• 異世界ファンタジー
  • 現代ファンタジー

いくひ誌。【611~620】

※日々たす日々は日々であり、日々わる日々も日々であり、日々の二乗も日々であり、日々ひく日々も日々である、なのに日々をどれだけつらねても日々は世界になりはしない、日々とゼロはどこか似ている。


611:【背中】
背中が痛くて、腰も痛くて、なんだったらぜんぶ線でつないでヒザまで痛くって、揉んでも塗っても効果なくて、どうしたらいいんじゃろってなって、かたっぱしから身体の押せるところを押してったわけ、したらね、背中側じゃなくって身体のおへそ側、みぞおちの上のほうの肋骨との境、鳩尾(きゅうび)ってツボらしいのだけれど、そこを押したらめちゃんこイタ気持ちいいの。びりびりって、背中から腰からなんだったらヒザまで、雷でつながった。うーいたいよー、きもちいよー、って半日、ヒマさえあれば押してたんだけど、なんときょう、背中も腰もなんだったらヒザの痛みまでとれちゃってた。鳩尾すげーってなって、いったいどんなツボなんだろってネットで調べてみたら交感神経が集まってるところなんだって。精神不安とかストレスとかそういうのにきくんだって。はっは~ん。ピンときたね。久しく不安とかストレスとか見なかったけど、なるほど、きみたちそんなところに押しこめられちゃってたかぁ。得心、得心。おっぱい大きいひとは押しにくいかもしれないけれど、ここぞというときに押してみてはいかがでしょう。鳩尾、ストレスってなんだろうってひとにおすすめのツボです。


612:【うすく、うすく、せつなくして】
Flores - Afterglow


613:【THE減る】
クズじゃねぇ人間なんざいねぇ。人間は総じてクズだ。聖人君子なんざいやしねぇし神なんざ、たといいたとしてもクソの役にもたちゃしねぇ、そういう理屈とこれは同じだ。誰もが誰かの足を引っ張り、迷惑や面倒をかけつづけ、責任をなすりつけ、負担を強いつづけていやがんだ、そういうバカさ加減が社会を土台から支えてる。みながそうならそれを基準としてしまおうとする暗黙の了解によってやつらはじぶんがクズだという現実から目を背け、うわべだけの自信を着飾ってる。クズがクズをクズ呼ばわりして悦に浸ってやがんのさ。クズの不幸をむさぼることでクズをクズ呼ばわりしやがるクズおぶクズは地位と名誉を築きあげる。誰よりクズであることがこの世じゃいっとう優先で尊ばれる。おれはクズだがてめぇもクズだ。あいつもクズだし、やつらもクズだ。誰がいっとうクズか競おうじゃねぇの。


614:【性善悪説】
生まれながらの善人も環境しだいじゃ奴隷を虐げ、愉悦をむさぼる魔になるし、生まれながらの悪人も環境しだいじゃ奴隷の境遇に涙をながし、住処に食事を無償で与え、自由を保てと声をあげる。性善説も、性悪説も、とどのつまりは環境しだい、異なるのは始点と視点で、注視すべきは分岐点、いかなる定めも世界しだい。世界の巨大な手のひらで、踊り狂うが、人の理、誰の断りなく湧く渦は、いい加減なサジ加減、その場の気まぐれ、端からマグレ、神は世界で、風任せ、そんな法には則らない。善と悪を世界が定め決めるのならば、私は私の世界をつくろう。きみがきみの世界をつくるのだ。私の世界は悪をつくろう。きみは世界で善をつくれ。私は善として生き、悪となろう。きみは悪として生き、善となれ。分岐点にてあいまみえよう。その場で交わり、点となり、善でも悪でも、何ものでもない、私たちの世界をつくるのだ――そういう言葉に惑わされてはいけないよ。世界は区切るものではなく、すべからく広げていくべきものだから。


615:【成長速度】
年齢が同じなのに明らかに肉体的老化に差があるのは、時間結晶と何か関係があるのかもしれない。健康とは、肉体の時間結晶が保たれている状態である、とか。


