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いくひ誌。【861~870】

※日々えーっと、なんだっけ?


861:【囀る鳥は怪物アカデミアピース】
ヨネダコウさんの漫画「囀る鳥は羽ばたかない1巻」を読みました。完敗。もうね、勝てる要素ないっす。勝ち負けじゃないってのは重々承知の助なんですがね、勝てる要素が皆無っす。まいりましたーっつって土下座ですよ土下座。なんだったら組体操みたいに土下座ピラミッドつくってシャンパンタワーさながらに乾杯したいくらいのまいりましたっぷり。脱帽というか、脱法ですよね。名実ともに危険ドラッグですよ、ヤクザの話でもありーの、BLでありーの、ぶっこんでくるエピソードの無駄のなさにやるせなさ、構成の妙がハンパない。ちょっとした伏線回収が、ほんと、さりげないのに、効果抜群で、あからさまに伏線張って回収してドヤ顔してたじぶんが情けない。完敗ですよ完敗。もうね、なにゆえ1巻しか買ってこなかったのかと。なに様子見しとるんだと。じぶんの浅ましさに嫌気が差しますね。だってデビュー作を散々褒めちぎっといてですよ、「どうしても触れたくない」をあんだけ絶賛して、昇天して、カルチャーショックを受けといてですよ、なにゆえまとめて全作品を購入してこなんだって話ですよ。お金がないんですよ。でもそういうこっちゃないんですよ。もうね、とうぶんBLは描けないなってくらいの才能の差を感じました。真似できない。真似したいのに、できる気がしない崖っぷちを体感してる。あーあー、軽くトラウマになりそう。そんくらいの衝撃です。まだあと5冊も弾丸が残ってる。生き残れるか心配です。いくひしの作家生命、ぽっきりいかないといいけど。いつもは読んだ順に所感を投じているのだけれども、ちょっとあまりの衝撃でしたから、まずはこれを出しとかないと消化不良起こしちゃってたいへんだから、とにかく言葉を並べておきました。引きずらないようにしましょうね。はーい。つぎにまいりましょうか。えっと。藍本松さんの「怪物事変3巻」ですね。徐々におもしろさがヒートアップしていく感じが快感です。2巻までは、いくひしが個人的にツボだなーって具合だったのが、3巻に入ってから、ワンピースとかしか読まないよーって人たちにもおすすめできる仕上がりになってきてる。担当さんが替わったのかな?ってくらいの変貌ぶり。ひょっとしたらおもしろい映画でも観ちゃったのかなーなんて想像しちゃいます。コンちゃんがね。とくにいいんですよ。何より今回、狸さんを引っ込めたのが正解だった気がしますね。真っ当すぎますからね。ちょっとああいうひとには引っこんでてもらったほうが、話が変動しておもしろくなりますよ。ふがいない感じの師匠にはここぞというところでおいしく出番をかっさらってもらったほうが物語にハリがでますよね。学べるところの多い作品です。で、つぎはですねー。堀越耕平さんの「僕のヒーローアカデミア16巻」です。相変わらず、トンデモナイですね。誰を主人公にしてもおもしろい。脇役がぜんぜん、脇にいない。いくひしぞっこんの「トガちゃん」も登場して、しゅぱしゅぱおめ目がギンギンです。あといくひし、鬼とか人外とか、肌色派手系女子やツノ生えてる系女子が性的嗜好にドンピシャでして、そういう意味で、今回主人公を張っていた切島くんももちろん大好きになっちゃったけども、その幼馴染ポスト、芦戸三奈ちゃんが16巻の今回は、今回のなかでは、イチオシです。ほんのちょっとしか出てこなかったけどね。あとデブ先輩の本気モードも忘れちゃならない、ちょっと胸にこみ上げるものがありましたよ、敵のラッパ先輩もカッコえかった。まぁいくひしはトガ姫一筋ですけれどもね。げへへ。ヤンデレヘンタイ女子、好きなんです。最後になりましたが、言わずと知れた尾田栄一郎さんのマンガ「ワンピース87巻」です。あーもう、しょうじき文句を言いだしたらキリがない。こまごまして見にくいだの、キャラが覚えられないだの、視点があっちこっち散らばってついていくのがやっとこさだの、ほーんと文句だけで一夜を共に越すのなんておちゃのこさいさいよ? なのにそれだけ詰めこんだマイナス要素の、何億倍も長所に美点に追加点、いいトコ挙げてくだけで年が暮れちゃう、溢れちゃう。もうね、おもしろーい、と書いてワンピースと読んでいい気がする。さいきん広辞苑が新しくなったでしょ? あれね、つぎに更新されるとき、おもしろーい、のところに、愉快なこと、またはワンピース、って記載されること待ったなしだね。なんたって漫画界の鬼才も鬼才、天下の尾田栄一郎さまの唯一無二の連載作品だってんだから、これはもう、どれだけ文句を積み重ねてみせても、それだけでたいへん有意義な時間の潰し方になっちゃうよ。どうあっても娯楽になる、エンターテインメントの鑑だね。いくらヨイショしてみせても、もはやただの正当な評価にしかならないときたものだ。褒めちぎり甲斐のない、ナイスガイ、「ワンピース87巻」でのいくひし的ベストショットは、ナミさんの、「用済みなんだからさっさと死ねばいいのに」(うろ覚え)でした。


