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いくひ誌。【801~810】

※日々身体がだるくなり、精神はかるくなり、腹が鳴り、丸くなりなさいと魔女はがなり、食われる日を待つうだる日差しの昼下がり、来たるヘル、夜の帳、終わりを告げ、鳴りひびくベル。


801:【次元間ワープ】
はーい、みんな。エリーよ。きょうはまずきのうの答え合わせをする前に一つ報告があるの。びっくりしないでね、なんとシップの後方七光年先にユルシドフェイリアの群れが姿を現したの。みんなも知ってのとおり、次元間を旅する生命体――DNA情報を保持するゆいいつの星雲ね。階層ソナーにばっちりその姿が映しだされたから、あとでチャンネルにアクセスしてデータを漁って。情報量の多さに外部メモリを焼かれないように注意すること。そうそう、半年前に水の生成する方法を教えた種族がいたの、憶えてるかな。きのうの放送のあとにね、お礼にって次元結晶を送ってくれたの。知らなかったんだけど、彼らの文明には情報体を物質化して転送できる技術があったのね。燃料補給しなくて済むから次元結晶もうれしいけど、そっちのテレポーテーション技術のほうをどうせなら教えてほしかったよね。まあ、いまさら連絡のとりようはないんだけど。おっと、なんだかそろそろブーイングが聞こえてきそうな気配がぷんぷんしてるぞ、みんな待ちくたびれちゃったかな? きのうの問題、憶えてるよね。念のため復習しよっか。きょうが初めましての人もいるかもだし、外部メモリが破壊されてきのうの放送を観逃した人もいるかもしれないし――もちろんそんな間抜けな人はエリーのリスナーにいないことくらい知ってるけど、だってほら、エリーさまはやさしいから?そういうテイであらすじ語っちゃうけど、きのうは、そう(つづきはこちらから→https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054884224860


802:【排除と規制】
世のなかで何かを排除しようとしたり規制したりすることそのものは、世のなかの仕組みを是正していくためには必要なことだと思う。何かを破壊しなければ何かを生みだすことはできない、これもまた否定することのほうが難しい。しかし、いまの世のなかで何かを排除し、規制しようとする勢力が正当性を帯びたとき、排除や規制の向かう対象がなんであれ、まっさきに淘汰されゆくものがいくひしだということは知っておいてほしい。あなたが「あれはいやだなぁ」と思うとき、そこにいくひしは含まれる。あなたが「ああいう考え方はないほうがいいな」と思うとき、いくひしの根幹は否定される。良し悪しではなく、ああ、アイツは淘汰される側に入るのか、と考えてほしい。それで歩を止める必要はない。あなたの理想に近づくために、すべきことはすべきである。ただし、いくひしは、あなたの手により淘汰される。それは是非とも知っておいてほしいのだ。いくひしは、あなたたちの手で生きながらえ、そして時と共に削られていく。


803:【息抜きしろっつったろ!】
ばーか。がんばりすぎや。家帰って、風呂入って、おふとんくるまって寝ろ。


804:【行動経済学】
人間にとってのメリットとは基本的に「危機を回避すること」だ。自分が豊かになるためのプラス向きに働くメリットは、飽くまで「危機回避」したうえで築かれるものである。合理的に考えればすべてに優先されるのは「目前の危機回避」ということになる。ただし理性的に考えるならば、目前の危機を受け入れることが、さらなるメリットになることもある。損失のさきにある「より長期的に危機を回避できる術」を優先することのほうが結果として得をする、というのはよくある話だ。しかしそうした答えを導きだすために必要なのは合理性ではなく、理性である。いっぱんに経済学では、マクロな視点でのメリットを考えることが合理的な判断だと表現する傾向にあるが、それは合理性が何をメリットとしているかの定義づけに失敗しているために導かれる謬見だと個人的には感じている。人類にとっての最大のメリットは、生き残り、子孫を残すことである。また、個人にとっては自己を保存することである。しかし現在では、個人の「自己の枠組み」が多様化し、なにを以って自己と見做すのかの線引きがむづかしくなってきている。自己の枠組みを保つために、自分の命よりもペットや、社会的な地位、名誉、或いは使命、それとも娘息子たち――を優先したとしてもおかしくはなく、それもまた一つの合理的な選択なのである。ただし、理性的ではない。(参照:「息の根にうるおいを。」)


