しみたくないのだ。死にたくないのではなく、苦しみたくない。イヤなことしたくないし、イヤな目にも遭いたくない。生きていたいわけじゃない。楽して、きもちよくて、対価としての苦しみがない状態がずっとつづけばいいって思ってる、ただそれだけ。それってじつは、死ぬことでしか適わないのかもしれない。楽して、きもちよくなってるときに、その瞬間を永遠にするために、そのままぐっすり死ぬ。それが理想ではないことは頭じゃ解ってるけど、それ以外にその理想にちかい状態が浮かばない。いったい何がしたくて生きているのだろう。何もしたくないのに、何かをしつづける。生きるというのは、何かをつねにしつづけるという強制のうえに成り立っている。やめることは適わない。死ですら例外ではない。死んでなお、〈私〉だったものは、変化しつづけ、引き継がれ、〈私〉の残した影響を、かぎりなくゼロへの極限へと押しやりながら、希薄になりつづけていく。消えることは適わない。生きてしまった以上、もうそれを消し去ることはできないのだ。生きてしまった以上、死なずにはいられないように。死んでしまう以上、人はもう「生」からは逃れられない。生じてしまった以上、変化しつづけないわけにはいかないのだ。影響しつづけること、影響を及ぼし、及ぼされ、それら総じての繋がりが、つぎなる「生」を編みだしていく。息を吸って、吐いて、吸って、吐く。その繰り返しの連続が、息吹となって自我を繋ぐ。あなたと、私と、私たちへと。いまは冬、お茶のうまい季節。


1130:【ふち】
抵抗とは作用による変化の遅延だ。異なる系が干渉しあうことで、そこには波が生じる。波とはゆがみであり、遅延の連続体だ。新たに生じた波は、余白として展開され、そこに新たな系の組みあがる余地を湧出する。遅延は遅延を生じさせ、段階的に、かつ立体的に新たな余白を展開していく。ミクロとマクロとでは視点が異なるだけでなく、じっさいに世界そのものの階層が異なっている。水と氷と水蒸気、それらを構成する分子にちがいはない。にも拘わらず、どういう密度で分子が互いに干渉しあうかによって、全体の性質に差異がでてくる。水と氷と水蒸気とでは、遅延によって生じる余白の階層が異なっている。余白と余白は一階と二階のように分離しているわけではなく、明確に区切ることができない。螺旋構造のような、どこからが上層部で、どこからが下層部なのかの区別がつきにくい。或いは、雲と雨の境目、宇宙と地球の境目のように。互いに重複しながら、余白は系を展開し、系はあらたな余白を、別個の階層に展開する。すべては遅延がもたらすゆがみの螺旋であり、本質は余白や系そのものではなく、ましてやそれらを構成する還元可能な点でもない。重複する割り切れない茫洋とした繋がり、系と系、余白と余白、層と層を結ぶ曖昧な部位にこそ要素の素たる「因」がある。それは雲のように掴みようがなく、大地のように確固とした足場を築いている。


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参照:いくひ誌。【231~240】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054882083997

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