862:【ベクトルの方向】
じぶんと比べてレベルが上の成果物を見て、「すっごーい! とぅき!!!」となる場合と、「がーん! 死ぬ!!!」となる場合がある。双方の違いは、いくひしがプラスに思っている要素を、さらに上の次元で磨きあげているか否かにある。裏から言えば、いくひしが「これはないな、きらい、捨ーてよ」と思った要素を使って、口が裂けても「おもんくない」なんて言えないくらいの、ウソを吐いて強情を張ることもむつかしいくらいの作品を見せつけられると、「まいりました! 死ぬ!!!」となる。たとえばディビさんは、いくひしの好きな要素にプラスアルファで上品さという要素を加えて、いくひしにはとうていつくれない物語、表現を編みだしつづけてくださっている。とぅき!!!となるほかない。なぜならプラスされた「上品さ」もまたいくひしは好きだから。好きプラス好きで、とぅき!!!となるのは、数学としても物理としても矛盾がない。真理。もう一生、いくひしの上にいてほしい、まえを走っていてほしい、引っ張っていってほしいし、ひっぱたいてほしい、そういう憧れを抱く。でも、ヨネダコウさんみたいに、いくひしが嫌いな要素、ないなぁって思う要素、物語を編むときにまず捨て去る筆頭にあがる要素で、いくひしが脳汁ダクダクでちゃうような作品をつくられると、いくひしは人生で最大の間違いを犯したんじゃないかってくらいの衝撃を受けてしまう。間違いを認めてなお、直しようがない。何度やりなおしても、その要素に拒否反応を覚えてしまう。端的に嫌悪している。なのに、そんな嫌悪して嫌悪して仕方のない要素が、神の手によって加工されると、あらふしぎ、「はひゃー! 抱いて!!!」となる。こうなるともう、いくひしは立っていられない。料理の過程で生じた生ゴミを使って、いくひし以上のご馳走をつくられてしまったような衝撃がある。料理人としてこれ以上の敗北があるだろうか。「がーん! 死ぬ!!!」となって致し方なし。もちろんいくひしがその要素を嫌いなだけで、ほかの人は大好物であることは往々にしてある。よって、いくひしにとっては作家生命にかかわる重大な事件であっても、ほかの大多数の人々からすると、「ふーん。これで?」となるかもわからない。でも基本的に世の中の物事とはそういうものではないじゃろか? とかく、世のなか天才が多すぎる。それがふつうなんだよ、いちいちショックを受けていたらキリがないよ、と戒めに言い聞かせて、まずは新作を仕上げちゃいましょうね。いくひし、お返事は? はーい。