805:【メモ】
子どもの頭脳回路を1→大人の頭脳回路を2→回路を一周起動させるのにかかる時間がいずれも10だとすると、子ども頭脳回路のほうが時間が圧縮されている(子どもが回路を一周起動したとき、大人はまだ回路を半分しか起動できていない。言い換えると、大人回路が一周したとき、子ども回路は二周している)→子どものほうが時間の流れが速い(いっぱい時間が流れている)→大人からすると子どものころに比べて、時間の経過が遅く感じる→体感時間は大人のほうがゆっくりに感じる→小さい動物ほど寿命が短いのは、基本的にこの回路に流れる時間がじっさいに速いからだと推測できる→身体はちいさく、脳だけを大きくすれば、寿命は伸びるのではないか?※ただし、回路はインプット・記憶参照・アウトプットまでをワンセットとする。人は集中すると、インプットのみ、またはアウトプットのみになり、回路が正常に起動せず、時間の経過を感じにくくなる、よって本来は集中すればするだけ子どものときの脳回路にちかづくのだが、回路として機能しないので、集中が切れたときに(すなわち回路が繋がった瞬間に)時間の経過を認識し、タイムスリップしたかのような感覚を覚えるのである。もっとも、体感時間とじっさいに流れる時間は異なるので、集中すればするほど回路(存在の枠組み)に流れる時間は多くなり、寿命は短くなると考えられる。この場合、時間を情報量に置き換えても成立する。


806:【脳内量子コンピューター仮説】
人間の脳内回路は量子もつれの原理を利用しているかもしれない(いくひし談)。たとえば回路の一部にV字型の回線があるとする。AはCを経由してBへと向かう。「V」の上部がABで、下部がCだ。左、下、右と情報が伝達するとする。Vをなぞるのにかかる時間を2とする。距離も2だ。移動する速度はだから1となる。ここで仮に、AとBの両方からCへと移動するとする。Cで合流したABは互いに情報を交換する。わざわざBがAへ、AがBへと走らずに済むなら、大幅な時間の短縮になる(時間は1で済む)。もちろん実際は、AとBが動くことはなく、AからBへと一方的に情報が流れれば、AはBの情報を受け取ることができない。それはたとえば、沖縄と北海道で文通をするとき、東京に双方の手紙が集まっても文通にはならないのと同じことだ。中心で集まったら、そこを交差して、向こう側へと行かなければ手紙のやりとりはできない。しかし仮に東京まで手紙を届けさえすればそこからはメールで情報を伝達できるとするならば、沖縄から北海道への一方通行で手紙をやりとりするよりも、双方から手紙を飛ばして、東京で仲介してもらったほうが効率がよくなる。量子もつれによる量子テレポーテーションを利用すれば、そうした効率化が可能だ。実際には脳内の回路は複雑に入り組んでいる。一説によると、人体の血管をすべて繋ぐと地球を二周半する長さになるという。同様に、脳内の回路をすべて一本の線に繋ぎなおせば、途方もない長さになるだろう。その中を光が走るとする。量子もつれを利用していれば、大幅な距離の短縮になる。それは時間の短縮でもある。より短い時間で、より複雑な計算ができる。ひょっとすると人間の頭脳はすでに量子コンピューターなのかもしれない。(※この仮説の利点は、リベットによる運動準備電位の測定実験を新しい解釈で咀嚼できる点だ。リベットは人間の脳内で意識がどのように発生するのかを調べようとした。その結果、人間は身体を動かそうと意識するよりさきに、脳内のほうで自動的に「腕を動かせ」と指示する電流を発生させていることが明らかになった。脳から腕へと指令が届き、腕が動く準備をはじめてから、人は腕を動かそうと意識するのだという。これまでの常識とは真逆の結論である。ならば人間の自由意思とは幻影にすぎないのだろうか? 未だ決着のつかない問題である。しかしもし人間の頭脳が量子もつれによる量子テレポーテーションの原理を用いて、稼働しているとすれば、この自由意思と運動準備電位の問題は、ずっとすんなり解決する。というのも、運動準備電位は、量子もつれによる時間短縮した計算結果であり、そのあとに、正規の回路を辿った計算が後追いで導かれるとすれば、自由意思の存在を否定せずに、リベットの実験結果を受け入れることができるからだ。自由意思は存在する。ただし、自由意思を構築する前の段階で、人間の頭脳は、計算結果を導きだしている。ただし、量子もつれによる計算結果と、正規の回路を辿った計算結果とでは、わずかにズレが生じる。それは計算の遅延による、わずかな計算の狂いであり、同時にカオスによる大きなズレともなり得る。飽くまで運動準備電位は、準備にすぎず、正規の回路を辿った計算結果によっては、その準備電位を無効にすることも可能だ。すなわち、自由意思の優位性は保たれるのである)


