※日々ってなんだっけ。
601:【継族】
日々の継続は必ずしもチカラにはならない、やり方次第であるが、継続するチカラは継続することでしか培われない、まずはつづけよう。
602:【新作情報2017:06/29】
新作中編「オタマジャクシのままでいたい」を更新しました。短編集「零こんま。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054883503013」にてお読みいただけます。写真好きな女子中学生が殺人事件に巻き込まれて犯人と対峙するお話です。三万五千字です。同程度の長さの百合モノを7月中に更新します。つくりかけを片づけてはやく長編を手掛けたい。生きていこう。
603:【猶予余裕】
読まれない小説に意味はない。いま読まれる必要もない。
604:【誰もいない夜の街を思いだす】
I Wanna Be - Chris Brown
605:【すごいねー】
人間ってすごいなぁ。成長しなくともオトナにはなれるんだから。
606:【ぽわぽわ】
特別な人間ではないし、才能もないし、一般的な暮らしはしていないし、知能は平均以下だし、常識だって欠けているし、礼儀はなっていないし、トモダチはつくれないし、料理だってヘタだし、じゃあ何ができるのかと考えると、まあなんとか考えることだけはいちおうはできる気がするのだけれど、それは誰だってできることだし、恋人なんていたことないし、悪態ばかりでかわいげないし、ひょっとしたら何かをしでかす前に牢屋にでも放りこまれておいたほうがいい人間以下かもしれないけれど、でも、これだけは言わせてほしい、それでも私は無価値ではない。あ、ごめん。無価値かもしんない。でも、生きていてダメな理由はどこにもない気がする。たぶん。なんとなく。だといいなぁとは思うんだけれど、思うだけならいい気しない? だめ?
607:【言うほど】
いくひし、おまえはおまえが思うほどにダメでも特別でもない。いつの時代、どの地域にもいる、ふっつーの、冴えない、不特定多数の、風景を構成するドットの一つだ。極めてデキソコナイというほどでもなく、言うほど孤独でもない、生活に困っているわけでもないし、自由を侵害されているわけでもない。嘆きたいがためにそのように思いこもうとしているかもしれないが、いくひし、おまえは悲劇のヒロインを気取ることもできないくらいにふっつーの、どこにでもいる、ただの人間だ。
608:【出版の利】
出版社で本をだすことの利点てなんだろうと考えたときにまっさきに挙がるのが二つあって、一つは収入になること。もう一つが、よりたくさんの読者のもとに物語が届く可能性が高くなること。けれど現状、すでにこの二つの利点はほとんど願望と大差ないものになっている。収入にはなるが、担当編集者がつき本になるまでには、最短でも半年から一年はかかる。さいきんは出版技術が発展したこともあり、初版の発行部数は十年前と比べて何割も落ちている(言い換えると、生産コストを下げることができ、すくない部数でも利益を出せるようになった)。三千部刷れば全国の書店に本が行きわたると言われているくらいだから、新人はよっぽどのことがなければ一万部なんて刷ってもらえないだろう(根拠のない推測)。大手出版社の場合、定価の一割が印税なので、千円の単行本だったら一万部で百万円になる計算だ(じっさいに売れた本の数ではなく、刷った部数が印税として振り込まれる)。税金で削られるので、手元に残るのはもっとすくない。では刷った本のうちいったいどれくらいが読者の手に渡るのか。感覚として、売れたと世間で話題にならないかぎり、千もいかないのではないかと個人的にはにらんでいる。読者の手に渡らないならば、本にしても無意味だし、時間の無駄だ。半年~一年という時間があれば新作がいくつもつくれる。それを一冊の本をつくるために改稿やら推敲やらで時間をとられる。収入もバイトをしたほうがよほど安定して稼げるとなれば、いったい誰が出版社で本をだそうと考えるだろう。商業作家への夢はさほど輝かしいものではなくなった。出版社の権威は、すくなくとも文芸の分野ではここ二十年、段階的に落ちつづけている。マンガがあるから助かっているようなものだ。ラノベだってマンガ部署の手柄だろう。文芸はいったい何をしているのだろう、とこれは本当に純粋な疑問で思っている。才能ある著者ほど出版社から距離を置こうと考えるようになってしまうのではないか、否、すでになっているのではないかと危惧するものである。がんばってほしい。
609:【でもそうなんだよ】
極論に聞こえるかもしれないが、小説にうまいもヘタもない。小説になっていたらそれ以下でも以上でもない。あるのはただ、読者にとって物語が浸透しやすい形態か否かだ。馴染み深さと違和感の少なさ、そこに新規性が加われば文芸として評価される。評価しているのは読者のうちの極々一部の自称「通」のひとたちだ。たくさん読んでいればいいというものではない。もちろんたくさん読んでいたほうが比較ができるので、評価の精密さは増す傾向にあるが、それはたくさんの情報でディープラーニング(深層学習)したAIと意味合い的には変わらない。それより重要なのは、データ上に存在しない素材に触れたときに、きちんとそれを評価できるかだ。すでにある評価に照らし合わせるだけならそれこそAIのほうが得意な分野だ。自称「通」のひとたちのなかで、いったいどれだけのひとがAIには見えないものを見ているだろう。繰りかえしになるが、小説にうまいもヘタもない。枠組みをひろげよう。
610:【そうは言っても】
いくひし、おまえはヘタだからな?
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参照:いくひ誌。【21~30】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054881262141