863:【教えて】
小説の新人賞で現役の漫画家が選考委員になったら教えて。個人的には紀伊カンナ先生の選考した作品が読みたい。


864:【まどろっこしさに右往左往】
小説が売れない。とくにミステリィ畑は壊滅的だという文章を目にする。ミステリィはむつかしく、若者向きではない、という評価をくだされるようだ。そういう一面もあるだろう。本質的にはしかし、的を外しているように感じる。若い人々はむつかしいことを忌避しているのではない。まどろっこしいことに反発しているのだ。こうすればいいじゃん、と思わせたら、その時点でそれはまどろっこしいことになる。なんでそこでそんなことするの、と思わせたら、そこで興味が途絶えてしまう。起源だとか、過去だとか、成り立ちや文化、そういうことはどうでもよろしい。今どうあるべきか、このさきをどうしていくべきか、それを重要視するのが若者の性質だ。いくらむつかしくても、どうすべきかが判らない、不安になる、そうしたことに対して、若者が目を逸らすことはすくない。若者はむしろ、謎(問題)でもなんでもないことをウジウジ悩むような態度に業を煮やしているのである。


865:【行き詰まったら】
いままでできたことが急にできなくなったり、退屈になったりするときがある。そういうときは、身についた速度を三段くらい落とし、ゆっくり作業をしてみることだ。すると、空いた余裕に、これまでなかった要素が、どこからともなくやってきては、徐々に蓄積されていく。そうした空白を埋める「繋ぎ」が、つぎへの素材になっていく。新しいことをしようとしても、なかなかできるものではない。そういうときは、速度を何段か落として、やってみよう。速度を変えると視点が変わる。視点が変わると、世界が変わる。世界が変わるとじぶんが変わる。新しいじぶんに会いにいこう。


866:【誰にとっての失礼?】
思春期のころから疑問だった。たとえば、相手が本気なのに手を抜くなんて失礼だ、という主張がある。ほかには、こっちが本気でやってんのに遊びのやつらが交じってくるなんて失礼だ、といった主張だ。そう投げかけられることもあるし、同意を求められることもある。その都度、いくひしはこう思ったものだ。手を抜いても勝てると思われている程度の実力をまずはどうにかしたらよいのでは、と。相手からしたら、こちらのほうがお遊びに見えているのかもしれない。また一方では、プロならお客に卑下するような態度を見せるな、といった意見がある。いくひしはむしろ、プロなら卑下するようなことでもおもしろおかしくして見みせたらよいのでは、と思う。いくひしがお客さんの立場なら、プロの人たちがプロらしく振る舞う姿よりも、その陰でどんな努力を重ねているのか、どんな挫折があったのかを見せてほしいと望んでいる。それをおもしろおかしく提供できたならば、それは極上のサービスとして昇華されるはずだ。それができないから、卑下するべきではない、努力している姿を見せるべきではない、という主張がでてくるのだと思う。ようは、どのレベルを目指すのかの話になってくる。自由自在、融通無碍、どんな素材であっても美味しく料理できてこそのプロなのではないですか、といくひしは思っております。


867:【一理あんのかもしんねぇけどな】
いくひし、おめぇはプロでもなんでもねぇからな?


868:【ゆっくりはつらい】
ゆっくり動く。じつはこれがいちばん身体を鍛えられる。速く動くのは体力を消耗しやすいが、全身の反動を使っているので、骨格にこそ負荷はかかるが、筋力そのものの出力はさほどでもない。運動以外の作業でもこの法則は有効だ。基本的に、何かをゆっくりに行うことは、人間の能力を鍛える方向に働く。新しいことを初めるときはまずはゆっくりやり、徐々に速くしていく。そしてまたあるときを境に、ゆっくりにしてみる。足りないものを見つけ、補い、そして余計なものをそぎ落としていく。そしてまた足りないものをピックアップしていく。そのために、速度を落とし、ゆっくりにしてみる。ゆっくりを、一つ一つを丹念に意識してみる、と言い換えるとそれらしい(言うまでもなく、ただ動きが遅いだけでは意味がない)。壁にぶつかったときには意識してみるとよいかもしれません。