616:【サビ】
さいきん本を一冊通しで読めなくなっていて、二時間集中力を維持するのができないと言い換えてもよいくらいで、なんだったら文章だってつむげなくなっていて、だめだなぁ、だめだなぁ、ってどんよりした日々がつづいていたのだけれども、久しぶりにいっき読みしました、森博嗣さんの「青白く輝く月を見たか?」――文筆家のやりがちな、「~だが、~」の構文がめったにでてこず(ダメではないが、多用しがち、←このように)、段落のはじめはだいたい短文ですぐに丸がくるし、読みやすいとは何か、というものを如実に示した小説だと思います。中身はしかし、読みやすさに反比例するかのように曖昧にモコモコしており、それは今ここにはないものを描きだすSFの宿命でもあり、それとは関係なく具体的なものでは描けない何かを描こうとしているからでもあり、端的にぼく好みだなぁ、というなつかしい感覚が湧きあがった。そうだ、わたし、こういうの好きだったんだ、と思いだせた、そうだ、おれって小説好きだったんだよな、と知れた、夏らしい淋しさがあったんです。あたし、腕がサビついちゃっててさ。でも、メロディのいっちゃんだいじなところだってサビって言うし、腕によりをかけてサビをつむぐのもありかなって、「青白く輝く月」を見て、あれだけ憎たらしかった「衰え」に愛着をそそげるようになったのかも。「老い」と「成長」は同じようなもの、みたいな文章がたしか本文にもあったはず。気負わずにマイペースに、マイスペースをより狭く深くしていこうかなって、思っちゃいました。楽しいっていいなぁ。


617:【誤解しないでほしい】
これはねぇ~病んでるフリ! フリだからっ! かといって病んでちゃいけない理由もわからん!


618:【とくべつ】
誰もがしっているぼくよりも、きみしかしらないぼくのほうがとくべつだってしっているから。孤独でいるよ。きみに見ていてほしいから。


619:【修行】
言葉を並べる行為を精神安定剤代わりにしないために有効な術は、文章をつむぐことを苦痛に思えるくらいに文章をつむぎつづけることである。精神安定剤を飲まずに済むように努力するよりも、精神安定剤を毒と見做すくらい依存してしまうほうが遥かにラクだという理屈であり、薬を摂取すればするほどに精神が不安定になってしまえば、それはどうあっても精神安定剤とは呼べなくなるのである。


620:【彼女のこと】
集団に馴染めない。しかし排他された経験はすくない。避けられたり、これは無視されているのかな、と思うことはあった。それはけっきょくのところそれらをする側が、そうした迂遠なカタチでしか拒絶の意を示せなかったからだと推測している。彼らはきっと彼女がこわかったのだ。解らないではない。集団というのは一つきりではない。いくつかのコミュニティがあり、それらを形成する構成員たちは、ほかのコミュニティに――それは泡沫のように重なったり、固まったり、或いは散らばったりしているのだが――各々またがっている。すべてのコミュニティに属している者はなく、誰かは誰かにとって裏の顔を持つことになる。コミュニティの性質上、属している「泡」の数が多いほど、その裏の顔は闇の面積を増していく傾向にある。そういう意味で、彼女は誰よりも裏の顔を持つ人間に映ったことだろう。すべての集団に属した覚えはなく、どの集団にも属した覚えもない。裏からいえば、どの集団にも属さないがゆえに、彼女はどの集団にも属していたと呼べる。黒から見れば彼女は白で、白から見れば黒だった。では灰色なのかというと、それもまたちがく、灰色の集団から見ると彼女は青や赤に映るらしかった。彼女はそれでも自身を孤独だと思ったことがない。彼女にとって、コミュニティなる枠組みはそれこそ風のようなものだった。たしかに存在するが、触れることはできず、またその場にとどまることもない。ふとした瞬間に意識されるが、つぎの瞬間にはまたべつのところに流れている。気圧の変化によって大気を構成する分子が低きへと流れる動きが風であり、コミュニティもまた同じだと彼女は感じている。分け隔てるものではなく、また包み守られるものでもない。カタチはなく、また柵もない。コミュニティ、集団とはそのようなものであると考える彼女はしかし、いつも風を感じる側だ。なぜだろう。きっと多くの者が彼女を異質に感じるのは、彼女がつねに流れに逆らう抵抗を帯びているからだ。風のなかにあって木々は風を受ける側だ。無風のなかにあって鳥は風を感じる側だ。宇宙にそもそも風はなく、太陽風は大陸移動をするムーの群れである。彼女は風を受け、感じ、佇むことができる。ときに流れに身を任せることもある。地球の自転に公転、さまざまな法則に身を委ねているように、彼女はすべてに反抗的ではない。しかし抵抗はする。意識することで。そこにそれがあるのだと想像してみせることで、彼女はそれを受動する側として、いつでも彼らを見張っている。流れは彼女をとりまく風である。彼女には視えている。絶えず変化をつづける枠組みの虚栄が。



______
参照:いくひ誌。【01~10】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054881262056

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する