807:【宇宙定数】
アインシュタインが予言したものの一つに宇宙項というものがある。いちどは過ちだったと考えられ撤回されたが、アインシュタインの没後にじつは法則を満たすのに必要な定数だと判明した。宇宙は膨張している。その膨張速度はいまなお加速をつづけていると云われる。風船を膨らませるためには息を吹き込ませつづけなければならない。風船が膨れるにつれ、そこに加わるチカラは増加する。さらにその膨張速度が加速をつづけているということは、宇宙内部でなんらかの未知のエネルギィが増幅しつづけていることを示唆する。そんなこと、あり得るだろうか? いわゆるダークエネルギィと呼ばれるものである。この謎を解く一つの仮説として、いくひしは宇宙を構成する成分に、「時間」「空間」「エネルギィ」のほかに、「情報」を付け加えることを提唱したい。無から宇宙は誕生した。宇宙は時空間そのもので、エネルギィそのものだ。しかし、ゼロからイチが生じた時点で、その経過が情報として蓄積する。情報が蓄積されたことで、宇宙内部に膨張する方向へチカラが加わり、さらに変化が生じる。そこからは初期値敏感性――いわゆるカオスの性質により、ランダムな変質がのべつ幕なしに宇宙内部で繰り返される。情報は蓄積されつづける。変質による情報の蓄積に、変質した物質およびエネルギィの量的指数は影響されない。どんなちいさなものでも、変質したことそれ自体が情報として蓄積され、宇宙を膨張させる。


808:【デストロ246】
高橋慶太郎さんの漫画「デストロ246」が脳汁ダクダク出まくりです。一から七巻まであります。前作の「ヨルムンガンド」も文句なしに大好物で、何かとストレスがかかるたびに脳内で「フフーフ」と鼻歌うキャラがいくひしを支えてくれます。「ヨルムンガンド」では男女比がだいたい7:3くらいだったのですが、「デストロ246」では2:8とほぼすべて女性キャラというなんとも目の保養に最適な漫画でございます。殺戮、謀略、裏切りに友情、百合とは口が裂けても言えないところで百合要素をぶっこんでくる、そんな大雑把でいいんですか、とまるでカレーにステーキをぶっこむような荒業に、いくひしはもう目が点つづきで、もうすぐ百目小僧になりそうな勢いがあります。新作の「貧民、聖櫃、大富豪」第一巻もご購入したいくひしさんですが、ソシャゲをしない人間なので、いまのところは「デストロ246」や「ヨルムンガンド」のほうが好みであります。裏から言えば、ソシャゲをしている現代人にはドンピシャな物語かもわかりません。もっとも、第二巻から怒涛の展開つづきになるところが高橋慶太郎さんの特徴でもあるようですから、「貧民、聖櫃、大富豪」もまた今後の展開がたのしみな作品です。ちなみに柴田ヨクサルさんの漫画、「妖怪番長」7巻を未だに購入できずに歯がゆい日々を送っております。そのスピンオフ作品である「カイテンワン」一巻をさきにお持ち帰りしてしまいました。おもしろーい。もはや小説より漫画のほうが摂取カロリー多めのいくひしですが、それでも漫画家になろうとは考えないところに、人間としての弱さが垣間見えますね。だって絵、下手なんだもん。漫画になくて小説にあるつよみって何だろう。よくわからなくなってきた2017年10月13日の午前6:31でした。


809:【来歴】
いくひしは高卒である。大学に入学したが二週間で辞めた(講義があまりに退屈すぎた。じっさいには後期分までの授業料を払っていたので、記録上は一年後になっているはずだ)。だから一般教養(とは何か)をほとんど知らない。常識がなく、また知識がない。いくひしの言うことを真に受けてはいけない。妙なことを言っているな、と思ったら、信じずにまずは、本当にそうだろうか、と自分で調べ、考えてみよう。(たとえば、脳内は一生のうちで細胞の入れ替わることのない稀有な器官だ、といった記述をしたことがあるが、それは誤りである。むろん知っていたが、そういう考え方はおもしろいのでそうした設定を掌編で使った。ほかにもたくさんのデタラメを使って物語を編んでいる。いくひしの発言は根っこから疑ってかかるのが賢明だ)


810:【ぐるぐる】
頭のなかが濁っている。ぐるぐると泥が渦を巻いている。透明になるのを待ちたい。でも待ってはいられない。素手を突っこみ、掴める泥を材料に、じぶんだけの何かを捏ねあげるのだ。夢中になりはじめたころに気づくだろう。もっと泥があればいいのに、と。


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参照:いくひ誌。【541~550】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054883279947

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