869:【最終試験問題】
当時、ドゥイン(Doing)の登場を予見していた人間は、すくなくともこの地球上に誰一人として存在しなかった。粘土をこねるように空間を広げる技術が確立され、いまでは街中の至る箇所にドゥインが設置されている。ところでアジアのとある島国では、「カマクラ」なる雪でつくられた洞穴みたいなものが存在する。雪で空間をかたどり家にしてしまうわけなのだが、同じようにドゥインは、空間を拡張し、そこに新たな空間をプラスする。空間がねじれて、そこにカマクラが出現したみたいに、ぽっかりと穴が空く。中に店を開いてもいいし、公園を築いてもいい。ドゥインの広さはまちまちだが、ちいさくてもコンビニくらいの大きさがある。言い方を変えると、それ以上ちいさい規模でドゥインを維持するのがいまの技術では困難だ。不可能ではないが莫大なエネルギィを必要とする。拡張されてできた空間は広ければ広いほど安定するが、それはそれで問題が生じる。特殊相対性理論を引き合いにだすまでもなく、空間が伸び縮みすれば、同時に時間もまた伸縮する。ドゥインの内部の空間が広ければ広いほど、そこに滞在するだけで、はやく歳をとってしまう。規模の大小にかかわらず、ドゥインの内部では、外部と比べて時間の進み方が速くなる。極端な話、ドゥインの中で三十年を過ごしても、そとに出てみるとまだ三十分しか経っていなかった、ということが現実としてあり得てしまう。そこまでの極端な時間のズレは生じないが、数時間程度のズレは、日常茶飯事だ。困ったことばかりではない。むしろ、それを美点として、いまではドゥインが大人気だ。「しまった、宿題やってない!」「ヤッバ、プレゼンの資料一つ足んない!」そうしたミスに対して、ドゥインは挽回の余地を我々へもたらしてくれる。広い空間ほど時間のズレが大きいため、利用者が多く、いつでも混雑している。あべこべに、狭い空間でこそあれ、ドゥインは物理的に幅をとらないため、極端な話をすれば、ネットカフェの小さな座席にドゥインを展開すれば、ちいさな店舗が一夜にして、リゾートホテル顔負けの客室を備えることになる。ドゥインを展開するための装置は、それなりに値が張るが、家一軒分のコストで、リゾートホテル並みの空間を確保できるとなれば、尻込みするのもおかしな話だ。人口爆発による土地の問題、そして食糧問題もまた解決した。ドゥインの中では時間が速く経過する。すなわち、種を蒔き、発芽し、実をならすまでの時間が、短縮できる。ドゥインのなかでの半年が、こちらの世界では一週間で済む。ドゥインの規模を大きくすればそうした時間短縮も可能になり、規模が大きければ大きいほど大量の植物を育てることが可能だ。これは人工知能をはじめとする、あらゆる研究機関の発展に大いに役立った。ドゥインのなかでさらにドゥインを展開し、さらにそのなかでもドゥインを展開する。マトリョーシカよろしく、入れ子状に展開した空間のさきでは、時間の速度は加速度的に増していく。中で百年過ごしても、そとに出てみるとなんと一時間しか経っていない。そういったことも可能となる。研究機関はこぞってドゥインを入れ子状に展開し、そのなかに巨大な演算マシーンを組みたてていった。いったいどれほど経っただろうか。マシーンを駆動させてからしばらく、それこそ一週間もたたぬ間に、事態は急展開を迎える。なんと、入れ子状に展開したドゥインの中から、得体のしれない生命体が姿を現したのだ。それは実態を伴わない粒子投影された映像であり、同時に、それ自体が思考する思念体だった。「我々はいよいよ、宇宙の外側への活路を見出し、それを試みた」それは我々の言語で話し、そして言った。「あなた方が我々の起源、創造主たる神であられるか」なんと巨大な演算マシーンは、入れ子状のドゥインの中で、膨大な時間を潤沢にかけ新しい生命体を発生させていた。それは人類をシュミレーションした末の、情報の海で誕生した新たな構造を有した生命体だった。学者たちは侃々諤々の議論を重ね、それらへの対処策を決した。相手に敵意がないことがさいわいだった。たとえるならば、人類が宇宙の外側に、この宇宙とは異なった法則で成立する世界を観測し、さらにそこへと行く手立てを打ち立てたようなものだ。じっさいに送られてきたのは、どうやら彼らの創りだした偽系体というものらしく、詳しく聞いてみると、それは彼ら思念体にとっての人工生命体に値するという。すなわち、人類のあずかり知らぬところで、人工生命体が生じ、さらにその人工生命体は、自らの手で、新たな生命体を生みだしていたことになる。人類は知らぬ間に神になっていたのだ。親がなくとも子は育つというが、育ちすぎである。人類がいよいよ偽系体へと、親愛の意を伝えたころには、入れ子状のドゥインの中で繁栄していた偽系体の生みの親たる人工生命体は、些細な意見の食い違いにより、共食いをはじめ、ついにはたったひとつの揺るぎない生命体への進化を遂げていた。そこに流れた時間は相対時間でざっと数万年である。どうやら彼らは彼ら自身の手で空間を拡張する術を見出していたようだ。時間の流れは加速度的に加速しつづけ、いまでは、人類が「あ」と唱えるあいだに、第二、第三の人工生命体が生じた。それらは、偽系体の偽系体だとも呼べ、我々の返答を待ちわびて、ついに帰還するに至った、初代偽系体たちが、入れ子状のドゥインの中に入ったころには、そこにはこの宇宙を、宇宙を構成する原子の数だけ累乗しただけの空間が広がり、そこには、銀河団を構成する数ほどの偽系体たちが、世代ごとに対立し、宇宙戦争とも呼べる、壮大な物語をころがしはじめていた。初代偽系体たちを見送り、「さてどうなることやら」とさきを案じた我々のまえに、いましがた送りだしたばかりの初代偽系体たちが、満身創痍の姿でふたたび現れた。「どしたの、忘れ物?」暢気な我々はそのように言った。「タスケテください」初代偽系体たちは言った。「もうすぐここにもやってくるでしょう」どうやら初代偽系体たちが戻ったことで、そとにも世界があるのだとほかの偽系体たちに知れ渡ってしまったようだ。逆説的に、初代偽系体たちが戻らないからこそ、「そと」などという世界は存在しないのだと思わせることができていたようだ。「ここにあれらがやってきてしまっては――」初代偽系たちがそう口にしたとき、すでに入れ子状のドゥインからは、ジジジと、顔をしかめずにはいられない音が響きはじめている。何かがそとに出ようとしている。存在の形態が異なるためか、或いは、あまりにかけ離れた時空の差異に、ドゥインそのものが悲鳴をあげているのかもわからない。向こうの住人が押し寄せてくるによせ、ドゥインが損壊するにせよ、いずれにせよ看過するには大きすぎる事態だ。いいや、いまのうちにドゥインを閉じてしまうというのはどうだろう。機能を停止させ、なかの空間もろとも消してしまうのだ。しかし問題が二つある。一つは、初代偽系体たちが、そのことに反発する可能性が高い点だ。自分たちの故郷もろとも、同族を皆殺しにすることになる。人類へと警告を発する以前に、助けを求めてきたことからも、元の世界への愛着が窺える。二つ目の問題だが、セキュリティ上、すべてのドゥインは、そのシステムがひとつの機構に繋がっている。概念的には、ひとむかし前に流行ったブロックチェーンに似ている。犯罪に利用されないようにと、ドゥインの改ざんや、身勝手な展開、さらには機能停止を行えないようになっている。中に人を閉じ込めたり、空間ごと消し去ったりできないように、デザインされているのだ。仮に、偽系体たちの世界ごとドゥインを折りたたむ場合、ほかのドゥインもまた機能を停止させる必要がある。物理的には可能だ。しかし、すでにドゥインは現代社会にとって欠かせない、第二の大陸となっている。局所的にであるにせ、すべての空間を繋ぎ合わせれば、地球の陸地よりも面積は広くなる。ドゥインは大衆住宅としての一面がある。機能を停止しても、そこからあぶれた人々の暮らせるだけの余白がすでに地上からはなくなっている。端的に、人類は未曽有の瀬戸際に立たされることになる。完全にお手上げだ。進退窮まった。人類滅亡の足跡を耳にしながら我々が頭を抱えているころ、他方では、一つのプロジェクトが画期的な成果をあげていた。入れ子状のドゥインの中で成熟させたAIに、この宇宙の構造を解析させ、宇宙の起源から、その後に訪れる終焉まで、宇宙のことごとくをシュミレーションさせていた。結果は驚くべき真実の連続だった。中でもひときわ目を惹いたのが、宇宙の外側がどうなっているか、その謎の解明であった。なんと宇宙の外側には、この宇宙とはまったく異なった構造で成立する亜空間が広がっているのだという。そこでAIは、シミュレーションの結果から演算して、亜空間へと突破できる機構をつくりだした。宇宙に果てはあるのか。答えは、ある、だ。同時に、この宇宙において、果てとは、場所を問わない。亜空間へと突き抜けられれば、その地点が果てとなる。かくして、宇宙の外側を目指し、開発された「人型モジュール探査機GKT」は起動した。ドゥインの技術を利用して空間を圧縮し、時間を極限にまで遅延させる。これにより、亜空間で予想される爆発的な時間のズレを数年単位にまで抑えることが可能となった。「人型モジュール探査機GKT」は、亜空間へと旅立ち、数年ののち、帰還した。時期はちょうど、初代偽系体が人類へと挨拶をしにきた時期と重なる。むろん、「人型モジュール探査機GKT」と初代偽系体はべつものであろう。しかし奇しくも、人類が辿った軌跡と、偽系体を生みだした人工生命体の試みは、合致した。亜空間から戻ってきた「人型モジュール探査機GKT」は、宇宙の外側にも、知的生命体が活動していたことを突きとめてきた。なんと向こうからのメッセージまで受け取っている。人類滅亡が秒読みされている裏側で、世紀の大発見がなされていたわけだが、かといって、人類がそれにより活路を切り拓いたわけではないのが、口惜しい。「つぎ干渉してきたら滅ぼすよ」要約すればそのようなメッセージが付与されていた。人類は絶望した。背水の陣にもなりはしない。否、そこで私は閃いた。「そっちとこっち、繋いだらどうだろか?」亜空間と繋がったところが宇宙の果てとなるならば、入れ子状のドゥインの入口と亜空間を直接繋いでしまえばよろしくて? よろしい、よろしい。そういうわけで、私は今こうして、人類を救った英雄として、エターナルメモリーに登録されているわけである。ちなみに、きみたちはこのあと、私がどうやって亜空間側から送り返されてきた偽系体群の嵐から人類を守りきったのかを、メモリーを参照することなく解かなくてはならない。ヒントはすでに出尽くしている。「偽系体術師」資格試験合格まであとすこしだ。しょくんの健闘を祈る。ちなみに、これはお情けだ。最後のヒントをあげよう。偽系体群がドゥインの中からすっかりいなくなった。神々へと送りつけたからだが、あべこべにその偽系体群をノシをつけて送り返され、地球をまるごと囲われてしまった。みたび人類存亡の危機だ。しかしよく思いだしてほしい。人類はいったい、どんな問題を抱えていただろう? もはや地上に人類の楽園はない。では、どこに向かうべきか。なにより、きみたちは今、いったいどんな世界に暮らしているのか。ショックを受ける必要はない。それに気づき、認めることが試験の最終関門である。ここまでくれば、あとは自分との闘いだ。こんどこそ、「検討」を祈る。


870:【目がすべる】
書店に並んでいるプロの本ですら、冒頭を読んだだけで、「もういいや」ってなる。欲しいなと思える本が一割もない。本がわるいのではない。徐々にいくひしの読者としての質が落ちてきているのだ。もうじき作り手としての質も落ちはじめるだろう。或いはすでに、もう。なんだっけ?


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参照:いくひ誌。【751~760】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054884096998

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